ドストエフスキー全作品を電子化する

フョードル・ドストエフスキー(1821-1881)の全作品の電子化をめざしている人のブログです

メモ005 藤子不二雄コンビ・手塚治虫・落語

新型の病気でみないそがしいだろうから、簡単にまとめる。

藤子不二雄は落語ファンだった、そして『ドラえもん』(藤子・F・不二雄作)などには、落語の影響がおおきい。」
以前から、よくきく説である。
わたしも、まちがいだとは考えていない。

しかし、インターネットでざっと調べてみても、根拠は不十分なのである。
たとえば、「まんが道」についてまとめたサイトで検索してみると、「手塚」が23件、「映画」は10件あるのに、「落語」「寄席」は0件である。

まんが道に見る藤子不二雄史

また、藤子不二雄コンビが残した、落語についての文章も、ほとんどみつからない。
もちろん、インターネット圏内でだけみつからない、ということもありうる。
しかし、藤子不二雄コンビの師・手塚治虫と落語についての記事は、すぐみつかるのである。
わたしの意見では、手塚治虫立川談志を支援していた、というのは意外である。政治信条からいって、2人はかなり離れているはずなのだが。

手塚治虫:学生時代の肉筆画見つかる 春団治さん遺品から - 毎日新聞
立川談志 - Wikipedia
落語、マンガ、手塚治虫の初原稿料のことなどー釈徹宗著『おてらくごー落語の中の浄土真宗ー』より(1) : 噺の話

藤子不二雄A先生は、上京前、富山新聞社に就職していた(1952年~1954年)。そのとき、ラジオの仕事も担当していた。このころすでに、落語のラジオ放送ははじまっていた。『志ん生の昭和』の巻末資料によると、引き揚げ後の古今亭志ん生は、1947年~1970年の間、年10回以上ラジオに出演している(NHKラジオ東京・日本文化・ニッポン放送)。古今亭志ん生は、2020年現在のわたしたちの想像以上に有名だったはずである。もし、藤子不二雄コンビが落語に興味があったならば、古今亭志ん生、またほかの有名な落語家(たとえば明快な芸風で有名な三代目三遊亭金馬)の名前を知らなかったはずがない。

私の説では、藤子不二雄コンビが落語をふかく聞くようになったのは、少なくとも上京後。また、死ぬまで寄席にはあまり行っていないはず。
もちろん、まだ検証中の説である。