『ドストエーフスキイ全集 第13巻 カラマーゾフの兄弟』(1959年、米川正夫訳、河出書房新社)P304-P327

たことであります。つまり、もはやこれ以上要求しない、父親との遺産争いはこの六千ルーブリでけりをつける、とこういう意味の書面が残っています。そのとき彼は初めて、高尚な性格と立派な教養をもった、一人の年若い処女に出くわしたのです。ああ、私はここで詳しく繰り返すのをやめましょう。これはあなた方がただ今お聞きになったとおり、名誉と自己犠牲の問題ですから、私はもはやあえて言いますまい。浮薄で淫蕩ではあるが、しかし真の高潔と高遠な理想の前に跪いた若者の姿は、われわれの前に非常な同情の光をもって照らし出されたのであります。ところが、そのすぐあとで突然、同じこの法廷において、メダルの裏面が現われました。私はここでもまた推察を慎しんで、なぜそうなったかというような解剖はやめにします。この婦人は、長いあいだ隠していた忿懣の涙にくれながら、彼のほうがさきに相手を軽蔑したのであると述べました。つまり彼女の不注意な、抑制のない、とはいえ寛大、高潔な突発的行為のために、軽蔑したのであります。彼は、この処女の許婿たる彼は、誰よりも第一に嘲笑的な微笑をもらしました。彼女も男がもらしたこの微笑だけは、いかにしても忍ぶことができなかったのであります。男がもはや自分にそむいたことを知りながら、――女は将来どんなことでも、男の変心さえも忍ばねばならぬものだと信じて、そむいたことを知っていながら、彼女はわざと男に三千ルーブリの金を渡しました。そして、これは許婿の変心を助けるために渡すのであるということを、はっきりと、十分はっきりと男に悟らせたのであります。『どうです、受け取りますか、それほどあなたは恥知らずなのですか?』と彼女は試すような目つきで、無言の質問をしました。彼は相手の顔を見て、その肚の中をすっかり悟りながら(さっき彼自身あなた方の前で、ちゃんと悟っていたと申し立てました)、否応なくその金を着服して、新しい恋人と一緒に、僅か二日でつかいはたしてしまったのです。
「一たいわれわれはどちらを信じたものでしょう? 最初の伝説、――善行の前に跪いて最後の生活費を投げ出した高潔な心の衝動を信ずべきでしょうか、それとも、かの厭うべきメダルの裏面を信ずべきでしょうか? 人生において両極端に遭遇した場合、その中間に真理を求むるのが普通ですが、この場合は断じてそういうわけにゆきません。最初の場合にも、彼はしんから高潔であり、第二の場合にもしんから下劣であったというのが、最も正確なところでしょう。では、なぜか? われわれロシヤ人の性格が広汎だからです。カラマーゾフ式だからです、――つまり、私はこのことを言いたかったのです、――ロシヤ人の心は極端な矛盾を両立させることができ、二つの深淵を同時に見ることができるのです。われわれの上にある天上の深淵と、われわれの下にある最も下劣な、悪臭を放つ堕落の深淵とを、見ることができるのであります。カラマーゾフの一家を親しく深刻に見てきた若い観察者、すなわちラキーチン君の先刻のべられた立派な意見を、あなた方は記憶していられるでしょう。ラキーチン君は、『放縦不羈な性格を有する彼らにとっては、低劣な堕落の実感が、高尚で高潔な実感と同様に、必要欠くべからざるものである』と言われましたが、事実そうなのであります。まったく、彼らには絶えずこの不自然な混合が必要なのです。二つの深淵、同時に二つの深淵を窺う、――それがなければ、われわれは不幸、不満なのであります、われわれの生活は充実しないのであります。われわれは広汎です。母なるロシヤと同じように広汎です。われわれはさまざまなものを内部に共存させています。種々雑多なものと一緒に暮すことができます。
陪審員諸君、ついでながら言っておきます、われわれは今この三千ルーブリの問題にふれましたが、ここでちょっと一こと先廻りさせていただきたいと思います。考えてもごらんなさい。ああした性格の所有者たる彼が、ああいう羞恥、ああいう不名誉、ああいう極端な屈辱を忍んで、あの時あの金を受け取っておきながら、考えてもごらんなさい、その日のうちに三千ルーブリの半ばを割いて、守り袋の中に縫い込み、あらゆる誘惑や極度の欠乏と戦いながら、その後、一カ月間も頸にかけていたというのです! 方々の酒場で酔っ払っている時にも、競争者たる自分の父親の誘惑から恋人を救うために、ぜひなくてはならぬ金を、誰からという当てもなく借りようとして、町を飛び出した時にも、彼はあえてこの守り袋にさわろうとしなかったのであります。あんなに嫉妬していた老人の誘惑から、恋人を救い出すためだけでも、彼はその守り袋を開かなければならんはずだったのです。そして、恋人のそばを離れずにじっと張り番していて、彼女が最後に『わたしはあなたのものです』と言って、今の恐ろしい境遇から少しでも遠いところへ、二人で逃げて行くように頼む時を、待っていなければならなかったはずです。けれども、彼はそうしなかった。彼は自分の守り袋に手もつけなかったのです。そもそもどんな理由で手をつけなかったのでしょうか? 最初の理由なるものは、前にも言ったとおり、『わたしはあなたのものです、どこへでも連れて行って下さい』と言われた時、二人の逃走費に必要だということであります。しかし、この第一の理由は、被告自身の言葉によると、第二の理由のために力を失ってしまったのであります。『自分がこの金を持っている間は』と彼は言っています。『卑劣漢ではあっても泥棒ではない。』なぜかと言えば、いつでも自分の辱しめた女のところへ行って、だまし取った金の半分を突きつけたうえ、『さあ、このとおり、僕はお前の金を半分つかいはたした。これは僕が意志の弱い不道徳な人間だという証拠なんだ、もし何なら卑劣漢と言ってもいい(私は被告の言葉どおりに言います)。けれど、たとえ卑劣漢ではあっても、僕は決して泥棒じゃない。なぜなら、もし僕が泥棒なら、この残り半分をお前のとこへ持って来ないで、最初の半分と同じように、自分の懐ろへ入れてしまったはずだから。』こういつでも言えるからです、――なんと驚くべき説明ではありませんか! この非常に乱暴であると同時に、あんな屈辱を忍んでさえ、三千ルーブリの誘惑をしりぞけ得なかった弱い人間が、突然こんな堅固な克己心を発揮して、千ルーブリ余の金に手もつけず、頸にかけていたというのです! これが今われわれの解剖している性格と、多少なりとも一致するでしょうか? いや、本当のドミートリイ・カラマーゾフならば、よしんば事実、金を袋の中へ縫い込もうと決心したにしろ、そんな場合にどんなやり方をすべきであるか、今あなた方にお話ししましょう。まず第一の誘惑が生じた時、――つまり初め半分の金を捧げた新しい恋人を、またもやどうかして慰めねばならぬようなことが起った時、彼は自分の守り袋を開いて、その中から、――初めまず百ルーブリぐらい取り出したことでしょう、――なぜなら、必ず半分、すなわち千五百ルーブリ返さなければならんというわけはない、千四百ルーブリでもたくさんだからです。まったくどっちにしても結局、同じことになります。『僕は卑劣漢だが泥棒ではない。千四百ルーブリだけでも返しに来たからね。もしこれが泥棒なら、残らず取ってしまって、一文だって返すものか』という気持なのです。が、それからしばらくすると、また袋を開いて、二度目の百ルーブリを取り出す、次に三度め四度めを出すという工合で、わずか一カ月の終り頃には、とうとう最後の百ルーブリを残したきりで、みんな取り出してしまうでしょう。そして、この百ルーブリだけでも返しに行けばそれでいい、何といっても、『卑劣漢だけれど泥棒じゃない。二千九百ルーブリは費ったが、百ルーブリだけ返したからな。泥棒ならそれさえ返しゃしない』とこう言うでしょう。ところが、いよいよ一文なしになってしまうと、今度は最後の百ルーブリに目をつけて、『百ルーブリくらい持って行ったってしようがない、――いっそのこと、これも使っちまえ!』とひとりごちたでしょう。われわれの知っている本当のドミートリイ・カラマーゾフなら、こうするはずです。この守り袋云々という伝説は、想像することもできないくらい実際と矛盾しています。何だって仮定できないことはありませんが、こればかりは仕方のない話です。しかし、この問題はまたあとで論じることにしましょう。」
 イッポリートは父子間の財産あらそいについて、すでに当局の知り得たことを、順序ただしく述べた後、さらに若干の証拠をあげ、この遺産の分配問題について、誰が善くて誰が悪いなどと決めることは、断じて不可能であるという結論を下し、それから、ミーチャの頭に固定観念のようにこびりついていた三千ルーブリ問題に関して、医学鑑定の批評に移っていった。

[#3字下げ]第七 犯罪の径路[#「第七 犯罪の径路」は中見出し]

「医師の鑑定は、被告が狂人であり偏執狂《マニヤ》であることを、われわれに証明しようと努力したようです。ところが、私は被告は確かに正気であると主張します。しかし、これがかえって何よりも悪いのであります。もし彼が狂人なら、おそらくもっと利口なやり方をしたことでしょう。被告がマニヤであるという説には、私も同意します。ただし、それはただ一つの点だけ、すなわち、父親から三千ルーブリの金を支払われなかったという、被告の見解なのであります。しかし、被告がこの三千ルーブリの問題について、常に狂憤を感じていた事実を説明するためには、彼が狂気におちいりやすい傾向をもっていたということよりも、はるかに適切な理由を発見することができると思います。私一個としては、若い医師のヴァルヴィンスキイ君の意見に、ぜんぜん賛成です。同氏が言われるには、被告は普通の完全な精神作用をもっていたし、また今でも持っている、ただ極度に憤激して、憎悪の念に駆られたのだ、とこういうことです。つまり、そこなのです。被告が常に自己を忘れるほど憤激していた理由は、三千ルーブリとか何とかいう金額にふくまれているのではありません。そこにはある特別の原因がひそんでいて、彼の憤怒をそそったのです。その原因とは、ほかでもありません、――嫉妬です!」
 ここでイッポリートは、グルーシェンカに対する被告の宿命的な情熱を、絵巻物でも展開するように描きだした。彼は被告が『若い女』のところへ出かけて、『彼女を殴り殺そうとした』――彼は被告の言葉を借りて説明した、――そもそもの初めから述べたてた。
『しかし、殴り殺す代りに、彼女の足もとにひれ伏してしまいました、これがこの恋愛の発端なのです。同時に被告の父親なる老人も、その女に色目を使っていました、――驚くべき宿命的な合致です。なぜかと言えば、二人とも前からこの女を見もし知りもしていたのに、ちょうど時を同じゅうして、とつぜん二つの心が燃えだし、抑えがたいカラマーゾフ一流の情熱に囚われたからであります。ところが、ついさきほど彼女自身『わたしは両方とも笑っていました』と自白したとおり、彼女は急に二人をからかってやりたくなったのです。最初はそうでもなかったのだが、突然そういう考えが彼女の頭に浮んだのです。で、結局、二人とも彼女の前に、敗北者としてひれ伏すことになりました。拝金宗の老人は、女が自分の住みかを訪ねてくればやると言って、すぐ三千ルーブリの金を準備しましたが、やがて、女が自分の正妻となることさえ承諾してくれれば、自分の名前も財産も、全部かの女の足もとに投げ出して、なお幸福に思うほど熱しました。これには確かな証拠のあることです。ところで、被告はどうかといえば、彼の悲劇は現にわれわれの目前にあります。しかし、それが若い女の『戯れ』だったのです。まどわしの女はこの不幸な若者に、いささかの希望すら与えなかったのであります。真の希望は、被告が自分を虐げる女の前に跪いて、競争者である父親の血に染まった両手をさし伸べた、かの最後の瞬間に、初めて与えられたのです。つまり、こういう状態で彼は捕縛されたのであります。『わたしも、わたしもあの人と一緒に懲役へやって下さい。わたしがあの人をこんなにしてしまったんです。わたしが誰よりも一ばん罪が深いんです!』被告が捕縛された瞬間、彼女は心底から悔悟してこう叫びました。この事件を叙述しようとした才能ある青年は、――すなわち、先刻すでに述べたラキーチン君は、――この女主人公の性格について、簡にして要を得た批評を下しました。『彼女は自分を誘惑して棄てた情人によって、あまりにはやい幻滅と、偽瞞と、堕落とを経験し、ついで貧困と、潔癖な家族の呪詛とを味わい、最後に、今でも彼女が恩人と崇めているある富裕な老人の保護を受けるようになった。彼女の若い心は、多くの善良なる要素をもっていたであろうが、しかし、すでに早くから憤怒をひそめていた。かようにして、資産を蓄積しようとする打算的な性格が形づくられた。かようにして、社会に対する冷笑と、復讐心とが形づくられたのである』とラキーチン君は言いました。こうした性格論を聞いてみれば、彼女が単にただいたずらのために、意地わるいいたずらのために、二人を嘲笑したことが首肯されます。それで、この一カ月間、希望のない愛に苦しみ、道徳的に堕落し、婚約の女を裏切り、名誉にかけて渡された他人の金を着服した被告は、なおそのうえ、不断の嫉妬のためにほとんど喪心し、狂乱せんばかりでした。しかも、その嫉妬の相手は誰か? ほかでもない、現在の父親なのであります! しかし何よりもたまらないのは、気ちがいじみた老人が、この三千ルーブリの金でもって、被告の情熱の対象たる女を、誘惑しようとしたことなのです。しかも、その金は被告が自分のもの、つまり、自分に譲られた母親の遺産だと思い込んで、父親を責めていた金なのであります。そうです、これは被告としてたえ得ないことです。その点には、私も同意します! こういう場合には、実際マニヤさえ起りかねません。問題は金ではない、忌わしい無恥な態度で、この金を利用し、彼の幸福を破壊しようとする点にあるのです!」
 次にイッポリートは、どうして被告が次第に親を殺そうと考えるようになったか? という問題に移り、事実によってそれを究明した。
「初め彼は、ただ到るところの酒場を吹聴して廻るばかりでした。まる一カ月のあいだ吹聴していました。ああ、彼はしじゅう大勢の人に取り巻かれて、どんなに非道な危険な考えでも一切見さかいなしに、この連中に話すのが好きなのです。他人と思想の交換をするのが好きなのであります。そして、なぜかわからないが、その連中から、すぐに十分の同感をもって、自分の言葉に答えるようにと要求します。自分の憂慮、不安に立ち入って同情し、相槌を打ち、自分の気持に逆らわないことを要求します。それでなければ、腹を立てて、酒場をぶち毀しそうなほど、乱暴を働くのです(ここで、二等大尉スネギリョフの逸話が述べられた)。この一カ月間、被告に逢って、その言うことを聞いたものは、これは単なる威嚇や怒号のみでない、こうした威嚇は、こうした無我夢中の場合、えて実行に移りがちなものだ、ということを感じたのであります(ここで検事は、僧院における家族の会合と、被告とアリョーシャの対話と、被告が食後、父親の家へ闖入して暴行を働いた時の見苦しい光景を物語った)。被告が前もって父親を殺してしまおうと、周到に計画していたなどとは、私も断言しようと思いません」と、イッポリートはつづけた。「しかし、この考えは幾度も被告の心をおそったのです。彼はこれを仔細に熟考したのであります、――それには事実もあがっています。証人もあります。彼自身の自白もあります。陪審員諸君、」こうイッポリートはつけ加えた。「実際、私は、被告があらかじめ、十分な意識をもって犯罪を計画していたものと認めることを、今日まで躊躇していました。被告はすでに前もって、たびたびあの兇行の瞬間を考察したが、それもただ考察して可能と認めただけで、まだ実行の時期も手段も決めていなかった、と私は確信していました。私は今日という今日まで、カチェリーナ・イヴァーノヴナが法廷に提出された、あの恐ろしい証拠を見るまで、迷いつづけていたのであります。諸君、あなた方もあの婦人が、『これは計画です、これは人殺しのプログラムです!』と叫んだのを、お聞きになったでしょう。彼女は、不幸な被告の悲しむべき『酔っ払い』の手紙を、こう名づけました。実際、この手紙はプログラムの意味を、予定計画の意味をもっています。この手紙は、犯罪の二昼夜まえに書かれたのです。それによって考えると、被告はその恐るべき計画を敢行する二昼夜まえに、もし父親が、翌日金をよこさなかったら、『イヴァンが立つやいなや、彼を殺して、赤いリボンで結んだ封筒の中に入っている』あの金を、枕の下から取り出そうと心に誓ったのです、それはもう今となったら、事実と認めるよりほかありません。どうです、『イヴァンが立つやいなや』というからには、もうすっかり熟考して、段取りもきまっていたわけではありませんか、――そして、結果はどうです、何もかも、書いたとおりに実行されたのであります! あらかじめ計画され、熟考されていたことは、もはや疑う余地がありません。犯罪は掠奪の目的で遂行されたに相違ありません。これは現に公言され、記録され、署名されたことなのです。被告も自分の署名を否認してはいません。あるいは、酔っ払って書いたのだ、と言う人があるかもしれません。しかし、それは毫も罪を軽減するものではありません。いな、むしろ正気で考えたことを、酔っ払って書いたのだとも言えます。正気の時に考えていなかったら、酔っ払った時に書きはしないでしょう。では、彼はなぜ自分の計画を到るところの酒場で吹聴したか? そういうことをあらかじめ計画[#「あらかじめ計画」に傍点]している人間なら、黙っておし隠しているはずだ、とこう言われるでしょう。ごもっともです。しかし、彼が吹聴したのは、まだそうした計画や予定ができていず、ただ希望や衝動だけあった時分のことです。それで、彼もあとになると、あまりそれを吹聴しないようになりました。この手紙が書かれた時、彼は料理屋の『都』でうんと酒を飲みましたが、いつもと違って口数も少く、ちょっと玉突きをしただけで、隅のほうに腰かけたまま、誰とも話をしませんでした。ただ当地のある番頭を追っ払ったくらいにすぎません。が、これとてもほとんど無意識にしたことで、例の喧嘩癖のためなのです。彼は酒場へ入ると、こういうことなしにはすまされないのであります。もっとも、最後の決心をすると同時に、被告はあまり町じゅう触れ廻りすぎたから、この計画を実行した時に、露顕と断罪のもとになりはしないかという心配が、当然念頭に浮ばなければならないはずです。けれど、もういかんとも仕方がない、吹聴した事実は取り消すわけにゆかない。まあ、前にも自分を救った僥倖が、また今度も救ってくれるだろう。諸君、彼は自分の星を頼みにしたのです! そのうえ、彼がさまざまな手段を講じて宿命的な瞬間を避けようとしたことや、血腥い結末を避けるために苦心惨憺したことは、私も認めなければなりません。『僕は明日、あらゆる人から三千ルーブリの金を借りるつもりだ』とこう彼は独得の口調で書いています。『が、もし人が貸してくれなければ、血を流すまでだ。』もう一度くり返して言いますが、彼は酔っ払って書いたとおりを、しらふで実行したのであります。」
 こう言ってイッポリートは、ミーチャが犯罪を避けるために金を手に入れようとして、いろいろ骨を折った顛末を詳しく述べた。彼はミーチャがサムソノフを訪ねたことや、レガーヴィのところへ旅行したことなど、いずれも証拠をあげて述べたてた。
「この旅行のために時計を売り払った彼は(しかし、金を千五百ルーブリも持っていたと言うのです、――怪しい、しごく怪しい!)町に残っている愛の対象が、自分の留守にフョードルのところへ行きはしないかという嫉妬の疑いに苦しめられながら、疲れ、飢え、冷笑されて、ついに町へ帰って来ました。さいわい、女はフョードルのところへは行っていなかったので、彼は自分で女をその保護者サムソノフの家へ送って行きました(不思議なことに、彼はサムソノフに対しては嫉妬をいだきません。これはこの事件中もっとも注意すべき心理的特点であります)。ついで彼は『裏庭』の見張所へ飛んで行きました。そこで彼は、スメルジャコフが癲癇を起し、も一人の召使が病気にかかっていることを知りました。邪魔はすべて取り除かれ、しかも彼は『合図』を知っているのであります、――何という誘惑! しかし、彼はなおも自分に反抗しました。彼は、当地に一時居住して、われわれ一同に尊敬されているホフラコーヴァ夫人のもとへ赴いたのであります。早くから彼の運命に同情していたこの夫人は、最も賢明な忠告を試みました。つまり、この放蕩と、醜い恋と、だらしない酒場めぐりと、こういう若い精力の浪費を棄てて、シベリヤの金鉱へ行ったほうがいい。『そこには、あなたの荒れ狂う力と、冒険に飢えているロマンチックな性格の、はけ口がありましょう』と言ったのであります。」
 イッポリートはこの会話の結末から、ひいて被告が突然グルーシェンカの偽り、すなわち彼女が全然サムソノフの家へ行かなかったことを知った瞬間を語り、彼女が自分を欺いて、今フョードルのもとへ走っていはせぬかと考えた時、神経に悩まされた嫉妬ぶかいミーチャが、不幸にもたちまち無我夢中になったことを述べて、最後にこの場合の恐るべき影響に注意しながら語を結んだ。
「もし女中が、彼に向って、恋人は『争う余地のないもとの男』と一緒にモークロエにいる、と言いさえすれば、決して何事も起らなかったでしょう。ところが、女中は恐ろしさに慌ててしまって、ただ何も知らないと誓うばかりだったのであります。その場で被告が女中を殺さなかったのは、いきなりまっしぐらに、裏切り女のあとを追って駈け出したからです。しかし、ここにご注意を煩わしたいことがあります。被告は夢中になって前後を忘れているにもかかわらず、それでもやはり、銅の杵を手に取ったのであります。なぜ銅の杵を取ったか? なぜほかの道具を取らなかったか? けれど、もし彼が一カ月間もこの計画を熟考し、その準備をしていたとすると、何かちょっとでも兇器らしいものが目に映ったら、すぐそれを兇器として掴むに相違ありません。また、この種のいかなる物件が兇器として用い得るかということは、もう一カ月以上も考え抜いたのであります。だからこそ、その銅の杵を一瞬にして否応なく兇器と認めたわけです。それゆえ、何といっても、彼がこの恐ろしい杵を取ったのは、無意識に、知らず識らずやったものとは考えられません。やがて、彼は父の家の庭に現われました、――障害ははない[#「障害ははない」はママ]、見つける者もない、夜はふけて真っ暗です。嫉妬の焙はひらひらと燃えあがりました。彼女はここにいるのだ、自分の競争者なる父に抱かれているのだ、ことによったら、いま自分を笑っているかも知れぬ、こういう疑いが起ると、もう息がつまりそうです。もはや今は疑いばかりではない、疑いどころか、だまされていたことは明白であります。彼女がそこに、その光の洩れている部屋に、あの衝立ての陰にいることは明瞭であります。その時、不幸なる被告は窓の側に忍び寄り、うやうやしく窓を覗き込み、おとなしく諦めをつけて、何か非道な恐ろしい間違いの起らないように、賢くも不幸を避けて、急いでそこを立ち去った、とこうわれわれに信じさせようとするのであります。しかし、われわれは被告の性格を知っています、この場合の彼の精神状態を理解しています。われわれはその状態を事実によって承知しています。そのうえ彼は、すぐにも戸を開けて家の中に入ることのできる合図を知っていたのではありませんか。」ここでイッポリートは、その『合図』のことから、スメルジャコフについて一言する必要を認め、彼が下手人ではないかという余興的嫌疑を十分に考究し、一挙にしてこの問題をきっぱり片づけるために、ちょっと論告を中断して、岐路に入った。これを試みた彼の態度が詳密をきわめているので、一同は彼がこの嫌疑に対して軽蔑の色を見せているにもかかわらず、やはり内心それに重大な意義を認めていることを悟った。

[#3字下げ]第八 スメルジャコフ論[#「第八 スメルジャコフ論」は中見出し]

「第一、いかなる理由で、こうした嫌疑が現われたのでしょうか?」とまずイッポリートはこの質問から口をきった。「最初にスメルジャコフを下手人と叫んだのは、被告自身であって、捕縛される瞬間のことでした。しかし、彼は初めてそう叫んだ時から、今日この公判の時にいたるまで、スメルジャコフの犯罪を証明するような事実を、一つとして挙げ得ませんでした。いな、事実ばかりか、単に常識判断で首肯し得るような事実の暗示さえも、全然あたえ得なかったのであります。そのほかに、スメルジャコフの犯罪を確信しているものは、たった三人だけでした。すなわち被告の弟二人と、スヴェートロヴァであります。しかし、二人の弟のうち、イヴァンは今日はじめて自分の疑いを述べたので、それも争う余地のない興奮と、狂気の発作におそわれたためであります。以前は、私たちも熟知しているとおり、兄の罪を深く信じきって、この世評に抗弁しようとさえ思わなかったほどであります。が、このことはとくにあとで述べることにします。次に、その弟のほうは先刻もわれわれに言ったとおり、スメルジャコフの犯罪を証明するような事実を、微塵も持っていないけれど、ただ被告の言葉とその『顔いろによって』、そう信じているのでありまして、この驚くべき有力な証明は、先刻二度までも彼の口から述べられました。ところで、スヴェートロヴァはさらに驚くべき申し立てをしました。『被告の言うことを信じて下さい。あの人は嘘を言うような人ではありません。』被告の運命に非常な利害を感じているこの三人が提供した、スメルジャコフ有罪論の事実的証明は、ただこれだけなのであります。しかし、それにもかかわらず、スメルジャコフに対する嫌疑は、これまで世間に噂されてもいたし、今も噂されています、――一たいこれが信じ得ることでしょうか? 想像し得ることでしょうか!」
 この際、検事イッポリートは、『興奮と狂気の発作のために自分の生命を断った』スメルジャコフの性格を、簡単に描き出す必要を認めた。検事の言うところによると、スメルジャコフは知力の鈍い人間で、漠然とした初歩の教育らしいものを受けていたが、自分の知力以上の哲学思想に惑わされ、広く一般に瀰漫している奇怪な現代の責任観念、ないし義務観念に脅かされたのである。これを実際的に教え込んだものは、ほとんど彼の主人、――あるいは父親であったかもしれない、――フョードル・パーヴロヴィッチの放埒な生活であり、理論の上では、彼を相手にいろいろ奇怪な哲学上の談話を交わした息子のイヴァンであった。おそらくイヴァンは退屈しのぎか、あるいは心中にわだかまっている皮肉のやり場が、ほかになかったためであろう、好んでスメルジャコフにそんな話をしたのである。
「彼は自分で私に向って、最近、主人の家にいた頃の精神状態を話しました」とイッポリートは説明した。「もっとも、ほかの者たち、例えば被告自身も、彼の弟も、「召使のグリゴーリイさえも、――つまり、彼に親近しているものが、ことごとく同じことを証明しています。のみならず、スメルジャコフは癲癇の発作のために健康を害して、『まるで牝鶏のように臆病』でありました。『あいつは私の足もとに倒れて、靴に接吻しました』と被告はわれわれに語りました。まだそのとき被告は、そういう陳述が自分にとっていくぶん不利なことを、意識しなかったのであります。『あいつは癲癇にかかった牝鶏です』と、彼は例の独得な口調で、スメルジャコフを評しました。そこで、被告は彼を自分の相談相手に選んで(このことは被告自身で証明しています)、さんざん彼を脅迫したものですから、とどのつまり、彼は被告のために密偵となり、間諜となることを承諾するにいたったのであります。この家庭内の密偵という職務のために、彼は自分の主人にそむいて、金の入っている封筒のありかや、主人の部屋へ侵入する合図を、被告に告げたのであります。また、どうして告げずにいられましょう。『殺しそうなんでございます。どう見てもわたくしを殺しそうなんでございます』と彼は審問の時こう言いました。もうその時は、彼を脅かし苦しめた暴君が捕縛されて、二度と復讐に来るようなおそれはなかったのですが、それでもぶるぶる身ぶるいしているのです。『あの人は始終わたくしを疑っていられましたので、わたくしは恐ろしさに慄えておりました。で、どうかしてあの人の怒りを鎮めようと思って、大急ぎで秘密という秘密を残らず打ち明けてしまいました。こうもすれば、わたくしがあの人に悪い考えを持っていないことを見抜いて、無事に赦してもらえるかと思いました。』これはスメルジャコフ自身の言葉であります。私はこの言葉を書きつけてもおいたので、ちゃんと記憶しています。『よくわたくしはあの人に呶鳴りつけられると、いきなりあの人の前に膝をついたものでございます。』生来ごく正直な若者で、主人の紛失した金を拾って返した時から、その正直を認められて、深く主人の信任を得ていたので、不幸なスメルジャコフは、恩人として愛している主人を売ったことを後悔し、ひどく煩悶したものと考えなければなりません。博識な心理学者の証明するところによると、ひどい癲癇にかかっているものは、常に病的な不断の自己譴責におちいりやすいものであります。彼らはよく何の根拠もないのに、何かにつけて、また誰かに対して、自分の『罪』を認め、良心の呵責を感じて煩悶します。彼らは常に誇大的に考えて、自分からさまざまな罪悪や犯罪を考え出すのであります。こうした種類の人間は、単なる恐怖と驚愕のために、実際、犯罪人となることさえあります。のみならず、彼は自分の眼前に行われているさまざまな事件からして、何かよからぬことが生ずるだろうと予感していました。イヴァンが兇行の直前に、モスクワへ出発しようとした時、スメルジャコフは彼に向って、どうか行かないようにと哀願したのですが、例の臆病からして、自分のいだいている危惧の念を残らず明瞭に、きっぱり打ち明けることをなし得ないで、ただ軽く暗示を与えるだけにとどめました。けれど、その暗示を悟ってもらうことができなかったのであります。ここに注意すべきことは、彼がイヴァンを自分の保護者のように見なして、この人さえ家にいれば、決して不幸は起らないと、信じきっていた点であります。ドミートリイの『酔っ払った』手紙の中にある『イヴァンが立ったらすぐ親父を殺してやる』という文句でもわかるとおり、つまり、イヴァンの存在は家内の平穏と秩序の保証のように、誰からも思われていたのであります。ところが、イヴァンは出発しました。すると、スメルジャコフは、若主人が出発してから一時間後に、癲癇の発作におそわれたのであります。しかし、それは至極もっともなことであります。なおここで言っておかなければならぬことは、さまざまな恐怖と一種の絶望に打ちひしがれていたスメルジャコフが、この二三日とくに強く、発作の襲来を感じていたことであります。それまでも、発作はいつも精神的緊張や震撼の瞬間におそってきたそうです。むろん、この発作のくる時日を予測することはできないが、どんな癲癇病者でも、発作の起りそうな徴候を前もって感じ得るのは、医学の告げるところであります。で、イヴァンが屋敷から出てしまうやいなや、スメルジャコフは自分の孤独な頼りない身の上をしみじみと感じながら、やがて家の用事で穴蔵へおもむきました。彼は穴蔵の階段を降りながら、『発作が起りはしまいか、もし起ったらどうしよう?』と考えた。すると、こうした気分、こうした想像、こうした疑問のために、いつも発作の前にやってくる喉の痙攣が起って、彼は無意識に穴蔵の底へ転げ落ちたのであります。ところが、世の中にはご苦労千万にも、この最も自然な出来事を疑って、あれはわざと[#「わざと」に傍点]病人の真似をしたのだ、とほのめかす人々があります! けれど、もしわざとしたものとすれば、すぐ『何のために?』という疑問が起ってくるわけです。いかなる打算、いかなる目的があったのでしょう? 私はもう医学のことは言いますまい、――科学は偽ることがある、誤ることがある。医者は病気の真偽を見分け得るものではない、――こう言う人があるなら、それはそのとおりとしておいてもよろしい。しかし、その前に、なぜ病人の真似をしなければならなかったか? という問いに答えてもらいたい。よし殺人をもくろんだとしても、癲癇など起したら、前もって一家の注意を自分に惹きつけることになりはしないでしょうか? 陪審員諸君、諸君もご存じでしょうが、兇行の当夜、フョードルの家には五人の人がいました。第一に、フョードル・パーヴロヴィッチ自身ですが、しかし彼は自殺したのではない、それは言うまでもありません。第二に、召使グリゴーリイですが、この男は自身でも危く殺されようとしたくらいです。第三に、グリゴーリイの妻、女中のマルファ・イグナーチエヴナですが、その女が自分の主人を殺したなどとは、考えるさえ恥しいほどです。そうすると、残るのは被告とスメルジャコフの二人きりです。しかし、被告は自分が殺したのでないと主張しますから、どうしてもスメルジャコフが殺したことになってしまいます。でなければ、ほかに下手人を見いだすことができません、ほかに犯人を挙げることができません。こういうわけで、きのう自殺した不幸な白痴に対するこの『狡猾な』、途方もない嫌疑が生じたのであります! つまり、ただほかに誰も嫌疑をかけるべき人がないからにすぎません! もし誰かほかの人に、誰か第六人目の人に、影ほどでも疑わしい点があれば、被告はスメルジャコフを挙げるのを恥じて、この六人目の人を挙げたことと信じます。なぜなら、スメルジャコフにこの殺人の罪をきせることは、絶対に不合理だからであります。
「しかし、諸君、心理解剖はよしましょう、医学上からの批評もやめましょう。いな、それどころか、論理さえ抛擲しましょう。そして、事実、ただ事実だけを考察して、事実がわれわれに何を告げるかを検分しましょう。かりにスメルジャコフが殺したものとしても、一たいどういう工合にして殺したのでしょう? 一人でしょうか、それとも被告と共謀して殺したのでしょうか? まず第一の場合、すなわちスメルジャコフ一人で殺したものと考えてみましょう。彼が殺したとすれば、むろん、何か目的を持っていなければなりません、何かためにするところがあったはずです。スメルジャコフは、被告のもっていたような憎悪、嫉妬などというような兇行の動機を、影すら持たなかったのですから、犯人を彼とすれば、疑いもなく金のためだけです。あの三千ルーブリの金のためです。主人がその金を封筒に入れるところを、現に彼は見たのであります。ところが、兇行を企らんだ彼は前もってほかの人物に、――しかも非常な利害関係を有している被告に、金のことや、合図のことや、封筒がどこにあるか、その上に何と書いてあるか、何にくるまれているか、というような事柄をすっかり教えました。ことに何より重大なのは、主人の部屋へ入る『合図』を教えた事実であります。どうして彼はこんな自分を裏切るようなまねをしたのでしょう? 同様に忍び込んで、その封筒を盗み出すおそれのある競争者を作るためだったのか? しかし、それは恐ろしさに教えたのではないか、とこう言う人があるかもしれません。が、それはどうしたわけでしょう? そういう大それた獣のような行為を考えついて、それを実行することさえ、あえて辞さないほどの覚悟をした男が、世界じゅうで自分一人だけしか知らないようなことを、――自分が黙ってさえおれば、世界じゅうで誰ひとり察しるもののないようなことを、むざむざ他人に明かすものでしょうか? いや、どんな臆病な人間でも、もしそうした犯罪を企てたからには、たとえどんなことがあろうとも、決して誰にももらすものではありません。少くとも封筒と合図のことだけは言わなかったでしょう。それを明かすということは、将来自分を裏切る結果になるからであります。もし人から情報を求められた場合には、何か都合よく言い拵えるか嘘をつくかして、肝腎なこの点については、口を開くものではありません。それどころか、繰り返して言いますが、もし彼がせめて金のことだけでも黙っていて、それから主人を殺して、金を取ったとすれば、世界じゅう誰ひとりとして、金のために人殺しをしたと言って、彼を責めることはできなかったでしょう。なぜかと言えば、彼のほかには誰もこの金を見たものもなく、第一、この金が家の中にあるということも知らなかったからです。たとえ彼が人殺しの罪をきせられても、何かほかの動機から殺したのだと思われるに相違ありません。しかし、誰も以前そんな動機を彼に認めていなかったのです。いや、むしろ彼が主人に愛され、信用されていることを、世間一同が知っていました。だから、嫌疑がかかるとしても、彼は一ばん最後にあたる人間で、まず誰よりも第一に疑われるのは、これらの動機をもっているもの、自分の口から呶鳴りたてていたもの、少しも隠そうとしないで、あからさまにさらけ出していたもの、すなわち一言で言えば、被害者の息子ドミートリイ・フョードロヴィッチであるべきはずなのです。スメルジャコフが殺して、金をとって、息子が罪をきせられる、――このほうが下手人のスメルジャコフにとって、有利じゃないでしょうか? ところが、彼は兇行を思い立っておきながら、息子のドミートリイに金や、包みや、合図のことを教えています、――いやはや、何たる論理でしょう? なんと事理明白なことでしょう ※[#感嘆符二つ、1-8-75]
「スメルジャコフが企らんだ兇行の日が来た時、彼はわざと癲癇の発作におそわれたようなふりをして、寝込んでしまいました。これは何のためでしょう? それはむろん、第一に、誰も家の番をするものがなくなったため、自分の体の療治をしようと思っていた下男のグリゴーリイに、療治をあとまわしにして番をさせることになります。第二に、誰も家の番をするものがなくなったから、息子の来襲をひどく恐れていた(それは彼も隠そうとしませんでした)主人の心配を増させ、警戒を一段と厳重にさせることになります。最後に、これは言うまでもなく、最も重大なことですが、彼スメルジャコフは普段みんなと離れて、ひとり料理場に寝起きして、出入り口もすっかり別になっていたのに、癲癇におそわれるとすぐ、離れの一方にあるグリゴーリイの部屋へ担ぎ込まれて、夫婦の寝床から三足ばかりしか離れていない、仕切り板の陰に寝かせられることになるのです。彼は発作にかかりさえすれば、主人と苦労性なマルファの取り計らいで、いつもそうされていたのであります。ところが、その仕切り板の陰に寝ておれば、彼は本当の病人らしく見せるために、むろん、どうしても唸りつづけて、グリゴーリイ夫婦を夜どおしのべつ起さなければなりません、――(これは、グリゴーリイ夫婦の証明したところであります)――一たいこういうようなことが、とつぜん起きあがって、主人を殺すために便利だと言われましょうか!
「しかし、またある人は、彼が仮病をつかったのは嫌疑を避けるためで、金のことや合図を被告に教えたのは、被告を誘惑して、彼に忍び込ませて父親を殺させるためだった、とこういう説をするかもしれません。しかし、どうでしょう、被告が殺害して、金を奪って出て行く時、必ず騒々しい物音を立てて、証人たちの目をさまさせるに違いありません。その時にどうでしょう、スメルジャコフものこのこと起きあがって、出かけるつもりだったのでしょうか? 一たい何のために出かけるのでしょう? それは、もう一ど主人を殺して、すでに奪われた金を取るつもりだったのでしょうか? 諸君、あなた方はお笑いですか? 私自身もかような仮定をするのは恥しく思います。ところが、どうでしょう、被告はこれを主張するのであります。被告は、自分がグリゴーリイを倒して、騒動を引き起し、さて家から出てしまったあとで、あいつが起きあがって出かけて行き、主人を殺害して、金を盗み取ったのだと申し立てています。興奮のあまり正気を失った息子が、ただうやうやしく窓を覗いただけで、現在合図を知っていながら、みすみす獲物を彼スメルジャコフに残して退却するということを、どうしてスメルジャコフが前もって見抜くことができたか? などというようなことについては、もう今さららしく言及しますまい! 諸君、私は真面目にお訊ねします。いつスメルジャコフはその犯罪を行ったのでしょうか? その時を示して下さい。なぜなら、それがわからなければ、彼を罪する[#「罪する」はママ]ことはできないからであります。
「しかし、あるいは、癲癇は本物であったけれど、病人はとつぜん正気に返って、叫び声を耳にして出て行ったのかもしれません、――まあ、かりにそうだとすれば、一たいどうなるでしょう? 彼はあたりを見まわして、『よし、一つ旦那を殺して来ようか?』とひとりごちたとします。しかし、彼はそれまで気絶して寝ていながら、どうしてその間に生じたことを知ったのでしょう? けれど、諸君、こうした空想はいい加減にしましょう。
「ところで、聴明な人たちはこう言うかもしれません、――だが、もし二人がぐるだったらどうする? もし二人が共謀で殺して、金を山分けにしたらどうだろう?
「そうです、これは実際、重大な疑問です。第一に、さしあたりその疑念を証拠だてる有力な証跡があります。すなわち、一方は兇行を引き受けて、ありとあらゆる苦心をしながら、一方は癲癇の真似をして、のんきに寝ていたのです、――しかも、それは前もってみなに疑念をいだかせ、主人とグリゴーリイに不安を起させるためなのであります。二人の共謀者はどういう動機から、こうした気ちがいじみた計画を思いついたのか、実に不思議のいたりです? もっとも、これはスメルジャコフのほうから積極的に持ち出した相談ではなく、いわば受身の犠牲的な黙従だったかもしれません。たぶん、スメルジャコフは脅しつけられて、ただ兇行に反対しないだけの承諾を与えたのでしょう。彼は自分が叫び声を立てず、反抗もしないで、ドミートリイに主人を殺させた、――という非難を受けるに違いないと予感したので、ドミートリイが兇行を演じている間、癲癇を装うて寝ていることを無理に許してもらった、とこう考えることもできます。『あなたは勝手に殺しなさるがいい、私は高見の見物ですよ』という気持だったかもしれません。けれど、もしそうだとしても、やはりこの発作は家のものを騒がせるから、ドミートリイもそれを見抜いて、こんな相談にのるはずはありません。しかし、私は譲歩して、彼が承知したものとしましょう。そうしたところで、やはりドミートリイが人殺しで、下手人で、張本人であって、スメルジャコフはただ受身の関係者、いや、関係者というよりむしろ、恐怖のため心ならずも黙認したにすぎないのであります。それは裁判官諸君も必ずお認めになることと思います。ところが、一たいどうでしょう? 被告は捕縛されるとすぐ、もっぱらスメルジャコフ一人に責任を嫁し、彼一人に罪を塗りつけています。共謀の罪どころか、ただ彼一人に全部の罪を嫁しています。あいつが一人でやったのです、あいつが殺して、あいつが取ったのです、あいつの仕業なのです、とこう彼は言っています! すぐさま互いに罪の塗り合いをするような共犯者が、一たい世の中にあるものでしょうか、――いや、そんなことは決してありません。それに、注意すべき点は、これはカラマーゾフにとってきわめて危険な所業なのであります。なぜなら、張本人は彼であってスメルジャコフではありません、彼はただ黙認したにすぎない。彼は仕切り板の陰に寝ていたのです。ところが、被告はその寝ていたものに罪をきせるではありませんか。そんなことをすれば、スメルジャコフはひどく憤慨して、自己防衛の念から、急いで真実を打ち明けるおそれがあります。二人とも関係はあるのですが、しかし私は殺したのじゃなくて、恐ろしさに見て見ぬふりをしただけです、と言うかもしれません。彼スメルジャコフは、『法廷はすぐ自分の罪の程度を見分けてくれるに相違ない。だから、よしんば罰を受けるにしても、何もかも自分に塗りつけたがっている張本人よりか、ずっと軽くてすむに相違ない』とこう考えたでしょう。しかし、それならば、彼はいやでも一切を白状したはずですが、そういうことはまるでありません。下手人があくまで彼に罪を嫁して、どこまでも彼をさして、唯一の下手人であると言いはっているにもかかわらず、スメルジャコフは共謀などということを、おくびにも出さなかったのみならず、われわれの審問に答えて、金の入った封筒や合図のことは彼自身被告に教えた、もし自分かいなければ被告は何も知らなかったろう、と言いました。もし実際、彼が共謀者であって、自分にも罪があるとしたならば、審問の際すぐさまやすやすとこのことを、つまり、彼が何もかも被告に教えたということを、白状するはずがないではありませんか? むしろ言を左右に託して、必ず事実を曲げて小さくしようとするはずです。にもかかわらず、彼は事実を曲げもしなければ、小さくしようともしなかった。こういうことをなし得るのは、ただ罪のないものだけです、共謀の罪をきせられるおそれのないものだけです。こうして、彼は持病の癲癇と、この大椿事にもとづく病的な憂欝の発作のために、昨夜、縊死を遂げました。彼は自殺に際して、『余は、何人にも罪を帰せないために、自分自身の意志によって、あまんじて自己の生命を断つ』とこういう独得な口調で遺言をしたためました。下手人は自分であって、カラマーゾフではない、こうちょっと一筆、遺言につけたすに何のさしつかえもないはずなのに、彼はそれをしませんでした。一方には良心の責任を感じながら、一方に対してはそれを感じなかったのでしょうか?
「ところで、どうでしょう? 先刻三千ルーブリの金がこの法廷に持ち出されました。『その金は、ほかの証拠物件と一緒にテーブルの上にのっている、あの封筒の中にはいっていた金です、私が昨日スメルジャコフから受け取ったのです』ということでした。ところが、陪審員諸君、あなた方も先刻の悲惨な光景をご記憶でしょうから、詳しく再叙することをさし控えますが、しかし、あえて二三の意見を述べさせていただきます。私はごくつまらない点を取り上げることにします、――それはつまり、つまらないがために、誰も考えつかないで、忘れてしまうおそれがあるからです。また同じことを繰り返すようですが、第一に、スメルジャコフは良心の呵責にたえかねて、きのう金を渡して、自殺を遂げました(もし良心の呵責がなければ、彼は金を渡しはしなかったはずであります)。むろん、スメルジャコフはゆうべ初めて罪を私に白状した、どこう証人は言いますが、それはそのとおりとしましょう。でなければ、彼が今まで黙っているはずはありません。こうして、スメルジャコフは自白しました。しかし、私はふたたび繰り返しますが、なぜスメルジャコフは自分の遺書に真実を書きつけておかなかったか? 罪なき被告のために、あす恐るべき裁判が開かれることは、彼も知っていたのではありませんか。金だけではまだ証拠になりません。私ばかりではなく、この法廷におられる二人の方も、すでに一週間以前、イヴァン・フョードロヴィッチ・カラマーゾフが、県庁所在地の町に五千ルーブリの五分利つき証券二枚、すなわち一万ルーブリを送って、両替させた事実をご存じのはずであります。私がこんなことを言うのは、誰でもある時期に金を持つということはあり得るわけですから、三千ルーブリの金を持って来たからといって、それが例の金だ、つまり、例の箱もしくは封筒から出した金だ、という証拠にはならないからです。最後にイヴァンは、昨日そういう重大な自白を真の下手人から聞きながら、安閑として打ち棄てておきました。なぜ彼はこのことを、すぐさま報告しなかったのか? なぜ朝まで延ばしたのか? 私はそれを推察する権利があると思います。思うに、一週間前すでに健康を害して、医者や近親のものに向って、幻を見たとか、死人に会ったとか、言っていた彼は、ほかならぬきょう今日《こんにち》、ああまで激烈に勃発した譫妄狂の一歩手前まで来ていたのであります。それが突然、スメルジャコフの死を聞いたので、『あいつはもう死んだ人間だから、あいつに罪をなすりつけて、兄を救ってやろう。さいわい自分は金を持っているから、一つ紙幣束を持ち出して、スメルジャコフが死ぬ前に渡したのだと言ってやろう』とこういう考えを起したものとみえます。あなた方は、たとえ死人であろうと、人に罪をきせるのはよくない、兄を救うためだって嘘を言うのもよくない、とおっしゃるのですか? ごもっともです。が、もし無意識に嘘を言ったとしたらどうでしょう? とつぜん下男の死を耳にして、頭がすっかり狂ってしまったために、実際そのとおりであったように想像したものとしたらどうでしょう? あなた方は先刻の光景をごらんになりましたろう。彼がどういう精神状態にあったか、ごらんになりましたろう。彼はちゃんと立って口をききましたが、しかし、その心はどこにあったとお思いになりますか?
「この狂人の申し立てにつづいて現われたのは、被告がヴェルホーフツェヴァ嬢に送った手紙であります。それは兇行の二日前に書かれたもので、兇行の詳しいプログラムであります。してみれば、われわれはもうほかにプログラムや、その編成者を捜す必要はありません。兇行はちょうどこのプログラムどおり、その編成者によって行われたのです。そうです、陪審員諸君、『書いてあるとおりに行われた』のであります! 中に自分の恋人がいるに相違ないと固く信じた被告が、父親の窓のそばからうやうやしく、臆病に逃げ出すなんて、そんなことは決してありません。どうして、そんなことはばかばかしい、あり得べからざる話です。彼は入り込んで、兇行を演じたに相違ありません。つまり、憎いと思う恋敵を一目見るやいなや、むらむらと憤怒の焔が燃えあがって、興奮の極、兇行を演じたものと察しられます。それはおそらく銅の杵をもって、一撃のもとに倒してしまったのでしょう。そのあとでよく捜したあげく、女がそこにいないことを知ったのですが、しかし手を枕の下に突っ込んで、金の入った封筒を取り出すことを忘れませんでした。その破れた封筒は今このテーブルの上に、他の証拠事件と一緒にのっています。私がこんなことを言うのは、ここで一つの事情を認めていただきたいからであります。しかも、それは私の考えによると、最も重大な意義をおびているのであります。もしこれが経験のある殺人者、すなわちただの強盗殺人犯であってごらんなさい。はたして封筒を床の上に投げ棄てておくでしょうか? ところが、実際は、死体のそばに転がっているのを発見されたのです。もしこれがスメルジャコフであって、強盗のために殺したとすれば、わざわざ被害者の死骸の上で開封するような面倒をみずとも、すぐそれを持って、逃走したに相違ありません。なぜなら、包みの中に金が入っていることを、確かに知っていたからです――金は彼の目の前で封筒へ入れられて、封印までせられたのであります、――実際、もし彼が封筒を持って逃げてごらんなさい、強盗の行為は誰にもわかりようがありません。陪審員諸君、私はあえてお訊ねします。スメルジャコフがそんなやり方をするでしょうか? 封筒を床の上に棄てて行くでしょうか? いや、こんなやり方をするものは、必ず前後の分別のない、熱狂した殺人者です。盗賊ではなくて、それまで一度も物を盗んだことのない殺人者に相違ありません。蒲団の下から金を取り出しても、それは盗むのではなく、自分のものを盗賊から取り返すのだ、というような態度だったろうと思われます。なぜならば、これがこの三千ルーブリに対するドミートリイの考えで、これがほとんどマニヤになっていたからであります。で、彼は初めて目撃した包みを手にすると、封筒を破って、中に金があるかどうかを確かめ、金をかくしに入れるやいなや、床に落ちている破れた封筒が、後日自分の罪跡を語る有力な証拠品になることを忘れて、そのまま逃走してしまったのです。これというのもみんな、下手人がスメルジャコフでなく、カラマーゾフであったればこそ、そんなことを考えもしなければ、想像もしなかったのであります。まったく、どうしてそんなことが考えていられましょう! 彼は逃げ出した、すると、ふいに自分を追いかけて来る老僕の叫び声を聞きました。老僕が彼を捉えて、引き止めようとしたので、彼は銅の杵で打ち倒しました。被告は惻隠の情に駆られて、老僕のそばへ飛びおりだとのことです。どうでしょう、被告の申し立てによると、その時、彼が飛びおりたのは憐憫と同情のためで、どうかして助けることはできないものかと、それを確かめようとしたとのことです。しかし、その時そんな同情など表していられる場合でしょうか? いや、彼が飛びおりたのは、単に犯罪の唯一の証人が生きているかどうか、それを確かめるためにすぎません。これよりほかの感情も、動機も、この際すべて不自然です! ところが、ここに注意すべきことには、彼はグリゴーリイのために骨を折って、ハンカチでしきりに頭を拭いてやりました。そして、もう死んだということを確信すると、全身血まみれになったまま、茫然自失のていで、また例のところへ、自分の恋人の家へ駈けつけました、――一たい彼はどういうわけで、自分が血まみれになっていることや、すぐ兇行を見抜かれることを考えなかったのでしょう? 被告の申し立てるところによると、自分が血まみれになっていることには、てんで注意をはらわなかったそうであります。それは是認し得ることで、いかにもそうありそうな話です。そういう瞬間、犯罪者にありがちなことです。一方では、実に戦慄すべき悪辣な深慮を示しながら、一方では、大きな手落ちを拵えるものです。彼はそのおり、女はどこにいるだろうと、そればかり考えていたのであります。一刻も早く女のありかを知りたいと思って、女の家へ駈けつけてみると、思いがけなくも、彼女は『もとの恋人』、すなわち『争う余地のない男』と一緒に、モークロエヘ行ったという、驚くべき報知に接したのであります。

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第九 全速力の心理解剖 疾走せるトロイカ 論告の終結[#「第九 全速力の心理解剖 疾走せるトロイカ 論告の終結」は中見出し]
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 イッポリートは神経質な弁論家の好んで用いる、厳密な歴史的叙述法を選んだ。つまり、彼らに自分の奔放な衝動を抑えるために、わざと厳重に作られた枠を求めるのである。彼は自分の論告をここまで進めると、とくにグルーシェンカの『もとの恋人』、すなわち『争う余地のない男』に言及しながら、この問題に対して、一種独得の興味ある思想を述べた。それまでありとあらゆる男に対して、気ちがいじみるほど嫉妬を感じていたカラマーゾフが、この『争う余地のないもとの恋人』にぶっつかると、とつぜん急に意気沮喪し、萎縮してしまった。とくにおかしいのは、この予期しない競争者から起る新しい危険に、以前ほとんどいささかも留意しなかったことである。いつも彼はそれをまだ遠い将来のことと思っていた。カラマーゾフは常に現在のみに生きているからである。彼はその危険を虚構とさえ思っていたらしい。しかしながら、彼はその悩める心に、女がこの新しい競争者を隠して、現に先刻も自分をあざひいたのは、つまりこの新来の競争者が彼女にとって、決して想像でもなければ虚構でもなく、むしろ彼女のすべてであり、この世における一切の希望だからである、こういうことを突如として悟った、――突如としてこれを悟ると、彼はたちまちすべてを断念してしまった。
陪審員諸君、どうも私は、被告の心に起ったこの突然の変化を不問に付することができません。被告はどんなことがあろうとも、こうした心機一転をなし得ない人間のように思われますが、彼の心中には俄然、真実に対する要求と、女性に対する尊敬と、女心の権利に対する承認とが生じたのであります! しかも、それは、――彼女のために父親の血で手を染めた、その瞬間の出来事であります! これは流された血がこの瞬間に、復讐を叫んだものとも言えます。なぜなら、彼は自分の霊と、この世における自分の運命とを滅ぼした瞬間に、知らず識らず次のように自問したのであります、――自分は彼女にとって何であったか? 自分自身の魂以上に愛しているこの婦人にとって、この際[#「この際」に傍点]、自分はどんな意味をもっているか? この『もとの恋人』すなわちかつて見棄てた女のもとへ、ふたたび悔恨の意を表しながら帰って来て、彼女に新しい愛を捧げ、潔白な誓いを立てて幸福な生活の復活を約束しているこの『争う余地のない男』に比較して、自分ははたして何ものであるか? また自分は、不幸なる自分は、いま彼女に何を与え得るか? 何を提供し得るか? カラマーゾフはこれを会得したのです。自分の犯罪が一切の路をふさいでしまった、自分はすでに罰せらるべき罪人であって、生活を許さるべき人間でない、それを悟ったのであります! この自覚は彼を圧倒し、彼を粉砕しました。で、彼はたちまち気ちがいじみたある計画を思いつきました。それはカラマーゾフの性格からいって、恐ろしい境遇からのがれる唯一の、避けがたい解決法と思われたに違いありません。この解決法は自殺であります。彼は官吏ペルホーチンのもとへ入質したピストルを取りに駈けだしました。その途中、彼は走りながら、たったいま父親の血に手を染めて奪った金を、残らずかくしから取り出しました。ああ、この際彼は前よりもっと金が必要だったのであります。カラマーゾフが死のうとしている、カラマーゾフが自殺しようとしているのだ。これは誰でもみんな憶えていなければならない! たしかに彼は詩人でありました! だからこそ、彼は自分の命を、まるで蝋燭のように、両端から燃やしたのであります!『あれのところへ行こう、あれのところへ行こう、――そこで、ああ、そこで、おれは世界じゅうを驚かすような大酒宴をしよう。みなの記憶に残って、永く世の語り草になるような、前古未曾有の大酒宴を開こう。粗い叫び声と、もの狂おしいジプシイの歌と踊りのうちに盃を挙げて、自分の崇拝している女の新しい幸福を祝ってやろう。それから、すぐその場で女の脚下に跪いて、その目の前で頭蓋骨を粉微塵にしよう、自分の命を処刑しよう、あれもいつかは、ミーチャ・カラマーゾフを思い出し、ミーチャが自分を愛していたことを悟って、可哀そうだと思ってくれるだろう?』ここには絵のような美しさと、ロマンチックな興奮と、感傷癖と、カラマーゾフ一流の野性的な向う見ずとがあります。けれど、そこにはまだ別のものがあります。陪審員諸君、何ものかがあります。魂の中で叫び、ひっきりなく心の戸を叩き、死ぬほどに胸を苦しめる何もの[#「何もの」に傍点]かがあります、――この何ものかというのは、――ほかでもない、良心です。陪審員諸君、それは良心の裁判です、それは恐ろしい良心の呵責です! しかし、ピストルはすべてを解決するでしょう、ピストルは唯一の出口です、ほかに救いはありません。そして、あの世では、――私はその瞬間カラマーゾフが『あの世には何があるだろう?』と考えたかどうか、またカラマーゾフハムレットのように、あの世ではどうなるだろう? などと考え得るかどうかわかりません。いや、陪審員諸君、あちらにはハムレットがいますが、こちらにはまだ当分カラマーゾフがあるばかりです!」
 ここでイッポリートは、ミーチャの支度の模様や、ペルチーチンの家や、食料品店や、馭者たちとの交渉や、そういう光景を詳しく展開して見せた。証人に裏書きされたさまざまな言動を引いてきた、――こうして、この絵巻は聴衆の確信に烈しい影響を与えた。とりわけ一同を動かしたのは、事実の重畳であった。この興奮し、夢中になり、おのれを護ろうともしない男の罪は、もはや否定しがたいものになった。
「もう彼は自分を護る必要がなかったのです」とイッポリートは言った。「彼はもう少しで、すっかり白状しようとしたことが、二度も三度もありました。ほとんど自分の罪を仄めかしさえしましたが、全部は最後まで言いきらなかったのです(ここに、証人の陳述があげられた)。彼は途中で馭者を掴まえて、『おい、お前は人殺しを乗せているんだぜ!』と叫んだことさえあります。が、やはり全部言ってしまうわけにはゆきませんでした。彼はまずモークロエ村へ行って、そこでその劇詩を完成しなければならなかったのです。しかし、不幸なるミーチャを待っているものは何であったか? ほかでもありません、モークロエヘ着くやいなや、『争う余地なき』競走者に、案外あらそう余地があって、女は新しい幸福に対する祝辞と祝盃とを、彼から受けることを望まない、そういうことが初めは漠然と、やがて最後にはっきりと、彼にわかったのであります。しかし、陪審員諸君、諸君は予審によってすでに事実をご存じのはずです。競争者に対するカラマーゾフの勝利は、争うべからざるものとなりました、――ここにおいて、ああ、ここにおいて彼の心中には、ぜんぜん新しい局面が開かれたのであります。それは彼の心がそれまでに経験したもの、および将来経験すべきもの一切の中で、最も恐ろしい局面なのでした。陪審員諸君、私は断言しますことイッポリートは叫んだ。「蹂躪せられたる自然性と罪ふかき心とは、地上のいかなる裁きよりも完全に彼に復讐したのであります! のみならず、地上の裁きと刑罰とは、天性の刑罰を軽減するものであって、かかる場合、魂を絶望の淵から救うものとして、犯罪者の心にとって、なくて叶わぬものであります。実際グルーシェンカが彼を愛していて、彼のために『もとの恋人』、すなわち『争う余地ない男』をしりぞけ、『ミーチャ』を新生活にいざなって、彼に幸福を約束していることを知った時、カラマーゾフがどんな恐怖と精神的苦痛を感じたか、想像することもできないくらいであります。なぜなら、それはどういう時でしたろう? それは、彼にとって一切が終りを告げ、一切が不可能となった時なのであります! ついでながら、私は当時における被告の境遇の真髄を説明する上に、最も重大な事実を述べておきます。すなわち、この女は、――彼の愛は、最後の瞬間まで、――捕縛される瞬間まで、彼にとってとうてい達し得られないもの、非常に渇望してはいながらも、捉えることのできないものであったのです。しかし、なぜ、なぜ彼はそのとき自殺しなかったのか? なぜ彼は一ど思い立った計画を放棄したのか? どうして自分のピストルのありかさえ忘れたのか? ほかでもない、愛に対するこの恐ろしい渇望と、その時すぐその場でこの渇望を満足させ得るかもしれないという希望が、彼を押し止めなのであります。彼は酒席の喧騒に逆上しながら、自分とともに祝盃を上げる恋人のそばに、ぴったり寄り添っていました。彼女は今までにないくらい美しい、魅力に充ちた女として、彼の目に映じました。彼は女のそばを離れようともせず、じっとその姿に見惚れて、女の前でとろけんばかりでした。この烈しい渇望は一瞬、捕縛の恐怖ばかりか、良心の呵責までも、圧倒し去ったのであります! しかし、それはほんの一瞬間でした!
「私は犯人のその時の精神状態を、想像することができますが、彼の心は三つの要素に圧倒されて、奴隷のようにすっかり服従していたのです。第一の要素は、泥酔と、逆上と、喧騒と、踊りの足音と、甲高い歌と、酔っぱらって顔を真っ赤にしながら、歌ったり、踊ったり、彼を見て笑ったりしている女でした! 第二は、恐ろしい大団円はまだずっとさきのことだ、少くとも近くはない、――明日の朝あたりやって来て、掴まえるくらいなことだろう。してみると、まだ幾時間かある、それだけの時間があれば十分だ、恐ろしく多すぎるくらいだ。幾時間かあれば、ゆっくり考える余裕がある、とこう彼は思っていたのであります。おそらく彼は、絞首台に連れて行かれる罪人と同じような気持でいたのでしょう。そうした罪人というものは、まだ長い長い街を通って、幾千という見物人のそばを歩き、それから角を曲って、別な通りへ出る、そしてその通りのはずれに恐ろしい広場がある、とこういうふうに考えるであります! 死刑囚は、かの恥ずべき馬車に乗って、行列を始めた時、自分の前にはまだ無限の生命がある、と思うに相違ありません。私はそう想像します。けれども、やがて家々は過ぎ去り、馬車はますます刑場に近づいて行く、――ああ、しかしそれでも彼はまだ驚かない。次の通りへ曲る角まではまだだいぶ遠い。で、彼はやはり元気よく左右を見まわし、自分を見つめている数千人の冷淡な、もの好きな群衆を眺めています。そして、いつまでも、自分だって彼らと同じ人間だ、という気がするのであります。が、とうとう次の通りへ曲る角まで行きます。ああ! それでも、まだ大丈夫、大丈夫まだ長い通りがある。いくら家が過ぎ去っても、彼はやはり『まだまだたくさん家がある』と思っているでしょう。こうして、最後まで、刑場へつくまでつづくのです。思うに、あの時カラマーゾフもそういうふうだったのでしょう。『まだ、その筋の手は廻りゃしまい。まだのがれる道はあるだろう。なあに、まだ弁解の計画を立てる余裕はある。まだ、抗弁の方法を考え出す暇はある。だが、今は、今は、――今はあれがこんなに美しいんだもの!』と思ったに違いありません。むろん、彼の心は混乱と恐怖に満ちていました。しかも、彼はその金の半分を取りのけて、どこかへ隠す余裕はありました、――でないと、たったいま父親の枕の下から取り出して来たばかりの三千ルーブリが、半分どこへ消え失せたか説明できません。彼がモークロエヘ来たのは初めてでなく、もう前にそこで二昼夜も遊んだことがありますから、この古い、大きな木造の家は、納屋から廊下の隅まで、よく知っていたのです。私の想像によれば、その金の一部分は、補縛される少し前に、どこかこの家の中の隙間か、さけ目か、床板の下か、あるいはどこかの隅か、屋根裏にでも隠したのであります、――なぜか? わかりきっています。大詰めの幕がすぐにも迫って来るかもしれないからです。むろん、彼はその大詰めをいかに迎うべきかを考えてもいなかったし、また考える余裕もなかった。それに、頭の中がずきんずきんして、心は絶えず『彼女』のほうへ引き摺られていたのであります。しかし、金は、――金はどんな境遇におちいっても必要なものです。人間は金さえ持っておれば、どこへ行っても人間あつかいされます。諸君はこうした場合、こんな打算をするのを、不自然だと思われるかもしれません? けれど、彼自身主張するところによると、彼は兇行の一カ月まえ、彼にとって最も不安なきわどい時に、三千ルーブリの中から半分だけ分けて、守り袋に縫い込んだとのことではありませんか。それはむろん事実ではありません、そのことは今にすぐ説明しますが、しかしそれにしても、カラマーゾフにとって、そういう考えは珍しくないことであります。のみならず、その後、彼は予審判事に、千五百ルーブリを袋(そんなものはかつて存在しなかったのです)の中へ入れておいたと言いましたが、それはその瞬間とつぜん霊感によって、この守り袋を考え出したのかもしれません。なぜなら、彼はその二時間まえに半分の金を、まさかのとき自分で持っていてはよくないからというので、ちょっと朝まで、モークロエのどこかへ隠しておいたからであります。
陪審員諸君、カラマーゾフは二つの深淵を見ることができる、しかも同時に見ることができる、ということを思い浮べて下さい! われわれはその家を捜索したが、金は見つからなかったのです。その金は今でもまだ、あそこにあるかもしれませんが、あるいは翌日消え失せて、いま被告の手もとにあるかもしれません。とにかく、彼は捕縛されたとき女のそばにいて、その前に跪いていました。女が寝台の上に横になっていると、彼はそのほうへ両手をさし伸べて、一瞬間なにもかもすっかり忘れつくしていたので、警官の近づいて来る物音さえ、耳に入らなかったくらいであります。彼はまだ少しも答弁を考えていませんでした。彼も、彼の知恵も、不用意のうちに捕えられたのです。
「こうして、彼は自分の運命の支配者たる、裁判官の前に立ったのであります。陪審員諸君、われわれは自分の義務を自覚しながらも、罪人の前にいるのが恐ろしくなることがあります、その人間のために恐ろしく思うことがあります! これは、罪人が動物的恐怖を直覚した瞬間であります。すなわち進退きわまったことを感じながらも、なお敵と戦い、かつこれからさきも、あくまで戦おうと思っている瞬間なのであります。あらゆる自己保存の本能が心中に勃発して、彼は自分を救おうとあせりながらも、さし透すような、不審げな、悩ましそうな目つきをして敵を見つめ、その肚の中を見抜こうとして、その顔いろや思想を研究し、敵がどっちから打ち込むか待ち構えながら、自分の動乱した心のうちに、一時に幾千となく計画を作ってみるが、やはり言い出すのが恐ろしい、うっかり口をすべらしたら大へんだ、という時に生ずる感じであります。これは、人間の心が最も卑しむべき姿をしている時で、魂の彷徨であり、自己保存の動物的渇望であって、――実に恐ろしいものであります。時によると、予審判事すら慄然たらしめ、罪人に同情を起させるほどであります。現にその時、われわれはそれを目撃しました。最初、彼は顛倒して、恐ろしさのあまり自分を裏切るようなことを、二こと三こと口走りました。『血だ! 報いがきた!』などと言いましたが、すぐ自分を抑えました。どう言ったものか、何と答えたものか、――彼には一こう準備ができていませんでした。ただ『親父の横死については罪はありません!』という、口さきばかりの否定が準備されているだけ、それが当座の防壁で、その防壁の向うに、彼はまた柵のようなものを作ろうと思ったのであります。彼はわれわれの訊問にさき廻りしながら、急いで最初の自縄自縛の叫びを揉み消そうとしました。つまり、下男グリゴーリイの死にだけは責任がある、と言うのです。『この血を流したのは、私です。だが、親父を殺したのは、誰でしょう。みなさん、誰が殺したのでしょう? もし私でなければ[#「私でなければ」に傍点]誰でしょう?』と。どうでしょう、訊問に行ったわれわれに対して、あべこべにこう反問するじゃありませんか。どうです、彼は『もし私でなければ』などと、さき廻りして口をすべらしています。これは動物的狡知です、これはカラマーゾフ一流の単純と性急です! おれが殺したのじゃない、おれが殺したなんてことは、考えるだけでも承知しないぞ。『私も殺そうとは思いました、みなさん、殺そうと思うには思いました』と急いで彼は白状しました。(彼は急いでいました、ええ、やたらに急いでいました!)『しかし、それでも私に罪はありません。私が殺したのではありません!』彼はわれわれに譲歩して、殺そうと思ったと言いました。つまり、自分はこのとおり真っ正直な人間だから、下手人でないことを信じてもらいたい、こういったような意味なのです。
「実際こういう場合、罪人はどうかするとひどく軽はずみになって、うかうかものを信じることがあるものです。そこを見込んで、裁判官はいかにも何げないていを装って、『じゃ、スメルジャコフが殺したのではないか?』と、とつぜん無邪気な質問を持ちかけました。すると、はたして予期にたがわず、われわれがさき廻りしてふいに急所を押えたので、被告はひどく腹を立てました。彼はまだ十分に準備ができていなかったし、またスメルジャコフを持ち出すのに、最も好都合な時期を掴んでもいなかったのです。彼は例のとおり、たちまち極端に走って、スメルジャコフに殺せるはずはない、あれは人を殺せるような男ではない、と一生懸命に説き始めました。けれど、それを信じてはいけない、それはただ彼の狡知にすぎないのです。彼は決して、スメルジャコフという考えを抛棄したわけじゃありません。それどころか反対に、もう一ど持ち出そうと思っていたのです。つまり、スメルジャコフのほかには、誰も引っぱり出すものがないからです。しかし、今は好機を傷つけられたから、あとでその策をめぐらそう、と考えたのであります。そこで、彼は翌日か、あるいは幾日かたった後に、いい機会を見て自分のほうから、『どうです、私はあなた方より以上にスメルジャコフを弁護したものです、それはご存じでしょう。しかし、今となって、私は彼が殺したのだと確信しました。むろん、あいつでなくてどうしましょう!』とこう叫ぶつもりだったのです。しかし、しばらくの間、彼は暗黒ないらだたしい否定の調子におちいっていましたが、その間に、激昂と憤怒に駆られて、自分は父親の家の窓を覗いたきりで、うやうやしく立ち去ったなどという、実にばかばかしい途方もない弁明をしました。要するに、彼はまだ事情を知らなかったのです。よみがえったグリゴーリイがどんな申し立てをしたか、その程度を知らなかったのであります。やがて、われわれは身体検査に着手しました。それは彼を憤慨させたけれど、また元気を与えもしました。三千ルーブリの金が全部みつからないで、やっと千五百ルーブリだけ発見されたにすぎないからです。もう疑う余地はありません、腹をたてて無言の否定をつづけている間に、彼は初めて、それこそ生れてはじめて、守り袋のことをひょっくり考えついたのであります。ひろん、彼は自分の虚構の不自然を感じて苦心しました。どうかしてもっと自然に見せかけて、もっともらしい一つの小説を組み立てようと苦心しました。この場合、われわれの最も緊急な任務は、――われわれの最も主要な仕事は、被告に答弁の準備をさせないで、稚気と不自然と矛盾に満ちたことを言わせるために、不意打ちを食わせることであります。いかにも偶然らしく突然に、何か新しい事実なり状況なりを告げて、彼に口をすべらせるのが肝腎であります。ただし、その事実は非常に重大な価値を有していて、しかも、それまで被告がまったく予想さえしなかったような、意外なものでなくてはなりません。その事実はすでに準備されていました。そうです、もうとっくから準備されていたのです。それはほかでもありません、例の戸が開いていた、そして被告はそこから逃げ出したのだという、蘇生した下男グリゴーリイの申し立てであります。被告はこの戸のことを、すっかり忘れていたのです。グリゴーリイが戸の開いているのを見ようなどとは、夢にも思わなかったのであります。したがって、その効果は驚くべきものがありました。彼は飛びあがるなり、私たちに向って、『それはスメルジャコフが殺したんです、スメルジャコフです!』と叫びました。こうして、かねて用意していた一ばん大切な奥の手を出したのですが、それは実にお話にならないほど、不合理な形をとって現われたのです。なぜなら、スメルジャコフは彼がグリゴーリイを打ち倒して逃げたあとでなければ、兇行を演じるわけに行かなかったからであります。で、私たちが被告に向って、グリゴーリイは倒れる前に戸の開いているのを見たのだし、また彼が自分の寝室から出た時にも、仕切りの陰でスメルジャコフが唸っているのを耳にしたのだ、とこう言って話して聞かせると、カラマーゾフはぐっと詰ってしまいました。私の同僚で、明敏な頭脳の所有者である、尊敬すべきニコライ・パルフェノヴィッチが、あとで私に話したことですが、彼はその瞬間、涙が出るほど被告を可哀そうに思ったとのことであります。このおり被告は事態を挽回しようと思って、例の喧しい守り袋のことを急いで持ち出しました。じゃ、仕方がない、一つこの小説をお聞き下さい、というわけです!
陪審員諸君、すでに述べましたとおり、一カ月まえに金を守り袋の中に縫い込んだというこの作り話は、単にばかばかしいのみならず、とうていあり得べからざるごまかしだと思います。この際、これ以上ほんとうらしくない説明は、鉦太鼓でも捜し出せやしません。これ以上に不合理なことは、懸賞で捜しても見つかりっこないでしょう。こんな場合、勝ち誇っているこの種の小説家を、罠にかけて取りひしいでしまうのは、まず何よりもデテールであります。実生活が常に豊富に持っているにもかかわらず、これらの意識せざる不幸な作者によって、いつも無意味な必要のない些事として軽蔑され、かつて一度も注意されることのないようなデテールであります。そうです、彼らはその瞬間、そんなデテールなど考えている暇がありません。彼らの頭はただ大きな全体を作り上げるばかりです。そこで、今こんな瑣末な事柄を訊問するとは何だ! という感じをいだくに相違ありません。しかし、そこが彼らの尻尾を押える手なのです! まず被告に向って、あなたはその袋の材料をどこから持って来ましたか、誰にその袋を縫ってもらいましたか、とこう訊きます。自分で縫いました、と被告は答えます。『では、きれはどこから持ってきたのです?』すると、被告はもう腹をたてて、そんなつまらない事柄を訊くのは、自分を侮辱するようなものだと言います。しかも、それが本気なのです、まったく本気なのです! しかし、彼らはみんなそんなふうなのであります。自分のシャツを引きちぎったのです、と被告は答えます。『なるほど、では、あなたの洗濯物のなかに、その引き裂いたシャツがあるかどうか捜してみましょう。』どうでしょう、陪審員諸君、もし実際そのシャツが捜し出せたなら(もしそのシャツが実際あるものとすれば、どうしたって被告の鞄の中か、手箱の中になければならぬはずですから)、それはすでに一つの事実です、彼の申し立てを裏書きする有力な事実であります。けれど、彼はそういうことを落ちついて考えられないのです、――私はよく覚えていませんが、たぶんシャツから取ったのじゃなくて、かみさんのナイト・キャップで縫ったかもしれません、とこう言います。――どんなナイト・キャップです? ――私がかみさんのとこから取って来たのです。かみさんのとこにごろごろしていたのです、古いぼろきれです。――では、あなたは確かにそう記憶しているのですね? ――いや、しかとは記憶していません……人間にとって、むやみに怒るのです。しかし、考えてごらんなさい、そんなことが憶えていられないはずはないじゃありませんか!………人間にとって最も恐ろしい瞬間、例えば刑場へ引かれて行く時などには、かえってこうした些細な事柄を思い出すものです。何もかも忘れていたものが、途中でちらりと目に映じた緑いろの屋根とか、あるいは十宇架にとまっている臼嘴鴉とか、そういうものをむしろ思い出すのであります、実際、彼はその守り袋を縫う時、人目を避けたに相違ありません。針を手にしながら、自分の部屋へ誰か入って来はしないか、誰かに見つけられはしないかと、恐怖のためにあさましい苦心をしたことを、記憶していなければならないはずです、――ちょっと戸をたたく音がしても、すぐ飛びあがって、衝立ての陰へ駈け込んだに違いありません(彼の部屋には衝立てがありました)……
「しかし、陪審員諸君、私は何のためにこんなことを、こんなこまごましい事実を諸君に述べているのでしょう!」イッポリートは、突然こう叫んだ。「ほかでもない、被告が今にいたるまで、このばかばかしい虚構を、頑強に固守しているからであります! 彼にとって宿命的なあの夜以来、まる二カ月の間というもの、被告は何一つ闡明しようとしません。まるで夢のような以前の申し立てを説明するような現実的状況は、一つとしてつけ加えられないのであります。そんなことは些細なことです、あなた方は名誉にかけて、私の言うことを信頼なさるがいい、とこう彼は申します! ああ、それを信ずることができたら、私たちはどんなに嬉しいでしょう。まったく名誉にかけてでも信じたいと渇望しています! 実際、われわれは人間の血に渇した豺狼ではありません。どうか被告の利益になるような事実を、一つでもいいから挙げて下さい、そうしたら、われわれはどんなに喜ぶでしょう。だが、それは五官に感じ得る現実的の事実でなくては駄目です。肉身の弟の主張する被告の表情からきた結論や、また被告が闇の中で自分の胸を打ったのは、必ず守り袋をさしたに相違ない、というような申し立てでは困ります。われわれは新しい事実を喜びます。そして、何人よりもさきに自分の主張を撤回します、すぐにも撤回します。しかし、今は正義が絶叫していますから、われわれはどこまでも以前の説を主張しなければなりません、いささかなりとも撤回することはできません。」
 こう言って、イッポリートは結論に移った。彼は熱病にでもかかったように、流された血のために、――『下劣な掠奪の目的をもって』わが子に殺された父親の血のために絶叫したのである。彼はさまざまな事実の悲惨にして明白な累積を熱心に指摘した。
「諸君は、才幹あり名誉ある弁護士の口から何を聞かれようとも(イッポリートは我慢しきれなかったのである)、また、諸君の心を震撼するような感動に充ちた雄弁が、どれほど彼の口からほとばしり出ようとも、諸君はこの場合、彼が神聖なる正義の法廷にあることを記憶せられたいのであります。諸君はわれわれの正義の擁護者であり、わが神聖なるロシヤと、その基礎と、その家族制度と、その聖なるものとの擁護者であることを、深く記憶せられたいのであります! そうです、諸君は今ここに全ロシヤを代表しておられるので、諸君の判決はただにこの法廷のみならず、全ロシヤに響き渡るのであります。そして全ロシヤはおのれの擁護者、おのれの裁判官として諸君の判決を聞き、それによって励まされもすれば、また失望もするでありましょう。願わくば、ロシヤとその期待に添われんことを。わが運命のトロイカは、あるいは滅亡に向って突進しないものでもありません。すでに久しい以前から全ロシヤの人々は、双手を伸べて叫びながら、狂気のごとく傍若無人な疾走を止めようとしています。よしんば他の国民が、そのまっしぐらに走るトロイカを避けるとしても、それは詩人が望んだように敬意のためではなくして、単に恐怖のためであります、――これはとくにご注意願います。あるいは恐怖のためではなくて、嫌悪の念からかもしれません。まだ人が避けてくれる間は結構ですが、あるいは他日、ふいに避けることをやめるかもしれません。自己を救うために、開化と文明のために、狂暴に疾走する幻の前に頑強な墻壁となってそそり立ち、わが狂おしい放縦な疾走を止めるかもしれません! われわれはこの不安な声をすでにヨーロッパから聞きました。その声はすでに響き始めたのであります。諸君、願わくば、息子の実父殺しを是認するがごとき判