奥能登と時国家 メモ

調査報告編1より

約90分、1985年度から1991年度の部分を調査

008 一九八五年・一九八六年の調査と史料の紹介

009 一 時国家と渋沢敬三
009 一九五一年夏、渋沢敬三氏が時国復一郎家(上時国家)を訪問したことにはじまる。その経緯は、渋沢氏自身の筆で『奥能登時国家文書』第一巻(財団法人日本常民文化研究所、一九五四年)の冒頭に、
009 この提案は、九学会の賛同を得て
009 「こんな方を媒体に持てば能登研究は半ば成功と云えるであろうと胸の中で考えて居た」
010 談話は夜十二時
010 「門外不出」とされて
010 宮本常一の諸氏が班員と
010 調査の重要な一環であった」とされながら、
010 具体的な活動がほとんど記されていないのである。
010 調査を実質的に推進したのは宮本常一氏、
010 両時国家の文書の整理に当ったのは、日本常民文化研究所の月島分室だった。
012 翌一九五二年三月、宮本氏は速水融氏とともに再び奥能登に行き、時国家を訪れ、三月十七日、復一郎家から九七〇点(借用期限同年五月末日)、宏家から四八点(借用期限同年七月末日)の文書・帳簿・絵図等を借用している。
012 宮本氏は十二月、あらためて時国家を訪問、復一郎家からは断簡を含む四一五五点、宏家からは五三点の文書・帳簿等を、さらに借用したのである(借用期限五十三年十二月末日)。
012 新たに発見された約四〇〇〇点の文書の処理について
016 木箱四箱ほどの文書群を見出して、愕然とした。それらはすべて時国家文書だったのである。
020 両時国家文書の現状を採訪次に即して示しておく。
020 上時国家文書
020 第一次採訪文書(一二二八点)一九五二年十二月、宮本常一氏採訪
020 第二次採訪文書(約三七〇〇点)
コメント、この第二次の分が未返却だった分
020 第三次採訪文書 (約二〇〇〇点)
021 第四次採訪文書 (約二万点)
021 時国宏家文書
021 第一次採訪文書(六二五点)
021 第二次採訪文書(約五〇〇点)
038 一九八七年度の調査と史料の紹介
038 日本私学振興財団から三百万円の
038 援助

017 一九八五年八月四日から十日まで、
018 全く新たな段ボール三十一箱に及ぶ大量な文書・諸帳簿を発見した。
018 恐らく二万点を越す

043 虫損著しいこの文書群の一点一点を慎重に開き、読みとったうえで、年月日、表題、内容を封筒の所定欄に記入する仕事は、それ自体、相当の時間を必要とするが、これを正確に
044 『筆写のしおり』
044 毎週一回、整理・調査に携わっているものを中心に開かれている時国家文書研究会も、刊本となっている第一次採訪文書――『奥能登時国家文書』をテキストとし、その校正もかねて、一点一点を精密に読み切ることを主眼に
056 研究会の研究成果
056 現在、ようやく二一六号
124 一九九一年度の調査と史料の紹介
136 「農民の船商売に進出」