ドストエフスキー全作品を電子化する

フョードル・ドストエフスキー(1821-1881)の全作品の電子化をめざしている人のブログです

メモ001 『ドラえもん』とオイルショック

ドラえもん』の歴史を考えるうえで、まず考えるベき歴史上の事件は、歴史的不況、「オイルショック」である。

Wikipediaの記事を下に示す。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%82%AF

 

1973年10月からの数カ月が第一次オイルショック。このとき、『ドラえもん』は、運命の分かれ道にあった。各種資料を読むと、日本テレビ版アニメが打ち切りになり(1973年8月)、編集部は打ち切りにかたむいていた。三回目の最終回(「さようならドラえもん」)がかかれるときが近づいていたわけである。

もう一つ、注目すべきことは、虫プロダクションの倒産(1973年8月、関連会社の虫プロ商事の倒産が1973年11月)である。不景気のほんとうに直前に、重要なプロダクションが倒産していたわけである。藤子・F・不二雄先生は、自身の単行本をこの会社から出していた。というより、1973年ごろまで、小学館からは単行本を出していなかったらしいのである。まだすべてを確認していないが、たとえば、少なくとも1970年代の時点では、『オバケのQ太郎』の単行本は小学館からではなく虫プロダクションから発売されている。現在ではちょっと想像しにくい条件だが、このことを考えておかないと、『ドラえもん』の歴史の流れはみえてこないようにおもわれる。

最後に。手塚治虫先生についてくわしい人ならよく知っていると思うが、手塚治虫氏が虫プロダクションの倒産の2週間後に連載開始したのが、『ブラック・ジャック』である(『週刊少年チャンピョン』1973年11月19日号)。あとでくわしく検討したいが、『ドラえもん』の運命の分かれ道と、『ブラック・ジャック』の運命の分かれ道は、交差している。各話の掲載年月日をてらしあわせると、そのことがよくわかる。