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フョードル・ドストエフスキー(1821-1881)の全作品の電子化をめざしている人のブログです

『カラマーゾフの兄弟』第十篇第一章 コーリャ・クラソートキン

第十篇 少年の群

   第一 コーリャ・クラソートキン

 十一月の初旬であった。この町を零下十一度の寒さがおそって、それと同時に薄氷が張り初めた。夜になると、凍てついた地面に、ばさばさした雪が少しばかり降った。すると『身を切るようなから風』がその雪を巻き上げ、町の淋しい通りを吹きまくった。市《いち》の広場はことに烈しかった。朝になっても、まだどんより曇ってはいるが、しかし雪は降りやんだ。プロートニコフ商店の近くで、広場よりほど遠からぬところに、内も外もごくさっぱりとした、一軒の小さい家があった。それは官吏クラソートキンの未亡人の住まいである。県庁づき秘書官クラソートキンはもうよほどまえ、ほとんど十四年も以前に亡くなったが、未亡人は今年三十になったばかり、まだなかなか色っぽい元気な婦人で、小ざっぱりとした持ち家に住まいながら、『自分の財産』で暮しをたてている。優しいながらもかなり快活な気だての夫人は、小心翼々と正直に暮していた。夫とつれ添っていたのは僅か一年ばかりで、十八の年に一人の息子を生むと、すぐ夫と死に別れたのである。それ以来、つまり夫が死んでからというもの、彼女はわが子コーリャの養育に、一身をゆだねていた。彼女はこの十四年間、目に入っても痛くないほど可愛かっていたが、それでも、もしや病気にかかりはしまいか、風邪をひきはしまいか、いたずらをしはしまいか、椅子にあがって倒れはしまいかと、戦々兢々として、ほとんど毎日のように胆を冷やし通しているので、楽しみより苦労のほうがはるかに多かった。
 コーリャが小学校へ入り、やがて当地の中学予備校へ行くようになると、母親はさっそく息子と一緒に、あらゆる学課を勉強して、予習や復習を助けてやり、教師や教師の細君たちの間に知己を作り、コーリャの友達や同窓の学生たちまで手なずけなどした。そして、彼らにお世辞を振り撒いて、コーリャをいじめたり、からかったり、叩いたりしないようにと、いろいろに苦心するのであった。で、その結果しまいには、子供たちも母親を種にして、本当にコーリャをからかうようになった。お母さんの秘蔵っ子、そう言って彼を冷やかし始めたのである。けれど、コーリャは立派に自分を守っていった。彼は剛胆な子供であった。間もなく『とても強いやつだ』という噂がクラスじゅうに拡まって、一般の定評となってしまった。彼はすばしっこくて、負け嫌いで、大胆で、冒険的な気性であった、[#「気性であった、」はママ]成績もいいほうで、算術と世界歴史とでは、先生のダルダネーロフさえへこませる、という噂が伝えられたほどであった。彼は鼻を高くしてみんなを見下ろしていたが、友達としてはごく善良な少年で、決して高ぶるようなことがなかった。彼は同窓生たちの尊敬を、あたりまえのように受けていたが、しかし優しい親しみをもって一同に交わった。ことに感心なのは、ほどを知っていることで、場合に応じて自分を抑制するすべを知っていた。教師に対しては決して明瞭な最後の一線を踏み越えなかった。その線を踏み越えたら、もはや過失も赦すべからざるものとなり、無秩序と騒擾と不法に化してしまう、それを承知していたからである。けれど、彼は都合のいい折さえあれば、随分いたずらをするほうであった。しようのない不良少年じみたいたずらをすることもある。しかも、それはいたずらというより、むしろえらそうなことを言ったり、奇行を演じたり、思いきって人を馬鹿にしたような真似をして見せたり、気どったりするような場合のほうが多かった。ことにやたらに自尊心が強かった。母親までも自分に服従させ、ほとんど暴君のように支配していた。また母親のほうでも服従した、もうとっくから服従していたのである。ただ息子が『自分をあまり愛していない』と考えることだけは、どうしても我慢ができなかった。彼女はコーリャに『情がない』ように思えてしようがなかった。で、ヒステリックな涙を流しながら、息子の冷淡を責めるようなこともたびたびあった。コーリャはそれを好まなかったので、母が真情の流露を要求すればするほど、わざとではないか、と思われるほど強情になるのであった。しかし、それはわざとではなく、ひとりでにそうなるのであった、――もともとそうした性質なのであった。実際、母親は勘違いしていた。コーリャは母親を非常に愛していたが、彼の学生流の言葉を借りて言えば、『仔牛のような愛情』を好かなかったのである。
 父親の遺留品のうちに一つの戸棚があって、その中には幾冊かの書物が保存されていた。コーリャは読書が好きだったので、もうその中の幾冊かを、そっと読んでしまった。母親もこれにはべつだん心配しなかったが、どうしてこんな子供がろくろく遊びにも行かないで、戸棚のそばに幾時間も幾時間も突っ立ったまま、何かの本を夢中になって読んでいるのだろうと、ときどきびっくりすることがあった。こうしてコーリャは、彼の年頃ではまだ読ませてもらえないような書物までも読んでしまった。彼はいたずらをするといっても、ある程度を越すのを好まなかったけれど、近頃では心から母親を慴えあがらせるようないたずらが始まった。もっとも、何か背徳なことをするというのではないが、その代り向う見ずな、目の飛び出すようないたずらであった。ちょうどこの夏も七月の休暇の時に、こういうことがあった。母親と息子とは、七十露里も隔てた隣りの郡に住まっている、ある遠縁の親戚のところへ、一週間ばかり逗留に行った。その婦人の夫は鉄道の停車場に勤めていた。(それはこの町から最も近い停車場で、一カ月後、イヴァン・フョードロヴィッチ・カラマーゾフも、そこからモスクワへ出発したのである)。そこでコーリャはまず鉄道を仔細に観察して、その仕掛けを研究しはじめた。家へ帰ったら、予備校の生徒らに自分の新知識を誇ってやろうというつもりなので。[#「つもりなので。」はママ]ところが、ちょうどその時、まだほかに幾たりかの子供がその土地にいたので、コーリャはさっそくこの連中と遊び仲間になった。その中のあるものは停車場に、またあるものはその近所に住まっていた。みんな若い人たちで、十二から十五くらいまでの子供が、六七人あつまったのであるが、中に二人、この町から行ったものもあった。子供たちは一緒になって遊んだり、ふざけたりしていたが、四日か五日か停車場で暮しているうちに、愚かな若者たちの間に、まるでお話にならない賭けごと、二ルーブリの賭けごとが成立した。それはこうである。仲間のうちで一ばん年下なために、年上のものからいくぶん馬鹿にされていたコーリャは、負けじ魂のためか、向う見ずな元気のためか、とにかく十時の夜汽車が来る時、レールの間にうつ伏しに臥ていて、汽車が全速力でその上を駈け抜けるまで、じっと動かずにいてみせようと言いだした。もっとも、あらかじめ研究してみたところ、実際レールの間に体を延ばして、ぴったりと地面に腹ばっていれば、むろん汽車は体に触らずに、その上を通り越して行くことがわかった。けれど、じっと臥ている時の気持はどうだろう。しかし、コーリャは臥てみせると言いはった。最初のうちはみんな一笑に付して、嘘つきだとか威張りやだとか言ってからかったが、それはますます彼に意地をはらせるだけであった。何よりおもな理由は、十五になる子供たちが、コーリャに対してひどく傲慢な態度をとり、『ちっぽけな』小僧っ子として、友達あつかいもしてくれなかったのが、たまらなく口惜しかったのである。そこで、停車場から一露里ばかり距てたところへ、晩がた出かけることにきめた。その辺まで来ると、汽車が停車場を離れきって、全速力を出すからであった。その夜は月がなかったので、暗いというよりも、むしろ黒いというほうが適当なくらいであった。コーリャはいい頃を見はからって、レールの間に身を横たえた。睹けに加わったあと五人の子供たちは、土手の下へおりて、路ばたの灌木の中へ入った。彼らも初めはひやひやしていたが、挙句の果てには恐怖と後悔の念をいだきながら待っていた。とうとう停車場を発した汽車は、遠くのほうから轟々と鳴り響いて来た。やがて、二つの赤い火が闇の中に光りはじめ、怪物は轟然と近づいて来た。『逃げろ、レールからおりて来い!』と子供たちは恐ろしさに胸を痺らせながら、灌木の中からコーリャに向って叫んだが、もう遅かった。汽車はまたたく間に疾駆して来て、彼らのそばを駈け抜けてしまった。子供たちはいきなりコーリャのほうへ飛んで行った。彼はじっと横になっていた。一同はおずおず、コーリャを撫で廻してみて、抱き起しにかかった。と、彼はにわかにむくりと起きあがって、黙って土手からおりて行った。下へおりると一同に向って、あれはみんなをびっくりさせるために、わざと気絶したようなふりをしていたのだと言ったが、あとでよほどたってから、母親に打ち明けたところによると、本当に彼はすっかり気が遠くなっていたのである。こうして、『向う見ず』の評判は永久不変なものとなってしまった。彼は布のように蒼白い顔をして、停車場から家へ帰って来た。翌日かるい神経性の発熱をしたが、気分は非常にうきうきと楽しそうで、さも満足らしいふうであった。
 この事件はその時すぐではないけれど、間もなくこの町にも伝わって、中学予備校の評判となり、やがて教師連の耳に入った。その時コーリャの母親は学校へ駈けつけて、わが子のために教師連に泣きついた。そして、結局、名声たかき勢力家たる教師ダルダネーロフが、彼のために弁護したり懇願したりしたおかげで、この事件はまったくなかったこととして、秘密のうちに葬り去られた。このダルダネーロフは、まださして年をとっていない独身者であったが、もう長年、熱烈にクラソートキナ夫人を恋していた。かつて一年ばかり前、彼は恐怖の念と気弱い心づかいのために、心臓の痺れるような思いをしながら、謹厳な態度で結婚を申し込んだが、この申し込みを承知するのはわが子にそむくことだと思って、彼女はきっぱり拒絶した。しかし、ダルダネーロフのほうにしても、ある神秘な徴候に照らして、この美しい、とはいえ、あまりに貞淑な、優しい未亡人が、まんざら自分を嫌ってもいない、と空想する権利をもっていたのかもしれない。コーリャの気ちがいじみたいたずらは、かえって一方の活路を開くことになった。それは、ダルダネーロフの尽力に対して、遠廻しではあるが、とにかく希望の暗示が与えられたからである。しかし、ダルダネーロフ自身も、純潔優美な紳士だったので、さし向きこれだけでも、彼の幸福を満たすに十分であった。彼はコーリャを愛していたが、あまり機嫌をとるのは卑屈な所業と思っていたから、教室では彼に対して厳重でやかましかった。またコーリャ自身も、尊敬を失わぬくらいの距離を保って彼に接した。学課も立派に準備して、クラスでは次席を占めていたが、ダルダネーロフには冷淡に応対していた。クラスのものは、コーリャのことを、世界歴史ならダルダネーロフさえ『へこませる』だけの力がある、と固く信じきっていた。実際コーリャはあるとき彼に向って、トロイの創建者は誰か、という質問を発したことがある。その問いに対して、ダルダネーロフはただ民族のことや、その移動のことや、時代の隔たりの大きいことや、神話の荒唐無稽なことなどを、大ざっぱに答えただけで、誰が、すなわちいかなる人物がトロイを創建したかについては、一言も答えることができなかったばかりでなく、なぜかその質問を面白半分の不真面目なものと認めたのである。けれど、子供たちは依然として、ダルダネーロフはトロイの創建者を知らないのだ、という信念をひるがえさなかった。ところが、コーリャは父親が遺しておいた書物戸棚に保存されてあるスマラーグドフの著書を読んで、トロイの創建者を知っていたのである。しまいには子供たち全体が、トロイを創建したのは何者かという問題に興味をいだくようになったが、コーリャは自分の秘密を打ち明けなかった。で、それ以来、物識りの評判は揺ぎのないものとなってしまった。
 鉄道事件があった後、母に対するコーリャの態度には幾分か変化が生じた。アンナ・フョードロヴナ(クラソートキナ未亡人)は、わが子の功名譚を耳にした時、恐ろしさのあまりほとんど発狂しないばかりであった。彼女は激しいヒステリイの発作におそわれた。しかも、その発作が間歇的に幾日もつづいたので、コーリャも今度は心からびっくりして、もう今後決してあんないたずらはしないと立派な誓いを立てた。聖像の前に跪いて母の要求するとおり、亡父の形見にかけて誓ったのである。その時ばかりは『勇敢な』コーリャも、『感きわまって』六つくらいの子供のようにおいおい泣きだした。母と息子はその日一日、お互いに飛びかかっては抱き合って、体を顫わせながら泣いていた。翌日、目をさましたコーリャは、依然として『冷淡な子供』であったが、しかし前よりは言葉数も少く、つつましやかに、厳粛で、考え深くなってきた。もっとも、一月半もたつと、彼はまたあるいたずらの仲間に加わって、町の治安判事にさえ名前を知られるようになったが、そのいたずらはもうまったく種類の違った、そのうえ滑稽なばかばかしいものであった。それに、彼自身のいたずらではなく、ただ巻きぞえをくったにすぎない、ということがわかった。けれど、このことはいつかあとで話すとしよう。母親は、相変らずびくびくしながら心配していた。が、ダルダネーロフは彼女の心配が増せば増すだけ、いよいよ希望を強めるのであった。断わっておくが、コーリャはこの方面からも、ダルダネーロフを理解し推察していたので、ダルダネーロフのこうした『感情』を、深く軽蔑していたのはもちろんである。以前は彼も自分のこうした軽蔑の念を、不遠慮に母親の前で口に出すこともあった。ダルダネーロフの野心はちゃんとわかりきっていますよ、というようなことを遠廻しにほのめかすのであった。しかし、鉄道事件以来、彼はこの点について自分の態度を変えた。もはやどんなに廻り遠い言い方でも、あてこすりめいたことはあくまで慎しみ、母親の前ではダルダネーロフのことをうやうやしい調子で噂するようになった。敏感なクラソートキナ夫人は、すぐに子供の心持を理解して、心中に無限の感謝の念をいだくのであった。けれど、その代りに、もしコーリャのいるところでお客か誰かが、ちょっとでもダルダネーロフのことを口に出そうものなら、夫人はいきなり恥しさのあまり、ぱっと薔薇のように顔を赧くした。コーリャはこういう時、顔をしかめながら、窓のほうを見るか、または自分の靴が『進水式』しそうになっているかどうかを、仔細に点検してみるか、それともあらあらしく『ペレズヴォン』を呼ぶかするのであった。それは一カ月前に突然どこからか連れて来た、毛のくしゃくしゃした、かさぶただらけの、かなり大きな犬であった。コーリャはその犬を家へ引き入れると、なぜか秘密に部屋の中で飼うことにして、誰であろうと友達には一さい見せなかった。彼は恐ろしい暴君のような態度で、さまざまな芸を教え込んだ。とうとうしまいにはこの憐れな犬は、主人が学校へ行った留守ちゅう唸り通しているが、帰って来ると喜んで吠えだして、狂気のように跳ね廻ったり、主人のご用を勤めたり、地べたに倒れて死んだ真似をして見せたりなどした。一口に言えば、べつだん要求されるわけでもないのに、ただ悦びと感謝の情の溢れるままに、仕込まれた芸をありったけして見せるようになった。
 ついでに忘れていたことを言っておこう。読者のすでに熟知している休職二等大尉スネギリョフの息子イリューシャが、父親を『糸瓜』と言ってからかわれた無念さに、ナイフで友達の腿を刺した、その友達こそほかならぬコーリャなのである。
 
(底本:『ドストエーフスキイ全集13 カラマーゾフの兄弟下』、1959年、米川正夫による翻訳、河出書房新社