『アンナ・カレーニナ』8-01~8-10(『世界文學大系37 トルストイ』1958年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)

[#2字下げ]第八編[#「第八編」は大見出し]


[#5字下げ]一[#「一」は中見出し]

 かれこれ二ヵ月たった。もう暑い夏の半ばであったが、コズヌイシェフはやっと今ごろ、モスクワを去るしたくをととのえたばかりである。
 コズヌイシェフの生活には、その間にいろいろな出来事があった。もう一年ほど前に、彼の著書は完成された。六年間の苦辛の結晶で、『ヨーロッパならびにロシヤにおける国家形成の基礎と形式』と題されていた。この著書の若干の章と序文は、あちこちの新聞雑誌に掲載されたし、またその他の部分は、コズヌイシェフが仲間の人たちに読んで聞かせたことがある。そういうわけで、この著述の根本思想は読書界にとって、完全に新しいものとはいえなかった。が、それにしてもコズヌイシェフは、この書物の出現が社会に深い印象を与え、学界に一転機を画するほどではないまでも、はげしい動揺を喚起《かんき》することはまちがいない、と期待していた。
 この著述は周到な訂正を経た後、去年、印刷に付せられ、各|書肆《しょし》へ配布された。
 コズヌイシェフは、この本のことをだれにもたずねず、売行きはどうだと友だちにきかれても、気の進まないような、わざとらしく冷淡な返事をして、書肆にもその売行きのことなど問い合わせようともしなかったが、しかし注意を緊張させながら、この書物が一般社会と学界に与える第一印象を、ゆだんなく観察していた。
 しかし、一週間たち、二週間たち、三週間たっても、社会にはなんの反響も認められなかった。専門家であり学者である彼の友人たちは明らかにお義理らしかったけれども――ときおりその本の話をもちだした。が、そのほかの知人は、専門的な内容をもったこの書物に興味をもたないので、まるで問題にしなかった。一般社会は、今べつのことに気をとられているために、完全な無関心を示した。文学界でも同様に、まる一ヵ月のあいだ、この本のことで一言半句も聞かれなかった。
 コズヌイシェフは、書評をかくのに必要な時日を、いともこまくかく計算しながら待ち受けていたが、一月たっても、二月たっても、依然たる沈黙であった。
 ただ『北方甲虫《セーヴェルヌイ・ジューク》』の雑録欄に声量の衰えた歌手ドラバンチのことを、ふざけた調子で書いたついでに、コズヌイシェフの著書に関して、人をばかにしたような言葉をもらしたばかりである。つまり、この書物はもはやとくに一同から非難され、世間一般の笑いぐさになっているというような意味であった。
 ついに三ヵ月目になって、ある総合雑誌に批評文が現われた。コズヌイシェフは、その論文の筆者も知っていた。一度ゴルブツォフのところで会ったことがあるのである。
 その論文の筆者は、ごく若い病身な雑文家で、筆のうえでは臆面のないほうであったが、ひどく教養のない男で、個人関係では臆病なほうであった。
 この筆者を軽蔑しきっているにもかかわらずコズヌイシェフはきわめて敬虔《けいけん》な気持で、論文を読みにかかった。それは恐ろしいものであった。
 明らかにこの雑文家は、コズヌイシェフの著書ぜんたいを、しょせん理解することのできないものというふうに理解したらしい。しかし、彼はきわめて巧みに引用を組み合わせたので、この本を読んだことのない人には、(ほとんどだれも読んでいないのは明瞭である)この本がはじめからおわりまで大仰《おおぎょう》な言葉、しかも妥当《だとう》を欠いた使い方をしてある言葉の羅列にすぎず(それはたくさんの疑問符によって証明されている)この本の著者が全くの無学ものであることは、疑う余地もないのであった。それがみなじつに機知に富んでいて、当のコズヌイシェフも、そういう機知なら望ましいくらいなのだが、しかしそこがつまり恐ろしいのであった。
 コズヌイシェフはこのうえもない忠実さで、評者の論証の正否を点検したにもかかわらず、文中に嘲笑されている自分の欠点や誤謬《ごびゅう》には寸時も心を留めず、この論文の筆者と会ったときのことや、そのときかわした話を、こまかいところまで思い起しはじめた。
『おれは何かあの男を怒らすようなことを、いったりしなかったかしらん?』とコズヌイシェフは自問した。
 すると、この男に会ったとき、彼の無知を証明するような言葉を訂正したのを思い出して、コズヌイシェフはこの文章ぜんたいの意味を了解した。
 この論文が現われた後、彼の著書については活字の上でも噂話でも、死のごとき沈黙がやってきた。で、コズヌイシェフは、六年間あれほどの愛情と辛労を注いで仕上げた著述が、なんの痕跡《こんせき》もとどめず葬られたのを、認めねばならなかった。
 コズヌイシェフはこの著述を完成したために、これまで大部分の時間をしめていた書斎裡の仕事が、もはやなくなってしまったので、彼の境遇はさらに苦しいものとなった。
 コズヌイシェフは聡明で、教養があり、健康で、活動的な人間であるにもかかわらず、その活動力を何にそそいだらいいかわからなかった。客間や、集会や、大会や、委員会や、そのほかすべて、しゃべることのできるところで交わされる会話が、彼の時間の大部分をしめていた。しかし、古くからの都会居住者である彼は、ときたまモスクワへ出たときの無経験な弟のように、ことごとくおしゃべりに没頭するわけにいかなかった。なおそのほかに、かなりな余暇と脳力が残されていた。さいわい、著書が失敗したために、彼がひどく苦しい思いをしているちょうどこのとき、異民族や、アメリカとの親善や、サマーラの饑饉《ききん》や、展覧会や、降神術などの問題に入れかわって、以前は社会の一隅でいぶっていたにすぎないスラヴ問題が、中心的位置をしめるようになった。前からこの問題の提唱者であったコズヌイシェフは、すっかりそれに打ちこんでしまった。
 コズヌイシェフの属しているサークルでは、その当時セルビヤ戦争以外のことは、何一つ話しも書きもしなかった。普通のんきな大衆が暇つぶしにすることが、今ではスラヴ民族のために行われるようになった。舞踊会、音楽会、宴会、演説会、婦人の衣装、ビール、料理店――なにもかもが、スラヴ民族にたいする同情を語っていた。
 この問題に関して、人々のいったり書いたりすることの多くは、こまかな点でコズヌイシェフには不賛成であった。スラヴ問題は、常に入れかわり立ちかわり、世間の人々のために仕事の対象となる流行の一つと化してしまった、それを彼は見てとったのである。また利欲や虚栄的な目的で、この仕事に携わっている人の少なくないことも認めた。新聞も自分のほうにだけ注意を向けて、他紙を圧倒しようという、ただそれだけの目的で、いろいろ不必要な誇大記事を載せるのも、認めないわけにいかなかった。この社会一般の昂揚《こうよう》に乗じて、すべて失敗した連中や、不遇な位置にある人々が、だれよりまっさきに飛び出して、大声にわめいているのをも見てとった。たとえば、軍をもたぬ総指揮官、省をもたぬ大臣、雑誌をもたぬジャーナリスト、党員をもたぬ党首などがそれである。最後に、軽はずみでこっけいなことも少なからず観察されたが、しかしそこには疑うべからざる感激があって、それがしだいしだいに高まって行き、社会のあらゆる層を一つに結合させているのをも、彼は明らかに見てとって、それを承認した。これには同感せずにいられなかった。同信同種のスラヴ民族の虐殺は、犠牲者にたいする同情と、迫害者にたいする憤懣《ふんまん》を呼び起したのである。そして、偉大なる事業のために戦っているセルビヤ人や、モンテネグロ人のヒロイズムは、もはや言葉でなく、行為によって同胞を助けたいという希望を、全国民の胸に呼びさましたのである。
 しかし、なおそのほかもう一つ、コズヌイシェフにとって喜ばしい現象があった。それは世論の発生である。社会ははっきりと自分の意見を表明した。コズヌイシェフの言葉によると、国民精神が表現を与えられたのである。彼はこの仕事に携われば携わるほど、それが大々的な規模をとって、一時期を画する功業に相違ないということが、いよいよ明瞭になっていった。
 彼はこの偉大なる事業に全精力を捧げて、自分の本のことは考えるのも忘れてしまった。
 今や彼の時間はことごとく、この仕事に奪われてしまって、ほうぼうからくる手紙や要求にいちいち返事を出す暇がないほどであった。
 春いっぱいと、夏のはじめへかけて働き通した彼は、ようやく七月になって、弟の領地へ行くだんどりがついた。
 彼の旅行の目的は、二週間だけ休息するためであり、民衆のための聖地ともいうべき草深い田舎《いなか》で、国民精神の昂揚を見て楽しむためであった。国民精神の昂揚ということは、彼をはじめとしてすべての都会人の、信じて疑わないところであった。久しい以前から、レーヴィンを訪問するように約束していたカタヴァーソフも、彼と行をともにすることになった。

[#5字下げ]二[#「二」は中見出し]

 コズヌイシェフとカタヴァーソフが、今日はことさら大ぜいの群衆で活気づいているクールスク線の停車場へ乗り着けて、あとから荷物といっしょに乗ってくる従僕を、ふり返るか返らないかに、早くも義勇兵の一隊が、四台の辻馬車に分乗して到着した。貴婦人連が花束を持ってそれを迎え、あとからどっとなだれよる群衆に押されながら、停車場の中へ入った。
 義勇兵を迎えた貴婦人の一人が、待合室から出てくると、コズヌイシェフに話しかけた。
「あなたもやはり、見送りにいらっしゃいましたの?」と彼女はフランス語できいた。
「いや、私は自分で旅行に出るんですよ、公爵夫人。骨休めに弟のところへね。あなたはいつもお見送りをなさるんですか?」わずかにそれと知られる微笑を浮べて、コズヌイシェフはこういった。
「ええ、そうしないわけにまいりませんもの!」と公爵夫人は答えた。「もうここから八百人もの人が送り出されたというのは、本当でございましょう? わたくしがそう申しましても、マリヴィンスキイさんは本当になさいませんの」
「八百人以上ですよ。直接モスクワからでなしに送り出された人たちを入れたら、もう千人を越しますね」とコズヌイシェフはいった。
「そうでしょう。だから、わたしもそう申しましたんでございますよ!」と貴婦人はさもうれしそうにひき取った。「それに、今では義金もかれこれ、百万ルーブリからになったというのもやっぱり本当でございましょう?」
「それ以上ですよ、公爵夫人!」
「ときに、今日の電報はいかがでございます? またトルコがやられたじゃございませんか」
「ええ、私も読みました」とコズヌイシェフは答えた。で、二人は最近の電報のことを話し合った。それによると、もうこれで三日つづけてトルコ軍はあらゆる方面で撃破せられ、敗走したので、明日にも一大決戦が予期されている、とのことであった。
「ああ、そうそう、じつはねえ、ある一人のりっぱな青年が、志願してるんでございますがねえ、どうしたことやら、話がめんどうになったのでございます。わたくし、あなたにお願いしたらと思っておりましたの。わたくし、よくその人を存じておりますから、どうか一筆書いてやってくださいませんか。伯爵夫人のリジヤ・イヴァーノヴナから、まわされてきた人なんでございますのよ」
 この若い志願兵について、公爵夫人の知っている限り詳しいことをたずねた後、コズヌイシェフは一等待合室へ行って、そのほうの実権を握っている人にあてた紹介状を書き、公爵夫人に渡した。
「あなたご存じでいらっしゃいましょう。ヴロンスキイ伯爵、あの有名な……やっぱりこの汽車で出征なさるんですのよ」コズヌイシェフが公爵夫人を見つけて手紙を渡したとき、夫人は得々とした意味深長な微笑を浮べてこういった。
「あの人が出征することは、私も聞きましたが、いつかってことを知りませんでした。この汽車なんですか?」
「わたくしはあの人をお見受けしましたよ。ここにいらっしゃるんでございます。お母さまお一人だけの見送りでしてね。とにかく、あの人としては、それがいちばんの上分別でございましょうね」
「そりゃもうむろんですとも」
 二人が話し合っているとき、一群の人々がそのそばを通って、食卓の方へどっとばかりなだれていった。二人も同様に、その方へ足を向けた。すると、手に杯を持って、義勇兵たちに一場の演説をしている一人の紳士の高い声が聞えた。『信仰のため、人類のため、われらの同胞のために奉仕する』と紳士は、しだいしだいに声を高めながら、いうのであった。『この偉大なる功業にたいして、母なるモスクワは諸君を祝福します。万歳!』と彼は大きな声で、涙ぐましく言葉を結んだ。
 一同は万歳を唱えた。と、またもや新しい群衆がホールヘなだれこんで、危く公爵夫人の足をすくうところであった。
「ああ! 公爵夫人、どうです!』とつぜん群衆のまんなかに姿を現わしたオブロンスキイが、さもうれしそうに満面笑み輝きながら、声をかけた。「ねえ、いい演説だったですね、温かみがこもっていて、そうじゃありませんか? よう! セルゲイ・イヴァーノヴィッチも、そこにおられたんですか! ひとつあなたも、何かいっておやりになったら――何かその、激励の辞を。あなたはそういうことなら、お手に入ったものですから」軽くコズヌイシェフの手にさわりながら、彼は優しい、相手を立てるような、用心深い微笑を浮べて、つけ加えた。
「いや、私はこれから出発するんですから」
「どこへ?」
「田舎の弟のところへ」とコズヌイシェフは答えた。
「じゃ、あなたは妻《さい》にお会いになるわけですね。私はあれに手紙を出したんですが、あなたのほうが先にお会いになるでしょう。どうか私に会ったと、そういって下さい。そして all rightだって。それでわかりますから。ああ、しかし、お願いですから、私が連合委員会の役員になったってことを、あれに伝えて下さい……いや、なに、それでわかるんですから! いや、どうも 〔les petites mise`res de la vie humaine〕(人生のみじめな瑣事《さじ》)でしてな」と彼はわびでもいうように、公爵夫人のほうへふりむいた。「ところで、ミャーフカヤですね、あのリーザでない、ビビッシュのほうが、小銃千梃と看護婦を十二人、寄付しましたよ。そのお話をしましたかしらん?」
「そう、私も聞きましたよ」とコズヌイシェフは、気のない調子で答えた。
「あなたが出発なさるのは残念ですな」とオブロンスキイはいった。「明日は二人の友人のために、送別会をやるんですよ。――ペテルブルグから来たジール・バルトニャンスキイと、例のグリーシャ・ヴェローフスキイのためにね。二人とも出征するんです。ヴェスローフスキイは最近、結婚したばかりなんですがね。どうして、えらいもんですよ! そうじゃありませんか、公爵夫人?」と彼は貴婦人に話しかけた。
 公爵夫人は返事もしないで、コズヌイシェフのほうを見た。しかし、コズヌイシェフと公爵夫人が、どうやらうるさそうにしているにもかかわらず、オブロンスキイはいささかもひるむ色がなかった。彼はにこにこしながら、公爵夫人をながめたり、何か思い出そうとでもするように、あたりを見まわしたりしていた。義金箱を持ってそばを通りかかる貴婦人を見つけると、彼はそれを呼びとめて、五ルーブリ紙幣《さつ》を入れた。
「どうも私はあの義金箱を見ると、自分に金のある限り、じっとしていられないほうでしてね」と彼はいった。「ときに、今日の電報はどうです? モンテネグロはえらいもんですね?」
「えっ、なんですって!」ヴロンスキイがこの汽車で出征すると公爵夫人から聞いたとき、彼は思わずこう叫んだ。瞬間、オブロンスキイの顔は、憂愁の色をあらわしたが、しかし一歩一歩、軽くおどりあがるような足どりで、頬髯《ほおひげ》を撫《な》でなで、ヴロンスキイのいる室へ入ったときには、早くもオブロンスキイは、妹の死骸にとりついて絶え入るばかり慟哭《どうこく》したことを、すっかり忘れてしまって、ただ勇士としてかつ旧友として、ヴロンスキイをながめたばかりである。
「いろいろ欠点はある人ですけど、とにかくあの人のよさは、認めてあげなくちゃなりませんねえ」
 オブロンスキイが二人のそばを離れるが早いか、公爵夫人はコズヌイシェフにこういった。「あれこそ生粋《きっすい》のロシヤ人でございますわ、スラヴ魂の持主でございますわ! でもヴロンスキイさんは、あの人に会うのが不愉快じゃないでしょうか、それがわたくし心配でございますわ。なんと申しましても、あの人の運命には胸を打たれますもの。あなた、道々あの人とお話をなさいましな」と公爵夫人はいった。
「そうですね、するかもしれません、もし機会があったら」
「わたくしいつも、あの人が好きでならなかったのですけれど、今度のことはずいぶん罪滅ぼしになりますからね。あの人はただ出征するばかりじゃなくて、自費で一箇中隊編成して、それを引率していらっしゃるんでございますよ」
「ええ、私も聞きました」
 ベルが鳴った。一同は戸口でひしめきはじめた。
「ああ、あすこにいらっしゃいますわ!」裾の長い外套を着て、鍔《つば》の広い黒の帽子をかぶり、母と腕を組んで行くヴロンスキイを指さしながら、公爵夫人はそういった。オブロンスキイは何やらしきりにしゃべりながら、そのそばに並んで行った。
 ヴロンスキイはどうやら、オブロンスキイのいうことなど耳に入らぬさまで、眉をひそめながら、じっと前のほうを見つめていた。
 おそらく、オブロンスキイに注意されたためであろう、彼は公爵夫人とコズヌイシェフの立っているほうをふり返り、無言のまま帽子を持ちあげた。急にふけて苦痛を表わしている彼の顔は、化石したもののようであった。
 プラットフォームへ出ると、ヴロンスキイは無言のまま母を先に通して、自分も車室の中に姿を隠してしまった。
 プラットフォームでは、『神よみかどを守らせたまえ』([#割り注]国歌[#割り注終わり])の歌声が響き渡り、ウラア! 万歳! という叫びが起った。義勇兵の一人で、背の高い、胸のぺちゃんこな、まだごく若そうな青年が、フェルトの帽子と花束を頭の上でふりたてながら、特に目立ってぺこぺこおじぎをしていた。そのあとから二人の将校と、脂じみた帽子をかぶり、大きな頤鬚《あごひげ》を生やした年配の男が、同様におじぎをしながら、窓から首を出した。

[#5字下げ]三[#「三」は中見出し]

 コズヌイシェフは公爵夫人に別れを告げると、そばへよって来たカタヴァーソフといっしょに、すしづめの箱に乗った。すると、汽車が動きだした。
 ツァリーツィンの駅で、列車は『名を上げよ』の軍歌をうたう若人たちの、よくそろった合唱で迎えられた。またもや義勇兵たちは身を乗り出して、おじぎをした。が、コズヌイシェフは、それには注意を払わなかった。義勇兵関係の仕事はしこたまやってきたので、もはや彼らに共通したタイプがわかってしまい、そういうことは興味をひかなかったのである。ところが、カタヴァーソフは学問上の仕事にまぎれて、義勇兵を観察する機会がなかったので、ひどく彼らに興味をいだき、コズヌイシェフにいろんなことをきくのであった。
 コズヌイシェフはこの同僚に、二等車へ行って自分で彼らと話してみるがいい、と勧めた。次の駅で、カタヴァーソフはその忠言を実行した。
 汽車がとまると、すぐ彼は二等車へ移って、義勇兵たちと近づきになった。彼らは車室の片すみに腰かけて、大きな声で話をしていた。明らかに旅客一同の注意も、入って来たカタヴァーソフの注意も、自分たちのほうへそそがれていることを、ちゃんと承知しているらしかった。だれよりいちばん大きな声でしゃべっているのは、胸のぺちゃんこな青年であった。彼は見たところ酔っているらしく、自分の学校で起った何かの事件を話していた。これと向き合っているのは、オーストリイの近衛の軍服を着た、もうあまり若くない将校であった。にこにこ顔で青年の話を聞きながら、ときどき口を入れていた。いま一人の、砲兵の服を着けた男が、二人のそばのカバンに腰かけていた。もう一人は眠っていた。
 カタヴァーソフは青年と話をはじめてみて、彼がモスクワの富裕な商人の息子であること、二十二の年までに、莫大な財産を蕩尽《とうじん》してしまったことを知った。この青年がにやけており、甘やかされて蒲柳《ほりゅう》の質らしいのが、カタヴァーソフの気に入らなかった。明らかに、ことにいま一杯きげんでいるために、われこそ英雄的な行為をなしつつあると信じきって、思いきり不快な態度でそれをひけらかすのであった。
 もう一人の予備将校も、やはりカタヴァーソフに不快な印象を与えた。これはどうやら、あらゆることを試み尽した人間らしかった。彼は鉄道に勤めたこともあれば、領地の管理人をしたこともあり、自分で工場をはじめたこともあった。そして、なんの必要もないのに、つぼにはまらない学術語など使いながら、ありとあらゆる話をするのであった。
 もう一人の砲兵はそれに反して、ひどくカタヴァーソフの気に入った。それはつつましやかな、物静かな男で、予備近衛将校という肩書と、商人の息子のヒロイックな自己犠牲に、頭から感服してしまっている様子で、自分のことは何一つ話さなかった。カタヴァーソフが、なにが動機でセルビヤヘ行く気になったのかときいたとき、彼はつつましやかに答えた。
「だって、みんな行くんですからね。セルビヤ人だって、助けてやらなくちゃなりませんよ。かわいそうですもの」
「そう、ことに君がた砲兵が、むこうじゃ不足してるんですから」とカタヴァーソフはいった。
「しかし、私が砲兵隊に勤務したのは、ごくわずかなあいだでしたから、ひょっとしたら歩兵か、それとも騎兵に向けられるかもしれません」
「どうして、いちばん砲兵が必要なのに、歩兵なんぞにやられるものですか?」この砲兵の年配からみて、相当の官等に相違ないと思いながら、カタヴァーソフはこういった。
「私は砲兵隊にほんのちょっと勤務しただけです。私は退役の見習士官ですからね」と彼はいい、試験に合格しなかった訳を説明にかかった。
 こうしたすべてのことがいっしょになって、カタヴァーソフに不快な印象を与えたので、義勇兵たちが停車場ヘ一杯やりに行ったとき、カタヴァーソフはだれかと話をして、自分の受けた不利な印象を点検してみたくなった。旅客の一人で、将校外套を着た老人が、カタヴァーソフと義勇兵たちとの会話に、たえず耳を澄ましていた。この老人とさしむかいになったとき、カタヴァーソフはこちらから話しかけた。
「いや、どうもあちらへ出かけて行く人たちの境遇は、じつに種々さまざまですなあ」とカタヴァーソフはなんともつかぬ調子でいった。自分の意見を吐くと同時に、老人の考えもさぐり出したかったのである。
 老人は二度も戦争に出た軍人であった。彼は軍人というものを知っていたので、あの連中の外見や、話しぶりや、道々酒をラッパ飲みにする武者ぶりなどから推して、あれは軍人として下等なほうだと見てとった。のみならず、彼はある郡役所所在地に住んでいたので、自分の町から一人の終身兵が、出征したことを話そうと思った。それは呑んだくれの泥坊で、もうだれひとり雇い手のないような男であった。しかし、今のような一般社会の気分の中で、世論に反するような意見を吐いたり、ことに義勇兵を非難したりするのは危険だということを、長年の経験で知っていたので、彼もやっぱりカタヴァーソフの顔色をうかがっていた。
「なに、けっこうですよ、あちらじゃ人がいるんですからな」と彼は目で笑いながらいった。こうして、二人は最近の軍事ニュースを話しはじめたが、最近の報道によると、トルコ軍はあらゆる方面で撃破されているのに、明日期待されている決戦の相手は、いったい何者だろうというような疑念を、両方ともお互に隠し合っていた。こうして、二人とも自分の意見を吐露しないまま、別れてしまった。
 カタヴァーソフは自分の車室へ帰ると、知らずしらず良心に偽りながら、義勇兵に関する自分の観察をコズヌイシェフに語ったが、それによると、彼らはあっぱれ頼もしい若者なのであった。
 ある大きな町の停車場で、またまた万歳の叫びと軍歌の声が義勇兵を迎え、またまた義金箱を持った男や女が現われた。県の代表的な婦人たちは、義勇兵に花束を捧げ、後らのあとから食堂へ行った。けれど、そういうようなことも、モスクワに較べると、もうずっと貧弱でさびしかった。

[#5字下げ]四[#「四」は中見出し]

 県庁のある町に停車しているあいだ、コズヌイシェフは食堂へ行かないで、プラットフォームをあちこち歩きはじめた。
 はじめヴロンスキイの車室の前を通りすぎたとき、窓掛がおろされているのに気がついたが、二度目に通ってみると、窓ぎわに老伯爵夫人の姿が見えた。夫人はコズヌイシェフを呼んだ。
「わたしもいきますのよ、クールスクまで、せがれを見送りにね」と彼女はいった。
「ええ、私もうかがいました」窓のそばに立ちどまって、中をのぞきながら、コズヌイシェフは答えた。「あの人として、じつにりっぱなお心がけですよ!」ヴロンスキイが車室にいないのを見て、彼はこうつけ足した。
「ええ、ああいう不幸があったあとで、ほかにどうしようがございましょう?」
「なんという恐ろしいことができてしまったものでしょう!」とコズヌイシェフはいった。
「ああ、わたくしはどんなつらい思いをしましたことやら! まあ、お入りになりませんか。……ああ、わたくしはどんなつらい思いをしましたことやら!」コズヌイシェフが中へ入って長椅子の上に並んで腰をおろしたとき、彼女はくりかえした。「そりゃもう想像もできないくらいでございますよ! 六週間というもの、その子はだれともひと言も話をしませんし、食べものだって、わたくしが頼むようにいうときだけ、やっと入れるという始末ですからね。ただのいっときだって、一人きりではおけないんですの、自殺の道具になりそうなものは、いっさいとりあげてしまいましたよ。わたしたちは階下《した》で暮していましたけれど、何一つ見通すことができないんですものね。なにしろ、ご承知でもありましょうが、あの手はもう一度あの女のために、ピストルで自殺しかけたんでございますからね」と彼女はいった。この追憶とともに、老婦人の眉根は八の字によせられた。「そうですよ、あの女もとうとう死んでしまいました、ああいう女としては当然な死に方でね。あの女は死ぬのさえいやらしい、下品な死に方を選びましたよ」
「それはわれわれの、とやかくいうべきことじゃありませんよ、伯爵夫人」とコズヌイシェフはため息とともに、そういった。「しかし、あなたにとっては、さぞおつらいことだろうと、私も十分お察し申しますよ」
「ああ、どうかもうおっしゃらないで下さいまし! わたくしは領地のほうで暮しておりましたが、せがれはちょうどそこへまいっておりましたの。すると、あの女が手紙を持たせてよこしたものですから、せがれはすぐ返事を書いて持たせてやりました。こんなふうで、わたくしどもはなんにも知らずにいたのですけれど、あの女はすぐそこの停車場にいたのでございますよ。やっと晩になって、わたくしが居間へひっこみましたところ、小間使のマリイが、停車場でどこかの奥さんが汽車に飛びこんだって、そう申すじゃありませんか。わたくしは、何かに胸を突かれたような気がいたしました。これはあの女だな、とわたくしはすぐに悟りました。で、何よりも第一番に、アリョーシャにいってはならないよ、とみなに申しつけましたが、もういってしまったのでございます。あの子の馭者がその場に居合わせて、なにもかも見たものですからねえ。わたくしがせがれの部屋へ駆けつけたときには、あの子はもう半狂乱で、見るも恐ろしいくらいでございました。ひと言もものをいわないで、現場へ駆けだしてまいりました。わたくしは、停車場でどんなことがあったか存じませんけれど、あの子は死人のようなありさまで、連れられて帰りました。わたくしは思わず見違えたくらいでございますよ。お医者さまは 〔prostration comple`te〕(完全な虚脱状態)だと申しましたの。そのあとで、今度はほとんど精神錯乱みたいになってしまいましてねえ。ああ、今さらかれこれ申したって、しかたがございません!」伯爵夫人は片手をふって、そういった。「恐ろしい世の中になったものでございますねえ! いいえ、なんとおっしゃいましても、悪い女でございますよ。まあ、ほんとになんというめちゃくちゃな情熱でしょう! それと申すのも、つまり、何かを証明しようというわけなのでしょうが、とうとうりっぱに証明しましたよ。自分自身をも滅ぼしたうえに、りっぱな男を二人まで破滅させてしまいました――自分の主人と、ふしあわせな宅のせがれをね」
「ところで、主人のほうはどうしてるでしょう?」とコズヌイシェフはたずねた。
「あの女の娘をひき取りましたの。アリョーシャははじめ、なんでもうんうんと承知しておりましたが、今となって、赤の他人に娘を渡したといって、ひどく煩悶《はんもん》しておりますけれど、いったん承知したことを、変改《へんがい》するわけにまいりませんでね。カレーニンさんはお葬式に参列なさいました。でもね、わたくしどもは、あの人がアリョーシャと顔を合わさないように、ずいぶん気をもみましたの。あの人は良人ですからなんと申しても楽でございます。あの女が束縛《そくばく》を解いたわけでございますからね。ところが、ふしあわせな宅のせがれは、あの女になにもかも捧げ尽したのでございます。自分の栄達も、母のわたくしも、なにもかも棄ててしまったのに、あの女はまだ気の毒とも思わないで、わざわざあの子にとどめを刺してしまったのでございます。いえ、なんとおっしゃいましても、あの女の死に方は、宗教をもたないけがらわしい女の死にざまでございますよ。神さまどうぞお赦しを。でも、わたくしはわが子の破滅を見ると、あの女の思い出を憎まないわけにまいりません」
「しかし、今あの人はどんなふうです?」
「あれは、今度のセルビヤ戦争は、ほんとに神さまが助けて下すったようなものでございますよ。わたくしは年寄りでございますから、こういうことはなんにもわかりませんけれど、あれは神さまがアリョーシャに授けて下すったお恵みでございます。それはもちろん、わたくしは母親として、恐ろしいにきまっております。それにだいいち 〔Ce n’est pas tre`s bien vu a` Petersbourg〕(ペテルブルグではあんまりよくいわれない)と申しますが、でもしかたがございません。あの子を奮い立たすことができたのは、これ一つだけでございますからね。あれのお友だちのヤーシュヴィンが、カルタですっからかんになってしまったものですから、セルビヤ戦争へ行くことにしましてね、あれのところへまいりまして、いっしょに行こうと誘ったのでございます。今ではあの子もそれで、気がまぎれておりますの。あなたどうか、あの子と少し話してやって下さいませんか。わたくしなんとかして、気ばらしをさせてやりとうございますので。あの子はとても沈んでばかりいましてねえ。そのうえおまけに泣面に蜂で、歯まで痛みだしたんでございますよ、あなたがいらしたら、あれもさぞ喜ぶことでございましょうよ。どうか話してやって下さいまし。あれはこっち側を歩いておりますから」
 コズヌイシェフは、それは自分にとっても愉快だと答えて、列車の反対側へ出て行った。

[#5字下げ]五[#「五」は中見出し]

 プラットフォームに積み上げられた叺《かます》が、斜めの夕日を受けて長い影を投げている中で、例の裾長な外套を着て、帽子を目深《まぶか》にかぶったヴロンスキイが、両手をポケットにつっこんだまま、檻《おり》の中の獣のように、二十歩ばかりの間を足早に廻れ右しながら、行ったり来たりしていた。コズヌイシェフはそばへよったとき、ヴロンスキイが自分に気がついたくせに、知らん顔をしているように思われた。しかし、コズヌイシェフにとっては、そんなことなどどうでも同じだった。彼はヴロンスキイにたいしては、個人的な利害関係などいっさい超越していた。
 この場合、ヴロンスキイはコズヌイシェフにとって、偉大な事業のために重要な働きをする人だったので、コズヌイシェフは彼を励まし賞揚することを、おのれの義務と心得ていた。彼はそばちかくよって行った。
 ヴロンスキイは歩みをとめて、じっと見入ったが、それと気がつくと、コズヌイシェフのほうへ二三歩すすんで、その手を固く固く握りしめた。
「もしかしたら、私に会いたくなかったのじゃありませんか」とコズヌイシェフはいった。「何か私でお役に立つことはありませんか?」
「私は人に会うのが不愉快なんですが、あなたはだれよりもいちばん、その不快さを少なく感じさせる人です」とヴロンスキイはいった。「失礼ないいかたをしてごめんなさい。私の生活は愉快なことなどないのですから」
「よくわかっています。それで、少しなりとお役に立ちたいと思った次第なんで」明らかに、苦しみ悩んでいるらしいヴロンスキイの顔に見入りながら、コズヌイシェフはいった。「あなたはリスチッチか、ミラン王に紹介状はいりませんか?」
「いや、いや!」相手の言葉を理解するのに骨が折れるといった様子で、ヴロンスキイはこういった。「もしおさしつかえがなかったら、少し歩きませんか。汽車の中はじつに息苦しくって。紹介状ですって? いや、ありがとうございますが、死ぬのに紹介なんぞいりませんよ。まあ、なんなら、トルコ人あてのやつでも……」口だけでにやっと笑って、彼は答えた。目は依然として怒ったような、悩ましげな表情を浮べていた。
「さよう、しかしなんといっても、いろんな人との交渉は必要なんですから、それなら、心がまえのできてる人と交渉をもったほうが、便利じゃありませんか。もっとも、それはご随意に。私はあなたのご決心を聞いて、非常にうれしかったです。なにしろ、義勇兵にたいする攻撃の声が、やかましいおりですから、あなたのような人が参加して下さると、義勇兵にたいする世論も改まってくるわけです」
「私が人間として取りえがあるのは」とヴロンスキイはいった。「生命が私にとって、なんの価値もない、という点だけです。ところで、肉体的な力なら、敵を破るかみずから倒れるか、いずれにしろ、方陣に斬りこむだけのためなら、まだ十分もちあわせていますからね――それは自分でもわかっています。私は、自分の生命を捧げる目標があるのを、喜んでいます。生命なんてものは、私にとって不必要というより、いや気がさしてしまったんです。まあ、だれかの役に立つでしょうよ」たえずずきずきする歯痛のために、じれったそうに頬骨をぴくりと動かした。この歯痛のおかげで、彼は自分の望むような表情で、話をすることさえできないのであった。
「あなたは更生《こうせい》なさいますよ、私が予言しておきます」何か感動させられた気持で、コズヌイシェフはそういった。「自分の同胞を暴君の軛《くびき》から救い出すことは、生死を賭するに値するりっぱな目的ですからね。どうか神明の加護で外面的な成功と、内面的な平安を得られますように」とつけ足して、彼は手をさしのべた。
 ヴロンスキイは、さしのべられたコズヌイシェフの手を、しっかと握りしめた。
「そう、武器としては私も何かの役に立ちますよ。しかし、人間としては――廃墟です」と彼は一句一句くぎるようにいった。
 丈夫な歯のずきずきする痛みが、口の中を唾でみたして、自由にものをいうのを妨げるのであった。ゆっくりとなめらかに、レールの上をすべって行く炭水車の車輪に、じっと見入りながら、彼は口をつぐんだ。
 とふいに、痛みではなく、全く別な一般的な性質を帯びた内部のぐあいわるさが、つかのま、歯痛を忘れさせた。炭水車とレールを一目みると、あの不幸以来まだ会ったことのない知人との会話に刺激されて、彼はふと彼女[#「彼女」に傍点]、というよりもむしろ、彼が狂気のごとく停車場の本屋《ほんおく》へ駆けこんだとき、まだ彼女のあとに残っていたものを思い出したのである。駅の大テーブルの上には、まだ先ほどまで脈打っていた、生命に満ちみちた、血みどろの体が、衆人環視の中に、恥ずかしくもなく長々と横たわっていた。無事に残った頭は、重い髷《まげ》をつけたまま、こめかみにも、美しい顔にも、巻き毛をこびりつかしてぐっとうしろにそらされていた。紅い口は半ば開かれ、顔の表情といえば、唇の辺には奇怪にも哀れな翳《かげ》が凍《こお》りついていたけれど、十分に閉じられないまま固まった目の中には、恐ろしい感じをたたえていた。それはちょうど、彼女がいさかいのあいだに投げつけた恐ろしいひと言――あなたは後悔するでしょうという言葉を、声に出していっているかのようであった。
 で、彼ははじめて、同様に停車場で会ったときのアンナ――神秘にみちて美しく、幸福を愛し、求め、かつ与えるようなアンナを、思い起そうと努めた。あの最後の瞬間に記憶に刻みつけられた、あの残忍な、復讐を誓うような彼女は、思い出したくなかった。彼はアンナとすごした楽しい時どきを、思い起そうとつとめた。が、それらの時も永久に毒されてしまった。彼はただアンナの威嚇《いかく》のみを覚えていた。それはだれにも必要のない悔恨の威嚇であったが、すでに成就されて、もはや消すべくもなく、威嚇は凱歌を上げている。彼はもう歯痛を感じなくなり、その顔は慟哭《どうこく》にゆがめられた。
 無言のまま叺《かます》のそばを二度往復して、われとわが心をおししずめると、彼はおちついた調子で、コズヌイシェフに話しかけた。
「昨日からこっち、新しい電報をお読みになりませんでしたか? そう、敵に三度まで撃破されていますが、明日はいよいよ大決戦があるはずです」
 それから、ミラン王の宣言や、その宣言が及ぼすであろう偉大な結果を話し合った後、二人は第二鈴が鳴ったとき、めいめい自分の車へ入った。

[#5字下げ]六[#「六」は中見出し]

 いつモスクワを発《た》てるかわからなかったので、コズヌイシェフは義弟のところへ、迎えを出してくれるようにと、電報を打たなかった。カタヴァーソフとコズヌイシェフが、停車場で雇った馬車に乗って、十一時すぎたころ、黒ん坊のように埃《ほこり》こだらけになって、ポクローフスコエ村の邸の車寄せに着いたとき、レーヴィンは家にいなかった。父親と姉といっしょに、バルコンにいたキチイは、義兄の来訪に気がついて、出迎えに二階から駆けおりた。
「あら、前もって知らせてくださらないなんて、よくまあ、お恥ずかしくございませんのね」コズヌイシェフに手をさしのべ、その接吻を受けるために額をさし出しながら、彼女はそういった。
「なに、われわれはいい気持でやってきたし、あんたたちにも迷惑をかけなかったんだからね」とコズヌイシェフは答えた。「私はすっかり埃まみれなので、あんたにさわるのが心配ですよ。じつは、とても忙しかったんでね、いつ抜け出されるかわからなかったものだから。ところで、あんたがたは変りないでしょうな」と彼はにこにこしながらいった。「流れの外の静かな入江で、静かな幸福を楽しんでいるんでしょうな。ときに、われわれの親友のフョードル・ヴァシーリッチも、とうとうやってこられましたよ」
「しかし、私は黒ん坊じゃありませんから、きれいに洗ってきます。そうしたら、人間らしくなるでしょうよ」とカタヴァーソフは手をさし出し、黒い顔の中でかくべつ光る歯を剥《む》いて微笑しながら、いつものふざけた調子でいった。
コスチャもさぞ喜びますことでしょう。いま農場のほうへ行ってますの。もうそろそろ、帰ってきそうな時分ですけど」
「相変らず農村経営ですかね、いや、全くこれは静かな入江ですね」とカタヴァーソフはいった。「われわれ、街の人間は、セルビヤ戦争のほか何一つ目に入らないんですからね。ところで、レーヴィン君はどんなふうに見ています? きっと世間並みとは違った見方でしょうな?」
「いいえ、別に。みなさんと同じことですわ」いくらかまごついた様子で、コズヌイシェフをふり返りながら、キチイは答えた。「では、あたし主人を迎えにやりますわ。うちにはいま父が逗留《とうりゅう》に来ていますの。つい近ごろ、外国から帰ってまいりましてね」
 それから、レーヴィンを迎えにやることや、埃だらけの客を一人は書斎へ、一人は以前ドリイにあてられていた部屋へ案内し、からだを洗わせることや、客人たちに食事を出すことなど指図した後、彼女は妊娠中さしとめられていたけれども、今は自由になった軽快に動作する権利を利用して、バルコンへ駆けこんだ。
「あれはセルゲイ・イヴァーノヴィッチと、カタヴァーソフ教授でしたわ」と彼女はいった。
「やれやれ、この暑いのにえらいこった!」と公爵が応じた。
「いいえ、パパ、あのかたとても気持のいいかたでしてね、コスチャも大変すきなんですのよ」父の顔に冷笑の翳《かげ》を認めたキチイは、まるで何か哀願するような様子で、微笑を浮べながらそういった。
「なに、わしは何もいわないよ」
「ねえ、お願いだから、あのかたたちのとこへ行って」とキチイは、姉のほうへ向いていった。「お相手してちょうだいな。あのかたたちは停車場で、スチーヴァに会ったんですって、兄さんはお達者だそうですわ。わたし、ミーチャのとこヘ一走り行って来ます。ちょうど運わるく、もうお茶の時からおっぱいをやってないんですの。あの子はきっと今ごろ目をさまして、泣きたてているに相違ないわ」乳房が張ってくるのを感じて、彼女は急ぎ足で子供部屋へ行った。
 はたせるかな、彼女は自分の乳が張ったことによって、ミーチャがお腹を空《す》かしているのを、察したというよりも、正確に知ったのである(彼女と赤ん坊との連繋《れんけい》は、まだ切れていなかった)。
 まだ子供部屋へ近づくよりも先に、彼女は子供が泣いていることを知っていたが、案の定、ミーチャは泣き立てていた。彼女はその泣き声を聞きつけて、歩みを早めた。けれど、彼女が急げば急ぐほど、ミーチャはなお大声にわめき立てた。その声は健康そうで、気持がよかったけれども、ただ空腹のためにこらえ性《じょう》がなかった。
「前からなの、ばあや、前から?」椅子に腰をおろして、授乳の用意をしながら、キチイはせかせかとそういった。「さあ、早く坊やをちょうだい。まあ、ばあや、じれったいね、ささ、そんな頭巾《ずきん》なんかあとで結んだらいいわ!」
 赤ん坊はがむしゃらにわめきたてて、へとへとになっていた。
「だって、奥さま、そうはまいりませんよ」ほとんど年中、子供部屋に入りびたりのアガーフィヤはいった。「ちゃんと身じまいをおさせしなくちゃ。はいよ! はいよ!」母親には一顧の注意も払わず、彼女は赤ん坊にかがみこんで、歌うような調子でいった。
 ばあやは、赤ん坊を母親のところへ抱いて来た。アガーフィヤはいとしさにとろけそうな顔をして、そのあとからついて来た。
「おわかりなんでございますよ、おわかりなんで。全くのところ、奥さま、カチェリーナ・アレクサンドロヴナ、わたくしを見分けがおつきになりましたよ!」とアガーフィヤは、赤ん坊に負けないほどの声を出した。
 しかし、キチイはそんな言葉に耳もかさなかった。彼女のじれったさは、赤ん坊のじれったさと同じに、ますます募るばかりであった。
 あまりじりじりしたために、長いことうまくいかなかった。赤ん坊は、見当ちがいのところばかりくわえて、癇癪《かんしゃく》を起すのであった。
 息も切れそうな死に声を立てたり、空しく咽《む》せ返ったりしたあとで、ようやく事はうまくおさまった。母も幼な児も、同時にほっとした気持で、両方とも静かになった。
「それにしても、かわいそうに、体じゅう汗びっしょりよ」キチイは赤ん坊にさわってみながら、ひそひそ声でいった。
「おまえどうしてそう思うの、あの子がおまえを見分けたって?」ずり下がった頭巾の陰からずるそうに(と彼女には思われた)母を見ている幼な児の目や、規則ただしくふくらむ頬や、丸を描くように動く掌の赤いもみじのような手を、じっと横目にながめながら、キチイはこうつけ足した。
「いえ、そんなはずはない! もし見分けるとしたら、あたしのほうを見分けるはずだわ」アガーフィヤの断定に答えながら、キチイはそういって、にっこり笑った。
 彼女が笑ったのはほかでもない。彼女は自分で、ミーチャに見分けのつくはずはないといいながらも、心の底では、幼な児がアガーフィヤを見分けるばかりでなく、なにもかも知りかつ理解している――まだだれも知らないようなことを、いろいろたくさん知りかつ理解していて、母親の自分さえこの子のおかげで、はじめて多くのことを認識し、理解しはじめた、それがわかっていたからである。アガーフィヤにとっても、ばあやにとっても、祖父にとっても、それどころか、父親にとってさえも、ミーチャはただ物質的なめんどうを要求する生きものにすぎなかったが、母親にとっては、もはや久しい以前から精神的な存在であって、母子《おやこ》のあいだにはもう、魂と魂との長い歴史ができているのであった。
「今にお目ざめになりましたら、まあ、ごらんあそばせ、わたくしがこんなふうにいたしますと、坊ちゃまはにこにことなさいますから。まるでお日さまのように、にこにことなさいますから」とアガーフィヤはいった。
「まあ、いいわ、いいわ、その時になったらわかるから」とキチイはささやいた。「もう行ってちょうだい、いま寝ついてるところだから」

[#5字下げ]七[#「七」は中見出し]

 アガーフィヤは爪立ちで出て行った。ばあやは巻カーテンをおろして、小さな寝台の蚊帳《かや》の中にいた蠅と、窓ガラスにぶんぶんぶっつかっていた蚊雀蜂を追い出したあと、腰をおろして、しおれた白樺の枝で母子をあおぎはじめた。
「ほんとにこの暑さったら! 神さまもせめて、小雨くらい降らして下すったらいいのにねえ」と彼女はいった。
「ああ、ああ、しっ、しっ!………」軽く体をゆすぶりながら、手首を糸でしばったような、ふっくらしたミーチャの手を、優しくじっとしめつけて、キチイはただそれだけいった。ミーチャは目を開けたり、ふさいだりしながら、のべつその手を弱々しくふっていた。このかわいい手がキチイを当惑させた。彼女は、この手を接吻したかったのだけれども、子供の目をさますのが怖くて、それをしかねているのであった。とうとう手は動きやんで、目も閉じられた。ただときどき、赤ん坊は乳を吸いつづけながら、ぐっとそった長い睫毛《まつげ》を上げて、薄明の中で真黒に見えるうるんだ目で、ちらちらと母を見上げるのであった。ばあやは煽《あお》ぎやめて、こくりこくりと居眠りをはじめた。二階からは老公の大きな声と、カタヴァーソフの高笑いが聞えた。
『きっとわたしがいないあいだに、話がはずんでるにちがいない』とキチイは考えた。『それにしても、コスチャが帰ってこなくって、あたしいやだわ。きっと養蜂場《ようほうじょう》へよったに相違ないわ。こんなにしょっちゅう、あすこへ行かれるのは淋しいけれど、それでもやっぱりうれしいわ。あの人の気ばらしになるんだもの。このごろは春にくらべると、だんだん陽気そうで、きげんよくなったもの。以前はずいぶん沈みこんで、見ても恐ろしくなるくらい煩悶していたものだわ。でも、なんておかしな人だろう!』と彼女はほほえみながら、つぶやいた。
 彼女は、良人の煩悶する原因を知っていた。それはほかでもない、神に対する不信であった。もし彼女が、あなたの良人は神さまを信仰しないために、来世で破滅すると思いますかときかれたら、彼女は破滅しますと肯定の返事をしたに相違ないが、それにもかかわらず、良人の不信は彼女を不幸にする種とはならなかった。不信者のためには救いなどありえないということを認め、かつ良人の魂をこの世の何にもまして愛しながら、彼女は良人の不信を微笑とともに思い浮べ、おかしな人とひとりごちたのである。
『なんのためにあの人は一年中、何かしら哲学の本ばかり読んでらっしゃるんだろう?』と彼女は考えるのであった。『もしそういうことが、すっかり本に書いてあるのなら、あの人にわかるはずだわ。ところで、もし本にあることが嘘だったら、何もそんなものを読むことはありゃしない。現にあの人も自分で、信仰をもちたいといってらしたが、それならなぜ信じないのだろう? きっと、いろんなことをたくさん考えなさるからだわ。そのいろんなことを考えるのも、孤独のせいだ。だって、いつも一人、ほんとに一人ぼっちなんだもの。あたしたちを相手じゃ、あの人もすっかりいってしまうわけにいかないからねえ。あのお客さまたちは、コスチャにとってもうれしいに相違ない、とりわけカタヴァーソフさんが。コスチャはあの人と議論するのが好きだから』と彼女は考えたが、そのとたんに彼女の心は、どこヘカタヴァーソフを休ましたらいいか、という問題に移って行った。一人べつにしたものか、それともコズヌイシェフといっしょにしたものか? そのとき突然、ある一つの考えが心に浮んだため、彼女は興奮のあまり思わず身ぶるいして、ミーチャをどきっとさせた。で、ミーチャはいかめしい目つきで母を見つめた。『たしか洗濯女は、まだシーツを持ってこなかったようだ。ところが、お客さま用のシーツはすっかり出払ってるんだわ。わたしが手配をしなかったら、アガーフィヤはいちど使ったシーツを出すにきまってるわ』そう考えただけで、キチイの顔にはさっと血が逆流した。
『そうだ、ひとつ手配しましょう』と彼女は肚《はら》を決めた。それから、また先ほどの物思いに立ち帰って、何かしら重大な精神的の問題を、まだ本当に考えつくしていないことを思い出した。で、なんだったっけと記憶をたどりはじめた。『そうだ、コスチャが信仰をもたないことだわ』と彼女はふたたび、微笑を浮べながら想い起した。
『そう、信仰をもっていない! けれども、あのシュタール夫人のようだったり、あのときあたしが、あの温泉場で望んでたようなふうだったりするよか、コスチャはずっといつも、あのとおりでいたほうがいいわ、大丈夫、あの人は仮面《めん》をかぶるようなことは、それこそしやしないから』
 すると、つい近ごろ、良人の示した優しい性格が、まざまざと彼女の心に浮んできた。二週間まえ、悔悟の意を表したスチーヴァの手紙が、ドリイの手に届いた。どうか自分の名誉を救ってほしい、借財を返済するためにおまえの領地を売ってくれと、妻に哀願してきたのである。ドリイはすっかり絶望してしまって、良人を憎んだり、軽蔑したり、憐れんだりしたが、とどのつまり、自分の領地の一部を売ることを承知した。そのあとでキチイは、思わず感激の微笑を浮べながら追想した――良人はもじもじしながら、気にかかってたまらないこの問題を、いくどとなく間の悪そうな様子できりだそうとしたあげく、とうとうドリイを侮辱しないで援助する、唯一の方法を考えついて、キチイに自分の領地の一部を姉に提供するように勧めた。キチイは前にそんな方法のあることを考えてもみなかったのである。
『なんのあの人が不信者なものか! あんな優しい心をもってる人が! だれにもせよ人に、小さな子供にさえいやな思いをさせまいと、戦戦|兢々《きょうきょう》としているあの人が! なにもかも人のためばかりで、自分のために何一つなさらないんだもの。セルゲイ・イヴァーノヴィッチなどは、あの人の番頭を勤めるのがコスチャの義務みたいに、頭から決めこんでいらっしゃるくらいだわ。お姉さまだってそのとおりよ。今ではドリイとその子供たちが、あの人の世話になっているし。ここの百姓たちだってだれもかれも、自分たちの面倒をみてもらうのがあたりまえみたいに、毎日毎日あの人のところへおしかけてくるんだもの』
「そうよ、ただパパみたいな人になってちょうだい。ああいう人になってちょうだい」ミーチャをばあやに渡して、その頬に軽く唇をふれながら、彼女はこういった。

[#5字下げ]八[#「八」は中見出し]

 愛する兄の死に行くありさまを見て、はじめてレーヴィンが生死の問題を、彼のいわゆるあたらしい信念――二十十歳から三十四歳までのあいだに、いつともなく少年時代、青年時代の信仰にとってかわった信念を通してながめたとき、彼は思わず慄然《りつぜん》とした。それは、死を恐れたというよりも、生命がどこから来て、なんのために与えられたのか、また生とはそもそも何であるか、ということについて、いささかの知識もなくして享受《きょうじゅ》している生のほうが、恐ろしかったのである。肉体組織、その崩壊、物質の不滅、エネルギイ保存の法則、発展――これこそ彼のために、以前の信仰にとってかわった言葉である。これらの言葉と、それに結びつけられた観念は、知的な目的のためには非常によいものであったが、生のためには何一つ寄与しなかった。で、レーヴィンは突如として、温かい毛皮外套を紗《しゃ》の着物にとり替えた人と、同じような境遇におかれているのを感じた。彼ははじめて極寒の日に、理屈でなくおのれの全存在をもって、自分は裸も同様であって、否応なしに苦しい最期を遂げなければならぬのだということを、はっきりまちがいなしに確信させられたのである。
 その時からというもの、自分でそれと意識しないまま、依然たる生活をつづけながら、レーヴィンは自分の無知にたいして、不断の恐怖を感じていた。
 のみならず、彼がおのれの信念と称しているものは、単に無知であるばかりでなく、しょせん自分に必要なものを知ることのできないような思考形態である、それを彼はばくぜんと感じていた。
 結婚当初は、彼のはじめて味わい知った新しい喜びや義務が、こうした想念を完全に圧服していた。が、最近、妻の分娩後、なすこともなくモスクワに滞在しているあいだ、解決を要求する疑問がいよいよひんぱんに、いよいよ執拗《しつよう》にレーヴィンを訪れはじめた。
 この疑問は、次のようなものであった。『もしおれの生命の問題について、キリスト教の与える答えを認めないとしたら、おれはいったいどんな答えを認めているのだろう?』そこで彼は、自分の信念の貯蔵庫をくまなくさがしてみたが、単に答えばかりでなく、答えらしいものさえ、何一つ発見することができなかった。
 彼の立場は、玩具や武器を売る店で、食物を求める人に似ていた。
 今や彼はわれともなく無意識に、あらゆる本、あらゆる会話、あらゆる人の中に、これらの問題にたいする関係と、その解決をさがし求めるのであった。
 この際、なによりも彼を驚かせ惑乱させたのは、彼と同じサークルに属し、彼と同じくらいな年配の人々が、大多数彼と同様に、以前の信仰を新しい信念に替えながら、そこになんら不幸を見いださず、完全に満足し、安心しきっていることであった。こういうわけで、レーヴィンは重要な疑問のほかに、なお一つ、いったいあの人たちは誠実なのだろうか? 仮面をかぶっているのではあるまいか? 自分の心を領している問題に対して科学の与える解答を、彼らは何かしら自分とは違った見方で、はっきり読みとっているのだろうか? という疑念に悩まされた。で、彼はこれらの人々の意見や、その解答を示している書物を、一生懸命に研究した。
 この疑問が心をしめるようになって以来、彼の発見したことは、次の一事であった。ほかでもない、若い大学時代の交遊を追想しながら、宗教はすでにおのれの時代を終って、もはや存在しないものと考えたのは、彼のあやまりだったのである。よき生活をしている近しい人々は、すべて信仰をもっている。老公も、すっかり彼の気に入ったリヴォフも、コズヌイシェフも、すべての婦人たちも、信仰をもっている。妻のキチイなどは、幼年時代の彼と同じように信仰しているし、その生活のために彼が最大の尊敬を払っているロシヤ民衆の九分九厘、いや、その全部が、神を信じている。
 いま一つ、彼は多くの本を読破した後、こういうことを確信した。彼と同様な見解をいだいている人々は、その見解のもとに、ぜんぜん他のものを悟得しようとせず、何一つ説明することなく、レーヴィンがその答えを得なかったら生きて行けぬとまで感じている問題を、ただ頭ごなしに否定するばかりで、たとえば、有機体の発達とか、霊魂の機械的な説明とか、そういったレーヴィンになんの興味もない全く別な問題を、一生懸命に解決しようとしているのであった。
 のみならず、妻の分娩の最中に、彼にとってなみなみならぬ出来事がおこった。不信者の彼が神に祈って、しかも祈っているあいだは信じていたのである。しかし、その瞬間が過ぎると、彼はそのときの気分に、生活のいかなる場所をも与えることができなかった。
 自分がそのとき真理を知っていたのに、今はあやまっているとは、承認することができなかった。なぜなら、このことはおちついて考えはじめるが早いか、なにもかもがばらばらにくずれてしまうからであった。自分はあのときまちがっていたということも、承認することができなかった。なぜなら、彼はあのときの気分を尊重していたからである。ところが、それを単に人間的な弱点に捧げた貢物《みつぎもの》と認めるならば、あの瞬間の思い出をけがすことになる。彼は悩ましい自己分裂に陥って、それからのがれるために、ありたけの精神力を緊張さしたのである。

[#5字下げ]九[#「九」は中見出し]

 こうした想念は彼を悩まし、苦しめた。それはときに弱く、ときに強くはあったけれども、決して彼を見棄てることはなかった。彼は読みかつ考えたが、読めば読むほど、考えれば考えるほど、自分の追究している問題から遠ざかるような気がした。
 最近モスクワにいても、田舎にいても、唯物論者の中に答えを見いだすことはできないと確信して、彼はプラトンスピノザ、カント、シェリングヘーゲルショーペンハウエルなど、人生を唯物的でなく説明する哲学者の本を読み返し、それからふたたび通読した。
 彼がそれらの本を読んだり、そのほかの学説、とくに唯物論にたいする駁論《ばくろん》を自分で考えついたりしているあいだは、思索がみのりを結ぶように思われた。しかし、問題の解決を読んだり、自分で考えついたりするが早いか、いつも同じことの繰り返しになった。霊魂[#「霊魂」に傍点]とか、意志[#「意思」に傍点]とか、自由[#「自由」に傍点]とか、実在[#「実在」に傍点]とかいう、あいまいな言葉の長たらしい定義に従って、哲学者なり彼自身なりが設けた言葉の罠《わな》にわざわざ落ちていくとき、彼は何かわかりかけたような気がした。しかし、人工的な思索の経路を忘れるが早いか、また彼が与えられた緒《いとぐち》をたぐっていったとき、自分を満足さしてくれるもののほうへ、実生活の中から帰って行くが早いか、たちまちこの人工的な建物は、さながらカルタ札でこしらえた家のように、残りなく崩れ落ちてしまった。そして、この建物は、理知より以上に生活で重要な何ものかにはおかまいなく、例の置き替えられた言葉から作りあげられているにすぎないということが、明瞭になるのであった。
 一時、ショーペンハウエルを読んでいるころ、彼は意志[#「意志」に傍点]のかわりに愛[#「愛」に傍点]を置き替えてみた。すると、この新しい哲学は、彼がそれから身をひいてしまうまでの二日ばかりのあいだ、彼に慰安を与えた。しかし、その後、実生活の中からながめたとき、これも同様はかなく崩れてしまって、体を暖めてくれない紗《しゃ》の着物であることが暴露された。
 兄のコズヌイシェフは、ホミャコフ([#割り注]スラヴ主義の驍将[#割り注終わり])の神学的著述を読んでみるように勧めた。レーヴィンはホミャコフ著作集の第二巻を通読したところ、はじめその論争的な、しかも優美で機知に富んだ調子に、反感を覚えたにもかかわらず、その中に示された教会説に、はっとさせられた。まず彼が感心したのは、神の真理の理解は個人ではなく、愛によって結び合わされた人間の集合体、すなわち教会に与えられている、という思想である。いま現に存在し、生きていて、人間のいっさいの信仰を形づくり、神を頭にいただいており、したがって、神聖にして侵すべからざる教会を信じ、その教会から神、創造、堕落、贖罪《しょくざい》などにたいする信仰を受け入れたほうが、高遠にして神秘な神や創造などからはじめるよりも、どんなに楽かしれないという思想が、彼を喜ばした。しかし、その後、カトリック派の書いた教会史と、ロシヤ正教会の書いた教会史を読んで、本質上、完全無欠であるべき二つの教会が、おたがい同士否定しているのをみて、この建物も哲学の建物と同様、もろくも崩壊してしまった。
 この春じゅう、彼はずっとうわの空で、たびたび恐ろしい瞬間を経験した。
『自分が何ものであるか、なんのために自分はここにいるのか? ということを知らずには、生きていくことはできない。ところが、おれはそれを知ることができない。したがって、生きてはいけない』とレーヴィンはひとりごつのであった。
『無限の時の中に、無限の物質の中に、無限の空間の中に、泡《あわ》のような有機体が浮び出す。その泡はしばらくつづいていて、やがて消えてしまう。その泡がおれなんだ』
 それは悩ましい迷妄《めいもう》であったが、しかしそれこそは、この方面で人間の思想が、長い世紀にわたって苦心した末に到達した、唯一にしてかつ最後の結論である。
 それは人間の思想のあらゆる探究が、ほとんどあらゆる方面でおちついた最後の信仰であり、それが一世に君臨する信念であった。で、レーヴィンも、いつどうしてやら自分でも知らないまま、すべての説明の中で、なんといっても比較的明瞭なものとして、われともなく、この説明を身につけてしまった。
 しかし、それは単に迷妄であるのみならず、何かしら邪悪な力の――邪悪にしていまわしい力の、残忍な嘲笑であった。そんな力に屈服することはできない。
 この力からのがれなければならなかった。しかも、それをのがれる方法は、各人の手中にあった。このような悪に左右される状態を、中絶すればよいのだ。その方法はただ一つ――死あるのみである。
 こうして、幸福な家庭の主《あるじ》であり、健康な人間であるレーヴィンが、いくども自殺の瀬戸ぎわまで追いつめられた。で、首をくくらないために縄を隠し、われとわが身を撃たないために、銃を持って歩くのを恐れるまでに立ち到った。
 しかし、レーヴィンは鉄砲自殺もしなければ、首をくくりもせず、生活をつづけていた。

[#5字下げ]一〇[#「一〇」は中見出し]

 レーヴィンはわれとは何か、なんのために生きているのか、ということを考えたときには、彼は答えを見いだすことができないで、絶望に陥った。が、そのことを自問しなくなった時には、われとは何ものかということも、なんのために生きているかということも、なんだかわかっているような気がした。なぜなら、堅固な態度ではっきりと行動し、生活していたからである。それどころか、最近の彼は、前よりもはるかに堅固な、はっきりした態度で生活していた。
 六月のはじめに田舎へ帰ると、彼はいつもの仕事に立ち帰った。農場の経営、百姓や隣人たちとの交渉、自分の預っている姉や義兄の仕事、妻や身内のものとの交渉、赤ん坊のための心づかい、この春から没頭しはじめた新しい養蜂業などが、彼の時間の全部をしめるようになった。
 彼がこういう仕事に気をまぎらせたのは、よく以前したように、何かしら一般的な見方で、これらの仕事を是認したからではない。今はかえってその反対に、一方からいうと、一般の福祉のために試みた以前の企てに幻滅を感じたためであり、また一方からいえば、彼があまりにも自分の思想に没頭し、かつは四方八方から降りかかってくる、おびただしい仕事に忙殺されていたため、一般の福祉などという考えを、ぜんぜん放棄したからである。また彼がこれらの仕事に携わったのは、これはしなければならない、そうよりほかしかたがない、という気がしたからにすぎない。
 以前(それはほとんど少年時代からはじまって、完全に大人になりきるまで、たえず強まっていった)すべての人のため、人類のため、ロシヤのため、村ぜんたいのため、何かいいことをしようと努めたとき、そういう考え方がわれながら気持よいのに、彼は心づいた。が、行為そのものは、いつもちぐはぐで、その仕事が必要かくべからざるものだという、徹底した自信がなかった。そして、はじめはひどく重大に思われた行為が、しだいしだいに小さくなっていき、ついには無に帰してしまうのであった。ところが、いま結婚後、しだいしだいに自分のための生活に局限しはじめたとき、おのれの活動を思うことによって、なんの喜びも感じなかったけれど、自分のしたことが必要だったという自信を感じ、前よりもずっと仕事にはか[#「はか」に傍点]がいき、しかも仕事がだんだん大きくなるのを見てとった。
 今や彼はさながら、おのれの意志に反してするかのごとく、犁《プラオ》のようにいよいよ深く大地に食いこんでいった。で、もはや畦《あぜ》をくずさなければ、引き抜くことができなくなった。
 父や祖父がし慣れたように、家族のために生きることが、換言すれば、彼らと同じ教養の程度で生活し、同じ条件で子供たちを教育することが、まさしく必要なのであった。それはちょうど、腹がへったときに食事するのと同じように、必要なことである。またそのために、食事の用意をするのと同じように、ポクローフスコエ村の農場経営の機械を運転さして、収入をはからねばならない。借金を返さねばならぬのと同じ理屈で、先祖代々の土地をりっぱに維持していって、かつてレーヴィンが、父の建てたり植えたりしたものにたいして、ありがとうといったのと同様に、息子が遺産を相続したとき、自分にありがとうというようにしなければならない。そのためには、土地を人に貸さないで、自分で農場を経営し、家畜を飼い、畑に肥料を施し、植林しなければならない。
 コズヌイシェフや姉の用件もしなければならず、彼のところへ忠言を求めにきて、そうすることに慣れきっている、百姓たちの頼みも聞いてやらなければならぬ。それは、手に抱いている赤ん坊を棄てるわけにいかないのと、同じことである。招かれて来ているドリイとその子ら、妻と赤ん坊の便宜も、心配してやらなければならないし、一日のうちたとえわずかのあいだでも、彼らとともにすごさなくてはならない。
 こういったさまざまなことが、野禽《やきん》猟や新しい養蜂業といっしょになって、レーヴィンの全生活をみたしていた。しかしその生活は、彼が考えているときには、なんの意味ももたないのであった。
 レーヴィンは、何を[#「何を」に傍点]なすべきかをはっきりと知っていたが、なお、そのほか、それらをいかに[#「いかに」に傍点]なすべきか、いかなる仕事がより重要であるかを、彼は同様によく心得ていた。
 彼はこういうことを知っていた。労働者はできるだけ安く雇わなければならないが、本当の価値よりも安い前渡金で彼らを縛るのは、非常に有利ではあるけれども、してはならないことである。飼糧《かいば》のないときに、百姓たちに藁《わら》を売るということは、かわいそうには相違ないけれど、べつにさしつかえないことである。が、宿屋や居酒屋はいい収入にはなるけれども、廃止しなければならない。森林の盗伐は、できるだけ厳重に取り締らなければならぬが、家畜が畑を荒らしたからといって、罰金をとるのはよくない。番人はがっかりするし、百姓たちのこらしめにはならないけれど、おさえた家畜は放してやらないわけにいかぬ。
 高利貸に月一割の利息を払っているピョートルには、その窮境を救うために、金を融通してやらなければならぬが、人頭税を払わない百姓たちに甘い顔をして、期限を延ばしてやるわけにはいかない。草場が刈られずにいて、草がむざむざ台なしになっていくのにたいして、管理人の責任を不問に付することはできないけれど、苗木を植えつけた八十町歩の草場を刈るわけにいかない。父親が死んだからといって、農繁期に家へ帰った百姓は、いかにかわいそうだとはいっても、容赦してやるわけにいかないから、大切な月を休んだことにたいして、労銀を差し引かなくてはならないが、なんの役にも立たない年取った邸勤めの奉公人には、月給を払わないわけにいかぬ。
 レーヴィンはまた、こういうことも知っていた。家へ帰ったら、加減[#「加減」は底本では「加滅」]を悪くしている妻のところへまず第一番に行って、もう三時間も待っている百姓どもは、もう少し待たせなければならない。また蜜蜂の群を巣につかせる仕事は、彼にとってじつに楽しいものではあったけれども、自分が養蜂場にいることを、百姓たちに嗅ぎつけられたら、その楽しみを係りの爺さんに一任して、百姓たちと用談をしなければならない、それも彼は知っていた。
 自分のしていることがよいか悪いか、それは彼にもわからなかったし、またそんなことを今さら証明しようともしなかったに相違ないが、彼はそれについて、人と話したり考えたりするのを、避けるようにつとめていた。
 批判検討は彼を疑惑に導いて、なすべきことと、なすべからざることを、見分ける妨げになるのであった。何も考えないで、ただ生活しているときには、彼は自分の内部に、絶対公平な審判者の存在をたえず感じた。この審判者は、二つの可能な行為のうち、どちらがよくてどちらが悪いかを、ちゃんと決定してくれた。もし彼がちょっとでもまちがった行為をすると、彼はすぐにそれを直覚するのであった。
 こうして、われは何ものであるか、なんのためにこの世に生きているかを知らず、またそれを知る可能性があろうとも思わず、その無知のために自殺を恐れるまでに悩みながらも、それと同時に、自分独特の一定した道を、しっかりと人生に開拓していきながら、彼は生活をつづけていたのである。