『ドストエーフスキイ全集 第12巻 カラマーゾフの兄弟上』(1959年、米川正夫訳、河出書房新社)P003-P047

カラマーゾフの兄弟
フョードル・ミハイロヴィッチドストエフスキー
米川正夫

                                                                                                            • -

【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)筆者《わたし》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)|解放《エマンシペーション》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数)
(例)※[#「火+欣」

〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)〔Plus de nolbesse que de since'rite'〕
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
https://www.aozora.gr.jp/accent_separation.html

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[#4字下げ]アンナ・グリゴーリエヴナ・ドストエーフスカヤに捧ぐ


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誠に実に爾曹に告げん、一粒
の麦もし地に落ちて死なず
ば唯一つにてあらん。もし
死なば多くの実を結ぶべし
      (ヨハネ伝第十二章二十四節)
[#ここで字下げ終わり]


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[#1字下げ]著者より[#「著者より」は大見出し]

 余は自分の主人公アレクセイ・フョードロヴィッチ・カラマーゾフの伝記に着手するに当って、一種の疑惑に陥っている。ほかでもない、余はアレクセイを自分の主人公と呼んでいるけれど、彼が決して偉大な人物でないことは、自分でよく承知している。したがって、『あなたがアレクセイを主人公に選んだのは、何か豪いところがあるからですか? 誰に何で知られているのですか? 一たい、この男はどんなことをしたのです? どういうわけでわれわれ読者はこの男の事蹟の研究に、暇をつぶさなければならないのです?』といったふうの質問の避くべからざることを予見している。
 なかでも、最後の質問は最も致命的なものである。何となれば、これに対してはただ『ご自分で小説を読んでご覧になったらわかるでしょう』と答えるほかないからである。ところで、もし小説を通読した後も、わがアレクセイの優れた点を認めることができない、断じて不同意だ、と言われたらどうしよう? 悲しいかな、これが今から見えすいているので、こんなことを言うのである。余にとっては確かに優れた人物であるが、はたしてこれを読者に証明することができるかどうか、それがきわめて怪しいのである。つまり彼は事業家であるけれど、曖昧ではっきりしない事業家なのである。もっとも今のような時代に明瞭を要求するのは、かえって奇怪な沙汰かもしれない。ただ一つ、ほぼ確実らしく思われるのは、彼が奇妙な、むしろ変人とも名づくべき男だということである。しかし、奇妙なことや偏屈なことは、注目の権利を与えるより、むしろ傷つける場合のほうが多い。ことに現代のごとくすべての人が、部分を統一して、世間全体の混沌の中に、普遍的意義を発見しようと努めている時代にはなおさらである。そうではないか?
 ところが、もし読者がこの最後の命題に同意しないで、『そうではない』とか、『いつもそうとかぎらない』と答えるならば、おそらく余も自分の主人公アレクセイの価値について、大いに心丈夫に感じることと思われる。何となれば、変人はいつも部分もしくは特殊にかぎらないのみか、かえって変人こそ全体の核心を包蔵して、その他の同時代の人間は何かの風の吹き廻しで、一時変人から離れたものにすぎない、というような場合がしばしばだからである……
 もっとも、余はこんな面白くもない漠然とした説明を述べ立てないで、前置きぬきでいきなり本文に取りかかってもよかったのである。もし気に入ったら、みんな読んでくれるに相違ない。ところが困ったことに、伝記は一つなのに、小説は二つに分れるのである。しかも、重要な部分は、第二の小説に属している――これはわが主人公の現代における活動なのである。今われわれが経験しつつある時代における活動なのである。第一の小説は十三年も前の出来事で、小説というよりも、むしろわが主人公の生涯における一瞬間にすぎない。けれど、この小説を抜きにするわけにはゆかない、そうすると、第二の小説中でわからないところがたくさんできるからである。こういうわけで、余の最初の困難はますます度を強められる。もし伝記者たる余自身が、こんなつつましやかな、とりとめのない主人公のためには、一部の小説だけでも余計なくらいだと考えるならば、二部に仕立てたらどんなものになるだろう? そして、余のこうした生意気な試みを何と説明したらいいだろう?
 余はこれらの問題を解決しようとして、なすところを知らなかったので、ついにあらゆる解決を避けてしまうことに決心した。もちろん、慧眼なる読者は、『最初からこんなことを言いそうだった』ととっくに見抜いてしまって、何だってこんな役にも立たない文句を並べて、貴重なる時間を浪費するのだろう? といまいましく思われるに相違ない。しかし、これに対して余は正確にこう答えるであろう。余が役にも立たない言葉を並べて、貴重なる時間を浪費したのは、第一に礼儀のためであるし、第二には、『何といっても、あらかじめ読者に或る観念を注入することができる』というずるい考えなのである。
 もっとも、余は自分の小説が『本質的統一を保ちながら』自然と二つの物語に分たれたのを、かえって悦んでいる。第一の小説を読了した読者は、もう自分の考えで第二の小説に取りかかる価値があるかないかを、決定されるであろう。もちろん、誰とて何らの束縛を有しているわけでもないから、最初の物語の二ページあたりから、もう永久に開けて見ないつもりで本を投じてもかまわない。しかし、中には公平なる判断を誤らないために、ぜひ終りまで読んでしまいたいという優しい読者もある。例えば、すべてのロシヤの批評家のごときそれである。こういう人々に対しては、何といっても心が平らかになる。とはいえ、これらの人々の厳正かつ忠実なる態度にもかかわらず、余はこの小説の第一挿話の辺で、書物を投げ出すことのできるように、もっとも正当なる口実を提供しておく。序言はこれでおしまいだ。余はこれが全然余計なものだということに同意するけれど、もう書いたものであるからそのままにしておく。
 さてこれから本文に取りかからねばならぬ。
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[#1字下げ]第一篇 ある一家族の歴史[#「第一篇 ある一家族の歴史」は大見出し]



[#3字下げ]第一 フョードル・カラマーゾフ[#「第一 フョードル・カラマーゾフ」は中見出し]

 アレクセイ・カラマーゾフは、本郡の地主フョードル・パーヴロヴィッチ・カラマーゾフの三番目の息子である。このフョードルは、今から十三年前に奇怪な悲劇的な死を遂げたため、一時(いや、今でもやはり町でときどき噂が出る)なかなか有名な男であった。しかし、この事件は順序を追ってあとで話すこととして、今は単にこの『地主』が(この地方では彼のことをこう呼んでいた。そのくせ、一生涯ほとんど自分の領地で暮したことはないのだ)、かなりちょいちょい見受けることもあるけれど、ずいぶん風変りなタイプの人間である、というだけにとどめておこう。つまり、ただやくざで放埒なばかりでなく、それと同時にわけのわからないタイプの人間なのである。とはいえ、同じわけのわからない人間の中でも、自分の領地に関するこまごました事務を、巧みに処理してゆく才能を持った仲間なのである。しかし、それよりほかに芸はないらしい。実例について言うと、フョードルはほとんど無一物で世間へ乗り出した――地主といってもごくごく小さなものなので、よその食事によばれたり、居候に転り込む折を狙ったりばかりしていたが、死んだ時には現金十万ルーブリから遺していた。それでも彼は依然として一生涯、全郡を通じてのわからずやの一人で押し通してしまった。繰り返していうが、決して馬鹿という意味ではない。かえって、こういうわからずやの大多数は、かなり利口で狡猾である。つまり『わけがわからない』のである。しかも、そこには何となく独得な国民的なところさえ窺われる。
 彼は二度結婚して三人の子を持った――長男のドミートリイは先妻、後の二人すなわちイヴァンとアレクセイとは後妻の腹にできた。フョードルの先妻はやはり本郡の地主でミウーソフという、ずいぶん富裕な門閥の家に生れた。持参金つきでしかも美人で、おまけにはきはきした利口な令嬢が(こんな種類の娘は現代のわが国では少しも珍しくないが、前世紀においてもそろそろ頭を持ちあげ始めていた)、どうしてあんなやくざな『のらくら者』――これが当時の定評だったので――と結婚するようなことができたか、この疑問はあまり深く説明しないこととする。筆者《わたし》は前世紀の『ロマン的な』時代に生れた、ある一人の娘を知っている。この娘は幾年かの間、一人の男に謎のような恋を捧げていたが、いつでも平穏無事に華燭の典を挙げることができるのに、結局自分で打ち勝ち難い障害を考え出して、ある嵐の夜、巖壁《きし》らしい感じのする高い岸から、かなり深い急流に身を投じて死んでしまった。それは全く自分の気まぐれから出たことで、ただただ沙翁のオフェリヤに似たいがためなのであった。もし彼女が久しい以前から目をつけて惚れ込んでいたこの巌壁《きし》が、それほど絵のように美しくなく、その代りに平凡な平ったい岸であったなら、自殺などはてんで起らなくてすんだかもしれない。これは正真正銘の事実である。そしてわがロシヤの国民生活において最近二三代の間にこれと同じような、もしくはこれと性質をひとしくした事実が、少からず生じたことと考えなければならない。これと同じく、アデライーダ・イヴァーノヴナ・ミウーソヴァの行動は、疑いもなく他人の影響の反映であり、擒われたる思想の※[#「火+欣」、第 3水準 1-87-48]衝なのである。おそらく彼女は女子の独立を宣言して、社会の約束や親戚家族の圧制などに、反対して進みたかったのであろう。ところで忠義しごくな想像力のおかげで、フョードルは位こそ居候であるけれど、向上の機運に向える過渡期の特色たる、勇敢にして冷笑的な人間の一人であると、ほんの一瞬間だけでも確信してしまったのかもしれない。その実、彼は意地悪の道化以外の何ものでもなかったのである。なおその上ふるっているのは、駆落ちという手段を弄したことである。これがすっかりアデライーダのお気に召したのだ。またフョードルもその当時自分の社会上の位置から言って、こんなきわどい手段くらい、かえってこちらから用意して待っていたほどである。なぜといって、方法なんかにおかまいはない。ただ自分の出世の道を開きたくてたまらなかったからである。名門に取り入って持参金をせしめるのは、はなはだ悪くないことであった。互いの愛などというものはぜんぜんなかったらしい。女のほうにもなかったし、フョードルのほうでも、アデライーダの美貌にもかかわらず、こんな感情を持ち合せていなかった。そういうわけで、女のほうからちょっと色目を使えば、それが誰であろうと、すぐべたべたとくっつくような、淫乱無比の男で死ぬまで押し通したフョードルにとっては、これこそ一生涯たった一つの特殊な場合であった。このアデライーダばかりは情欲の点から言って、彼に格別の印象を与えなかったのである。
 アデライーダは駆落ちの後、自分が夫を軽蔑しているのみで、そのほかに何の感情もないということを、すぐさま悟ってしまった。こういう有様で、結婚の結果はみるみる暴露されていった。うちのほうではずいぶん早くこの事件に諦めをつけて、出奔した娘に持参金を分けてやったにもかかわらず、夫婦の間には恐ろしい乱脈な生活と、たえまのない喧嘩が始まった。人の話では、その際アデライーダのほうが夫よりも比較にならぬほど上品な、いさぎよい行動をとったとのことである。フョードルは妻が金を受け取るやいなや、その時さっそく二万五千ルーブリからの額《たか》をすっかりごまかしてしまった。これは今よく世間に知れ渡っている。だから女のほうではこれだけの金を、まるで、水の中へ抛ってしまったようなものである。それから、ちょっとした村とかなり立派な町の家屋が、同様アデライーダの持参金の中に入っていた。それをも彼は何か証書を作って自分の名義に書き換えようと、長いあいだ一生懸命にもがいたのである。実際、彼はたえまのない無恥な哀願や強請で、妻の心に軽蔑と嫌悪の念を呼びさましたので、彼女のほうが根負《こんま》けして、ただもううるさくつき纏う夫を振り放しさえすればという気になる、それ一つだけで、十分たしかに、彼は自分の目的を達するはずであった。しかし、いいあんばいに里方が干渉して、この強奪を抑えた。夫婦の間にしょっちゅう掴み合いがあったのは確かな話であるが、言い伝えによると、ぶったのはフョードルでなくて、アデライーダのほうだということである。彼女は顔色の浅黒い、癇癖の強い、大胆な、気短かな婦人で、並みはずれた腕力を授っていた。ついに彼女は三つになるミーチャ([#割り注]ドミートリイ[#割り注終わり])を夫の手に残して、貧苦のためすたれ者になろうとしている、ある神学校出の教員と駈落ちして、家を棄ててしまったのである。
 フョードルはたちまち自分の家を女郎屋のようにしてしまって、淫酒に沈湎した。そして、そのあいまあいまにはほとんど県下一帯を廻らないばかりの勢いで、手当り次第の人を掴まえては、自分を棄てたアデライーダのことを涙ながらに訴えるのであった。しかもその上、夫として口にするのも恥しいような、結婚生活の詳細を、平気で伝えていた。おもな原因は、こうして皆の前で辱しめられた夫という滑稽な役廻りを演じながら、いろんな色どりまでしておのれの恥をことこまかに描いて見せるのが、彼にとって愉快なばかりでなく、自慢なことかなんぞのように思われたらしい。
『ねえ、フョードル・パーヴロヴィッチ、あんたがそうした位を授ったことを思えば、辛いには辛いだろうけれど、ご満足でしょうね』と口の悪い連中が言った。そればかりか、おまけに多くの人の言うところでは、彼はときどき道化者の面目を新たにして人前へ出るのがさも嬉しそうで、その効果を強めるために、わざと自分の滑稽な立場に気のつかないようなふりをした。もっとも、それは彼の一面を現わしているナイーヴな行為だったかもしれない。
 とうとう彼は出奔した妻の行方をつきとめた。彼女はかの教員とともに流れ流れてペテルブルグに落ちついて、放埒至極な『|解放《エマンシペーション》』に耽溺していた。フョードルは急に騒ぎだして、自分でペテルブルグへ出かける準備をした、――何のためかということは、むろん、自分でもわからなかったが、実際そのとき本当に出かけかねまじい勢いであった。しかし、この決心を採ったとき、彼は元気をつけるため旅行前に、一つ思い切って浮れるのが当然の権利だ、とすぐに考えついた。ところがちょうどこの時、妻がペテルブルグで死んだという通知が、里の方へ届いたのである。彼女は何だか急にどこかの屋根裏の部屋で死んだらしい。一説にはチフスだというが、また一説には餓死だとも言っている。フョードルは酔っ払っている最中に妻の死を聞くと、いきなり往来へ駆け出して、両手を空へさし上げながら嬉しさのあまり、『今こそ放たれぬ』と叫んだという話もあるが、また一説には、小さな子供のようにしゃくり上げて泣く様子が、たまらない厭な奴ではあるけれど、見ているのも可哀そうなくらいであった、と伝えている。おそらく両方とも本当なのであろう。つまり解放を悦ぶと同時に、解放してくれた妻を傷んで泣く、この二つがごっちゃになったのであろう。多くの場合、人間というものは(悪人でさえ)、われわれが概括的に批評を下すよりも、ずっと無邪気で単純な心を持っている。われわれ自身だってそうなのである。

[#3字下げ]第二 厄介ばらい[#「第二 厄介ばらい」は中見出し]

 もちろん、こんな男が父として養育者としてどんなふうであったかは、たやすく想像できよう。父としての彼は、彼が当然しそうなことをしたまでである。つまりアデライーダとの間に儲けた自分の子を、ぜんぜん放擲してしまったのである。しかし、それは子供に対する憎悪のためでもなければ、侮辱された夫としての感情から出たことでもない。ただ子供のことをすっかり忘れてしまったからにすぎない。彼が涙と訴えとで皆の者にうるさくつき纒ったり、自分の家を淫蕩の洞穴《ほらあな》にしたりしている間に、三つになるミーチャの世話を引き受けたのは、この家の忠僕グリゴーリイであった。もし当時この男が子供のことを心配しなかったら、肌衣をかえてやる者さえなかったかもしれない。その上、子供の母方の実家《さと》でも初めのうち彼のことを忘れたような工合になってしまった。祖父ミウーソフ氏、すなわちアデライーダの父は当時もうこの世にいなかったし、その未亡人つまりミーチャの祖母はモスクワへ越して行って、重い病気にかかったし、姉妹《きょうだい》はみんな嫁入りしてしまったので、ミーチャはまる一年グリゴーリイの手もとにあって、下男部屋で暮さねばならぬこととなった。もし父親が彼のことを思い出したとしても(また実際フョードルもこの子の存在を知らないわけにはいかない)、自分でまたもとの下男部屋へ追いやったに相違ない。何といっても、子供は自分の放埒の邪魔になるからであった。
 ところが、突然つぎのような事件が起った。アデライーダの従兄でピョートル・アレクサンドロヴィッチ・ミウーソフという人がパリから帰って来たのである。この人はその後、長年ぶっ通しに外国で暮しつづけたくらいで、当時まだ非常に若かったけれど、ミウーソフ一族の中でも一風変って、非常に開けた都会的な、外国的な人で、後には一生を終るまでヨーロッパ人になりすましたのみか、晩年には四五十年代([#割り注]一八四〇年および五〇年を言う[#割り注終わり])の自由主義者の仲間に入った。自分の活動の全時期を通じて、彼は同時代における内外の最も過激な自由主義者と交遊を結び、プルードンバクーニンも個人的に知っていた。もはや漂泊生活も終りに近づいた頃、彼は四十八年のパリ二月革命の三日間を好んで話すようになった。そして自分も市街防塞《バリカード》の実戦者であったと言わないばかりほのめかした。これが、彼の青年時代におけるもっとも楽しい追憶の一つである。彼は以前の標準で言えば、千人近くの農奴に相当する独立した財産を持っていた。その立派な領地はこの町のすぐ出口にあって、土地の有名な僧院の地所と境を接している。まだずっと若い時、遺産を相続するが早いか、よくは知らないが、なにか川の漁猟権とか森の伐木権とかのために、この僧院を相手にはてしのない訴訟を起した。彼は『坊主ども』を相手どって訴訟を起すのを、公民としてまた文明人としての義務だと思っていたのである。
 自分がよく覚えているばかりでなく、かつて心に留めたことのあるアデライーダの顛末を聞き、またミーチャという子の残っていることを知って、彼はフョードルに対して青年らしい憤怒と侮辱とを感じたにもかかわらず、この事件にかかり合うことにしたのである。この際、彼ははじめてフョードルを識った。そしていきなり、子供の養育を引き受けたいと切り出したのである。彼がフョードルにミーチャのことを言い出した時、こちらはしばらくの間、一体ぜんたいどんな子供のことを話しているのか、一向合点がいかないようなふうをしたが、やがて自分の家のどこかに小さな子供がいたっけ、と驚いたような顔つきをして見せた、――これはミウーソフがフョードルの特質を示す好資料と言わんばかりに、その後長いあいだ人に話して聞かせたことである。よし彼の話に誇張があるとしても、それでもやはり真に近い何ものかがあるに相違ない。実際フョードルは自分の一生涯、何か人をびっくりさせるような芝居が打ちたくてたまらなかったので、べつにさしたる必要がないどころか、この場合のように、みすみす自分のふためになることさえいとわないのであった。もっとも、こうした傾向はただにフョードルのみならず多くの人、時には利口な人にさえありがちなものである。
 ミウーソフは熱心に事件を運んで、フョードルとともに子供の後見人にまでなってやった。何といっても、母の残した小さな領地や家作などがあったからである。こうして、ミーチャはこの従兄《いとこ》ちがいのところへ移ったが、この人には、家族というものがなくって、領地から入る金の受け取り方を安全に処理すると、すぐまた長い逗留にパリヘ急いだので、子供はこの人の従姉ちがい、モスクワに住むある夫人に託された。ところが、パリに住み馴れているうち、ミウーソフはこの子のことを忘れてしまった。その間に彼の想像に強烈な印象を与えて、それこそ一生忘れることのできなくなった、例の二月革命が起ったのである。モスクワの夫人もそのうちに亡くなって、ミーチャはよそへ縁づいた夫人の娘のところへ移った。その後彼は、もう一度、四度目に自分の巣を変えたように覚えているが、筆者《わたし》は今そのことをくどくど述べ立てるのをよそう。さなくとも、このフョードルの長男については、まだまだたくさん話さなくてはならないのだから、今は、この小説を始めるのになくてかなわぬ、ごく重要な事実を挙げるにとどめておこう。
 第一に、このドミートリイは三人息子の中でたった一人だけ、自分は何といってもそくばくの財産を持っているから、丁年に達したら独立できるという信念を抱いて成長したのである。少年期青年期はてんやわんやのうちに流れ去った。中学校を卒業しないである陸軍の学校へ入り、後にコーカサスへ行って任官したが、決闘したために奪官され、その後また復官した。したたか放蕩して比較的多額の金を浪費した。金をフョードルから仕送ってもらうようになったのは、丁年に達してからであるが、それまでにうんと借財をしていた。フョードルを、自分の父を初めて見知ったのは、すでに丁年に達した後で、自分の財産のことを相談するために、わざわざ当地へやって来たときのことである。その時、彼は自分の父が気にくわなかったらしく、あまり長く滞在しないで、大急ぎで発ってしまった。ただいくらかの金をもらって、このさき領地から入る金を受け取る方法について、ちょっと父に交渉しただけである。そのとき彼は、自分の領地の収入額も価格も、父から聞かないじまいだった(これは注意を要する事実である)。
 フョードルはそのとき一度会ったきりで、ミーチャが自分の財産について、誇張した不正確な考えを抱いているのを見てとった(これも記憶すべきことである)。彼は特殊な目算を持っているので、この事実にすこぶる満足した。彼の断定に従えば、この青年はただ軽率で、乱暴で、情欲の強い、気短かな放蕩者にすぎないのであった。だからちょっと一時少しばかり握ったら、むろんしばらくの間ではあるが、すぐおとなしくなってしまう。この観察を応用して、彼はときどきほんの申しわけばかりの送金で一時を糊塗していた。が、ついに四年の後ミーチャは堪忍袋の緒を切らして、綺麗さっぱりと父親との交渉を片づけるために、ふたたびこの町へ帰って来た。ところが、驚いたことには、自分は少しの財産も持っていない、今では勘定するのもむずかしいけれど、自分の財産の全価格を金に換えて、もうフョードルからすっかり引き出してしまったので、かえって父に負債があるくらいだということがわかったのである。これこれの時に、彼自身の希望で取り結んだこれこれの約束によって、彼はもはや何にも要求する権利がない、云々とのことであった。
 青年は呆れはてて、嘘ではないか、ぺてんではないかという疑いを起した。そしてほとんど夢中になって、気でも違ったようなふうになってしまった。この事情こそ筆者《わたし》の第一部作――序詞的小説の主題、というより、その外的方面を形成すべきカタストロフの導火線となったのである。しかし、この小説に取りかかる前にまだフョードルの次の子――ミーチャの二人の弟について、少し話しておかねばならぬ。そして彼らが、どこから出て来たか、ということも説明する必要がある。

[#3字下げ]第三 第二の妻とその子[#「第三 第二の妻とその子」は中見出し]

 フョードルは四つになるミーチャを片づけてから、間もなく二度目の結婚をした。この再婚生活は八年つづいた。彼がこの二度目の妻(やはり非常に若いソフィヤ・イヴァーノヴナという婦人である)を得たのは、彼が何とかいうジュウと同道で、あるやくざな請負仕事のために他県へ赴いたときである。フョードルは放蕩者で淫乱者ではあったものの、自分の資本の運用は決して怠らなかった。そしていつも少々やり方は汚いけれど、巧みにこまごました事務を処理するのであった。ソフィヤはさる貧しい助祭の娘であったが、幼い時から身寄りのない孤児の境遇に落ちて、恩人であり養育者でありながら、同時に迫害者でもある、有名なヴォロホフ将軍の老未亡人の富裕な家で成長した。くわしいことは知らないが、何でもある時このつつましい悪気のない無口な娘が、自分で物置きの釘に繩をかけて、首を吊ろうとしたところを助けおろされた、とかいう話を聞いた。それほど彼女は、老夫人のたえまのない小言や気まぐれにたえてゆくのが辛かったのである。しかも、老夫人は見かけこそ意地わるそうであるが、実際はただ無為な生活のために気短かになった、頑固屋にすぎなかったのである。
 フョードルがこの少女に求婚したとき、家でいろいろ取り調べをした結果、彼を追っ払ってしまった。すると、彼は初婚の時と同じように、またしてもこの少女に駆落ちをすすめた。もし彼女が前からフョードルのことをもっと詳しく聞き込んだなら、この男と結婚する気にはならなかったに相違ない。ところが、何といっても話が他県のことである上に、恩人の家にいるより川にでも飛び込んだほうがましだと思いつめている十七の少女に、世間のことのわかろうはずがない。哀れな少女は、ただ恩人を女から男に換えただけである。しかし今度こそフョードルは一文も取れなかった。将軍夫人がひどく怒って何一つくれなかったばかりか、二人の者を呪ったくらいである。もっとも、今度は彼もそんなことは当《あて》にしなかった。ただ無垢な少女の水際だった美貌に迷ったのである。つまり大事なのは、今までみだらな女の色のみをもてあそんでいた淫奔な好色漢が、彼女の無邪気な容貌に魅せられたという点である。『わしはその時あの罪のない目つきを見ると、ちょうど剃刀で胸をぷすりとやられたような気がしたよ』と彼は後で持ちまえのいやらしい、思い出し笑いをしながら話すのであった。もっとも好色漢にとっては、これもやはり単なる色情の迷いであったかもしれない。
 しかし何の儲けにもならなかった二度目の妻に対して、フョードルは一さい遠慮会釈をしなかった。そればかりか、彼女が何か夫に対して、『悪いことでもしたような』気持でいるのにつけこんで、――まるで夫が自分を首吊り繩からおろしてくれたかなんぞのように、口もろくろくきけず、不思議なほど小さくなっているのにつけこんで、彼はごくごく世間並みな夫婦間の礼儀さえも、土足にかけて踏みにじった。よく妻の控えている家の中へ性わるな女どもが集って、飲めや唄えの大乱痴気が始まった。ここに特殊な点として、一つ紹介すべきことがある。ほかでもない、かのグリゴーリイという陰気で愚直な、しかも頑固な理屈屋の下男である。彼は前妻のアデライーダを憎んでいたけれど、今度は妙に新奥様の肩を持って、下男としてあるまじき言葉を使って、フョードルと喧嘩までしながら彼女をかばうのであった。一度なぞは、家へ集って騒いでいる売女《ばいた》どもを、腕ずくで追い散らしたことさえある。
 その後、幼い頃からいじめられてばかりいた、この不仕合せな若い婦人は、一種の婦人神経病ともいうべきものにかかった。それは田舎の農婦などにもっとも多く見受ける病気で、こうした病人を|憑れた女《クリクーシカ》と呼んでいる。恐ろしいヒステリイの発作を伴なうこの病気のために、彼女は理性すら失うことがままあった。とはいえ、彼女はフョードルとの中に、イヴァンとアレクセイの二人の子を儲けた。上の方は結婚の当年、下の方は三年たってからである。彼女が亡くなったとき、アレクセイは四つの子供であったが、一生涯母を憶えていた。奇妙なことではあるが、筆者《わたし》は確かに知っている。もっとも、それはもちろん、夢のような工合だったのである。母の死後二人の子供は、長男のミーチャとほとんど一分一厘の相違もない運命に陥った。すなわち二人はまったく父に忘れられ捨てられて、またもや同じグリゴーリイの手にかかり、同じ下男小屋に移されたのである。二人の母の恩人であり養育者である頑固屋の将軍夫人が、彼らを初めて見たのもこの下男小屋であった。夫人はまだ生きていたが、八年のあいだ始終自分の受けた侮蔑を忘れることができなかった。『自分のソフィヤ』の平生について、夫人は人知れず正確この上ない情報を手に入れて、二度も三度も口に出して居候の女たちにこう言ったものである。『これがあれに相当している。神様があれの恩知らずの仕打ちに罰をお当てなされたのだ。』
 ソフィヤの死後ちょうど三月たったとき、将軍夫人は突然みずからこの町に姿を現わして、まっすぐにフョードルの家へ赴いた。夫人がこの町にいたのは僅か三十分であったが、その仕事は大したものである。それは、夕景のことであった。八年間会わずにいたフョードルが、ぐでんぐでんの姿で夫人の前へ出たとき、夫人は何一つ口をきかないで、その顔を見るやいなや、いきなり大分ききめのある音のいいやつを頬っぺたにくらわしたうえ、髪の毛を掴まえて、上から下へ三度ばかり引きむしった。それから一口もものを言わないで、二人の子供のいる下男小屋へ赴いた。彼らが湯も使っていない上に、汚れ腐ったシャツを着ているのを一目で見てとると、夫人はまたいきなりグリゴーリイの頬げたにも一つくらわして、子供は二人とも自分の家へ連れてゆくと宣告した。そして二人を着のみ着のままで膝かけにくるみ、馬車に乗せて自分の町へ連れて帰った。グリゴーリイは信服しきった奴隷のように、この暴虐を忍んで、乱暴な言葉一つ吐かなかった。そして老夫人を馬車まで見送ったとき、腰を屈めながら、『みなしごたちに代って神様があなたにお礼をして下さりましょう』と仔細らしい調子で言った。『何といったってお前は阿呆だよ!』夫人は行きしなにこう叫んだ。フョードルは事件ぜんたいを照り合せて考えた後、なかなか結構なことだと思ったので、将軍夫人の手もとで子供を養育する件に関してその後正式の承諾を与えた際にも、一カ条として異議をとなえようとしなかった。そして例の平手打ちの一件は、自分から出かけて町じゅうへふれ廻ったものである。
 ところが、この将軍夫人もその後間もなく死んでしまった。しかし、遺言状に二人の子供の教育費として、一人前千ルーブリずつ与える旨を書き入れた。『ただし、二人が丁年に達するまで十分なように使うこと。なぜと申すにこんなわっぱどもには、これだけの贈物でも多過ぎるゆえ。ただし、どなた様でも篤志の人は、ご勝手に財布の紐をお解きなされてもさしつかえこれなきこと、云々』筆者《わたし》はこの遺言状を自分で読まなかったけれど、何でもこうしたふうに奇態な、一流変った書き方がしてあったとかいう話である。老夫人の主なる相続者はエフィーム・ペトローヴィッチ・ポレーノフといって、同県の貴族団長をしている清廉の士であった。フョードルと手紙で交渉した結果、とうていこの男からは、子供の養育費さえ引き出せないと見込みをつけたので(もっとも、彼は一度も明らさまに断わったことはないが、いつもこんな場合、だらだらに引っ張って、どうかするとくどくど泣き言まで並べることがある)、ポレーノフは親身《しんみ》になって孤児の面倒を見た。そして、二人の中でも、弟のアレクセイをことに可愛がり、長いこと自分の家において大きくした。筆者は最初からこの事実に注目することを読者にお願いしておく。もし二人の青年が養育と学問の点で誰か一生涯感謝すべき人があるとすれば、それはとりもなおさずポレーノフ、この世では珍しいほど高潔にして博愛無比な、エフィーム・ペトローヴィッチである。彼は将軍夫人から遺された千ルーブリの金を、子供らのために手つかずのまま保管しておいたため、二人が丁年に達するころには利が積って、おのおの二千ルーブリずつにまで上った。二人の養育費には自分の金を使ったのであるが、それはもちろん、一人について千ルーブリよりずっと多くなっている。
 彼らの少年期青年期のデテールに入ることはしばらく見合して、筆者は要点をつまむだけにとどめることとする。兄のイヴァンについてはこれだけ言っておこう。彼は成長するにつれて何となく気むずかしい、自分というものの中に閉じ籠ったような少年になったが、しかし、臆病なのでは決してない。ただもう十くらいの頃から『自分は何といっても他人の家で、他人のお慈悲で暮している、そして自分の父親は何かしら話すのも恥しいような人間だ』といったようなことを悟っていた。この少年は非常に早くから、ほとんど幼年期から(少なくもそういう言い伝えである)異常なはなばなしい才能を学術の方面に顕わし始めた。正確なことは知らないが、何でもまだ十三くらいの年にポレーノフの家庭を離れて、モスクワの中学に入学し、ポレーノフの幼な友達で、当時有名な経験ある教育家の寄宿舎へ入った。イヴァン自身あとで話したところによると、これは善事に対するポレーノフの熱情から起ったことだというのである。当時彼は、天才ある子供は天才ある教育者のもとで教育されねばならぬ、という思想に打ち込んでいたのである。
 しかしイヴァンが中学を卒えて大学へはいった時、ポレーノフも天才ある教育者も、もはやこの世の人でなかった。ところが、ポレーノフの処置が悪かったため、頑固屋の将軍夫人から譲られた自分の子供の時からの金――利子が積って千ルーブリから二千ルーブリに上った金の払い戻しが、ロシヤでは何とも仕方のないいろいろの形式や緩慢な手続きのおかげで、のびのびになった。で、彼は大学における初めの二年間、ずいぶん苦しい目にあった。彼はこのあいだ自分で自分を養いながら、同時に勉強しなければならなかったのである。ここで注意すべきは、彼が当時父と文通を試みようなどとは、考えてもみなかったことである。それは父に対する傲慢な軽蔑のためかもしれないが、あるいはまた冷静な常識判断が、父からはほんの少しでも真面目な扶助を得ることができない、と教えたからかもしれない。それはどうでもいいとして、イヴァンは少しもまごつかないで、とにかく無理に仕事を見つけた。はじめのうちは一回二十コペイカの出稽古をやっていたが、のちには各新聞の編集局を駆け廻って、『実見者』という署名のもとに、市井の出来事に関する一回十行の短文を供給した。この短文はいつもなかなか面白く辛辣に書けているので、まもなく広く読まれるようになった。彼はこれ一つだけでも、いつもいつもぴいぴいで悲惨な境遇にいる男女学生の大多数にくらべて、実際的にも知的にも一段頭角を抜いていることを示した。実際、両首都の学生たちはたいてい朝から晩まで、各新聞雑誌編集局の閾を靴ですりへらしながら、紋切り型の仏文翻訳とか筆耕とかさせてもらいたいという懇願を繰り返すほか、何のいい思案も絞り出せないのである。各編集部と近づきになってから、イヴァンは大学を終る頃まで関係を絶たないで、いろいろ専門書に関するきわめて才気のある批評を掲載し、ために文学者仲間にまで認められるようになった。
 しかし、突然、彼がずっと範囲の広い読者の特殊な注意を惹起して、非常に多くの人々から一時に認められ記憶されるようになったのは、ごくごく最近のことである。それはかなり興味のある出来事であった。もう大学を出てから、例の二千ルーブリの金で外国旅行を企てているうちに、突然イヴァンは大新聞に一つの奇妙な論文を載せたが、そのために専門外の人の注意さえ惹いたのである。その原因は主として題材――彼にぜんぜん縁のないらしい題材にあった(断わっておくが、彼は理科を卒業したのである)。この論文は、当時随所にもちあがった教会裁判問題に対して書かれたものである。この問題に関してすでに公けにされた幾種かの意見を解剖したのち、彼は自己の見解をも示しているが、重要な点は全体の調子と、ぜんぜん人の意表に出たその結論である。ところで、教会派の多数は彼を目して自党としたが、それと同時に市民権論者ばかりでなく無神論者までが、負けず劣らず喝采し始めた。とどのつまり、慧眼の士はこの論文を、単にずうずうしい茶番じみた冷笑にすぎない、と断定したのである。筆者《わたし》がこの出来事をこうしてとくに断わっておくのは、当時勃興した教会裁判問題に興味を持っている当地郊外の有名な僧院でも、イヴァンのこの論文を読んで、深い怪訝の念を抱くものがあったからである。また論者の名前を見て、彼がこの町の出身者であり、しかも『あの例のフョードルの息子だ』ということにも興味を感じたのである。ちょうどこの時分、突然この町へ当の論者がやって来た。
 なぜイヴァンがそのとき帰って来たのか――筆者《わたし》は当時すでにほとんど不安ともいうべき心持をいだいて、この疑問を心の中で発したことを覚えている。その後さまざまな恐ろしい事件のいとぐちとなったこの運命的な帰郷は、それから長い間、いな、ほとんど今でも筆者にとって依然たる謎であった。全体として考えてみても、あれほど学問ができて、あれほど気位の高い、あれほど用心深い青年が、一生、自分をあるかなしに扱って、自分を知りもしなければ覚えてもいない父親の、乱脈な家庭へ突然やって来るというのは、まったく不可思議な話である。フョードルはもちろんわが子の願いであろうとも、どんなことがあったとて金なぞ出す心配はないが、しかしそれでも、イヴァンとアレクセイがいつか帰って来て、金をねだりはしないかと、一生涯それのみ恐れていたのである。ところが、イヴァンはとつぜん父親の家に入って、もはや二月ばかりも一緒に暮しているばかりでなく、この上ないほど折り合いがいいのである。これは筆者一人ばかりでなく、多くの人をとくに驚かした。
 ピョートル・ミウーソフ、――この人はもはや前に述べたとおり、先妻とのつながりでフョードルの遠い親戚にあたる人だが、すっかり永住の地と決めたパリから帰って来て、当時ふたたび町はずれの領地に居合せた。この人が誰より一番この事実に驚いていたように記憶する。彼は自分にとって非常に興味のあるこの青年と相識の仲になったが、どうかすると、いくぶん心ひそかに苦痛を感じながら、知識の張り合いをすることがあった。『あの男は傲慢だし』と彼は当時わたしたちをつかまえてイヴァンのことをこう言った。『いつでも自分の口すぎだけの儲けはできるし、それに今でも外国行きの金を持っているから、こんなところへ来る必要はなさそうなもんだがなあ! 金をもらうために親父のところへ来たのでないことは、誰の目にも明瞭な話だ。何にしても金なんか出す親父でないからね。それかといって、酒を飲んだり、いやらしい真似をしたりするのは、あの男大嫌いなんだしね。ところが、親父はあの男でなければ、夜も明けないほど折り合ってる!』これはまったく事実であった。イヴァンは父に対して明らかに一種の勢力を持っていた。父はときどき意地わるなわがままを言うこともあったが、それでも、どうかすると彼の言うことを聴くらしかった。そして時とすると、幾分品行がよくなったかと思われることすらあった。
 だいぶ後になってから、イヴァンが帰って来た一半の理由は、兄ドミートリイの依頼とその用向きのためだとわかった。彼はその頃はじめて兄のことを知ったので、顔を見たのもこの帰郷の時が初めてであるが、しかしある重大事件(といっても、おもにドミートリイに関したもので)のために、帰郷前から文通を始めていた。これがどんな事件であるかは、そのうち詳しく読者にわかってくる。とにかく、あとでこの事情を聞いた時でさえ、筆者にはイヴァンという人がやはり謎のように感じられ、帰郷の理由も依然として、曖昧に思われたのである。
 ついでに言っておくが、イヴァンはその当時、父と大喧嘩をして正式裁判さえ企てている長兄ドミートリイと父との間に挟まって、仲裁者といったような立場に立っていた。
 繰り返して言うが、この一家族は、生れて初めてこのとき一緒に落ち合ったので、ある者は生れてはじめて互いの顔を知ったのである。ただ末子のアレクセイばかりは、一年ばかり前からこの町で暮していた。つまり兄弟中で最も早く、わたしたちの中へ入って来たわけである。このアレクセイのことは、小説の本舞台へ出て来ないうちに、こうした序論的説話の中で説明するのが、筆者《わたし》にとって何よりむずかしいのである。しかし彼のことをもやはり『序論』に書かなければならぬ。何となれば、筆者はどうしてもこの自分の主人公を、小説の第一幕からして聴法者の法衣姿で、読者に紹介しなければならぬから、少くとも、その奇妙な点をあらかじめ説明するために必要なのである。実際、彼はもうかれこれ一年ばかり当地の僧院に住み込んで、一生その中に閉じ籠る覚悟らしかった。

[#3字下げ]第四 三男アリョーシャ[#「第四 三男アリョーシャ」は中見出し]

 彼はまだやっと二十一であった(中兄のイヴァンはそのとき二十四、長兄のドミートリイは二十八であった)。第一に言っておかねばならぬのは、この青年アリョーシャが決して狂信者でもなければ、また少なくとも筆者の考えでは、断じて神秘主義者でもなかった。あらかじめ筆者の忌憚なき意見を述べようなら、彼は単に若き博愛家にすぎない。彼が僧院生活に入ったのも、ただこれ一つのみが当時の彼の心に驚異の念を呼びさまし、世界悪の闇から愛の光明を目ざして驀進する彼の心に究極の理想として映じたからである。また僧院生活が彼に驚異の念を呼びさましたわけは、当時彼の目して稀世の人物とする有名な長老ゾシマを、その中に発見したからである。彼は渇ける心の初恋にも似た熱情を捧げて、この長老に傾倒したのである。
 もっとも、彼が揺籃時代から非常に変った人間であったことは、筆者《わたし》もあえて異議をさしはさまない。ついでだが、彼は僅か四つの年に母と別れながら、一生涯母の顔やその慈愛を『まるで自分の前に母が生きて立ってるように』覚えていた。このことは筆者も前に述べておいた。こうした記憶がまだ幼い頃、二つくらいの時から、よく子供の心に残るということは、すべての人の知るとおりである。こうした記憶は闇の中に浮び出た明るい点のように、――跡形もなく消え失せた大きな絵からちぎり取られた小さな一片のように、生涯こころに浮んでくるものであるが、アリョーシャのもまったくそのとおりであった。彼はある静かな夕方を覚えている。開け放した窓からは夕日が斜めにさし込んで(この斜めにさし込む夕日を彼は一番よく覚えていた)、部屋の片隅には、聖像がかかり、その前には燈明《みあかし》がついている。聖像の前には母親が跪いて、ヒステリックにしゃくり上げて泣きながら、たまぎるような悲鳴とともに彼を双の手に痛いほど固く抱きしめて、わが子の行末を聖母マリヤに祈ったり、また聖母の袂の陰に隠そうとするかのように、彼を両手に載せて御像の方へ差し伸べたりしている……そこへ乳母が駆け込んで、慌てたように彼をその手からもぎとってしまった。これが画面の全体である! アリョーシャはその瞬間の母の顔さえ覚えている。その記憶だけによって判ずると、母の顔は激昂していたけれど美しいものであった。しかし、彼はこの記憶を人に打ち明けることをあまり好まなかった。
 幼年時代にも少年時代にも、彼はあまり口数の多いのを好まなかったばかりか、むしろ無口なほうであった。しかしそれは決して気の小さいためとか、人づきの悪い気むずかしい性質のためとかいうわけではない。それどころか、まるで正反対なのである。原因は何かほかにある。つまり、他人には何の関係もない、自分一人の心内のこころづかいともいうべきものであるが、それは彼として非常に重大なものなので、これがために他人のことを忘れるともなく忘れるのであった。しかし彼は人間を愛した。そして、生涯人間を信じながら生活したらしいが、誰一人として、一度も彼を馬鹿というものもなければ、お人好しというものもなかった。『私は他人の裁判官になるのはいやです。また、他人を非難するのも好まないから、どんなことがあっても人を咎めません』とでもいうようなところが、彼の体の中にあった(それは一生を通じてそうであった)。実際、彼はいささかも咎め立てしないで、一さいのことを許しているようであった。もっとも、その際、深い悲哀を感ずることもよくあったけれど……この意味において何人も彼を驚かしたり、脅かしたりすることができないくらいになった。しかも初期の少年時代からこの傾向がみとめられた。
 はたちの年に、純然たる淫佚の洞穴ともいうべき父の家へ帰って来ても、童貞純潔な彼は見るに忍びなくなった時、黙ってその傍を去るばかりで、相手は誰にもあれ、軽蔑や非難の色は気《け》にも見せなかった。かつて、よその居候であった父は、侮辱に対して敏感繊細な神経を持っていたから、初めのうち、うさんくさい気むずかしい態度で彼を迎えたが(『恐ろしく黙り込んでいるぞ、きっと腹の中でいろんなことを考えてるんだろう』といった心持で)、とどのつまりまだ二週間とたたないうちに、しょっちゅう彼を抱きしめて、涙とともに接吻するようになった。もっとも、それは一杯機嫌の安価な感傷の涙ではあったが、こんな男としてはとうてい他の何人にも感ずることのできないような深い真実の愛を、はじめて彼に経験したに相違ない……
 それに、この青年はどこへ行っても皆に好かれた。それはごく小さな子供の時分から変りなかった。自分の恩人で養親であるポレーノフの家へ入ったときも、彼は家庭内のすべての人をすっかりひきつけてしまい、まるで本当の子同様に思われるようになった。ところで、彼がこの家庭へ入ったのは、まだまったく幼い子供の頃だったから、勘定高い悪知恵や、機嫌をとって気に入られようとする意志や技巧や、自分を可愛がらせようとする工夫や、そういうものを当時の彼が持っていたと想像するわけにはいかない。それゆえ、自分に対する愛情を呼びさますちからは、なんの技巧を弄することなく、端的に自然から賦与された性情なのである。
 学校での彼もそれと同じであった。ちょっと考えると、彼は仲間の猜疑や嘲笑や、時としては憎悪すら喚び起すような性質の子供ではないかと思われる。なぜというに、彼はよくもの思いに耽って、人を避けるようなふうがあるし、ごく幼い頃から隅の方へ引っ込んで、読書するのも好きだったからである。しかし彼は学校にいる間じゅう、仲間全体の寵児といっていいほどみなに可愛がられた。彼はさして活溌でもなければ、あまりはしゃいだこともない。しかし誰でもちょっと彼を見ると、これは決して気むずかしい性質のためではない、かえって反対に、落ちついたはればれしい心持でいるということを、すぐに悟るのであった。同じ年頃の子供に交っても、彼は一度も頭角を現わそうなどと考えたことがない。つまり、それがためでもあろうか、彼は今まで何者をも恐れたことがない。そのくせ、仲間の生徒は、彼が自分の勇気をてらっているのではない、ということをすぐに了解した。彼はかえって、自分がいかに大胆で勇敢なのか、知らないようなふうつきであった。侮辱を覚えていたことは一度もない。侮辱を受けてから一時間くらいの後、当の仇《かたき》に返事したり、自分の方からその仇に話しかけたりすることがよくあった。そんな時は、まるで二人の間に何事もなかったように、相手を信じきったようなはればれしい顔つきをしている。それは偶然その侮辱を忘れたとか、またはわざと赦したとかいうような顔つきでなく、ただそんなことは侮辱などと思わないというふうなので、この点がすっかり子供たちの心を擒にし征服したのである。
 ただ一つ彼の性質に特別なところがあって、それが下級から上級に進む間じゅう、『一つあれをからかってやろう』という望みを友達に起させるのであった、もっとも、それは意地わるい嘲笑ではない、ただ皆にすれば面白いからであった。この特別な性質というのは、気ちがいじみるくらい極端な羞恥心と、潔癖とである。彼は、女に関するある種の言葉やある種の会話を、傍で聞いていることもできなかった。ところが不幸にも、こうした『ある種』の言葉や会話は、すべての学校において根絶できないものである。まだ、ほとんどねんねえといっていいくらいの、心も魂も清浄な少年たちが、兵隊でさえ時によっては口にするのをはばかるような事柄だの、場面だの、形態だのを、教室内で仲間同士大きな声で口にする。実際、兵隊などは、教育ある上流社会の年少子弟が、もはやとうに知っているようなこの方面の事物を、あまり知りもしなければ理解もしないのである。こうした少年には精神的堕落などというものは、まだおそらくないだろう。破廉恥《シニズム》はあっても、本当の意味で放縦な、内面的なものではなく、ただ外面的なものにすぎない。ところで、これかしばしば彼らの仲間では、何かデリケートで、微妙な、男らしい模倣に値するもののように考えられるのである。『アリョーシャ・カラマーゾフ』が『この話』の出るたびに大急ぎで耳に栓をするのを見て、ときどき一同はわざとぐるりに集って、無理にその手を引き退けながら、両方の耳へ向けて大声で汚いことを喚くのであった。こちらはそれを振り払って床の上に倒れ、両手ですっかり頭を隠してしまうが、その際一ことも口をきかなければ乱暴な言葉も吐かず、無言のまま侮辱を忍んでいた。しまいにはみんな彼をかまわなくなって『女の腐ったの』とからかうのもよしてしまったばかりでなく、この意味において彼を気の毒な者として見るようになった。ついでだが、教室における彼はいつも優等生の一人であったけれど、かつて首席になったことはない。
 ポレーノフが死んでからも、アリョーシャはまだ二年ばかり県立の中学にとどまった。ポレーノフの未亡人は悲嘆のあまり、良人の死後ただちに家族を纏めて(それは婦人ばかりであった)、長く逗留の予定でイタリアへ旅立った。で、アリョーシャはポレーノフの遠い親族にあたる、以前顔を見たこともない二人の婦人の家へ移ることとなった。けれど、どんな条件のもとに養われるのか、自分でも一向知らなかった。いま一つ彼の特異な(非常にと言ってもいいくらいの)性質は、一たい自分が誰の金で生活しているのか、それまで一度も詮索したことがないという点にあった。この点において兄イヴァンが大学で初めの二年間、自分で働いて口を糊しながら苦労をしたり、また子供の時分から、自分は恩人の家で厄介になっている、ということを痛感したりしたのにくらべると、まったく正反対であった。しかしアリョーシャのこうした奇態な性格は、あまり深く咎めるわけにはいかないようである。なぜというに、少しでも知っている者は、誰でもこの問題に行き当ったとき、すぐになるほどと合点するからであった。つまりアリョーシャはどうしても宗教的畸人《ユロージヴァイ》([#割り注]放浪的生活を営み、奇矯な言行をもって世人を驚かす一種の精神病者、神の使いとして民間に尊敬せらる[#割り注終わり])か何かの一人に相違ない。だから、よし一時に巨額の金をもらったところで、最初に出会った無心者に施してしまうか、慈善事業に寄付するか、また単に巧者な詐欺師にちょっと頼まれて捲き上げられるかしてしまうだろう、とこんなふうに確信を得るのであった。概して、彼は金の価を知らなかった。とはいえ、これは文字通りの意味ではない。彼は決して自分のほうから頼んだことはないけれど、ときどき小遣銭をもらうことがある。ところが、時によると、幾週間も幾週間も使い道に困ってもてあますかと思えば、また時によると恐ろしくぞんざいに扱って、瞬く間になくしてしまう。ミウーソフは金や世間的名誉に関して神経過敏なほうであったが、ある時じっとアリョーシャの顔を見つめながら、一つの警句を吐いたことがある。『この子は世界中に類のないただ一人の人間かもしれないよ。この子はたとえ人口百万からある不案内な大都会の広小路へ、だしぬけに一人ぽつんとうっちゃられても、決して餓え死にすることもなければ、凍え死にすることもない。なぜって、すぐ人が来て、食べ物をくれたり、居どころを拵えてくれたりするからね。もし人がしてくれなければ、すぐに自分でどこかへ住み込むよ。しかも、それはこの子にとって、少しも骨の折れることでもなければ屈辱でもない。また世話する人もそれを少しも苦にしないどころか、かえって満足に思うかもしれないて。』
 彼は中学を卒業しなかった。まだまる一年残っている時に、とつぜん恩人である二人の婦人にむかって、ふいとある用事が頭に浮んできたので、父のところへ赴くつもりだと告げた。婦人は非常に彼を惜しんで放そうとしなかった。旅費はあまり大した額でもなかったので、アリョーシャは恩人の遺族から、外国出発のみぎりに贈られた時計を質入れしようとしたが、二人の婦人はそれを止めて、十分に旅費を持たしたうえ、新しい服や肌衣類をあてがってやった。しかし、彼はぜひ三等の車に乗りたいからと言って、その金を半分婦人に返してしまった。この町へ着いた時、『どうして学校を卒業もしないで、やって来たのだ?』という父親の最初の質問に対して、彼は何一つ答えようとせず、ひと通りでなく黙り込んでいたという話である。その後まもなく、彼が母の墓を探していることが知れた。彼も帰って来たとき、それが自分の帰郷の唯一の目的だ、と言おうと思ったのであるが、これだけではどうも理由の全部がつくせないような気がした。とつぜん彼の心内に湧き起って、どこかよくわからないが、しかし避けがたい新しい道へ、否応なしにぐんぐん引っ張って行ったのは、一たい何ものであるか? この問いに対しては当時彼自身さえ何ら知るところがなく、何らの説明をも与えることができなかった、――こう解釈するのが最も妥当であろう。フョードルは、自分の第二の妻をどこに葬ったか、わが子に教えることができなかった。なぜというに、棺へ土をかぶせたきり一度も墓参したことがないので、長年たつうちに、その時どこへ葬ったか忘れてしまったからである。
 ついでにフョードルの話を少ししておこう。彼はその前ながい間この町に住んでいなかった。後妻の死後三四年たつと南ロシヤヘ赴いたが、その後、オデッサの町に現われて、そこで何年かつづけて居住した。最初は、彼自身の言葉を借りると『大小老若種々雑多のジュウと知り合いになったが、しまいにはただジュウばかりでなく、ヘヴライ([#割り注]ユダヤ人を表すこの二つの称呼によって、社会上の位置の高低、尊敬の軽重を示している[#割り注終わり])の家にも出入りする』ようになったのである。彼が金儲けに特別の腕を拵え上げたのは、この時代のことと考えなければならぬ。彼がふたたびこの町へ帰ってすっかり落ちつくこととなったのは、アリョーシャの帰省より、僅か三年前である。町の昔馴染みは彼がひどく老《ふ》けて帰ったように思ったが、そのくせ彼は決してまだそんなにいうほどの老人ではなかった。彼の態度は上品になったと言おうより、何だか妙に高慢になってきた。昔の道化は今度あらたに、他の者を道化に仕立てようという、高慢な要求を示すようになったのである。女を相手に見苦しい真似をするのは、以前どおりに好きだったというより、むしろやり方が一層いやらしくなった。まもなく、彼は郡内に多くの新しい酒場を建てた。想像したところ、彼の財産は十万ルーブリか、あるいは多少それに欠けるくらいあったらしい。市内および郡部の住民で、さっそく彼から金を借りた者がたくさんあった。ただし、確かな抵当を入れるのは言うまでもない話である。ごく最近に至って、彼も何だか箍《たが》が緩んだようなふうで、自分のことは自分で始末をつけるという平調なところがなくなって、軽薄の弊に陥りやすく、何か仕事をしても、初めと終りがすっかり別物になってしまう。全体にしまりがなくなって、ぐでんぐでんに酔い潰れることがますます頻繁になった。で、もしほとんどお側つきの格で彼を看守している、例のグリゴーリイという下男かなかったなら(彼もそのころ同様にかなりよぼよぼになっていた)、フョードルの生活には、しじゅう面倒なごたごたが絶えなかったに相違ない。アリョーシャの帰来は精神的方面からも、彼に何かの影響を与えたらしい。それは時ならずして老い込んだフョードルの魂に、ずっと以前から封じ込められていたあるものが、急に目をさましたような工合であった。
『なあお前』と彼はよくアリョーシャの顔を見つめながら言った。『お前はあいつに似ておるぞ、|憑かれた女《クリクーシカ》に。』彼は自分の亡妻、アリョーシャの母をこう呼んでいた。
 とうとう『|憑かれた女《クリクーシカ》』の墓は、下男のグリゴーリイがアリョーシャに教えた。この下男は彼を町の共同墓地へつれて行って、そこのずっと奥にある鋳鉄製の、あまり高価なものではないが、小じんまりした墓標を指さした。その上には故人の名、身分、年齢、死去の年などとともに碑銘があって、下のほうにはよく中どころの人の墓に使われる詩の一節が、四行ばかり彫ってあった。驚いたことには、この墓標がグリゴーリイの業《わざ》だったのである。これは彼が自腹を切って、気の毒な『|憑かれた女《クリクーシカ》』の土饅頭の上に建てたものである。そのまえ彼は幾度となく、この墓のことをほのめかして、主人をうるさがらしたが、ついにフョードルはただ墓ばかりでなく、あらゆる自分の記憶を抛り出して、オデッサへ行ってしまったのである。アリョーシャは母の墓の前でなんら感傷的な態度を見せなかった。彼はただ墓標建立に関するグリゴーリイのものものしい、理屈っぽい話を聞いたばかりで、しばらく頭を垂れながら佇んでいたが、やがて一口も物を言わないで立ち去った。それきり彼は一年ばかり墓場へ来なかった。しかし、この小さなエピソードはフョードルに一種の作用、しかも非常に奇抜な作用を及ぼしたのである。彼は千ルーブリの金を取り出して町の僧院へ持ってゆき、妻の回向を頼んだ。が、それは第二の妻、すなわちアリョーシャの母の『|憑かれた女《クリクーシカ》』のためではなく、自分をぶった先妻アデライーダのためであった。そして、その晩酒を飲みくらって、アリョーシャを相手に坊主どもの悪口を叩いた。彼自身決して信心ぶかい人間ではなかった。おそらく、五コペイカの蝋燭を買って、聖像の前へ立てたことさえ一度もなかろう。こんなわけのわからぬ男には、よくこうした奇態な感情や思想の突発が生じるものである。
 彼がこの頃、非常に箍が緩んできたのは、前に述べたとおりである。そのうえ彼の容貌は最近に至って、過去の生活ぜんたいの特質をありありと証明するような相好を呈してきた。いつも高慢で疑り深く、しかも人を馬鹿にしたような小さい目の下に、長いだぶだぶした肉の袋が垂れて、小さいけれど脂ぎった顔にたくさんな皺が深く刻まれているばかりか、尖った頤の下からまるで金入れのようにだぶだぶした、細長い大きな瘤がぶら下っている。それが彼の顔にいやらしい淫乱な相を与えるのであった。その上に貪婪らしい長い口、脹れぼったい唇、その陰からちらちらするほとんど腐ってしまった黒い歯の欠け残り、こんなものがおまけについているのだ。彼は話をするたびに唾をぺっぺっと飛ばす癖があった。よく好んで自分の顔を冷かすけれど、大してその顔を不満足だとも思っていなかった。ことに大きくはないが非常に細い、一きわいちじるしい段のついた鼻をさしながら、『正真正銘のローマ式の鼻だ』と言った。『こいつが瘤と一緒になって、頽廃期の古代ローマ貴族そっくりの顔ができあがってるんだ』というのが彼の自慢らしかった。
 アリョーシャは母の墓を見つけてから間もなく、とつぜん父に向って、自分は僧院へ入りたい、僧たちも自分が聴法者になるのを許してくれたと言いだした。彼はまたそのとき、これは自分の一生の願いであるから父として正式の許しを与えてくれるよう、たってお頼みするのだと説明した。この僧院内の庵室に行いすましている長老ゾシマが、自分の『おとなしい子供』になみなみならぬ感銘を与えたことは、フョードルもよく承知していた。
「あの長老は、もちろん、あすこで一ばん心のきれいな坊さんだよ。」黙って何か考え込むようなふうつきで、アリョーシャの言葉を聞き終った時、彼はこう口を切った。しかしわが子の願いに驚いたふうはいささかもなかった。「ふむ……じゃ、うちのおとなしい坊っちゃんは、あんなところへ行くつもりなのか!」彼は一杯機嫌であったが、突然にたりと笑った。それは持ちまえの、引き伸ばしたような、一杯機嫌とはいえ酔っ払いに特有のずうずうしさと、狡猾さを失わない薄笑いであった。「ふむ……だが、わしも結局、お前が何かそんなふうなことをしでかすだろう、てな気がしておったよ、こう言ってもお前は本当にせんがね? お前はまったくあんなところを狙っておったんだからな。が、まあ仕方がない、お前も自分の金を二千ルーブリ持っておるんだから、あれがつまり持参金になるんだあな。わしも決してお前をうっちゃっときゃせんから、これからも寺で出せと言うだけのものは、お前のために寄進するよ。だがな、もし出せと言わなかったら、何もこっちから差し出がましいことをするわけはないからな、そんなもんじゃないか? だって、お前の金の使い方はまるでカナリヤと同じことで、一週間に二粒ずつくらいのもんだろう……ふむ、時にな、あるお寺の傍にちょっとした一郭があって、その中には誰でも知ってることだが、いわゆる『梵妻《だいこく》』ばかり住んでおるやつさ。何でも三十匹ばかりいるらしい……わしもそこへ行ったことがあるが、いや、なかなか面白いわい。もちろん、一種とくべつな面白さで、風変りというだけのことなんだ。ただ困ったことには恐ろしい国粋主義で、フランス女が一人もおらんのだ。呼んで来てもいいんだがなあ、いい儲けになるんだに。そのうち嗅ぎつけたらやって来るだろうよ。しかし、ここには何もない。梵妻なんか少しもおらん。ただ坊主が二百匹ほどいるだけで、さっぱりしたもんだよ。つまり、お精進をやかましく言う連中ばかりなんだよ。それはわしも認める……ふむ。じゃ、何だな、お前は坊主の仲間に入りたいのだな? しかし、アリョーシャ、わしはまったくのところ、お前が可哀そうなんだ。本当にするかどうか知らんが、わしはお前に惚れちゃったよ……だがこれはちょうどいいおりだ、お前わしらのような罪の深い者のために、お祈りをしてくれんか、まったくわしらはここにじっとしとるうちに、ずいぶんたくさん罪を作ったものだからな。わしはいつもそう思うよ、――いつでもいいが、わしらのために祈ってくれる者がどこかにいるだろうか? 一たいそんな人間がこの世にいるかしらんて? 可愛い坊っちゃん、お前は本当にせんかもしれんが、このことにかけたら、わしは恐ろしい馬鹿になるんだよ。そりゃ非常なもんだよ。ところでな、わしもずいぶん馬鹿にはなるけれど、いつもいつもこのことを考えるんだよ。いや、『いつも』じゃない、むろんときどきだ。だが、わしが死んだときに、鬼どもがわしを鉤に掛けて地獄へ引っぱり込むのを、ちょっと忘れてくれるってなわけにはゆかんものだろうか? わしの気にかかるのはこの鉤なんだ。一たい鬼どもはどこからそんなものを取って来るんだろう? 何でこしらえてあるんだろう? 鉄かしらん? そうだとすれば、どこでそんなものを鍛えるんだろう? 何か、工場みたいなものが地獄にあるのかな? だって、お寺の坊さんは、地獄に天井があると考えてるだろう。ところが、わしは地獄というやつを信じてもいいけれど、ただ天井のないほうが好ましいのさ。そうすると、地獄が少し優美な文明的な、つまりルーテル式なものになってくるからな。まったくのところ、天井があったってなくたって同じことじゃないか。ところで、いまいましい問題はこの中にあるんだ! いいか、もし天井がないとすれば、鉤もないことになるだろう。ところが、鉤がなければ、すっかり見当が狂ってくらあな。つまり、またこれも嘘ということになる。そうすると、誰もわしを鉤で引っ張るものがないわけじゃないかね。ところが、もしわしを鉤で引っ張らんとしたらどうだろう、一たいこの世のどこに真理があるんだ? Il faudrait les inventer.([#割り注]ぜひ鉤を作る必要がある[#割り注終わり])その鉤はわし一人のためなんだ、まったく、わし一人のためなんだ。なぜと言って、お前にはとてもわかるまいが、わしは実に何とも言えん恥知らずだからなあ?」
「しかし、地獄には鉤なんかありません。」真面目にじっと父を見つめながら、アリョーシャは答えた。
「そうだ、そうだ、ただ鉤の影ばかりなんだ、知ってる、知ってる。あるフランス人が地獄のことを書いてるがまったくそのとおりだよ。J'ai vu l'ombre d'un cocher qui avec l'ombre d'une brosse frottait l'ombre d'u e carrosse.([#割り注]余は刷毛の影をもって馬車の影を拭く馭者の影を見たり[#割り注終わり])ってな。しかしお前はどうして鉤がないってことを知っとるんだい? 少し坊さんたちの中へ入っておったら、そんなことも言わなくなるだろうて。しかし、まあ行くがいい、そして真理に到達するがいい。その時わしのところへ来て話して聞かしてくれ。何といっても、あの世がどんなふうかってことを知っておったら、そこへ行くのもきっと楽だろうからなあ。それにお前も、のんだくれの親爺や娘っ子などの傍にいるより、坊さんたちのところにいたほうがためによかろう……せめてお前だけは天使のように、何にも触らせたくないよ。いや、まったくお前はあすこへ行ったら、何も触りゃせんだろう。お前に許しを与えたのも、つまりそれを当てにするからだ。お前の心は悪魔に食われとらんからな。ぱっと燃えて消えてしまって、それからすっかり生れ変ったようになって帰るがいい。わしはお前を待っとるぞ。実際、世界じゅうでわしを悪く言わんのは、ただお前一人だけだ、それはわしも感じとる、本当に感じとる、またそれを感じないわけにゆかんじゃないか!………」
 と言いながら、彼は啜り泣きさえし始めた。彼はセンチメンタルであった。意地わるだが、また同時にセンチメンタルでもあった。

[#3字下げ]第五 長老[#「第五 長老」は中見出し]

 ことによったら、読者のある者はこんなことを考えるかもしれない。この青年は病的な、有頂天になるほど感じやすい、貧弱な発育の生れつきで、蒼白い顔をしてひょろひょろに痩せた空想家である、と。ところがその正反対に、アリョーシャは体格のしっかりした、薔薇色の頬をして、健康に燃えるような明るいまなざしをした、二十歳の青年であった。彼は当時、非常に美しい容貌を持っていたくらいである。中背のすらりとした体つき、黒みがかった薄色の髪、輪郭の正しい、が、心もち長めの卵なりをした顔、左右の距離の広い濃灰色の目、全体として考え深そうな、そしていかにも落ちつきすましたらしい青年であった。
 あるいは、薔薇色の頬もファナチズムやミスチシズムの邪魔にならない、という人があるかもしれない。しかし筆者《わたし》には、アリョーシャが誰よりももっとも正しい意味の現実派ではないかと思われる。それはもちろん、僧院に入ってからの彼は、すっかり奇蹟を信じたに相違ない。しかし筆者の考えでは、現実派は決して奇蹟のために困惑を感じるものではない。つまり奇蹟が現実派を信仰に導くのではないからである。真の現実派は、もし彼が不信者であるとすれば、常に自分は奇蹟を信じない力と心構えを持っていると思う。そして、もし奇蹟が否定すべからざる事実となって現われたなら、彼は奇蹟を許容するよりもむしろ自分の感覚を信じまいとする。けれど、いざ奇蹟を許容するとなれば、ごく自然な事実ではあるが、ただ、今まで知られないでいた事実として許容するのである。現実派においては信仰が奇蹟から生れるのでなくして、信仰から奇蹟が生ずるのである。もし一たん現実派が信仰をいだいたら、その現実主義そのものによって、必ず奇蹟をも許容せざるを得ないのである。使徒トマスも見ないうちは信じないと誓ったが、いよいよ見た時には、『わが主よ、わが神よ!』と言った。これは奇蹟が彼を信じさせたのであろうか? おそらくそうではなかろう。彼はただ信じたいと望んだがために信じ得たのであろう。たぶん彼が『見ないうちは信じない』と言った時、もはやすでに自己の存在の奥底で完全に信じていたのかもしれない。
 あるいはまた、アリョーシャは中学も卒業しないから、発達の不十分な鈍い人間だったのだ、と言う人がないともかぎらない。中学を卒業しなかったのは本当である。しかし、彼を評して鈍いだの馬鹿だの言うのは、大変な間違いである。これに対して筆者《わたし》は前に述べたことを、いまいちど繰り返すまでである。――彼がこの道へ踏み込んだのは、当時これ一つだけが、闇の中から光明をさして驀進する彼の心に驚くべき究極の理想を掲げてくれたからにすぎない。それにいま一つ、彼がある点においてわが国の近代的青年であった、ということをつけたしたらいいのだ。つまり、天性潔白にして真理を要求し、ついにそれを信じることになったのであるが、一たんそれを信じた以上、自分の精神力を傾けて一刻の猶予もなく、真理に馳せ参じて一かどの功名を樹てなければやまぬ、そしてその功名のためには一切のものを、命さえも犠牲にしたいという、やみがたい希望に燃えていたのである。しかし、こうした青年たちには、生命の犠牲はかような場合その他のいかなる犠牲よりも、最も容易なものであることがわからない。例えば同じ真理、同じ功名に奉仕する力を増すために、血に燃える若々しい自分の生活から五年六年をさいて、困難な研究――科学研究などの犠牲にするということは、ほとんどすべての青年にとってぜんぜん不可能なことなのである。
 アリョーシャはただすべての者に正反対の道を取っただけで、一時も早く功名をと思う渇望に変りはない。真面目な思索の結果、不死と神とは存在す、という信念に打たれるやいなや、ただちに自然の順序としてこうひとりごちた。『不死のために生きたい。中途半端な妥協は採りたくない。』それと同様に、もし彼が不死も神もないと決したと仮定すれば、彼はただちに無神論者や社会主義の群へ投じたに相違ない(なぜというに、社会主義は決して単なる労働問題、すなわち、いわゆる第四階級の問題のみでなく、主として、無神論の問題である、無神論に現代的な肉をつけた問題である、地上から天に達するためでなく、天を地上へ引きおろすために、神なくして建てられたるバビロンの塔である)。アリョーシャには以前どおりの生活をするのが、奇怪で不可能にすら感じられた。聖書にも、『もし完《まった》からんと欲せば、すべての財宝《たから》を頒ちてわれの後より来れ』と言ってある。で、アリョーシャは心の中で考えた。『自分は「すべて」の代りに二ルーブリ出し、「われの後より来れ」の代りに、祈祷式へだけ顔を出すようなことはできない。』
 彼の幼い頃の記憶の中に、母がよく祈祷式へ抱いて行ってくれた郊外の僧院に関する何ものかが消え残っていたかもしれない。あるいはまた『|憑かれた女《クリクーシカ》』の母が彼を両手に載せて差し出す聖像の前の斜陽が、彼の心に何かの作用を起したかもしれない。彼がもの思いに沈みながら、当時この町へ帰って来たのは、ここでは『すべて』であるか、それともただの『二ルーブリ』であるか、見きわめるためだったかもしれない、が――この僧院で長老に逢ったのである。
 それは前に述べたように長老《スクーレッツ》ゾシマである。ここでわが国の僧院における長老とは何ぞや、ということについて一言説明を要するけれど、残念ながら筆者《わたし》はこの方面において、あまり確かな資格がないような気がする。とはいえ、ちょっと手短かに表面的な叙述を試みようと思う。まず第一にしっかりした専門家の説によると、長老とか長老制度とかが、わが国の僧院に現われたのはごく最近のことで、まだ百年もたっていない。しかるに、すべての東方の正教国、ことにシナイとアトスには千年以前からあったとのことである。なお彼らの確説によれば、ロシヤにも古代存在していた、もしくは存在していたはずであるが、ロシヤの国難――韃靼の侵入とか、混沌時代とか、コンスタンチノープル陥落以来、東方との交通断絶とか、そういう事件の結果、わが国におけるこの制度も忘れられて、長老というものも跡を断つに至った。これが復活したのは前世紀の終り頃で、有名な苦行者(世間でそう呼ばれている)の一人パイーシイ・ヴェリチコーフスキイと、その弟子たちの力であった。それからほとんど百年もたつ今日に至っても、ごく僅かな僧院にしかおかれていない。それさえどうかすると、ロシヤでは話にも聞かない新制度として、迫害を受けることがあった。ロシヤにおいてこれがことに隆盛をきたしたのは、カゼーリスカヤ・オープチナのある有名な僧院であった。
 この制度が私たちの町の郊外にある僧院で、いつ誰によって創められたかは、確言することができない。しかし、ここの長老はもはや三代もつづいて、ゾシマはその最後のものである。しかるに、この人が老衰と病気のため、ほとんど死になんなんとしているにもかかわらず、誰を後継者としたらいいかわからなかった。これは僧院にとって重大な問題であった。なぜなら、この僧院にはこれまで何ひとつ有名なものがなかった。聖僧の遺骨もなければ、霊験あらたかな聖像もなく、国史に縁のある面白い伝説もなければ、歴史的勲功とか国家に対する忠勤とかいうものもない。それにもかかわらず、この僧院が隆盛をきたして、ロシヤ全国に名を響かしたのは、とりもなおさずこの長老のおかげであった。彼らを見たり聞いたりするために、ロシヤの全土から多くの巡礼者が、千里を遠しとせず、群をなしてこの町へ集って来るのであった。
 ところで、長老とは何かというに、これは人の霊魂と意志を取って、自分の霊魂と意志に同化させるものである。人は一たんある長老を選み出したら、全然おのれの欲望を断ち、絶対の服従をもって、長老に自分の意志を捧げるのである。願がけをした人は長い苦行ののち自己を征服し、かつ制御する日が来るのを楽しんで、こうした試煉、こうした恐ろしい『人生の学校』を、みずから進んで双肩に担うのである。この生涯の服従を通じて、ついには充実した生活と完全な自由、すなわち自分自身に対する自由に到達する。そして一生涯のあいだ自己を発見することのできない人々と、運命をともにするのを避けることができるのである。この長老制は理論的に創設されたものでなく、現代のものについて言えば、すでに千年来の実験によって編み出されたのである。長老に対する義務は、いつの時代にもわが国の僧院にあった普通の『服従』とは、類を異にしている。ここに認められるものは、服従者の永久の懺悔である、命令者と服従者との間の破ることのできない関係である。例えばこんな話がある。キリスト教の創始時代ある一人の服従者が、長老に命ぜられた何かの義務をはたさないで、僧院を去って、他の国へ赴いた。それはシリヤからエジプトへ行ったのである。そこで長い間いろいろ偉大な苦行をしたが、ついに信仰のために拷問を受け、殉教者として死につくことになった。すでに教会は彼を聖徒と崇めて、その体を葬ろうとしたとき、『許されざるものは出でよ!』([#割り注]祈祷式でこの言葉が発せられた時、キリスト教徒でない者は教会を出るべきものと定まっていた[#割り注終わり])という助祭の声が響き渡ると同時に、とつぜん殉教者の体を納めた棺が、むくむくと動き出して寺の外へけし飛ばされた。これが三度まで繰り返されたのである。その後ようやく、この忍辱の聖徒が服従の誓いを破って、自分の長老のもとを立ち去ったため、たとえ偉大な功業があるにしても、長老の許可なくしては、罪を赦してもらえないということがわかった。で、呼び迎えられた長老が彼の誓いを解いた時、初めてようやく葬式を営むことができたとのことである。
 もちろん、これはほんの昔話であるが、ここに一つ、つい近頃起った事実談がある。一人のロシヤ現代の僧がアトスの地に行いすましていたが、とつぜん長老がその僧に向って、彼が聖地としてまた穏かな避難所として、心底から愛しているアトスの地を棄てて、まず聖地巡礼のためエレサレムへ赴き、その後ロシヤヘ引っ返して、北のはてなるシベリヤへ行けと命じた。『お前のいるべき場所はあちらなのだ、ここではない。』思いがけない悲しみに打ちのめされた僧は、コンスタンチノープルなる最高僧正のもとへ出頭して、自分の服従義務を解いてくれるように哀願した。ところが、最高僧正の答えるには、単に最高僧正たる自分にそれができないばかりでなく、一たん長老にせられた服従命令を解き得る権力は、世界じゅうさがしてもない、いな、あり得ない、それができるのは、服従を課した当の長老ばかりだ、とのことであった。
 こういうわけで、長老は一定の場合において、限りのないほとんど不可解な権力を授けられている。わが国における多くの僧院で、初めのうち長老制度が迫害を蒙ったのは、これがためである。けれども、すぐに長老は民間で、非常な尊敬を受けるようになった。私たちの町の長老のところへも、平民貴人の区別なく押しかけて来たが、それはみな長老の前へ体を投げ出した上、懐疑や罪悪や苦悶を懺悔して、忠言と教訓を乞うためであった。これを見た長老の反対者は、さまざまな非難の叫びを上げ始めた。その非難の一つはこうである。
『長老は懺悔の神秘を自分勝手に、かるがるしく卑しめている。』ところが、聴法者なり普通世間の人なりが、自分の霊魂の内部を長老に打ち明ける際、何ら神秘らしいところはないのである。しかし、結局、長老制度は維持されてきて、次第次第に到るところの僧院へ侵入することになった。もっとも、奴隷の状態から精神的完成と自由とに向かって人間を更生させるこの武器、――千年の経験を積んだこの武器も、場合によっては双刃の兇器となることがある、これは実際の話である。なぜと言って、中には完全な自己制御と忍従へおもむかないで、反対に悪魔のような傲岸、すなわち自由でなくして束縛へ導かれる者がないともかぎらないからである。
 長老ゾシマは今年六十五歳、地主の出であったが、ごく若い時分軍務に服してコーカサスで尉官を勤めたこともある。彼が何かしら一種独得な性格でアリョーシャの心を震撼したのは、疑いもない事実である。アリョーシャは長老の特別な愛を獲て、その庵室に住むことを許された。ちょっと断わっておくが、当時アリョーシャは、僧院に住んでいるといっても、まだ何の拘束もなかったので、どこへでも勝手に、幾日でもぶっ通しに出て行ってかまわなかった。彼が法衣《ころも》を纒っていたのは、僧院の中でほかの人と違ったふうをするのがいやさに、自分の勝手でしていることなのであった。しかし、言うまでもなく、この服装は自分でも気に入ったのである。ことによったら、長老をしっかり取り巻いている名声と力とが、彼の若々しい心に烈しく働きかけたのかもしれない。長老ゾシマについては、多くの人がこんなことを言っていた、――彼のところへは大勢の人が、自分の心中を打ち明けて、霊験のある言葉や、忠言を聞こうという希望に渇しながらやって来る。長老はこういう人たちと永年のあいだ無数に接して、その懺悔や、苦悶や、告白を数限りなく自分の心に納めたので、しまいには、自分のところへ来る未知の人を一目見たばかりで、どんな用事で来たのか、何が必要なのか、いかなる種類の苦悶がその人の良心をさいなんでいるか、というようなことを見抜き得るほど、微妙な洞察力を獲得した。そして、当人がまだ口をきかないさきに、その霊魂の秘密を正確に言いあてて、当人を驚かしたり、きまり悪がらせたり、どうかすると気味悪く感じさせたりするのであった。
 しかし、アリョーシャは、はじめて長老のところへさし向かいで話しに来る多くの人が、大抵みな恐怖と不安の表情で入って行くが、出て行く時には、悦ばしそうな明るい顔つきになっているのに気がついた。実際、恐ろしく沈み込んでいた顔が、僅かの間にさも幸福そうになるのであった。いま一つアリョーシャを感動さしたのは、長老が人と応対するとき決して厳格でないばかりか、かえっていつも愉快そうな顔をしていることであった。彼は、少しでもよけい罪の深い者に同情して、最も罪の深い者を誰より一ばんに愛するのだ、と僧たちは話し合っていた。僧たちの中には、長老の生涯が終りに近づいた時でさえ、彼を憎んだりそねんだりするものがあった。しかし、そんな人は次第に少くなって、あまり悪口をつかなくなった。もっとも、そういう人の中には、僧院でもずいぶん名を知られた有力な人も幾たりかあった。わけてもその中の一人は非常に古参の僧で、偉大な沈黙の行者であり、かつ異常な禁慾家であった。
 しかし、それでも大多数は、すでに疑いもなく長老ゾシマの味方であった。のみならずその中には、心底から熱情を籠めて、彼を愛している者も少くなかった。ある者はもうほとんど狂信的に彼に傾倒していた。こういう人たちは公然にこそ言わないが、長老は聖徒である、それにはいささかの疑いもない、と噂していた。そして、ほどなく長老の逝去を予見しているので、ごく近いうちに僧院にとって偉大な名誉となるような奇蹟が、必ず現われるに相違ないと期待していた。長老の奇蹟的な力はアリョーシャも絶対に信じて疑わなかった。それはちょうど、寺の中からけし飛んだ棺の話を絶対に信じたのと同じ理屈であった。彼は病気の子供や大人の親類などを連れて来て、長老様がその上にちょっと手を載せて、お祈りを言って下さるようにと頼む多くの人を見た。彼らは間もなく(中にはすぐその翌日)やって来て、涙とともに、長老の前に打ち倒れ、病人を全治してもらった礼を述べるのであった。それははたして長老が全治さしたのか、病気が自然の経過をへて快方に向ったのか、――そんな問題はアリョーシャにとって存在しなかった。何となれば、アリョーシャはすっかり師の精神力を信じきって、今の名声をその勝利のしるしかなんぞのように思いなしていたからである。
 ことに、彼が満面照り輝いて胸のときめきをとどめ得なかったのは、長老に会って祝福を受けるためにロシヤの全土から流れ寄って、庵室の門口で待っている平民出の巡礼の群へ、しずしずと長老が姿を現わす時であった。彼らはその前へ打ち倒れて、泣きながらその足に接吻し、その足の踏んでいる土を接吻し、声を上げて慟哭した。また女房どもは彼の方へ子供を差し出したり、病める『|憑かれた女《クリクーシカ》』を連れて来たりする。長老は彼らと言葉を交え、簡単な祈祷を捧げ、祝福をして、彼らを退出させるのであった。最近にいたって病気の発作のため、時とすると、庵室を出ることができないほど弱ってしまうことがあった。そんなとき巡礼者は二日でも三日でも僧院の中で、彼が出て来るのを待ち受けていた。何のために彼らはこれほど長老を愛するのか、なぜ彼らは長老の顔を見るやいなやその前に倒れて有難涙にくれるのか、それはアリョーシャにとって、少しも疑問にならなかった。
 おお、彼はよく知っていた! 常に労役と悲哀、――いな、それよりもなお一層、日常坐臥の生活につき纒う不公平や、自己の罪のみならず、全人類の罪にまで苦しめられているロシヤ民衆の謙虚な魂にとっては、聖物でなければ聖者を得てその前に倒れぬかずきたいというより以上の、強い要求と慰藉はないのである。『よしわれわれに、罪悪や、不義や、誘惑などがあってもかまやしない、地球の上のどこそこには、神聖で高尚な方がおいでになる。あの人は、われわれに代って真理を持っていらっしゃる、真理を知っていらっしゃる、つまり真理は地上に亡びていない証拠だ。してみると、その真理はいつかわれわれにも伝わってきて、神様が約束されたように、地球全体を支配するに相違ない』とこんなふうに民衆は感じている、感じているのみか考えてさえいる。アリョーシャにはそれがよくわかった。そして、長老ゾシマが民衆の考えているのと同じ聖人であり、真理の保管者であるということを毫も疑わなかった。その点において、彼自身もこれらの有難涙にくれる百姓や、子供を長老の方へ差し出す病身な女房などと変りはなかった。
 また長老が永眠の後、この僧院になみなみならぬ名誉を与えるという信念は、僧院内の誰よりも一ばん深く、アリョーシャの心に根ざしていた。それに全体として、このごろ何かしら深刻な焔のような心内の歓喜が、いよいよ烈しく彼の胸に燃え盛るのであった。何といっても、自分の目に見える真理の把持者は、この長老ただ一人にすぎないということも、決して彼を当惑させなかった。
『どっちにしても同じことだ。長老は神聖な人だから、あの人の胸の中には万人に対する更新の秘訣がある。真理を地上に押し立てる偉力がある。それですべての人が神聖になり、互いを愛し得るようになるのだ。そして、貧富高下の差別もなくなって、一同が一様に神の子となる。こうして、ついに神の王国が実現されるのだ。』これがアリョーシャの心に浮ぶ空想であった。
 今までまるで見たことのない二人の兄の帰省は、アリョーシャに強い印象を与えたらしい。長兄ドミートリイのほうとは、同腹の兄イヴァンよりもずっと早く、また深く、知り合うことができた。(そのくせ、長兄のほうが遅れて帰って来たのである)。僕は兄イヴァンの性質《ひととなり》を知ることに非常な興味をいだいたが、その帰省以来ふた月の間に、二人はかなりたびたび一ところに落ち合ったにもかかわらず、いまだにどうしても親しみがつかなかった。アリョーシャ自身も口数が少ない上に、何ものか待ち設けているような、何ものか羞じているような工合であるし、兄イヴァンも初めのうちこそ、アリョーシャの気がつくほど長い間、もの珍しそうな視線をじっと弟にそそいでいたが、やがて間もなく、彼のことを考えてみようともしなくなった。アリョーシャもこれに心づいて幾ぶん間が悪かった。彼は兄の冷淡な態度を二人の年齢、ことに教育の相違に帰したが、また別様にとれないでもなかった。ほかでもない、兄のこうした好奇心や同情の欠乏は、ことによったら、何か自分の少しも知らない、別な事情から生じるのではあるまいか? 彼はなぜかこんな気がしてならなかった、――イヴァンは何かほかのことに心を奪われている、何か重大な心内の出来事に気を取られている、何かある困難な目的に向って努力している。それで、兄は自分のことなど考えている暇がないのだ、これが、自分に対する兄の放心したような態度を説明する、唯一の原因に相違ない。
 アリョーシャはまたこんなことをも考えた、――この態度の中には、自分のような愚かな聴法者に対する学識のある無神論者の軽蔑がまじってはいないだろうか? 彼は兄が無神論者であることをよく承知していた。この軽蔑に対して(もしそれがあるとしても)、彼は腹を立てるわけにはいかなかったが、それでも彼は何か自分にもよくわからない、不安に充ちた当惑の念をいだきながら、兄がもう少し自分の傍へ近寄る気持になるのを待っていた。兄ドミートリイは深い深い尊敬を表わしつつイヴァンのことを批評し、何か特別な見方をもって彼の噂をするのであった。アリョーシャは、この頃二人の兄を目立って密接に結び合した、かの重大な事件の詳しいいきさつを、この長兄の口から聞いたのである。ドミートリイのイヴァンに関する感に堪えたような批評が、アリョーシャに一層面白く感じられたわけがまだほかにある。それは兄ドミートリイはイヴァンにくらべると、ほとんど無教育といっていいくらいで、ふたり一緒に並べてみると、性質としても人格としても、これ以上似寄りのないふたりの人は、想像することができないほど、極端なコントラストをなしていたからである。
 ちょうどこの時分、長老の庵室で乱れきった家族一同の会見、というよりむしろ寄り合いが催された。これがアリョーシャに異常な影響を与えたのである。実際この寄り合いの口実は至極あやしいものであった。当時、相続のことなどに関するドミートリイと父フョードルの不和は、うち捨てておかれないほどの程度に達したらしい。何でもフョードルのほうからまず冗談半分に、ひとつ皆でゾシマ長老の庵室へ集ったらどうだ、という案を持ち出したとかいうことである。それは真正面から長老の仲裁を求めるというわけではないけれども、長老の位置や人物が何か和解的な効果を奏さないともかぎらないから、まあ何とか穏かな話がつきそうなものだ、というのであった。今まで一度も長老を訪ねたことも、顔を見たこともないドミートリイは、もちろん、『長老なんか持ち出して、人を脅しつけようという腹なんだな』と思ったが、このごろ父との争いに際して、あまりたびたび穏かならぬ挙動に出たがるのを、自分でも内々心に咎めていたやさきであるから、彼もその相談にのったのである。ついでに言っておくが、彼はイヴァンのように父の家に暮さないで、町はずれに別居していた。
 ところが、たまたま当時この町に逗留していたミウーソフが、無性にフョードルの思いつきを賛成しだした。四五十年代の自由主義者であり、また自由思想家であり、同時に無神論者たる彼は、退屈ざましのためか、それとも気軽な慰みのためか、とにかくこの事件に非常に肩を入れた。彼は急に僧院や『聖者』が見たくなったのである。例の領地の境界や、河の漁猟権や、森林伐木権や、その他いろいろの事柄に関して、僧院相手の訴訟や争論が引きつづき絶えなかったので、彼は親しく僧院長に会って、何とか事件を平和に終局させるわけにいかないものか、よく話しあってみたいという口実の下に、今度の機会を好奇心の満足に利用しようと思ったのである。こうした立派な意志を持っている来訪者は、僧院でも普通の好事者《こうずしゃ》より一そう注意を払って遇するに相違ない。こうした事情を総合してみると、このごろ病気のために普通の訪問さえ拒絶して、もはや少しも庵室を出なくなった長老に対しても、僧院の内部から何とか都合のいいように口をきいてくれるかもしれない、というつもりだったのである。結局、長老は承諾を与えて、日どりまで決められた。
『わしをあの人たちの仲間へ引き入れようと言いだしたのは、一たい誰だろう?』と彼はアリョーシャに向って笑《え》みを含みながら、こう言ったばかりである。
 会合の話を聞いて、アリョーシャはひどく当惑した。もしこれらの相争える平和な人たちの中で、誰かこの会合を真面目に見る人があるとすれば、それはまさしく兄ドミートリイだけである。その余の人はただ軽薄な、長老にとって侮辱的な目的のためにやって来るのだ、――とこんなふうにアリョーシャは考えた。兄イヴァンとミウーソフは、無作法きわまる好奇心からやって来ようし、父はまた何か道化芝居めいた一幕を演ずるのを当てにしているかもしれない。実際、アリョーシャは口数こそきかないけれど、かなり深く父を見抜いていた。繰り返して言うが、この青年は決して皆の考えるほどおめでたい人間ではなかった。彼は重苦しい心持をいだきながら、その日を待っていた。言うまでもなく彼は心の中で、こうした家庭のごたごたが、どうかして納まってくれればいいと、それのみ気づかっていたのである。とはいえ、彼のおもなる不安は長老の身の上であった。彼は長老の名誉が心配でたまらなかった。長老に加えられる侮辱、ことにミウーソフの婉曲で慇懃な冷笑や、博学なイヴァンの人を見下したような口数の少ない皮肉などが恐ろしかった。彼はこんなことを始終こころに描いて見るのであった。一度などは長老に向って、近いうちにやって来るこれらの人たちのことを、何とか警戒しておこうとまで思ったが、しかし考えなおして口をつぐんだ。ただ会合の前日、彼は知人を通して兄ドミートリイに、自分はあなたを愛している、そしてあなたが約束を実行して下さるのを期待している、と伝言した。
 ドミートリイは何も約束した覚えがないので、いろいろ考えたすえ手紙を送って、『陋劣な言行』を見聞きしても、一生懸命に自分を抑制する、そして自分は長老および弟イヴァンを深く尊敬しているけれど、これは何か自分に対して設けられた罠《わな》か、でなければ、ばかばかしい茶番に相違ないと確信している。『しかしとにかく、自分の舌を噛んでも、お前の尊敬してやまぬ長老に対して礼を欠くようなことはしない』という文句でドミートリイは筆を止めていた。しかし、この手紙もさしてアリョーシャの元気を引き立たせはしなかったのである。
[#改段]

[#1字下げ]第二篇 無作法な会合[#「第二篇 無作法な会合」は大見出し]



[#3字下げ]第一 到着[#「第一 到着」は中見出し]

 いいあんばいに美しく晴れ渡った暖い日和にあたった。それは八月の末のことであった。長老との会見は、昼の祈祷式のすぐ後、すなわち十一時半ごろということにきまっていた。しかし、一同は祈祷式に列しないで、ちょうどその終り頃に到着した。彼らは二台の馬車に乗って来た。一対の高価な馬をつけた先頭のハイカラな幌馬車には、ミウーソフが自分の遠い親戚にあたるピョートル・フォミッチ・カルガーノフという非常に若い、はたちばかりの青年と同乗していた。この青年は、大学へ入る心組みでいるが、ミウーソフは(この人の家に彼は何かの事情で当分寝起きすることになっていた)自分と一緒に外国、――チューリッヒかエナヘ行って、そこの大学を卒業するようにと彼を唆かしている。が、カルガーノフはまだどうとも決しかねているのであった。彼は何となくぼんやりした、ともすればすぐ考え込みがちな性質であった。その顔は感じがよく、体格はしっかりしていて、背はかなり高いほうであった。ときどき目が奇妙に動かなくなることがあった。それはすべて放心家の常として、じっと長いあいだ人の顔を見つめることがあるけれど、そのくせちっとも相手を見ていないからである。彼は黙りがちのほうで、動作が少し無器用であった。しかし、ひょっとするとなぜか急に喋りだして、何がおかしいのか突発的に笑いだすことがあった、――もっとも、それは誰かと二人きりさし向いの時にかぎる。けれど、こうした元気は起り初めと同じように、突然ぱったり消えてしまうのだ。彼はいつも立派な、しかも凝った身なりをしていた。もうなにがしかの独立した財産を持っている上に、まだこのさき、ずっと大きな遺産を相続することになっていた。アリョーシャとは親友であった。
 ミウーソフの馬車からだいぶ遅れて、一対の薔薇色がかった灰色の年寄り馬に曳かれた、いたって古いがたがたの大きな辻馬車に乗って、フョードルが息子のイヴァンとともに近づいて来た。ドミートリイは、きのう時刻も日取りも知らせてやったのに遅刻したのである。一行は、馬車を囲い外の宿泊所で乗り捨てて、徒歩で僧院の門をはいった、フョードルを除くあとの三人は、今まで一度も僧院というものを見たことがないらしい。ミウーソフにいたってはもう三十年ばかり、教会へさえ足踏みしないかもしれぬ。彼は取ってつけたような磊落をつきまぜた好奇の色を浮べて、あたりを見廻していた。しかし僧院の中へ入っても、本堂や庫裏の建築のほか(それもごく平凡なものであった)、彼の観察眼に映ずるものは何一つとしてなかった。本堂のほうからは最後に残った人々が、帽子を取って、十字を切りながら出て来た。民衆の中には、よそから来たらしい比較的上流の人――二三の貴婦人と一人の恐ろしく年とった将軍、――もまじっていた。この人たちは宿泊所に泊っているのであった。乞食どもがさっそく一行を取り巻いたが、誰も施しをする者はなかった。ただペトルーシャ・カルガーノフだけが、金入れから十コペイカ玉を取り出したが、どうしたわけか妙にあわててどぎまぎしながら、大急ぎで一人の女房の手に押し込み、『皆で同じに分けるんだよ』と早口に言った。同行のうち誰一人として、これに対して何も言う者はなかったから、少しもきまり悪がることはないはずだのに、彼はそれに気がつくと、なおどぎまぎしてしまった。
 しかし、合点のいかぬことがあった。ほんとうのところを言うと、僧院では一行を待ち受けるばかりでなく、幾分の尊敬さえ払って出迎えるべきはずであった。一人はついこのあいだ千ルーブリ寄進したばかりだし、いま一人は富裕な地主であると同時に最高の教養を有する人で、訴訟の経過のいかんによっては、川の漁猟権に関して僧院内の人をことごとく左右し得る人物である。ところが、いま公式に彼を出迎える者が一人もいない。ミウーソフは堂のまわりにある墓石をぼんやり見廻しながら、こういう『聖地』に葬られる権利のために、この墓はさぞ高いものについたろうと言おうとしたが、ふいと口をつぐんでしまった。それは罪のない自由主義的な皮肉が、もうほとんど憤懣の念に変りかかっていたからである。
「ちょっ、一たいここでは……このわけのわからんところでは、誰にものを訊ねていいかわかりゃしない。これからまず決めてかからなきゃならん。時間はぐんぐんたってしまうばかりだ。」だしぬけに彼はひとりごとかなんぞのように、こう言った。
 このとき突然一行の傍へ、一人のいいかげんな年をした、少少禿げ気味の男が、だぶだぶした夏外套を着て、甘ったるい目つきをしながら寄って来た。彼はちょっと帽子を持ち上げて、甘えた調子でしきりにしゅっしゅっという音を出しながら、誰ということなしに一同に向って、自分はトゥラ県の地主マクシーモフであると名乗りを上げると、さっそく一行の相談に口を入れるのであった。
「長老ゾシマさまは庵室に暮しておいでなされます。僧院から四百歩ばかりの庵室に閉じ籠っておられます。木立を越すのでござります。木立を越すので……」
「それはわたしも知っておりますよ、木立を越すということはな」とフョードルが答えた。「ところで、わしらは道をはっきり覚えておらんのだて。だいぶ長く来たことがないのでな。」
「ああ、それはこの門を入ってまっすぐに木立を通って……木立を通って……さあ、まいりましょう。もし何なら、わたしもご一緒に……わたくしが、その……さあ、こちらへ、こちらへ……」
 一同は門を抜けて木立の道を進んで行った。マクシーモフは六十くらいの年輩であったが、身ぶるいのつくほど極端な好奇心をもって一行を眺め廻しながら、横っちょのほうから、歩くというよりむしろ走って来るのであった。その目の中には何となく厚かましい表情があった。
「実はね、僕たちがあの長老のところへ行くのは、特別な用事のためなんです」とミウーソフは厳しい調子で彼に注意した。「僕たちはいわば『あの方』に謁見を許されたんだからね、道案内をして下さるのは有難いけれど、一緒にお入りを願うわけにゆかないんですよ。」
「わたくしはまいりました、まいりました、わたくしはもうまいりました…… Un chevalier parfaut!([#割り注]立派な騎士でござります[#割り注終わり])」と地主は空へ向けて指をぱちりと鳴らした。
「騎士《シュヴリエ》って誰のことです?」
「長老さまでございます。世にも珍しい長老さまでございます。あの長老さまは……まったくこの僧院の誉れでござります。ゾシマ様……あの方はまことに……」
 しかし、このだらしない言葉は、ちょうど一行に追いついた一人の僧に遮られた。それは頭巾つきの法衣《ころも》を着た、背の低い、恐ろしく痩せて蒼い顔の僧であった。フョードルとミウーソフは立ちどまった。僧は頭が腰まで下るくらい丁寧な会釈をして言った。
「皆さま、庵室のお話がすみましたら、僧院長が、皆さまにお食事《とき》をさし上げたいと申しておられます。時刻は正一時、それより遅くなりませぬよう、あなたもどうぞ」と彼はマクシーモフに向ってこう言った。
「それは必ずお受けしますよ!」と、フョードルはその招待に恐ろしく恐悦して叫んだ。「間違いなくまいります。実はな、私たちはここにおる間、挙動に気をつける約束をしたんですよ……ところで、ミウーソフさん、あなたもおいでになりますかな?」
「むろん、行かないわけがありませんよ。僕がここへ来たのは、つまり、僧院の習慣をすっかり見るためなんですからね。ただ困るのはつれがあなたなんでね、フョードル・パーヴロヴィッチ……」
「それにドミートリイがまだ来ないですな。」
「さよう、あの男がぶしつけな真似でもしたらなお結構でしょうよ。一たいあなたの家のごたごたが僕にとって、愉快だろうとでも思ってるんですか? おまけにあなたと一緒なんですからね。それじゃお食事《とき》に参上しますからって、僧院長によろしく言って下さい。」彼は僧に向ってこう言った。
「いえ、わたくしはあなた方を長老さまのところまで、ご案内しなくてはなりません」と僧は答えた。
「わたくしは僧院長さまのところへ……そういうことなれば、わたくしはその間に僧院長さまのところへまっすぐにまいりますで」とマクシーモフが囀り始めた。
「僧院長さまはただ今お忙しいのですけれど、しかしあなたのご都合で……」と、僧はしぶりがちに答えた。
「なんてうるさい爺《じじい》だろう。」マクシーモフがまたもとの僧院のほうへ駆け出すやいなや、ミウーソフは口に出してこう言った。
「フォン・ゾン([#割り注]当時世を騒がした殺人事件の被害者、女を餌に魔窟へおびき込まれて殺害された[#割り注終わり])に似てらあ。」突然フョードルがこう言った。
「あなたの知ってるのはそんなことだけですよ………どうしてあの男がフォン・ゾンに似てるんです! あなたは自分でフォン・ゾンを見たことがありますか?」
「写真で見ましたよ。べつに顔つきが似ておるわけじゃないが、どこと言えん似たところがあるんですよ。正真正銘のフォン・ゾンの雛形だ。わしはいつも顔つきを見ただけでそういうことがわかるんでね。」
「大きにね、あなたはこの道の通人だから。ただね、フョードル・パーヴロヴィッチ、あなたがたった今自分でおっしゃったとおり、僕たちは挙動に気をつけるって約束したんですよ、覚えてるでしょう。僕は一応注意しておきますが、気をおつけなさい。あなたが道化の役廻りを演じるのは、かまわないけれど、ぼくはここの人に自分をあなたと同列におかれる気はさらさらないですからね。え、何という人でしょう」と彼は僧の方を振り向いた。「僕は、この人と一緒に身分のある人を訪問するのが、恐ろしくてたまりませんよ。」
 血の気のない蒼ざめた僧の唇には、一種ずるそうな陰をおびた、淡い無言の微笑が浮んだ。けれど、彼は何とも答えなかった。その沈黙が自分の品位を重んずる心から出たものであることは、明瞭すぎるくらいであった。ミウーソフは一そう眉を顰めた。
『ええ、こん畜生、何百年もかかって拵え上げたしかつめらしい顔をしているが、本当のところは詐欺だ、無意味だ!』こういう考えが彼の頭をかすめた。
「ああ、あれが庵室だ、いよいよ着きましたぜ!」とフョードルが叫んだ。「ちゃんと囲いがしてあって門がしまっとる。」
 彼は門の上や、その両側に描いてある聖徒の像に向って、ぎょうさんな十字を切り始めた。
「郷に入れば郷に従えということがあるが」と彼は言いだした。「この庵室の中には二十五人からの聖人《しょうにん》さまが浮世を遁れて、お互いに睨みっこしながらキャベツばかり食べていなさる。そのくせ女は一人もこの門を入ることができん、ここが肝心なところなんですよ。これはまったく本当のことなんですよ。しかし、長老が婦人がたにお会いなさるという話を聞きましたが、それはどういうわけでしょうなあ?」ふいに彼は案内の僧に向ってこう訊いた。
「平民の女性《にょしょう》は、今でもそれ、あすこの廊下の傍に待っております。ところで、上流の貴婦人がたのためには小部屋が二つ、この廊下の中に建て添えてありますが、しかし、囲いそとになっておりますので。それ、あそこに見えておる窓がそうです。長老はご気分のよい時に内部《こちら》の廊下を通って、やはり囲いのそとへ出てから、婦人がたにお会いなさるのでございます。今も一人の貴婦人の方が、ハリコフの地主でホフラコーヴァ夫人という方が、病み衰えた娘さんを連れて待っておられます。たぶんお会いなさるように、約束をなさったのでございましょう。もっとも、このごろ大層ご衰弱で、平民の人たちにもめったにお会いになりませんが。」
「じゃ、何ですか、やっぱり庵室から奥さん方のところへ、抜け穴が作ってあるんですな。いや、なに、あなた、わしが何か妙なことを考えてると思わんで下さい。わしはただ、その……ところで、アトスではご承知でもありましょうが、女性《にょしょう》の訪問が禁制になっとるばかりでなく、どんな生きものでも牝はならん、牝鶏でも、牝の七面鳥でも、牝牛の小さいのでも……」
「フョードル・パーヴロヴィッチ、僕はあなたを一人ここへうっちゃっといて、帰ってしまいますよ。僕がいなかったら、あなたなんぞ両手を取って引っ張り出されっちまう、それは僕が予言しておきますよ。」
「わしが一たいどうしてあなたの邪魔になるんですい、ミウーソフさん? おや、ご覧なさい、」庵室の囲いうちヘ一歩踏み込んだ時、彼はだしぬけにこう叫んだ。「ご覧なさい、ここの人たちはまるで薔薇の谷の中に暮しておるんですな!」
 見ると、薔薇の花こそ今はなかったが、めずらしく美しい秋の花が、植えられそうなところは少しも余さず、おびただしく咲き誇っていた。世話をする人は、見受けるところ、なかなかの老練家らしい。花壇はいろいろな堂の囲いうちにも、墓と墓の間にもしつらえてあった。長老の庵室になっている小さな木造の平家も、同様に花を植えめぐらしてある。家の入口の前には廊下があった。
「これは前長老のヴァルソノーフィ様の時分からあったんですかな? あの方は優美なことが大嫌いで、貴婦人たちにさえ跳りかかって杖でぶたれたとかいう話ですが」とフョードルは正面の階段を昇りながら言った。
「ヴァルソノーフィ長老はまったく時として、宗教的畸人《ユロージヴァイ》のように見えることがありましたが、人の話にはずいぶん馬鹿げたことも多うございます。ことに杖で人をぶたれたことなぞは一度もありません」と僧は答えた。「ちょっと皆さんお待ち下さいませ、ただいま皆さんのおいでを知らせてまいりますから。」
「フョードル・パーヴロヴィッチ、これが最後の約束ですよ、いいですか。本当に言行に気をつけて下さい、それでないと僕も考えがありますからね。」ミウーソフはその間にまたこう囁いた。
「いかなれば君はかかる偉大なる興奮を感じたもうやらむ、どうもさっぱり合点がいきませんなあ」とフョードルはおひゃらかすように言った。「それとも、身の罪のほどが恐ろしいんですかな? 何でも長老は人の目つきを見ただけで、どんな罪を持っているかということを知るそうですからな。しかし、あなたのようなちゃきちゃきのパリっ子で、第一流の紳士が、どうしてそんなに坊主どもの思わくを恐れるんでしょう。わしはびっくりしてしまいましたぜ、まったく!」
 ミウーソフがこの皮肉に対して答える暇のないうちに、一同は内部へ招じられた。彼は幾分いらいらした気味で入って行った……
『もう前からちゃんとわかってる、おれは癇癪を起して、喧嘩をおっぱじめる……そして、のぼせてしまって、自分も自分の思想も卑下するくらいがおちだ』という考えが彼の頭にひらめいた。

[#3字下げ]第二 老いたる道化[#「第二 老いたる道化」は中見出し]

 彼らが中へはいったのは、長老が自分の寝室から出て来るのと、ほとんど同時であった。庵室では一行に先立って二人の僧が、長老の出て来るのを待っていた。一人は図書がかりで、いま一人は博学の噂の高い、さして年寄りでもないけれど病身な、パイーシイという僧であった。そのほかにもう一人、片隅に立っている若い男があった(この男は、それから後もずっと立ち通しであった。見たところ二十二くらいの年恰好で、普通のフロックコートを着ている。これはどういうわけか、僧院と僧侶団から保護を受けている神学校卒業生で、未来の神学者なのであった。彼はかなり背の高いほうで、色つやのいい顔は頬骨が広く、利口そうな注意ぶかい目は小さくて鳶色をしている。その顔にはきわめてうやうやしい表情が浮んでいるが、それはきわめて礼儀にかなったもので、少しも卑屈らしいところが見えない。入り来る客たちに対しても、彼は会釈しようともしない。それはまるで、自分が人の指揮監督を受ける身分で、対等の人間でないことを自覚しているようなふうであった。
 長老ゾシマはアリョーシャといま一人の聴法者に伴われて来た。僧たちは立ちあがって、指が床に届くほど深い会釈をもって彼を迎えた。それから、長老の祝福を受けると、その手を接吻するのであった。二人の僧を祝福し終ると、長老も同じく指が床に届くくらい一人一人に会釈を返して、こちらからも一々祝福を求めた。これらの礼式はまるで毎日しきたりの型のようでなく、非常に荘重で、ほとんど一種の感激さえ伴っていた。しかし、ミウーソフには一切のことが、わざとらしい思わせぶりのように見えた。彼は一緒に入った仲間のまっ先に立っていたから、よし自分がどんな思想を抱いているにもせよ、ただ礼儀のためとしても(ここではそういう習慣なのだから)、長老の傍へ寄って祝福を乞わねばならぬ、手を接吻しないまでも、せめて祝福を乞うくらいのことはしなくちゃならない、――これは彼が昨夜から考えていたことなのである。ところが、今いたるところで僧たちの妙な会釈や接吻を見ると、彼はたちまち決心をひるがえしてしまった。そして、ものものしく真面目くさって、ふつう世間風の会釈をすると、そのまま、椅子のほうへ退いた。フョードルもそのとおりをした。彼は今度は猿のようにミウーソフの真似をしたのである。イヴァンも非常にものものしい真面目な会釈をしたが、やはり気をつけの姿勢であった。カルガーノフはすっかりまごついてしまって、まるっきり礼をしなかった。長老は祝福のために上げた手をおろし、ふたたび一同に会釈をして着座を乞うた。くれないがアリョーシャの頬に昇った。彼は羞しくてたまらなかった。不吉な予感は事実となって現われ始めたのである。
 長老は革張りの、恐ろしく旧式なマホガニイの長椅子に腰をおろし、二人の僧を除く一同の客を、反対の壁ぎわに据えてある、黒い革のひどくすれた、四脚のマホガニイの椅子に並んですわらした。二人の僧は両側に、――一人は戸の傍に、いま一人は窓の傍に座を占めた。神学生とアリョーシャと、それからいま一人の聴法者は立ったままであった。庵室ぜんたいは非常に狭く、何だか、だらけたような工合であった。椅子テーブルその他の道具は粗末で貧しく、もう本当になくてならないものばかりであった。鉢植えの花が窓の上に二つと、それから部屋の片隅にたくさんな聖像が並んでいる――その中の一つは大きな聖母の像で、どうやら教会分裂([#割り注]十七世紀から十八世紀へかけて生じた[#割り注終わり])よりだいぶ前に描かれたものらしい、その前には燈明が静かに燃えている。傍には金色燦たる袈裟を着けた聖像が二つ、またそのまわりには作り物の小天使やら、瀬戸物の卵やら、『|嘆ける聖母《マーテル・ドロローサ》』に抱かれた象牙製のカトリック式十字架やら、古いイタリアの名匠の石版画などが幾枚かあった。これらの優美で高価な石版画のほかに、聖徒や殉教者や僧正などを描いた、思いきり幼稚なロシヤ出来の石版画、――どこの市場でも二コペイカか三コペイカで売っているようなのが、れいれいしく掲げてある。そのほか現在過去のロシヤ主教の石版肖像画も少々あったが、それはもう別な壁であった。ミウーソフはこういう『紋切り型』にざっと一通り目を通してから、執拗な視線を長老に向けて、食い入るように見つめた。彼は自分の観察眼を尊重する弱点を持っていた。もっとも、これは彼の五十という年を勘定に入れると、大抵ゆるすことのできる欠点である。実際この年輩になると、賢い、世馴れた、暮しに不自由のない人は、誰でもだんだん自分を敬うようになるのである。時とすると無意識に、そうなることもある。
 最初の瞬間からして、彼は長老が気に入らなかった。実際、長老の顔には、ミウーソフばかりでなく、多くの人の気に入らないだろうと思われるところがたくさんあった。それは腰の曲った非常に足の弱い背の低い人で、やっと六十五にしかならないのに、ずっと、少くとも十くらい老けて見える。顔はすっかり萎びて小皺に埋れている。ことに目の辺が一番ひどい。小さな目は薄色のほうであるが、まるで輝かしい二つの点のようにぎらぎら光りながら、非常にはやく動く。胡麻塩の毛はこめかみのあたりに少々残っているだけで、頤鬚はまばらで楔《くさび》型をしている。よく笑みを含む唇は、二本の紐かなんぞのように細い。鼻は長いというより、鳥の嘴のように尖っている。
『すべての徴候に照らしてみても、意地わるで、浅薄で、高慢な老爺《おやじ》だ』という考えがミウーソフの頭をかすめた。概して、彼はすこぶる不機嫌であった。
 時を打ち出した時計の音が話の糸口となった。錘《おもり》のついた安物の小さな掛時計が、せかせかした調子で、ちょうど十二時を報じた。
「ちょうどきっちり約束の時刻でございます」とフョードルが叫んだ。「ところが、息子のドミートリイはまだまいりません。わたくしがあれに代ってお詫びを申します、神聖なる長老さま!(この『神聖なる長老さま』でアリョーシャは思わずぎっくりした。)しかし当のわたくしはいつも几帳面で、一分と違えたことがございません、正確は王侯の礼儀なりということをよく覚えておりますので。」
「だが、少くとも、あなたは王侯じゃない。」すぐ我慢ができなくなって、ミウーソフがこう言った。
「さよう、まったくそのとおり、王侯じゃありません。それに、なんと、ミウーソフさん、わしも自分でそれくらいのことは知っておりましたよ。まったくですぜ! ところで、長老さま、いつもわたくしはとってもつかん時に、妙なことを言いだすのでございます!」どうしたのか急に感にたえたような調子で、彼は叫んだ。「ご覧のとおり、わたくしは間違いなしの道化でございます! もうかまわず名乗りを上げてしまいます。情けないことに、昔からの癖でございます! しかし、ときどきとってもつかんことを言うのは、当てあってのことでございます。人を笑わして愉快な人間になろう、という当てがあるのでございます。まったく愉快な人間になる必要がありますからなあ、そうじゃありませんか? 七年ばかり前、ある町へ出向いたことがございます、ちょっとした用事がありましたのでな。そこでわたくしは幾人かの商人どもと仲間を組んで、警察署長《イスプラーヴニック》のところへまいりました。それはちょっと依頼の筋があったので、食事に招待しようという寸法だったのでございます。出て来るのを見ると、その署長というのは、白っぽい頭をした肥った気むずかしそうな仁《じん》で、――つまり、こんな場合一番けんのんな代物なのでございます。なぜと申して、癇癪がひどいのですよ、癇癪が……わたくしはその傍へずかずかと寄って、世馴れた人らしいくだけた調子で、『|署長さん《イスプラーヴニック》、どうかその、われわれのナプラーヴニック([#割り注]一八三七年生れ、作曲家であり同時に文学者であった[#割り注終わり])になって下さいまし』とやったものです。『一たい、ナプラーヴニックとは何ですか?』わたくしはもうその瞬間に、こいつはしまった、と思いました。真面目な顔をして突っ立ったまま、じっと人の顔を見つめてるじゃありませんか。『わたくしは一座を浮き立たすために、ちょっと冗談を言ったのでございますよ。つまり、ナプラーヴニック氏は有名なロシヤの音楽指揮長でしょう。ところが、われわれの事業のハーモニイのためにも、音楽指揮長のようなものが必要なんで。』なかなかうまく理屈をひねくって、こじつけたでしょう、そうじゃありませんか?『ご免蒙ります、わしは警察署長《イスプラーヴニック》です、自分の官職を地口にするのは許すわけにいきません』と言ったと思うと、くるりと向きを変えて、出て行こうとします。わたくしはその後から、『そうです、そうです、あなたは警察署長《イスプラーヴニック》で、ナプラーヴニックじゃありません!』と呶鳴りましたが、『いいや、一たん言われた以上、わしはナプラーヴニックです。』どうでしょう、これですっかりわたくしどもの仕事はおじゃんになってしまいました! いつもこうなのです。きまってこうなのです! わたくしはいつもきまって、自分の愛嬌で損ばかりしておるのでございます。ずうっと以前、ある一人の勢力家に向って、『あなたの奥さんは擽ったがりのご婦人ですな』と言ったのです。つまり、名誉のほうにかけて神経過敏なと言うつもりだったのでございます、その、心の性質をさしたものなので。ところが、その人はいきなり、『じゃ、あなたは妻《さい》を擽ったんですか?』と訊きました。わたくしはどうしたものか、つい我慢ができなくなって、まあお愛嬌のつもりで、『はい擽りました』とやったのです。ところが、その人はさっそくわたくしをいいあんばいに擽ってくれましたよ……それはずっと昔のことなので、もう話しても、さほど恥しくないのでございます。こういうふうに、わたくしは一生涯、自分の損になることばっかりしておるのでございます。」
「あなたは今もそれをしてるんですよ。」ミウーソフは穢らわしいという様子でこう言った。
 長老は無言で二人を見くらべていた。
「そうですかね! ところが、どうでしょう、ミウーソフさん、私は口をきると一緒にそのことを感じましたよ。それどころか、あんたが一番にそれを注意なさる、ということまで感じておりましたよ。長老さま、わたくしは自分の洒落がうまくいかないと思ったその途端に、両の頬が下の歯齦に乾きついて、身うちが引っ吊ってくるような気がするのでございます。これはまだわたくしが若い時、貴族の家へ転げ込んで、居候でその日のパンにありついておった頃からの癖でございます。わたくしは根から生れつきの道化で、いわばまあ気ちがいでございますな。わたくしの体の中には悪魔が棲み込んどるに相違ありません。もっとも、あまり大した代物じゃありますまいよ。なぜと申して、少し豪い悪魔なら、もっとほかの宿を選びそうなものですからなあ。しかし、ミウーソフさん、あんたじゃありませんぜ、あんたの宿はあまり大したものじゃないから。けれども、その代りわたくしは信じます、神さまを信じます、ついこの間から疑いを起したのでございますが、その代り今ではじっと坐って、偉大なる言葉を待っております。長老さま、わたくしはちょうど哲学者のディドローみたいでございます。あなたさまは哲学者のディドローが、エカチェリーナ女帝のみ世に、大僧正プラトンのところへまいった話をご存じでございますか。はいるといきなり、『神はない!』と申しました。すると大僧正は指を天へ向けてこう答えられました。『狂えるものはおのが心に神なしと言う!』こちらはいきなり、がばとその足もとへ身を投げて、『信じます、そして洗礼も受けます』と叫んだのでございます。そこで、すぐさま洗礼を受けましたが、ダーシュコヴァ公爵夫人が教母、ポチョームキンが教父……」
「フョードルさん、もう聞いていられない! あなたは自分で、でたらめを言ってることを知ってるんでしょう。そのばかばかしい話は真っ赤な嘘です。一たいあなたは、何のために妙な真似ばかりするんです?」ミウーソフはもうてんで自分を抑えようとしないで、声を顫わしながらこう言った。
「それは一生感じておりましたよ、まったく嘘です!」とフョードルは夢中になって叫んだ。「皆さん、その代りわたくしは正真正銘、間違いのないとこを申します。長老さま! どうぞお赦し下さいませ、一番おしまいに申しましたことは、あのディドローの洗礼のお話は、わたくしがたったいま自分で作ったのでございます。いまお話しているうちに考え出したので、以前は頭へ浮んだこともありません。つまり、ぴりっとした味をつけるために、作り出したのでございます。ミウーソフさん、わしが妙な真似をするのは、ただ愛嬌者になりたいからですよ。もっとも、ときどき自分でも何のためかわからんことがありますがね、ところで、ディドローのことですな、あの『心狂える者は』というやつは、わしがまだ居候をしていた年若な時分に、ここの地主たちから、ものの二十度ばかりも聞かされたんですよ。あんたの伯母ごのマーヴラ・フォミーニチナからも、何かの話の中に聞いたことがありますぜ。あの手合いは、無神論ディドローが神さまの議論をしにプラトン大僧正のところへ行ったことを、いまだに信じておるのですよ……」
 ミウーソフは立ちあがった。それは単に我慢しきれなくなったためばかりでなく、前後を忘れてしまったからである。彼はもの狂おしい怒りに駆られていたが、そのために自分までが滑稽に見えることも自覚していた。実際、庵室の中には、何かしらほとんどあり得べからざるようなことが生じたのである。この庵室へは、前々代の長老の時から、もう四五十年のあいだ、毎日来訪者が集って来たが、それはすべて、深い敬虔の念を抱いて来るものばかりであった。この庵室へ通される人は、誰でも非常な恩恵を与えられたような心持で、ここへ入って来るのであった。多くのものは初めからしまいまで、一たん突いた膝を上げることができなかった。単なる好奇心か、あるいはその他の動機によって訪ねて来る上流の人々や、第一流の学者のみならず、過激な思想をいだいた人たちでさえも、ほかの者と一緒かまたはさし向いの対談を許されて庵室の中へ入って来ると、すべて一人の例外もなく、初めから終りまで深い尊敬を示し礼儀を守るのを、第一の義務と心得ていたものである。その上、ここでは金というものは少しも問題にならないで、一方の側からは愛と慈悲、いま一方の側からは悔悟と渇望、自分の心霊生活の困難な問題、もしくは困難な瞬間を解決しようという渇望、――こういうものが存在するばかりであった。
 それゆえ、今のフョードルの場所柄をわきまえぬ傍若無人なふざけた態度は、同席の人々、少くともその中のある者に、怪訝《かいが》と驚愕の念を惹き起した。二人の僧はそれでも一向顔色を変えないで、長老が何と言うだろうかと、真面目な態度で注視していたが、やはりミウーソフと同じように、もはや座にたえない様子であった。アリョーシャは今にも泣きだしたいような風つきで、こうべを垂れながら立っていた。何より不思議なのは兄イヴァンである。彼は父に対してかなり勢力を持っている唯一の人であるから、今にも父の無作法を制止してくれるかと、そればかりアリョーシャは当てにしているのに、彼は目を伏せたまま、身動きもしないで椅子に腰かけている。そして、この事件に何の関係もない他人のように、一種好奇の色を浮べながら、事件がどんなふうに落着するかと待ち設けているかのようであった。ラキーチン(神学生)のほうをも、アリョーシャは振り向くことができなかった。この男はやはり彼の知り合いで、ほとんど親友と言ってもいいほどの間柄であるから、その腹の中もよくわかっていた(もっとも、それがわかるのは僧院じゅうでアリョーシャ一人きりであった)。
「どうぞお赦し下さい」とミウーソフは長老に向って口をきった。「ことによったら、わたくしもこの悪い洒落の共謀人のように、あなたのお目に映るかもしれませんが、カラマーゾフ氏のような人でさえ、こういう尊敬すべきお方を訪問する時には、自分の尽すべき義務をわきまえることと信じたのが、わたくしの考え違いでございました……わたくしはまさかこの人と一緒に来たことで、お赦しを乞うようなことになろうとは思いませんでした……」
 彼はしまいまで言わないうちにまごついてしまって、もうさっさと出て行きそうにした。
「ご心配なされますな、お願いですじゃ。」とつぜん長老はひ弱い足を伸ばして席を立ち、ふたたび彼を肘椅子に坐らした。「落ちついて下され、お願いですじゃ。ことにあなたには、別してわしの客となってもらいとうござりますでな」と彼は会釈とともに向きを変えて、ふたたび自分の長椅子に腰をおろした。
「神聖なる長老さま、どうかおっしゃって下さいまし、わたくしがあんまり元気すぎるために、腹を立てはなさいませんか?」肘椅子の腕木に両手をかけて、返答次第でこの中から飛び出すぞというような身構えをしながら、フョードルはふいにこう叫んだ。
「お願いですじゃ、あなたも決してご心配やご遠慮のないように。」長老は諭すように言った。「どうかご自分の家におられるつもりで、遠慮なさらぬようにお願いしますじゃ、まず第一に自分で自身を恥じぬことが肝要ですぞ。これが一切のもとですからな。」
「自分の家と同じように? つまり、飾りけなしでございますか? ああ、それはもったいなさすぎます、もったいなさすぎます、がしかし、――悦んで頂戴いたしましょう! ところで、長老さま、飾りけなしなぞと、わたくしを煽てないで下さい、けんのんでございますよ……飾りけなしというところまでは、当人のわたくしさえ突き当る元気がありません。これはつまりあなたを護るために、前もってご注意するのでございます。まあ、そのほかのことはまだ『未知の闇に葬られて』おります。もっとも、中には、わたくしという人間を、むやみと悪しざまに言いたがる仁《じん》もありますがな、――これはミウーソフさん、あんたにあてて言っとることですぜ。ところで、長老さま、あなたにあてては歓喜の情を披瀝いたします!」彼は立ちあがって、両手を差し上げながら言いだした。「『なんじを宿せし母胎は幸いなり、なんじを養いし乳房は幸いなり、ことに乳房こそ幸いなれ!』あなたはただいま、『自分を恥じてはならぬ、これが一切のもとだから』とご注意くださりましたが、あのご注意でわたくしを腹の底までお見透しなさいました。まったく、わたくしはいつも人中へ入って行くと、自分は誰よりも一番いやしい男で、人がみんな自分を道化者あつかいにするような気がいたすのでございます。そこで、『よし、それなら一つ本当に道化の役をやって見せてやろう。人の思わくなど怖かあない。誰も彼もみんなわしより卑屈なやつらばかりだ!』こういうわけで、わたくしは道化になったのでございます。恥しいがもとの道化でございます、長老さま、恥しいがもとなのでございます。ただただ疑ぐり深い性分のために、やんちゃをするのでございます。もしわたくしが人の中へ入る時、みんなわたくしのことを、世にも面白い、利口な人間と思うてくれるに相違ない、こういう自信ができましたなら、いやはや、その時はわたくしも、どんないい人間になったことでしょうなあ! 長老さま!」と、いきなりとんと膝を突いて、「永久の生命《いのち》を受け継ぐためには、一たいどうすればよろしいのでございましょう?」
 はたして彼はふざけているのか、それとも本当に感激しているのか、どちらとも決めかねるほどであった。
 長老はそのほうへ視線を注ぎ、笑みを浮べながら言った。
「どうすればよいか、自分でとうからご存じじゃ。あなたには分別は十分ありますでな。飲酒に耽らず、言葉を慎しみ、女色、ことに拝金におぼれてはなりませんぞ。それからあなたの酒場を、皆というわけにゆかぬまでも、せめて二つでも三つでもお閉じなさい。が、大事なのは、一ばん大事なのは、――嘘をつかぬということですじゃ。」
「というと、ディドローの一件か何かのことで?」
「いや、ディドローのことではない。肝要なのは自分自身に嘘をつかぬことですじゃ。みずから欺き、みずからの偽りに耳を傾けるものは、ついには自分の中にも他人の中にも、まことを見分けることができぬようになる、すると、当然の結果として、自分に対しても、他人に対しても尊敬を失うことになる。何者をも尊敬せぬとなると、愛することを忘れてしまう、ところが、愛がないから、自然と気をまぎらすために淫《みだ》らな情欲に溺れて、畜生にもひとしい悪行を犯すようになりますじゃ。それもこれも、みな他人や自分に対するたえまのない偽りから起ることですぞ。みずから欺くものは、何より第一番に腹を立てやすい。実際、時としては、腹を立てるのも気持のよいことがある。そうではありませんかな? そういう人はな、誰も自分を馬鹿にした者はない、ただ自分で侮辱を思いついてそれに色どりをしただけなのだ、ということをよく承知しております。一幅の絵に仕上げるため自分で誇張して、僅かな他人の言葉に突っかかり、針ほどのことを棒のように触れ廻る、――それをちゃんと承知しておるくせに、自分から先になって腹を立てる。しかも、よい気持になって、何ともいえぬ満足を感じるまで腹を立てる。こうして、本当のかたき同士のような心持になってしまうのじゃ……さあ、立ってお坐りなされ、お願いですじゃ。それもやはり偽りの身振りではありませぬか。」
「ああ、有徳《うとく》なお方だ! どうぞお手を接吻さして下さいませ。」フョードルはひょいと飛びあがって、長老の痩せこけた手を大急ぎでちゅっと吸った。「まったくそのとおり、腹を立てるのがいい気持なんでございます。実によく言い当てなさいました。そういうことを、わたくしは今まで聞いたことがございません。まったくそのとおり、わたくしは一生涯、いい気持になるまで腹を立てました。つまり、その美学的に腹を立てたのでございます。なぜと申して、侮辱されるというやつは気持がいいばかりでなく、どうかすると美しいことがございますでな。この美しいということを、一つ言い落されましたなあ、長老さま! これはぜひ手帳に書きとめておきましょう。ところで、わたくしは本当に嘘をつきました、それこそ一生のあいだ毎時毎日嘘をつきました。まことに偽りは偽りの父なり! でございますよ。もっとも、偽りの父ではありませんな。いつもわたくしは、聖書の文句にまごつきますので。まあ、さよう、偽りの子くらいのところでたくさんですよ。しかし……天使のような長老さま……ディドローのような話も時にはよろしゅうございますよ! ディドローの話は害になりません、害になるのはときどき口をすべる言葉でございます。ああ、そうそう、うっかり忘れるところだった、ついでに一つ伺いたいことがございます。これはもう三年も前から調べてみるつもりで、こちらへ参上してぜひぜひ詳しく伺おう、と決心しておったのでございます。しかし、ミウーソフさんに口出しをさせんようにお願いいたします。ほかではありませんが、『殉教者伝』のどこかにこんな話があるのは、本当のことでございましょうか。それは何でもある神聖な奇蹟の行者が、信仰のために迫害されておりましたが、とうとう首を切られてしまいました。ところが、その人はひょいと起きあがるなり、自分の首を拾って、さも『いとしげに口づけしぬ』とあるのです。しかも長い間それを手に持って歩きながら、『いとしげに口づけしぬ』なんだそうです。一たいこれは本当のことでしょうか、どうでしょう、皆さん?」
「いいや、嘘ですじゃ」と長老は答えた。
「どんな『殉教者伝』にも、そのようなことは載っておりません。一たい何聖者のことをそんなふうに書いてありましたかな?」と図書がかりの僧が訊いた。
「わたくしもよく知りません、一向存じません。だまされたんですな。わたくしも人から聞いたのです。ところで、誰から聞いたとお思いですか、このミウーソフさんですよ。たった今ディドローのことであんなに腹を立てたミウーソフさんですよ。この人が話して聞かせたのです。」
「僕は決してそんなことを、あなたに話した覚えはありません。それに全体、僕はあなたと話なんかしやしません。」
「そりゃまったくわしに話したことはありませんがな、あんたが大勢あつまっておる席で話したところ、その場にわしも居合せたんですよ。何でも四年ばかりも前のことでしたなあ。わしがこんなことを言いだしたのは、あんたがこの滑稽な話でもってわしの信仰をゆるがしたからです。あんたは芋の煮えたもご存じなしだが、わしはゆるがされたる信仰をいだいて帰って、それ以来ますます動揺をきたしておるんですよ。なあ、ミウーソフさん、あんたはわしの大堕落の原因なんですぜ。これはもうディドローどころの騒ぎじゃない!」
 フョードルは悲痛な熱した調子で弁じた。しかし、またしても彼が芝居をしているということを、一同はもうはっきりと見抜いたのであるが、それでもやはり、ミウーソフは痛いところを突かれたような気がした。
「なんてくだらない、あんたの言うことはみんな馬鹿げてる」と彼は呟いた。「僕は実際いつか話したことがあるかもしれん……しかし、あなたに話したのじゃない。僕自身からして人に聞いたんですものね。何でもパリにいた時あるフランス人が、ロシヤでは『殉教者伝』の中にこんな逸話があって祈祷式に朗読するとかって話して聞かせたんです。その人はなかなかの学者で、ロシヤに関する統計を専門に研究しているんです……ロシヤにも長く暮したことがあります……僕自身は『殉教者伝』を読んだことがない……それに、また読もうとも思いませんよ……まったく食事の時などは、どんなことを喋るかしれたもんじゃない……そのときちょうど食事をしていたんですからね……」
「さよう、あんたはそのとき食事をしておられたでしょうが、わしはこのとおり、信仰をなくしたんですよ!」とフョードルがちょっかいを入れた。
「あなたの信仰なんか僕の知ったことじゃありません!」とミウーソフは呶鳴りかけたが、急に虫を殺してこう言った。「あなたはまったく譬えでなしに、自分の触ったものにすっかり泥を塗るんですよ。」
 長老はとつぜん席を立った。
「失礼ですが、皆さん、わしはちょっと十分間ほど、あなた方をおいて行かねばなりませんじゃ」と彼は一行に向って言った。「実はあなた方より前に見えた人たちが待っておりますのでな。しかし、あなたは何というても、嘘をつかぬほうがようござりますぞ。」フョードルに向って愉快そうな顔をしながら、彼はこう言いたした。
 彼は庵室を出て行った。アリョーシャと聴法者は階段を助けおろすために、その後から駆け出した。アリョーシャは息をはずましていた。彼はこの席をはずせるのが嬉しかったけれど、長老が少しも腹を立てないで、愉快そうな顔をしているのも、嬉しいことであった。長老は自分を待ちかねている人たちを祝福するために、廊下のほうをさして進んだ。しかし、フョードルはそれでも庵室の戸口で彼を引き止めた。
「神聖なる長老さま!」と彼は思い入れたっぷりで叫んだ。「どうかもう一度お手を接吻さして下さいませ! 実際あなたはなかなか話せますよ、一緒に暮せますよ! あなたはわたくしがいつもこのような馬鹿者で、道化た真似ばかりしとるとお思いなされますか! なに、わたくしはあなたをためそうがために、わざとあんな真似をしておったのでございます。あれはつまり、あなたと一緒に暮すことができるか、あなたの気高いお心にわたくしの謙遜の居場所があるかどうかと思って、ちょっと脈をとってみたのでございますよ。しかし、あなたには褒状をさし上げてもよろしい、――一緒に暮すことができますよ! さあ、これでもう口をききません、ずっとしまいまで黙っております。椅子に腰をかけたっきり、黙っております。ミウーソフさん、今度はあなたが話をする番ですぜ、今度はあなたが一番役者ですぜ……もっとも、ほんの十分間だけな。」

[#3字下げ]第三 信心深い女の群[#「第三 信心深い女の群」は中見出し]

 そと囲いの塀に建てつけられた木造の廊下の傍には、今日は女ばかりの一群、二十人ばかりの女房が押しかけていた。彼らは、いよいよ長老さまがお出ましになると聞いて、こうして集っているのであった。上流の婦人のために設けられた別室に控えて同様に長老を待っていた地主のホフラコーヴァ夫人も廊下へ出た。この一行は母と娘の二人であった。母なるホフラコーヴァは富裕な貴婦人で、いつも趣味のある服装をしているうえに、年もまだずいぶん若いほうである。少し色目は悪いけれど、非常に可愛い顔立ちをしていて、ほとんど真っ黒な目が恐ろしく生き生きしている。年はまだせいぜい三十四くらいなものだが、ものの五年ばかり前からやもめになっている。十四になる娘は足《そく》痛風に悩んでいた。不幸な娘はもう半年も前から歩くことができなくなったために、車のついた細長い安楽椅子に乗ったまま方々へ運ばれていた。美しい顔は病気のために少し痩せているけれど、うきうきしていた。睫の長い暗色《あんしょく》の大きな目には、何となくいたずららしい光があった。母は春頃からこの娘を外国へ連れて行く気でいたが、夏の領地整理のため時期を遅らしてしまった。母娘《おやこ》はもう二週間ばかりこの町に滞在しているが、それは神信心のためというより、むしろ用事の都合であった。もう三日前に一度長老を訪れたのに、今日もまたとつぜん母娘《おやこ》の者は、もう長老がほとんど誰にも会えなくなったことを承知しながら、ふたたびここへやって来て、もう一度「偉大な救い主を拝む幸福」を授けて欲しいと、祈るようにして頼んだのである。長老が出て来るのを待つあいだ、母夫人は娘の安楽椅子の傍らなる椅子に腰かけていた。彼女から二歩ばかり離れたところに一人の老僧が立っていた。これはこの僧院の人ではなく、あまり有名でない北のほうの寺から来たのである。彼も同じように長老の祝福を受けようとしていた。しかし、廊下に姿を現わした長老は、初めまっすぐに群衆のほうへと通り過ぎた。群衆は低い廊下と広場を繋いでいる、僅か三段の階《きざはし》をさして詰め寄せた。長老は一ばん上の段に立って袈裟を着け、自分のほうへ押し寄せる女房たちを祝福し始めた。と一人の『|憑かれた女《クリクーシカ》』が両手を取って突き出された。彼女は長老を見るか見ないかに、何やら愚かしい叫び声を立ててしゃっくりをしながら、子供の驚風のように全身をがたがた顫わせ始めた。長老はその頭の上から袈裟を被せて、簡単な祈祷をしてやった。すると、病人はたちまち静かになって、落ちついてしまった。今はどうか知らないが、筆者《わたし》の子供の時代には村うちや僧院で、よくこんな『|憑かれた女《クリクーシカ》』を見たり、噂を聞いたりしたものである。こういう病人を教会へつれて来ると、堂内一杯に響き渡るほどけたたましく叫んだり、犬の吠えるような声を出したりする。しかし、聖餐が出てから、そのそばへ連れられて行くと、『憑き物のわざ』はすぐやんで、病人もしばらくのあいだ落ちつくのであった。これらの事実は子供の筆者《わたし》を驚かし、かつおびやかした。しかし、その当時、地主の誰彼や、ことに町の学校の先生などに根掘り葉掘りして訊いてみたら、あれは仕事がしたくないからあんな真似をするので、相当の厳格な手段をとったら、いつでも根絶やしのできることだと説明して、それを裏書きするような話をいろいろ引いて聞かせた。ところが、後になって専門の医者から、それは決して芝居ではなく、わがロシヤに特有の観がある恐ろしい婦人病であると聞いて二度びっくりした。これはわが国農村婦人の惨憺たる運命を説明する病気で、なんら医薬の助けを借りず不規則に重い産をすました後、あまり早く過激な労働につくために生じたものであるが、そのほか、弱い女性の一般の例にならって、たえ得られない悲しみとか、男の折檻とかいうようなものも、原因となるとのことであった。
 病人を聖餐のそばへ連れて行くやいなや、今まで荒れ狂ったり、もがいたりしていたものが、急に治ってしまうという奇妙な事実も、『あれはただの芝居だ、ことによったら売僧《まいす》どもの手品かもしれぬ』と人は言うけれど、おそらくきわめて自然に生じるのであろう。つまり病人を聖餐のそばへ連れて行く女たちもまた病人自身も、こうして聖餐のそばへ寄って、頭を屈めたとき、病人に取り憑いている悪霊が、どうしても踏みこたえることができないものと、一定の真理かなんぞのように信じきっている。それゆえ、必然的な治療の奇蹟を期待する心と、その奇蹟の出現を信じきっている心とが、聖餐の前に屈んだ瞬間、神経的な精神病患者の肉体組織に、非常な激動を惹き起すのであろう(いな、惹き起すべきはずである)。かようにして、奇蹟は僅かの間ながら実現するのであった。長老が病人を袈裟で蔽うたとき、ちょうどこれと同じことが生じたのである。
 長老のそば近く押しかけている女たちは、その瞬間の印象に呼びさまされた歓喜と感動の涙にくれた。中にはその法衣《ころも》の端でも接吻しようと押し寄せるものもあれば、何やら経文を唱えるものもあった。長老は一同を祝福して、二三のものと言葉を交した。『|憑かれた女《クリクーシカ》』は彼もよく知っていた。これはあまり遠くない、僧院から六露里ほどの村から連れられて来たので、以前もちょいちょい来たことがある。
「ああ、あれは遠方の人じゃ!」決して年とっているのではないが、恐ろしく痩せほうけて、日に焼けたというより真っ黒な顔をした女を指さして、彼はこう言った。この女は跪いてじっと目を据えたまま、長老を見つめていた。その目の中には何となく狂奮の色があった。
「遠方でござります、方丈さま、遠方でござります、ここから三百露里もござります。遠方でござります、方丈さま、遠方でござります。」首をふらふらと右左に振るような気持で、掌に片頬をのせたまま、歌でも歌うように女は言った。その口調はまるでお経を唱えるような工合であった。
 民衆の中には忍耐強い無言の悲しみがある。それは自己の中にひそんで、じっと押し黙っている悲しみである。ところが、また張り裂けてしまった悲しみがある。それは一たん涙とともに流れ出てから、もう永久に経文でも唱えるような愚痴の形をとるものである。こんなのはとくに女のほうに多い。しかし、これとても決して無言の悲しみより忍びやすくはない。愚痴は自分の心をさらに毒し、一そう掻きむしることによって、ようやく悲しみをまぎらすばかりである。こうした悲しみは、慰藉を望まないで、救いがたい絶望の情を餌食にするものである。愚痴はただひっきりなしに傷口を突っついていたいという要求にすぎない。
「おおかた町方《まちかた》の人に違いなかろうな?」好奇の目で女を見つめながら、長老は語をついだ。
「町の者でござります、方丈さま、町の者でござります、もとは百姓の生れでござりましたが、今は町の者でござります、町で暮しておりまする。お前さまを一目見とうてまいりました。お噂を聞いたのでござります、幼い男の子の葬いをして巡礼に出ましたが、三ところのお寺へお詣りしたら、わたくしに教えて申されますに、『ナスターシャ、こうこういうところへ行ってみい。』つまりお前さまのことでござります、方丈さま、お前さまのことでござります。この町へまいってから、昨日は宿屋に泊りましたが、今日はこうしてお前さまのところへまいりました。」
「何を泣いておるのじゃな?」
「息子が可哀そうなのでござります、方丈さま、三つになる男の子でござりました。三つにたった三月たりないだけでござりました。息子のことを思うて、息子のことを思うて苦しんでおるのでござります。それもたった一人残った子でござりました。はじめニキートカとの中に、子供が四人ありましたが、どうもわたくしどもでは子供が育ちません。どうも方丈さま、育たないのでござります。上を三人|亡《の》うしたときは、それほど可哀そうとも思わなんだのでござりますが、こんど乙子《おとご》を亡《の》うした時ばかりは、どうも忘れることができません。まるでこう目の前に立ってどかないのでござります。もうすっかりわたくしの胸ん中を干乾しにしてしまいました。あの子の小さなシャツを見ても、着物を見ても、靴を見ても、おいおい泣くのでござります。あの子のあとに残ったものを一つ一つ拡げてみては、おいおい泣くのでござります。そこでニキートカに、――わたくしのつれあいに、『お願いだから巡礼に出しておくれ』と申しました。つれあいは馬車屋でござりますが、さして暮しには困りませぬ。方丈さま、さして暮しには困りませぬ。自分で馬車を追いまして、馬も車もみんな自分のものでござりまする。けれども、今となってこのような身上も何の役に立ちましょう! わたくしがいなくなったら、あの人は、うちのニキートカは、無茶なことをしているに違いありません。それは確かな話でござります。以前もそうでござりました。わたくしがちょっと目を放すと、すぐもう気を弛めるのでござります。でも