『ドストエーフスキイ全集 第12巻 カラマーゾフの兄弟上』(1959年、米川正夫訳、河出書房新社)P240-P287

「この間もパーヴェルさんに、『臼へ入れて搗き殺すぞ』っておっしゃいましたわ」とマリヤが言い添えた。
「もし臼へ入れてなどと言ったとしても、それはほんの口さきばかりかもしれませんよ」とアリョーシャが言った。「もし僕がいま兄さんに逢うことができたら、そのこともちょっと言っておくんですがねえ……」
「私があなたにお知らせのできるのは、まあ、これくらいなものでございますよ。」何やら考えついたように、スメルジャコフは突然こう言いだした。「私がここへ出入りするのは隣同士の心安だてからです。それに、出入りして悪いってことはありませんからね。ところで、私は今日夜の明けないうちにイヴァンさまのお使いで湖水街《オーゼルナヤ》にあるあの方のお住いへまいりましたが、手紙はなくて、ただ口上だけで、一緒に食事がしたいから、広場の料理屋までぜひ来てくれということでした。私がまいりましたのは八時頃でしたが、ドミートリイさまは家にいらっしゃいませんでした。『ええ、いらしったのですが、つい今しがたお出かけになりました』と宿の人たちがこのとおりの文句で教えてくれましたが、どうも何か打ち合せでもしてあるような口ぶりでした。ひょっとしたら、今頃その料理屋で、イヴァンさまとさし向いで話しておいでかもしれません。なぜって、イヴァンさまが昼飯にお帰りにならなかったもんですから、旦那さまは一時間ほど前ひとりで食事をすまして、いや横になって休んでいらっしゃいますものね。しかし、折り入ってのお願いは、私のことも私の話したことも、必ずあの方に言わないで下さいまし。でないと、もう私は殺されてしまいます。」
「イヴァン兄さんが、今日ドミートリイを料理屋へ呼んだって?」アリョーシャは早口に問い返した。
「そのとおりでございます。」
「広場の『都』かね?」
「そうなので。」
「それはまったくありそうなことだ!」とアリョーシャは恐ろしくわくわくしながら叫んだ。
「有難う、スメルジャコフ、それは重大な報知だ。今すぐ行ってみよう。」
「私のことをおっしゃらないで下さいまし」とスメルジャコフが後から喚いた。
「おお、決してそんなことはない。僕は偶然ゆき合したような顔をするから、安心しておいで。」
「あら、あなたどこへいらっしゃいますの? わたし今くぐりを開けてさし上げますわ」とマリヤが叫んだ。
「いや、このほうが近いですよ、僕また垣を越しましょう。」
 この報知はアリョーシャの心を烈しく震撼した。彼は一目散に料理屋をさして駆け出した。しかし、こんな服装《なり》をして料理屋へ入るのも異《い》なものであったが、廊下で訊き合して、呼び出してもらう分にはさしつかえなかった。しかし、彼が料理屋のそばへ近寄ったばかりの時、突然一つの窓が開いて、兄のイヴァンが顔を覗けながら、大きな声で呼ぶのであった。
「アリョーシャ、お前いますぐここへ入るわけにゆかないかい? そうしてくれると非常に有難いんだが。」
「ええ、いいですとも、しかし、こんな服装《なり》をしてるから、どうして入っていいやらわからないんです。」
「ところが、僕はちょうどいいあんばいに別室に陣取ってるから、かまわず玄関へ入っておいで。僕がいま駆け出して迎えに行くよ……」
 一分間の後、アリョーシャは兄と並んで坐っていた。イヴァンは一人きりで食事をしていたのである。

[#3字下げ]第三 兄弟の接近[#「第三 兄弟の接近」は中見出し]

 しかし、イヴァンが陣取っているのは別室でなく、ただ窓のそばの一隅を衝立てで仕切ったばかりであるが、それでもやはり中に坐っていると、はたの人からは見えなかった。この部屋は入口から取っつきの部屋で、横のほうの壁ぎわには酒の壜などを並べた棚がしつらえてあった。給仕たちはあちこち動き廻っていたが、お客といっては、退職の軍人らしい老人がたった一人、隅っこのほうでお茶を飲んでいるきりであった。その代り、ほかの部屋部屋では普通の料理屋につきものの騒々しい音――給仕人を呼ぶ呶鳴り声、ビールの口を抜く音、玉突きの響き、オルガンの呻きなどが聞えていた。イヴァンがこの料理屋へほとんど一度も来たことがないということも、彼が全体として料理屋を好まないということも、アリョーシャはよく知っているので、彼がここにいるわけは、ただ約束によってドミートリイと逢うためだろうと、心の中で考えた。しかしドミートリイはいなかった。
「魚汁《ウハー》か何か誂えようかね。まさか茶ばかりで生きてるわけでもあるまいから」とイヴァンは弟を捕まえたので、大いに満足したらしい様子でこう言った。彼自身はもうとっくに食事をすまして、茶を飲んでいたのである。
「魚汁《ウハー》を下さいな、その後でお茶もちょうだいしましょう、僕、すっかり腹が空いちゃったのです」とアリョーシャは愉快そうに答えた。
「ところで、桜のジャムは? ここにあるんだよ。覚えてるかい、お前が小さな時分ポレーノフさんの家で、桜のジャムを悦んで食べてたじゃないか?」
「兄さんよくそんなことを覚えていますね? 桜のジャムをいただきましょう。僕は今でも好きなんです。」
 イヴァンは給仕を呼んで、魚汁《ウハー》と茶と桜のジャムを注文した。
「僕すっかり覚えてるよ。僕はお前を、十一の年まで覚えてる。そのとき僕は十五だったね。十一と十五という年は、兄弟がどうしても友達になれない時分なんだね。僕はお前が好きだったかどうか、それさえ覚えがないくらいだよ。モスクワへ出てから初め何年かの間、お前のことはまるっきり思い出さなかったっけ。それから、お前が自分でモスクワへやって来た時だって、たった一度どこかで会っただけだね。またここへ来てからもう四月《よつき》になるけれど、今まで一度もしんみり話したことがないんだ。僕は明日発とうと思うんだが、今ここへ坐ってるうちにふいと、どうかしてあれ[#「あれ」に傍点]に会えないかしら、しんみり別れがしたいもんだなあ、と考えてるところへ、お前がそばを通りかかるじゃないか。」
「兄さんはそんなに僕に会いたかったのですか?」
「会いたかったよ。僕は一度しっかり、お前と近づきになって、お前に僕という人間を知らせたい、それを土産にして別れたいのだ。僕の考えでは、別れの前に近づきになるのが一番いいようだ。僕はこの三カ月の間お前がどんなふうに僕を眺めていたか、ちゃんと見てとったよ、お前の目の中には何かたえまなき期待、とでもいうようなものがあった。これがどうにも我慢できないので、そのために僕はお前に近寄らなかったのさ。しかし、終り頃になって、僕もお前を尊敬する気になった。つまり、『あの小僧しっかりした足つきで立ってるな』というような気持なんだ。いいかい、いま僕は笑ってるけれど、言うことは真面目なんだよ。だって、お前はしっかりした足つきで立ってるじゃないか、ね? 僕はそんなしっかりした人が好きなんだ。よしその立場が何であろうと、またその当人がお前のような小僧っ子であってもさ……で、しまい頃には何やら期待するようなお前の目つきも、そう厭でなくなった。それどころか、その期待するような目つきが好きになったのさ。お前もどういうわけか、僕を好いてくれるようだね、アリョーシャ?」
「好きですよ。ドミートリイ兄さんはあなたのことを、イヴァンは墓だって言いますが、僕はイヴァンは謎だと言うのです。兄さんは今でも依然として謎ですが、しかし、僕はいま何か兄さんのあるものを掴んだような気がします。それもつい今朝からの話ですよ。」
「それは一たい何だね?」とイヴァンは笑った。
「怒りゃしないでしょうね?」とアリョーシャも笑いだした。
「うん。」
「つまり、兄さんもやはりほかの二十四くらいの青年と同じような青年だ、ということなんです。つまり、同じように若々しく生き生きした、可愛い坊ちゃんなのです。もしかしたら、まだ嘴の黄いろい青二才かもしれませんよ! どうです、大して気にさわりゃしないでしょう?」
「どうして、どうして、かえって暗合に驚かされたくらいだよ!」イヴァンは熱をおびた調子で愉快そうに叫んだ。「お前は本当にしないだろうが、今朝あのひとのとこで別れたあとで、僕はそのことばかり心の中で考えてたんだ。つまり、僕が二十四歳の嘴の黄いろい青二才だってことさ。ところが、今お前は僕の腹の中を見抜いたかなんぞのように、いきなりそのことから話の口をきるじゃないか。僕がここへ坐ってる間、どんなことを考えてたかお前にわかるかい、――よしんば僕が人生に信を失い、愛する女に失望し、ものの秩序というのを本当にすることができなくなった挙句、一切のものは混沌として呪われたる悪魔の世界だと確信して、人間の幻滅の恐ろしさをことごとく味わいつくしたとしても、――それでも、僕は生きてゆきたい。一たんこの杯に口をあてた以上、それを征服しつくしたあとでなければ、決して口を放しゃしない! しかし、三十くらいになったら、まだ飲み干してしまわなくっても、必ず杯を棄てて行ってしまう……しかし、どこへ行くかわからない。だが、三十までは僕の青春が、一切のものを征服しつくすに相違ない、生に対する嫌悪の念も一切の幻滅もね。僕はよく心の中で、自分の持っている狂暴な、ほとんど無作法といっていいくらいな生活欲を征服し得る絶望が世の中にあるかしらん、とこう自問自答するのだ。そしてとうとう、そんな絶望はなさそうだと決めてしまったが、しかしこれもやはり三十までで、それからあとは、もう自分でも生活が厭になるだろうと思われるよ。肺病やみのような生気のない道学先生は、この生活欲を目してよく下劣なもののように言うね。詩人なんて連中はことにそうだ。この生活欲はいくぶんカラマーゾフ的特質なんだね。それは事実だ。この性質はお前の体の中にもひそんでいるのだ。外観上どうあろうとも、必ずひそんでいるに相違ない。しかし、どうしてそれが下劣なんだろう? 求心力というやつは、わが遊星上にまだまだたくさんあるからなあ、アリョーシャ。僕は生活したい、だから、論理に逆っても生活するだけの話だ。たとえものの秩序を信じないとしても、僕にとっては春芽を出したばかりの、粘っこい若葉が尊いのだ。瑠璃色の空が尊いのだ。ときどき何のためともわからないで好きになる誰彼の人間が尊いのだ。そうして、今ではとうから意義を失っているけれど、古い習慣のため感情のみで尊重しているような、ある種の功名が尊いのだ。さあ、お前の魚汁《ウハー》が来た。しっかりやってくれ。なかなかいい魚汁《ウハー》だよ、うまく食べさせるよ。僕はね、アリョーシャ、ヨーロッパへ行きたいのだ、ここからすぐ出かけるつもりだ。しかし、僕の行くところが、ただの墓場にすぎないってことは、自分でもよく承知している。しかし、その墓場は何よりも、何よりも一ばん貴い墓場なんだ、いいかい! そこには貴い人たちが眠っている。その一人一人の上に立っている墓石は、過ぎし日の熱烈火のごとき生活を語っている。自己の功名、自己の真理、自己の戦い、自己の科学などに対する燃ゆるがごとき信仰を語っている。僕はきっといきなり地べたに倒れて、その墓石を接吻し、その上に涙を流すに相違ない。これは今からちゃんと承知している、が同時に、『これはずっと前からただの墓場に化している、それ以上のものでない』ということも心底から確信しているのだ。そして、僕が涙を流すのは、絶望のためじゃない、ただ自分の流した涙で幸福を感ずるためにすぎない。つまり、自分で自分の感動に酔おうと言うのだ。僕は粘っこい春の若葉や瑠璃色の空を愛するのだ、それだけのことなんだ! ここには、知識も論理もない、ただ内発的な愛があるばかりだ、自分の若々しい力に対する愛があるばかりだ……おい、アリョーシカ、今のわけのわからない話が少しは理解できたかい、え!」とイヴァンは急に笑いだした。
「できすぎるくらいですよ、兄さん。内発的な愛というのはいい言葉でしたね。僕は、兄さんが生活したいと言われるのを、非常に嬉しく思っています」とアリョーシャは叫んだ。「地上に住むすべての人は、まず第一に生を愛さなければならないと思いますよ。」
「生の意義以上に生そのものを愛するんだね?」
「むろん、そうなくちゃなりません。あなたのおっしゃるように論理以前にまず愛するんです。ぜひとも論理以前にですよ。そこでこそ初めて意義もわかってゆきます。こんなことがよく以前から頭に浮んでたのですよ。兄さん、あなたの事業の前半はもう成就し獲得されました。今度はその後半のために努力したらいいのです。そうすれば兄さんは救われます。」
「もうお前は救済にかかったんだね。――ところが、僕は案外滅亡に瀕していないかもしれないよ。ところで、それは一たい何だね、――お前のいわゆる後半は?」
「ほかではありません、あなたの死人たちを蘇生させる必要があるのです。実際、彼らは決して死にゃしなかったかもしれませんよ。さあ、お茶をいただきましょう。僕はこうして二人で話すのが、嬉しくてたまらないんですよ、イヴァン。」
「見たところ、お前は何か霊感でも感じてるようだね。僕はお前のような……聴法者から、そんな professions de foi([#割り注]信条吐露[#割り注終わり])を聞くのが大好きさ。お前はしっかりした人間だね、アレクセイ、お前が僧院を出るってのは本当かい?」
「本当です。長老さまが僕を世の中へお送りになるのです。」
「じゃ、また世の中で会えるね。僕が三十前になって、そろそろ杯から口を放そうとする時分に、どこかで落ち合うことがあるだろう。ところで、親父は自分の杯から、七十になるまでも離れようとしないらしい、いや、あるいは八十までもと空想してるかもしれない。自分でもこれは非常に真面目なことだと言ってたっけ。もっとも、ただの道化にすぎないがね。親父は自分の肉欲の上に立って、大盤石でも踏まえたような気でいるんだ……しかし、三十以後になったら、それよりほかに何も足場がないだろうからね、まったく……それにしても、七十までは醜悪だ、三十までのほうがいい。なぜって、自分を欺きながらも『高潔の影』を保存することができるからね。今日ドミートリイに会わなかったか?」
「いいえ、会いません、しかし、スメルジャコフに遇いました。」
 と、アリョーシャは下男との邂逅を、早口にくわしく兄に話した。イヴァンは突然、非常に気がかりらしく耳を傾けはじめ、ときどき何やかや問い返すことさえあった。
「ただね、自分の話したことを、ドミートリイに言わないでくれと頼みました」とアリョーシャは言いたした。
 イヴァンは顔をしかめて考えこんだ。
「兄さんは、スメルジャコフのことで顔をしかめたんですか?」とアリョーシャは訊いた。
「ああ、そうだ。しかし、あんなやつのことはどうでもいい。僕ドミートリイには実際会いたかったが、今はもう必要がない……」とイヴァンは進まぬ調子で言った。
「兄さんは本当にそう急に発つんですか?」
「ああ。」
「じゃ、ドミートリイやお父さんはどうなるんです? あの騒ぎは、どう片がつくんでしょう?」アリョーシャは不安げに言いだした。
「またお前のきまり文句だ! あのことについて僕がどうしたというのだ? 一たい僕がドミートリイの番人だとでも言うのかい?」とイヴァンはいらいらした声で断ち切るように言ったが、急に何となく苦味をおびた笑みを浮べた。「弟殺しについてカインが神様に答えた言葉を、今お前は考えてるんじゃないか? しかし、どうとも勝手にしろだ、僕はまったくあの人たちの番人をしてるわけにゆかないよ。仕事が片づいたから出かけようというのさ。ところで、僕がドミートリイを妬《や》いてるだの、三カ月のあいだ兄貴の美しい許嫁を横取りしようと思ってたなどと、まさかお前は考えやしなかったろうなあ。ええ、真っ平ごめんだよ、僕には僕の仕事があったんだ。その仕事が片づいたから出かけるのさ。さっき僕が仕事を片づけたのは、お前も現に見て知ってるだろう。」
「それは、あのカチェリーナさんとの……」
「そうだ、あのことだ。一ぺんで綺麗に身をひいてしまったよ。それが一たいどうしたというんだろう? 僕はドミートリイなんかと何の関係もありゃしない。ドミートリイはぜんぜん無関係なんだ! 僕はただ自分でカチェリーナさんに用事があっただけなんだよ。お前も知ってるとおり、ドミートリイが自分勝手に、何か僕と申し合せでもしたような行動をとったのさ。僕から兄貴に頼んだことは少しもないのだけれど、兄貴のほうで勝手にあのひとを大威張りで僕に渡して、祝福したまでの話じゃないか、まるでお笑い草だあね。ああ、アリョーシャ、まったくだよ。お前にはわかるまいが、僕はいま本当にかるがるした気持なんだよ! 今こうしてここへ坐っているうちに、自由の第一時間を祝うため、すんでのことでシャンパンを注文しようかと思ったくらいだよ。やれやれ、ほとんど半年もずるずる引き摺られていたが、急に一ぺんで、本当に一ぺんですっかり叩き落してやった。いやまったく、その気にさえなれば、こうもやすやすと片づけられようとは、自分でさえ昨日まで夢にも考えなかったからね!」
「それは、兄さんご自分の恋を話してらっしゃるんですか?」
「そう、お望みなら恋と言ってもいいよ。まったく僕はあのお嬢さんに、あの女学生に惚れ込んでたのさ。あのひとと二人でずいぶん苦しんだものだ、そしてあのひともずいぶん僕を苦しめたよ。もうすっかりあのひとにかまけて夢中になっていたが……急に何もかもけし飛んでしまった。さっき僕は感激してしゃべったが、外へ出るとからからと笑っちゃったよ、――こう言ってもお前は本当にすまいね。本当だよ。僕は字義どおりに言ってるんだよ。」
「今でも何だか愉快そうに話していますね。」実際、急に愉快そうになってきた兄の顔に見入りながら、アリョーシャは口を挟んだ。
「それに、僕があの人をもうとう愛していないなんてことが僕にわかるはずはないじゃないか、へへ! ところが、はたしてそうでないってことがわかったよ。それにしても、あのひとは恐ろしく僕の気に入ってたもんさ! さっき僕が演説めいたことをしゃべってた時でも、やはり非常に気に入ってたんだ。そして、実はね、今でも恐ろしく気に入ってるのさ。しかし、あのひとのそばを去るのが、かるがるとしていい気持なんだよ。お前は僕がから威張りを言うと思ってるだろう?」
「いいえ。だけど、もしかしたら、それは恋でないかもしれませんよ。」
「アリョーシャ」とイヴァンは笑いだした。「恋の講釈なんか、しないほうがいいぜ! お前としては不似合いだよ、さっきも、さっきも飛びだして口を入れたね、恐れ入るよ! ああ、忘れてた……あのお礼にお前を接吻しようと思ってたんだ。しかし、あのひとはずいぶん僕をひどい目にあわしたよ! 本当にひねこじれた発作のお守をしてたようなもんだ。おお、僕があのひとを愛してるってことは、あのひとも自分で承知しているのさ! そして、自分でも僕を愛していたので、決してドミートリイじゃない」とイヴァンは愉快そうに言い張るのであった。「ドミートリイはひねこじれた発作で愛していたのだ。僕がさっきあのひとに言ったことは、みんな正真正銘の真理なんだ。しかし、あのひとがドミートリイを少しも愛していないで、むしろ自分であんなに苦しめた僕を愛している、ということを自身で悟るためには、十五年二十年の歳月を要する、それが肝心な点なんだよ。しかし、ことによったら、あのひとは今日のような経験を嘗めても、永久にこれを悟らないかもしれないよ。が、まあ、そのほうがいい。立ちあがって、そのまま永久に去ってしまえばいいんだ。話のついでだが、あのひとは今どうしてるね? 僕が帰ったあとでどうなったい?」
 アリョーシャはヒステリイの話をして、彼女は今もまだ人事不省におちいって、譫言を言っていることだろうとつけたした。
「ホフラコーヴァが嘘をついたんじゃないか?」
「じゃないらしいです。」
「しかし、調べてみなくちゃならないよ。だが、ヒステリイで死んだものは一人もないからね、ヒステリイというやつはあってもいいだろう。神様は愛の心をもって女にヒステリイをお授けなすったのだ。僕はもう二度とあそこへ行かない。何も今さらのこのこ、つらを出す必要はないからね。」
「ときに、兄さんはさっきこう言ったでしょう、あのひとは少しも兄さんを愛していなかったって。」
「あれはわざと言ったことだ。アリョーシャ、シャンパンを言いつけようかね。僕の自由のために飲もうじゃないか。いや、お前にはとてもわかるまい、僕が今どんなに嬉しいか!」
「兄さん、飲まないほうがいいでしょう」とふいにアリョーシャは言った。「それに、僕は何だか気がふさいでならないのです。」
「ああ、お前はずっと前から気がふさいでるようだね、僕もずっと前から気がついてたよ。」
「じゃ、明日の朝はぜひ出立するんですか?」
「朝? 僕は何も朝と言ったわけじゃないよ……しかし、あるいは本当に朝になるかもしれない。ところでね、僕が今日ここで食事をしたのはね、ただ親父と一緒に食事をしたくなかったからだ。それほど僕はあの親父が厭でたまらなくなったんだ。僕はそのためばかりでも、とうに出立してたはずなんだよ。だが、僕が出立するからって、どうしてお前はそんなに心配するんだい! 僕たち二人のためには、出発までにまだいくら時間があるかわかりゃしない。永劫だ、不死だ!」
「兄さんは明日出立するというのに、どうして永劫だなんて言うんです?」
「僕やお前は、あんなことに何の関係もないじゃないか?」とイヴァンは笑いだした。「だって、何といったって、自分のことは話しあう暇があるからなあ、自分のことは……一たい僕らは何のためにわざわざここへやって来たんだろう? 何だってお前はそんなにびっくりしたような目つきをするんだ? さあ、言ってみろ、僕らは何のためにここへやって来たんだい? まさかカチェリーナさんに対する恋や、親父のことや、ドミートリイのことを話しに来たんじゃなかろう? 外国の話でもないだろう? 危機に瀕したロシヤの国情でもないだろう? 皇帝ナポレオンのことでもないだろう? え、こんなもののためじゃなかろう?」
「いいえ、そんなもののためじゃありません。」
「じゃ、自分でも何のためかわかってるだろう。ほかの人たちにはそれぞれ違ったものが必要だろうが、われわれみたいな嘴の黄いろい連中には、それとはすっかり別なものが必要なんだ。われわれはまず第一に、永遠の問題を解決しなければならない。これが最もわれわれの気にかかるところなんだ。いま若きロシヤは、ただ永遠の問題の解釈にばかり夢中になっている。しかもそれがだ、ちょうど老人たちが急に実際問題で騒ぎだした現代だからなあ。お前にしたって、一たい何のためにこの三カ月間、あんな期待するような目つきで、一生懸命に僕を眺めていたのだ? つまり、『お前はどんなふうに信仰してるか、それともぜんぜん信仰を持っていないか?』ということを、僕に白状させたかったのだろう、――なあ、アレクセイさん、あなたの三カ月間の凝視は、結局こんな意味につづまってしまうでしょう、ね?」
「あるいはそうかもしれません」とアリョーシャは微笑した。「だけど、兄さんはいま、僕をからかってるんじゃないでしょう、ね?」
「僕がからかうって! 僕は三カ月の間もあんな期待の情をもって、一心に僕を見つめていた可愛い弟を、悲観させるようなことをしやしないよ。アリョーシャ、まっすぐに見てごらん、僕もやはりお前と寸分ちがわない、ちっぽけな小僧っ子だろう。ただ違うのは聴法者でないばかりだ。ところで、ロシヤの小僧っ子は、今までどんなことをしていると思う。小僧っ子といってもある種のものにかぎるがね……手近な例がこの小汚い料理屋さ。ここへいろんな連中が集って、めいめい隅のほうに陣取るだろう。この連中は今まで一度も出会ったこともなければ、これからさきだって一たんここを出てしまえば、四十年たってもお互いに知合いになることはありゃしない。ところがどうだろう、旗亭の一分間を偸んで、どんな議論を始めると思う? 宇宙の問題さ、つまり、神はありやとか、不死はありやとかいう問題なのさ。神を信じない者は、社会主義とか無政府主義とか、全人類を新しい組織に変えようとか、そういう話を持ち出す。しかし、つまるところは、同じような問題になっちまうんだあね、ただ、別な一端から出発するだけの相違さ? こうして、数知れぬほど多くの才能ある現代のロシヤ少年は、ただ永久の問題を談じることにのみ没頭しているのだ。ねえ、そうじゃないか?」
「ええ、神はありや不死はありやという問題と、それから、いま兄さんのおっしゃったように、別な一端から出発した問題は、本当のロシヤ人にとって第一の問題です。そして、それはむろん当然の話です。」依然としてもの静かな試みるような微笑を浮べながら、アリョーシャはこう言った。
「ねえ、アリョーシャ、時とすると、ロシヤに生れるのもあまり感心しないことがあるけれど、それでもいまロシヤの少年たちがやっていることより以上、ばかばかしいことは想像するのさえ不可能だよ。しかし、アリョーシャというロシヤの少年ひとりだけは、僕恐ろしく好きなんだ。」
「兄さんはうまいところへ持って行きましたね。」アリョーシャは急に笑いだした。
「さあ、どっちから始めよう、お前一つ命令してくれ、神から始めようか? 神はありやから始めようか! 言ってみてくれ。」
「どちらからでも好きなほうから始めて下さい、『別な一端』からでもいいですよ、しかし、兄さんはきのうお父さんのとこで、神はないと宣言したじゃありませんか」とアリョーシャは試すように兄を眺めた。
「僕がきのう親父の家で、食事の時にあんなことを言ったのは、わざとお前をからかうためなんだよ。するとはたしてお前の目が燃えだした。しかし、今は決してお前と快談するのを辞さない。僕は大真面目に言ってるんだよ。僕はお前と互いに理解しあいたいのだ。なぜって、僕には友達がないから、どんなものか試してみたいのさ。それどころか、アリョーシャ、もしかしたら神を認めるかもしれないよ」とイヴァンは笑いだした。「お前、意外に思うだろう、ねえ?」
「ええ、もちろん、もしいま兄さんが冗談を言ってるのでなければ……」
「冗談を言うって? そりゃ昨日長老のところでは、冗談を言うって咎められたがね。お前も知ってるだろうが、十八世紀の頃にある年とった無神論者が、S'il n'existait pas Dieu, il faudrait l'inventer([#割り注]もし神がなかったら創り出す必要がある[#割り注終わり])といったね。ところが、はたして人間は神というものを考え出した。しかし、神が本当に存在するということが不思議なのじゃなくって、そんな考えが、――神は必要なりという考えが、人間みたいな野蛮で意地わるな動物の頭に浮んだ、ということが驚嘆に値するのだ。それくらいこの考えは神聖で、殊勝で、賢明で、人間の誉れとなるべきものなんだ。僕一個に関しては、人間が神を創ったのか、神が人間を創ったのかということはもう考えまいと、だいぶ前から決心しているのさ。だから、この問題に関するロシヤの小僧っ子どもの原理も、やはり詮索しないことに決めている。こんな原理はみんなヨーロッパ人の仮説から引き出したものなんだ。なぜって、西欧で仮説となっているものは、ロシヤの小僧っ子にすぐ原理化されてしまうんだものね。それは単に小僧っ子ばかりでなく、大学教授の中にさえそんなのがあるよ。ロシヤの大学教授は、多くの場合、小僧っ子だからね。だから、一切の仮説はぬきにしてしまおう。ところで、僕たちはどんな問題を論じたらいいと思う! ほかでもない、少しも早く僕の本質を明らかにすることだ。つまり、僕がどんな人間で、何を信じ何を望んでいるかを明らかにすればいいのだ、ね、そうじゃないか? だから、こう明言しておく、――僕は直接に簡単に神を認容する。しかし、ここに注意すべきことがあるんだ。ほかではないが、もし本当に神があって、地球を創造したものとすれば、神がユウクリッドの幾何学によって地球を創造し、人間の知恵にただ空間三次元の観念のみを賦与したということは、一般に知れ渡っているとおりだ。ところが、幾何学者や哲学者の中には、こんな疑いをいだいているものが昔もあったし、今でも現にあるのだ。つまり全宇宙(というよりもっと広く見て、全存在というかな)は、単にユウクリッドの幾何学ばかりで作られたものではなかろう、というのだ。最も卓越した学者の中にさえ、こういう疑いをいだく人があるんだよ。中には一歩進んで、ユウクリッドの法則によるとこの地上では決して一致することのできない二条の平行線も、ことによったら、どこか無限の中で一致するかもしれない、などという大胆な空想を逞しゅうする者さえある。そこで僕は諦めちゃった。これくらいのことさえ理解できないとすれば、どうして僕なんかに神のことなど理解できるはずがあろう。僕はおとなしく自白するが、僕にはこんな問題を解釈する能力が一つもない、僕の知性はユウクリッド式のものだ、地上的のものだ、それだのに、現世以外の事物を解釈するなんてことが、どうして僕らにできるものかね。アリョーシャ、お前に忠告するが、決してそんなことを考えないがいいよ。何よりいけないのは神のことだ。神はありやなしや? なんてことは決して考えないがいいよ。こんなことはすべて、三次元の観念しか持たない人間にはとうてい歯の立たない問題だよ。で、僕は神を承認する、単に悦んで承認するばかりでなく、その叡知をも目的をも承認する(もっとも、われわれには皆目わからないがね)。それから、人生の秩序も意義も信じるし、われわれをいつか結合してくれるとかいう永久の調和をも信じる。それから、宇宙の努力の目標であり、かつ神とともにあるところの道《ことば》、また同時に神自身であるところの道《ことば》を信じるよ。つまり、まあ、永遠というやつを信じるよ。このことについては何だのかだのと、いろんな言葉が際限なく拵えてあるよ。どうだい、とにかく、僕はいい傾向に向ってるようだね、――おい? ところが、どうだい、ぎりぎり結着のところ、僕はこの神の世界を承認しないのだ。この世界が存在するということは知ってるけれど、それでも断じて認容することができないのだ。僕は何も神を承認しないと言ってるんじゃないよ、いいかい。僕は神の創った世界、神の世界を承認しないのだ。どうしても甘んじて承認するわけにゆかないのだ。ちょっと断わっておくが、僕はちっぽけな赤ん坊のように、こういうことを信じてるんだ、――いつかずっと先になったら、苦痛も癒され償われ、人生の矛盾のいまいましい喜劇も哀れな蜃気楼として、弱く小さいものの厭わしい造りごととして、人間のユウクリッド的知性の一分子として消えてしまい、世界の終極においては、永遠な調和の瞬間に、一種たとえようのない高貴な現象が出現して、それがすべての人々の胸に充ち渡り、すべての人の不平を満たし、すべての人の悪行や、彼らが互いに流し合った血潮を贖い、人間界に生じた一切のことを単に赦すばかりでなく、進んで弁護するにたるほど十分であるというのだ、――まあ、まあ、すべでこのとおりになるとしておこう。しかし、僕はこれを許容することができないのだ。許容することを欲しないのだ! たとえ平行線が一致して、僕がそれを自分で見たとしても、自分の目で見て『一致した』と言うにしても、やはり許容しないのだ。これが僕の本質だ、アリョーシャ、これが僕のテーゼなんだ。これだけはもう真面目でお前に打ち明けたんだよ。僕はわざとこの話を馬鹿なことこの上なしというふうに始めたけれど、結局、告白というところまで持って行ってしまった。なぜと言って、お前に必要なのはただそればかりなんだからね。お前にとっては神様のことなんかどうでもいい、ただお前の愛する兄貴が何によって生きているか、ということだけ知ればいいんだからね。」
 イヴァンは突然思いがけなく、一種特別の情をこめて、この長い告白を終ったのである。
「なぜ『馬鹿なことこの上なしというふうに』始めたんです?」とアリョーシャはもの思わしげに兄を眺めながら訊いた。
「第一としては、ロシヤ式にのっとるためさ。ロシヤ人は誰でもこの種の会話を、馬鹿なことこの上なしというふうにやるからね。第二としては、ばかばかしければばかばかしいだけ、問題に近づくことになるからさ。愚というやつは単純で正直だが、知はどうもごまかしたり隠れたりしたがるよ。知は卑劣漢だが、愚は一本気な正直者だ。僕は自暴自棄というところまで事を運んでしまったから、ばかばかしく見せれば見せるだけ、僕にとってますます好都合になってくるのさ。」
「兄さん、何のために『世界を許容しない』か、わけを聞かして下さるでしょうね?」とアリョーシャが言いだした。
「そりゃもちろん、説明するよ、何も秘密じゃないからね。そういうふうに話を持ってきたんだよ。ねえ、アリョーシャ、僕は決してお前を堕落さして、その足場から引きおろそうとは思わない。それどころか、かえってお前に治療してもらうつもりかもしれないんだよ。」とイヴァンは突然まるでちっちゃな、おとなしい子供のようにほお笑んだ。アリョーシャは今まで、彼がこんな笑い方をするのを見たことがなかった。

[#3字下げ]第四 叛逆[#「第四 叛逆」は中見出し]

「僕はお前に一つ白状しなけりゃならないことがある」とイヴァンは語り始めた。「一たいどうして『近きもの』を愛することができるんだろう? 僕は、何としても合点がゆかないよ。僕の考えでは『近きもの』だからこそ愛することができないので、『遠きもの』こそ初めて愛され得るんだと思う。僕はいつやら何かの本で『恵み深きヨアン』(ある一人の聖人なのさ)の伝記を読んだことがあるが、一人の旅人が飢えて凍えてやって来て、暖めてくれと頼んだとき、この聖人は旅人を自分の寝所へ入れて抱きしめながら、何か恐ろしい病気で腐れかかって、何ともいえない匂いのする口へ、息を吹きかけてやったというのだ。しかし、聖人がこんなことをしたのは無理な発作のためだ、偽りの感激のためだ、義務観念に命令された愛のためだ、自分で自分に課した難行の義務遂行のためだ。誰かある一人の人間を愛するためには、その当人に隠れてもらわなけりゃならない。もしちょっとでも顔を覗けたら、愛もそれなりおじゃんになってしまうのだ。」
「そのことはゾシマ長老が、たびたび話していらっしゃいました」とアリョーシャが口を入れた。「長老さまもやはり、人間の顔は愛に経験の浅い多くの人にとって、しばしば愛の障害になると言っておいでになりました。しかし、実際人類の中には多くの愛がふくまれています。ほとんどキリストの愛に近いようなものさえあります。これは僕自身でも知っていますよ、兄さん……」
「ところが、僕は今のところまだそんな例を知らないし、また理解することもできないよ、そして、数えきれないほど多数の人間も僕と同じことなのだ。つまり問題は、人間の悪い性質のためにこんなことが起るのか、それとも人間の本質がこんな工合にできているのか、という点に存するのだ。僕に言わせれば、キリストの愛はこの地上にあり得べからざる一種の奇蹟だよ。もっともキリストは神だったが、われわれは神じゃないんだからね。かりに僕が深い苦悶を味わうことができるとしても、いかなる程度まで苦悶しているのか、他人は決して知ることができない。なぜなら、それが他人であって僕でないからさ。おまけに、人間はあまり他人を苦悶者として認めるのを(まるで何か位でも授けてやるように思ってさ)、悦ばない傾向を持ってるんだからね。なぜ認めたがらないと思う? ほかではない、例えば、僕の体から変な匂いがするとか、僕が馬鹿らしい顔をしてるとか、でなければ、いつか僕がその男の足を踏んだとか、そんな簡単な理由によるのさ。それに苦悶にもいろいろあるよ。卑屈な苦悶、僕の人格を下劣にするような苦悶、例えば空腹の類のようなものは、慈善家も認容してくれるけれど、少し高尚な苦悶、例えば理想のための苦悶なんてものは、きわめて少数の場合を除くほか、決して認容してくれない。なぜかと訊くと、僕の顔がその慈善家の空想していた理想のための受難者の顔と、全然ちがってるからと言うのだ。これだけの理由で、僕はその人の恩恵を取り逃してしまう。しかし、決してその人が冷酷なためではない。乞食、ことに嗜みのある乞食は、断じて人前へ顔をさらすようなことをしないで、新聞紙上で報謝を乞うべきだ。隣人を愛し得るのは抽象的な場合にかぎる。どうかすると、遠方から愛し得る場合もある。しかし、そばへ寄ってはほとんど不可能だ。もしバレーのように、乞食がぼろぼろの絹の着物を着、破れたレースをつけて出て来て、優雅な踊りをしながら、報謝を乞うのだったら、まあまあ見物していられるさ。しかし、要するに見物するまでで、決して愛するわけにはゆかない。しかし、こんなことはもうたくさんだ。ただね、お前を僕の見地へ立たしさえすればよかったのだ。僕は一般人類の苦悶ということを話すつもりだったが、それよりむしろ、子供の苦悶だけにとどめておこう。これは僕の議論の効果を十分の一くらいに弱めてしまうのだが、しかし子供のことばかり話そう。これはもちろん、僕にとって不利益なんだけれど、第一、子供はそばへ寄っても愛することができる、汚いものでも、器量の悪いのでも愛することができる(もっとも、器量の悪い子供というのはかつてないようだね)。第二に、僕が大人のことを話したくないというわけは、彼らが醜悪で愛に相当しないのみならず、彼らに対しては天罰ということがあるからだ。大人は知恵の実を食べて善悪を知り、『神々のごとく』なってしまった。そして、今でもやはりつづけてその実を食べている。ところが、子供はまだ何も食べないから、今のところまったく無垢なものだ。お前は子供が好きかい、アリョーシャ? わかってる、好きなのさ。だから、いま僕がどういうわけで子供のことばかり話そうとするか、お前にはちゃんと察しられるだろう。で、もし子供までが同じように地上で恐ろしい苦しみを受けるとすれば、それはもちろん、自分の父親の身代りだ、知恵の実を食べた父親の代りに罰せられるのだ。が、これはあの世[#「あの世」に傍点]の人の考え方であって、この地上に住む人間の心には不可解だ。罪なき者が他人の代りに苦しむなんて法がないじゃないか、ことにその罪なき者が子供であってみれば、なおさらのことだ! こう言えば驚くかもしれないがね、アリョーシャ、僕もやはりひどく子供が好きなんだよ。それに注意すべきことは、残酷で、肉欲の熾んな、猛獣のようなカラマーゾフ的人間が、どうかすると非常に子供を好くものなんだよ。子供が本当に子供でいる間、つまり七つくらいまでの子供は、恐ろしく人間離れがしていて、まるで別な性質を持った別な生物みたいな気がするくらいだ。僕は監獄に入っている一人の強盗を知ってるが、この男はそういう商売を始めてから、夜な夜な多くの家へ強盗に忍び込んで、一家みなごろしにすることもしょっちゅうあった。時には、一時に幾たりかの子供を斬り殺すような場合もあった。ところが、監獄へ入ってるうちに、奇妙なほど子供が好きになって、庭に遊んでる子供を獄窓から眺めるのを、自分の仕事のようにしていた。しまいには、その中のちっちゃな子供を手なずけて、自分の窓の下へ来させ、とても仲よしになったくらいだ……何のために僕がこんな話をするか、お前はわからないだろう? ああ、何だか頭が痛い、そして妙に気がめいってきた。」
「兄さんは奇妙な顔つきをして話していますね」とアリョーシャは不安げに注意した。「何だか気でもちがったようですよ。」
「話のついでに言うが、僕はモスクワであるブルガリヤ人からこんなこと冷聞いたよ。」弟の言葉が耳に入らないかのさまで、イヴァンはこう語りつづけた。「あの国ではトルコ人やチェルケス人が、スラヴ族の一揆を恐れて、到るところで暴行を働くそうだ。つまり家を焼く、天を斬る、女や子供を手籠めにする、囚人の耳を塀へ釘づけにしたまま、一晩じゅううっちゃらかしといて、朝になると頸を絞めてしまう、などと言ったふうで、とうてい想像にもおよばないくらいだ。実際よく人間の残忍な行為を『野獣のようだ』と言うが、それは野獣にとって不公平でもあり、かつ侮辱でもあるのだ。なぜって、野獣は決して人間のように残忍なことはできやしない。あんなに技巧的に、芸術的に残酷なことはできやしない。虎はただ噛むとか引き裂くとか、そんなことしかできないのだ。人間の耳を一晩じゅう釘づけにしておくなんて、よし虎にそんなことができるとしても、思いつけるもんじゃない。とりわけこのトルコ人は一種の情欲をもって、子供をさいなむんだそうだ、まずお手柔かなのは母親の胎内から、匕首をもって子供を抉り出すという辺から始まって、ひどいのになると乳呑児を空《くう》へ抛り上げ、母親の目の前でそれを銃剣で受けて見せるやつさえある。母親の目前でやるというのが、おもなる快感を構成してるんだね。ところが、もう一つ非常に僕の興味をそそる画面があるのさ。まず、一人の乳呑児がわなわな慄える母親の手に抱かれていると、そのあたりには闖入して来たトルコ人の群がいる、こういう光景を想像してごらん。この連中は一つ愉快なことを考えついたので、一生懸命に頭を撫でたり笑わせたりして、当の赤ん坊を笑わせようとしていたが、とうとううまくいって赤ん坊が笑いだしたのさ。この時一人のトルコ人がピストルを取り出して、その顔から一尺と隔てていないところで狙いを定めた。すると、赤ん坊は嬉しそうにきゃっきゃっと笑いながら、ピストルを取ろうと思って小さな両手を伸ばす、と、いきなり芸術家はこの顔を狙って引き金をおろして、小さな頭をめちゃめちゃにしてしまったのだ……いかにも芸術的じゃないか? ついでに言っとくが、トルコ人はすこぶる甘いもの好きだってね。」
「兄さん、何のためにそんな話を持ち出したんです?」とアリョーシャが訊ねた。
「僕が考えてみるのに、もし悪魔が存在しないとすれば、つまり人間が創り出したものということになるね。そうすれば人間は自分の姿や心に似せて、悪魔を作ったんだろうじゃないか。」
「そんなことを言えば、神様だって同じことです。」
「お前は『ハムレット』のポローニアスのいわゆる、言葉をそらすのになかなかえらい才能を持ってるね」とイヴァンが笑いだした。「お前はちゃんと僕の言葉じりを抑えてしまった。いや、結構、大いに愉快だよ。しかし、人間が自分の姿や心に似せて創り出したものなら、お前の神様はさぞかし立派なもんだろうよ。ところで、いまお前は、何のためにあんな話を持ち出したかと訊いたんだね? 実はね、僕はある種の事実の愛好家でかつ蒐集家なので、新聞から手あたり次第に、そうした種類の物語とか逸話とかを、手帳へ書き込んで集めているのだ。もうかなり立派なコレクションができたよ。トルコ人ももちろん集の中に入ってるが、こんなのはみんな外国種だろう。ところが、僕はロシヤ種もだいぶ集めた。そしてその中には、トルコ人よりも一段すぐれたやつさえあるよ。知ってのとおり、ロシヤでは比較的よく擲る。比較的笞や棒が多い、しかもこれが国民的なのだ。わが国では耳を釘づけにするなんて夢想だもできない。われわれは何といってもヨーロッパ人だけれど、しかし笞とか棒とかいうやつは妙にロシヤ的なものになって、われわれから奪い去ることができないくらいだ。外国では今あまり擲ったりなんかしないようだね。人情が美しくなったからか、それとも、人間をぶつことはならぬという法律ができたからか、そこいらはよくわからないが、その代り外国の人は別なもので、――ロシヤ人と同じように純国民的なもので埋め合せをしている。それはロシヤではしょせん行われないほど国民的なものなんだ。もっともロシヤでも、ことに上流社会で宗教運動が始まった頃から、そろそろ移植されかけたようだがね。僕はフランス語から訳した面白いパンフレットを持ってる。これはついこの間、僅か五年ばかり前にスイスのジュネーヴで、ある殺人犯の悪党を死刑にした話が書いてあるのだ。それはリシャールという二十三になる青年で、死刑の間ぎわに悔悟して、キリスト教に入ったんだそうだ。このリシャールは誰かの私生児で、まだ六つばかりの子供の時、両親が山の上に住んでいる羊飼にくれてやったのだ。羊飼は仕事に使おうと思って、その子を大きくしたわけさ。子供は羊飼の間にあって野獣のように成長した。彼らは子供に何一つ教えなかったばかりか、かえって七つばかりの年にはもう羊飼に出したくらいだ。しかも、雨が降ろうが寒かろうが、ろくろく着物も着せなければ、食べ物さえほとんどくれてやらなかったのだ。羊飼の仲間はこんなことをしながらも、誰ひとり悪かったと後悔する者なんかありゃしない。それどころか、かえってそんな権利を持ってるように考えてたのさ。なぜって、リシャールは品物かなんぞのようにもらい受けたものだから、養ってやる必要さえないと思ってたんだからね。リシャール自身の証明によると、その時分この少年は、まるで聖書の中の放蕩息子のように、売り物にするために肥される豚の餌でもいい、何か食べたくてたまらなかったが、それさえ食べさせてもらえなかった。あるとき、豚の食べている餌を盗んだと言って、折檻されたくらいなんだ。こんなふうにして、彼は少年時代、青年時代を過したが、そのうちにすっかり成人して体力も固まったので、自分から進んで泥棒に出かけた。この野蛮人はジュネーブの町で日傭稼ぎをして金を儲け、儲けた金は酒にしてしまって、ならず者のような生活をしていたが、とうとうある老人を殺して持ち物を剥いだのさ。リシャールは早速つかまって裁判を受け、死刑を宣告された。向うのやつはセンチメンタルな同情なんかしないからなあ。ところが、牢へ入るとさっそく、牧師だとか、各キリスト教組合の会員だとか、慈善家の貴婦人だとか、いろんな連中がこの男を取り巻いて、監獄の中で読み書きを教えた挙句、とうとう聖書の講義を始めたのさ。そうして、説いたり、諭したり、嚇したり、賺したりして、ついには当人が荘厳に自分の罪を自覚するにいたった。リシャールはみずから裁判所へ手紙を書いて、自分はしようのないならず者であったが、とうとうおかげをもって神様が自分の心をお照らし下すって、至福を授けて下さりました、とやったわけさ。すると、ジュネーヴじゅうが騒ぎだした。ジュネーヴじゅうの慈善家や道徳家が大騒ぎを始めた。上流の人、教養あるものはことごとく監獄へ押しかけて、リシャールを抱いて接吻するのだ。
『お前はわしの兄弟だ、お前には至福が授かったのだ!』すると、当のリシャールは感きわまって泣くばかりさ。
『そうです、私は至福を授かりました! 私は少年時代から青年時代へかけて、豚の餌を悦んでいましたが、今こそ私にも神様から至福を授かりまして、主のお胸に死ぬることができます。』
『そうだ、リシャール、主のお胸に死ぬがいい、お前は血を流したのだから、主のお胸に死ななければならぬ。お前が豚の餌食を羨んだり、豚の口から餌食を盗んでぶたれたりした時(これはまったくよくないことだ。盗むということは、どうしたって赦されていないからな)、少しも神様を知らなかったのはお前の罪でないとしても、お前は血を流したのだから、どうしても死ななければならない。』やがて最後の日が来た。衰えはてたリシャールは泣き泣きひっきりなしに、
『これは私の最もよき日です。なぜと言って、私は主のおそばへ行くからです』と口癖のように言うと、牧師や裁判官や慈善家の貴婦人たちは、
『そうだ、これはお前の一ばん幸福な日だ、なぜと言って、お前は主のおそばへ行くからだ!』こんな連中がぞろぞろと、リシャールの乗っている囚人馬車の後から、徒歩《かち》や車で刑場さしてついて行くのだ。やがて刑場へついた。
『さあ、死になさい、兄弟』とリシャールに向って喚く。『主のお胸に死になさい、なぜと言って、お前にも神の至福が授かったからだ。』こうして、人々は兄弟のリシャールに、一ぱいべたべたと兄弟の接吻をした後、刑場へ曳き入れてギロチンヘのせ、ただこの男に至福が授かったからというだけの理由で、いともやさしく首を刎ね落した。まったくこの話は外国人の特性を立派に現わしてるよ。このパンフレットは、ロシヤの上流社会に属するルーテル派の慈善家の手で露語に翻訳されて、ロシヤ人民教化のために、新聞雑誌類の無代付録として分配された。リシャールの一件の面白いところは、国民的な点にある。ロシヤでは、ある人間がわれわれの兄弟になったからといって、――その人間がお恵みを授かったからといって首を斬り落すなんて、ばかばかしく思われる。しかし、繰り返して言うが、ロシヤにもやはり自己独得のものがある、ほとんどこの話に負けないくらいだよ。
 ロシヤでは、人を擲っていじめるのが、歴史的、先天的、直接的快楽となっている。ネクラーソフの詩に、百姓が馬の目を――『すなおな目』――を鞭で打つところを歌ったのがある。あんなのは誰の目にでも触れることで、ルッシズムと言っていいくらいだ。この詩人の描写によると、力にあまる重荷をつけたよわよわしい馬は、ぬかるみに車輪を取られて引き出すことができないのだ。百姓はそれをぶつ、獰猛にぶつ、しまいには、自分でも何をしてるかわからず、ぶつという動作に酔うて、力まかせに数知れぬ笞の雨を降らすのだ。『よしんばお前の手に合わなくっても、曳け、死んでも曳け!』馬が身をもがくと、百姓は可哀そうに泣いているような、とはいえ『すなおな目』の上を、ぴしぴしと容赦なくぶち始める。こっちは夢中になって身をもがいて、やっと曳き出す。そして、体じゅうぶるぶる慄わせながら、息もしないで身を斜めに向けるようにして、妙に不自然な見苦しい足どりで、ひょいひょい飛びあがりながら曳いて行く、――この光景がネクラーソフの詩の中に恐ろしいほどよく現われている。しかし、これはたかが馬の話だ。馬はぶつために神様から授かったものだ、とこう韃靼人がわれわれに説明して、それを忘れぬように鞭を授けてくれたんだよ。
 しかし、人間でもやはりぶつことができるからね。現に、知識階級に属する立派な紳士とその細君が、やっと七つになったばかりの生みの娘を笞で折檻している、――このことは僕の手帳に詳しく書き込んであるよ。親父さんは棒切れに節瘤があるのを悦んで、『このほうがよくきくだろう』なんかって言うじゃないか。そうして、現在肉親の娘を『やっつけ』にかかるのだ。僕は正確に知ってるが、中には一打ちごとに情欲と言っていいくらい、字義どおりに情欲と言っていいくらい熱してゆく人がある。これが笞の数を重ねるたびに次第に烈しくなって、幾何級数的に募ってゆくのだ。一分間ぶち、五分間ぶち、やがて十分間とぶつうちに、だんだんと『ききめ』が現われて愉快になってくる。子供は一生懸命に『お父さん、お父さん、お父さん!』と泣き叫んでいるが、しまいにはそれもできないで、ぜいぜい言うようになる。ある時、まるで鬼のように残酷な所業のために、事件は裁判沙汰にまでおよんだのさ。そこで弁護士《アドポカード》が雇われる、――ロシヤ人はだいぶ前から弁護士のことを、『アブラカート([#割り注]弁護士の俗語[#割り注終わり])はお雇いの良心だ』などと言うようになったが、この弁護士が自分の依頼者を弁護しようと思って、『これは通常ありがちの簡単な家庭的事件です。父親が自分の娘を折檻したまでの話じゃありませんか。こんなことが裁判沙汰になるというのは、現代の恥辱であります』と呶鳴る。陪審員はこれに動かされて別室へしりぞき、無罪の宣告を与なる。世間の人たちは、その冷酷漢が無罪になったというので、夢中になって悦ぶという段取りさ。いや、僕がその場に居合せなかったのは残念だよ! そうしたら、僕はその冷酷漢の名を表彰するために、奨励金支出の議案でも提出してやったんだがなあ……実にもうポンチ絵だよ。しかし、子供のことなら、僕のコレクションの中にもっと面白い話がある。僕はロシヤの子供の話をうんと集めてるんだよ。アリョーシャ。
 五つになるちっちゃな女の子が、両親に憎まれた話もある。この両親は『名誉ある官吏で、教養ある紳士淑女』なんだ。僕はいま一度はっきりと断言するが、多くの人間には一種特別な性質がある。それは子供の虐待だ、もっとも、子供にかぎるのだ。ほかの有象無象に対する時は、最も冷酷な虐待者も、博愛心に充ちた教養あるヨーロッパ人でございと言うような顔をして、慇懃謙遜な態度を示すが、そのくせ子供をいじめることが好きで、この意味において子供そのものまでが好きなのだ。つまり、子供のたよりなさがこの種の虐待者の心をそそるのだ。どこといって行くところのない、誰といって頼るもののない小さい子供の、天使のような信じやすい心、――これが虐待者のいまわしい血潮を沸すのだ。もちろん、あらゆる人間の中には野獣がひそんでいる。それは怒りっぽい野獣、責めさいなまれる犠牲の叫び声に情欲的な血潮を沸す野獣、鎖を放たれて抑制を知らぬ野獣、淫蕩のために痛風だの肝臓病だのいろいろな病気にとっつかれた野獣なのだ。で、その五つになる女の子を、教養ある両親は、ありとあらゆる拷問にかけるんだ。自分でも何のためやらわからないで、ただ無性にぶつ、叩く、蹴る、しまいには、いたいけな子供の体が一めん紫脹れになってしまった。が、とうとうそれにも飽きて、巧妙な技巧を弄するようになった。ほかでもない、寒い寒い極寒の時節に、その子を一晩じゅう便所の中へ閉じ籠めるのだ。それもただその子が夜中にうんこを知らせなかったから、というだけなんだ(一たい天使のようにすやすやと寝入っている五つやそこいらの子供が、そんなことを知らせるような知恵があると思ってるのかしら)。そうして洩らしたうんこをその子の顔に塗りつけたり、無理やりに食べさしたりするのだ。しかも、これが現在の母親の仕事なんだからね! この母親は、よる夜なか汚いところへ閉じ籠められた哀れな子供の呻き声を聞きながら、平気で寝ていられるというじゃないか! お前にはわかるかい、まだ自分の身に生じていることを完全に理解することのできないちっちゃな子供が、暗い寒い便所の中でいたいけな拳を固めながら、痙攣に引きむしられたような胸を叩いたり、悪げのない素直な涙を流しながら、『神ちゃま』に助けを祈ったりするんだよ、――え、アリョーシャ、お前はこの不合理な話が、説明できるかい、お前は僕の親友だ、神の聴法者だ、一たい何の必要があってこんな不合理が創り出されたのか! 一つ説明してくれないか! この不合理がなくては、人間は地上に生活してゆかれない、何となれば、善悪を認識することができないから、などと人は言うけれども、こんな価を払ってまで、くだらない善悪なんか認識する必要がどこにある? もしそうなら、認識の世界ぜんたいを挙げても、この子供が『神ちゃま』に流した涙だけの価もないのだ。僕は大人の苦痛のことは言わない。大人は禁制の木の実を食ったんだから、どうとも勝手にするがいい。みんな悪魔の餌食になったってかまやしない。僕が言うのは、ただ子供だ、子供だけだ! アリョーシャ、僕はお前を苦しめてるようだね。まるで人心地もなさそうだね。もし何ならやめてもいいよ。」
「かまいません、僕もやはり苦しみたいんですから」とアリョーシャは呟いた。
「も一つ、もうほんの一つだけ話さしてくれ。それもべつに意味はない、ただ好奇心のためなんだ。非常に特殊な話だが、ついこのあいだ、ロシヤの古い話を集めた本で読んだばかりなのだ。『記録《アルヒーフ》』だったか『古代《スタリーナ》』だったか、よく調べてみなければ、何で読んだか忘れてしまった。それは現世紀の初葉、農奴制の最も暗黒な時代のことなんだ。まったくわれわれは農民の解放者([#割り注]アレクサンドル二世[#割り注終わり])に感謝を捧げなくちゃならないのだよ! その現世紀の初め頃に一人の将軍がいた。立派な縁者知人をたくさんもった素封家の地主であったが、職をひいてのん気な生活に入ると同時に、ほとんど自分の家来の生殺与奪の権利を獲得したもののように信じかねない連中の一人であった、(もっとも、こんな連中はその当時でも、あまりたくさんいなかったらしいがね)。しかし、時にはそんなのもいたんだよ。さて、この将軍は二千人から百姓のいる自分の領地で暮しているので、近所のごみごみした地主などは、自分の居候か道化のように扱って、威張りかえっていたものだ。この家の犬小屋には何百匹という犬がいて、それに百人近い犬飼がついていたが、みんな制服を着て馬に乗ってるのさ。ところが、あるとき召使の息子で、やっと九つになる小さい男の子が、石を抛って遊んでるうちに、誤って将軍の愛犬の足を挫いたんだ。『どういうわけで、おれの愛犬は跛をひいておるのか?』とのお訊ねで、これこれの子供が石を投げて愛犬の足を挫いたのです、と申し上げると、
『ははあ、これは貴様の仕業か』と将軍は子供を振り返って、『あれを捕まえい!』で、人々はその子を母の手から奪って、一晩じゅう牢の中へ押し籠めた。翌朝、夜の明けきらぬうちに、将軍は馬に跨って、正式の出猟のこしらえでお出ましになる。そのまわりには居候どもや、犬や、犬飼や、勢子などが居並んでいるが、みんな馬上姿だ。ぐるりには召使どもが、見せしめのために呼び集められている。その一ばん前には、悪いことをした子供の母親がいるのだ。やがて、子供が牢から引き出されて来た。それは霧の深い、どんよりした、うそ寒い秋の日で、猟にはうってつけの日和だ。将軍は子供の着物を剥げと命じた。子供はすっかり丸裸にされて、ぶるぶる慄えながら、恐ろしさにぼうっとなって、うんともすんとも言えないのだ……『それ、追えい!』と、将軍が下知あそばす。『走れ、走れ!』と勢子どもが呶鳴るので、子供は駆け出した……と、将軍は『しいっ!』と叫んで、猟犬をすっかり放してしまったのだ。こうして母親の目の前で、獣かなんぞのように狩り立てたので、犬は見る間に子供をずたずたに引き裂いてしまった!………その将軍は何でも禁治産か何かになったらしい。そこで……どうだい? この将軍は死刑にでも処すべきかね? 道徳的感情を満足さすために、死刑にでも処すべきかね? 言ってごらん、アリョーシャ!」
「死刑に処すべきです!」蒼白い歪んだような微笑を浮べて兄を見上げながら、アリョーシャは小さな声でこう言った。
「ブラーヴォ!」とイヴァンは有頂天になったような声で呶鳴った。「お前がそう言う以上、つまり……いや、どうも大変な隠遁者だ! そらね、お前の胸の中にも、そんな悪魔の卵がひそんでるじゃないか、え、アリョーシカ・カラマーゾフ君!」
「僕は馬鹿なことを言いました、しかし……」
「つまり、その『しかし』さ……」とイヴァンは叫んだ。「ねえ、隠遁者君、この地上においては、馬鹿なことが必要すぎるくらいなんだ。世界は馬鹿なことを足場にして立ってるので、それがなかったら、世の中には何事も起りゃしなかったろうよ。われわれは知ってるだけのことしか知らないんだ!」
「兄さんは何を知っています?」
「僕は何にも理解することができない。」譫言でも言っているように、イヴァンは語をついだ。「今となって僕は、何一つ理解しようとも思わない。僕は事実にとどまるつもりだ。僕はずっと前から理解すまいと決心したのだ。何か理解しようと思うと、すぐに事実を曲げたくなるから、それで僕は事実にとどまろうと決心したのだ。」
「何のために兄さんは僕を試みるのです?」アリョーシャは引っちぎったような調子で、悲しげに叫んだ。「もういい加減にして言ってくれませんか?」
「むろん、言うとも。言おうと思って話を持ってきてるんだもの。お前は僕にとって大切な人だから、僕はお前を逃したくないのだ。あのゾシマなんかに譲りゃしない。」
 イヴァンは、ちょっと口をつぐんだが、その顔は急に沈んできた。
「いいかい、僕は鮮明を期するために子供ばかりを例にとった。この地球を表皮から核心まで浸している一般人間の涙については、もう一ことも言わないことにする。僕はわざと論題をせばめたのだ。僕は南京虫みたいなやつだから、何のために一切がこんなふうになってるのか、少しも理解することができないのを、深い屈辱の念をもって、つくづくと痛感している。つまり、人間自身が悪いのさ。もともと彼らには楽園が与えられていたものを、自分たちが不幸におちいるってことを知りながら、自由を欲して天国から火を盗んだんだもの、何も可哀そうなことはありゃしない。僕の哀れな地上的な、ユウクリッド式の知恵をもってしては、ただ苦痛があるのみで、罪びとはない、一切は直接に簡単に事件から事件を生みながら、絶えず流れ去って平均を保って行く、ということだけしかわからない。しかし、これはユウクリッド式の野蛮な考えだ。僕もこれを承知しているから、そんな考え方によって生きて行くのは不承知なんだ! しかし、罪びとがなくて、すべては直接に簡単に事件から事件を生んで行く、という事実が僕にとって何になる? またこの事実を知ってるからって、それがそもそも何になる? 僕には応報が必要なのだ。でなければ、僕は自滅してしまう。しかも、その応報もいつか無限の中のどこかで与えられる、というのでは厭だ。ちゃんとこの地上で、僕の目前で行われなくちゃ厭だ。僕は自分で見たいのだ。もしその時分僕が死んでいたら、蘇生さしてもらわなくちゃならない。なぜって、僕のいない時にそんなことをするなんて、あんまり癪にさわるじゃないか。実際、僕が苦しんだのは、何も自分自身の体や、自分の悪行や、自分の苦痛を肥《こや》しにして、どこの馬の骨だかわからないやつの未来のハーモニイをつちかってやるためじゃないんだからね。鹿が獅子のそばに似ているところや、殺されたものがむくむくと起きあがって、自分を殺したものと抱擁するところを、自分の目で見届けたいのだ。つまり、みなの者が一切のことわけを知る時に、僕もその場に居合せたいのだ。地上におけるすべての宗教は、この希望の上に建てられているのだ。しかし、僕は信仰する。
 ところが、また例の子供だ、一たいわれわれはそんな場合、子供をどう始末したらいいのだろう? これが僕に解決のできない問題だ。うるさいようだが、もう一度、繰り返して言う、――問題は山ほどあるけれど、僕はただ子供だけを例にとった。そのわけは、僕の言わなければならないことが、明瞭にその中に現われてるからだ。いいかい、すべての人間が苦しまねばならないのは、苦痛をもって永久の調和を贖うためだとしても、何のために子供がそこへ引き合いに出されるのだ、お願いだから聞かしてくれないか? 何のために子供までが苦しまなけりゃならないのか、どういうわけで子供までが苦痛をもって調和を贖わなけりゃならないのか、さっぱりわからないじゃないか! どういうわけで、子供までが材料の中へ入って、どこの馬の骨だかわからないやつのために、未来の調和の肥しにならなけりゃならないのだろう? 人間同士の間における罪悪の連帯関係は、僕も認める。しかし、子供との間に連帯関係があるとは思えない。もし子供も父のあらゆる悪行に対して、父と連帯の関係があるというのが真実ならば、この真理はあの世に属するもので、僕なんかにはわからない。中にはまた剽軽なやつがあって、どっちにしたって、子供もそのうちに大きくなるから、間もなくいろんな悪いことをするさ、などと言うかもしれないが、実際その子供はまだ大きくなっていないじゃないか。まだ九つやそこいらのものを、犬で狩り立てたじゃないか。おお、アリョーシャ、僕は決して神を誹譏するわけじゃないよ! もし天上地下のものがことごとく一つの讃美の声となって、すべての生あるものと、かつて生ありしものとが声をあわして、『主よ、なんじの言葉は正しかりき。何となれば、なんじの道ひらけたればなり!』と叫んだ時、全宇宙がどんなに震撼するかということも、僕にはよく想像できる。また母親が自分の息子を犬に引き裂かした暴君と抱き合って、三人のものが涙ながらに声を揃えて、『主よ、なんじの言葉は正しかりき!』と叫ぶ時には、それこそもちろん、認識の勝利の時が到来したので、一切の事物はことごとく明らかになるのだ。
 ところが、またそこへ、コンマが入る。僕はそれを許容することができないのだ。で、僕はこの地上にあらんかぎり、自分自身で至急方法を講じる。ねえ、アリョーシャ、ことによったら、実際、僕は自分の目で、わが子の仇敵《かたき》と抱き合っている母親の姿を見て、『主よ、なんじの言葉は正しかりき』と叫ぶことができる時まで生き長らえるか、あるいはそれを見るためにわざわざ生き返るかもしれない。しかし、僕はその時『主よ』と叫びたくないよ。まだ時日のある間に、僕は急いで自分自身を防衛する、したがって、神聖なる調和は平にご辞退申すのだ。なぜって、そんな調和はね、あの臭い牢屋の中で小さな拳を固め、われとわが胸を叩きながら、贖われることのない涙を流して、『神ちゃま』と祈った哀れな女の子の、一滴の涙にすら価しないからだ! なぜ価しないか、それはこの涙が永久に、贖われることなくして棄てられたからだ。この涙は必ず贖われなくちゃならない。でなければ、調和などというものがあるはずはない。しかし、何で、何をもってそれを贖おうというのだ? それはそもそもできることだろうか? それとも、暴虐者に復讐をして贖うべきだろうか? しかし、われわれには復讐なぞ必要はない。暴虐者のための地獄なぞ必要はない。すでに罪なき者が苦しめられてしまったあとで、地獄なぞが何の助けになるものか! それに、地獄のあるところに調和のあろうはずがない。僕は赦したいのだ、抱擁したいのだ、決して人間がこれ以上苦しむことを欲しない。もし子供の苦悶が、真理の贖いに必要なだけの苦悶の定量を充すのに必要だというなら、僕は前からきっぱり断言しておく、――一切の真理もこれだけの代償に価しない。そんな価を払うくらいなら、母親がわが子を犬に引き裂かした暴君と抱擁しなくたってかまわない! 母親だってその暴君を赦す権利はないのだ! もしたって望むなら、自分だけの分を赦すがいい、自分の母親としての無量の苦痛を赦してやるがいい、しかし、八つ裂きにせられたわが子の苦痛は、決して赦す権利を持っていない。たとえわが子が赦すと言っても、その暴君を赦すわけにゆかない! もしそうとすれば、もしみんなが赦す権利を持っていないとすれば、一たいどこに調和があり得るんだ? 一たいこの世界に、赦すという権利を持った人がいるだろうか? 僕は調和なぞほしくない、つまり、人類に対する愛のためにほしくないと言うのだ。僕はむしろ贖われざる苦悶をもって終始したい。たとえ僕の考えが間違っていても[#「たとえ僕の考えが間違っていても」に傍点]、贖われざる苦悶と、癒されざる不満の境にとどまるのを潔しとする。それに、調和ってやつがあまり高く値踏みされてるから、そんな入場料を払うのはまるで僕らの懐に合わないよ。だから、僕は自分の入場券を急いでお返しする。もし僕が潔白な人間であるならば、できるだけ早くお返しするのが義務なんだよ。そこで、僕はそれを実行するのだ。ねえ、アリョーシャ、僕は神様を承認しないのじゃない、ただ『調和』の入場券を謹んでお返しするだけだ。」
「それは謀叛です」とアリョーシャは目を伏せながら小さな声で言った。
「謀叛? 僕はお前からそんな言葉を聞きたくはなかったんだよ」とイヴァンはしみじみとした声で言った。「謀叛などで生きてゆかれるかい。僕は生きてゆきたいんだからね。さあ、僕はお前を名ざして訊くから、まっすぐに返事をしてくれ。いいかい、かりにだね、お前が最後において人間を幸福にし、かつ平和と安静を与える目的をもって、人類の運命の塔を築いているものとして、このためにはただ一つのちっぽけな生物を一例のいたいけな拳を固めて自分の胸を打った女の子でもいい、――是が非でも苦しめなければならない、この子供の贖われざる涙の上でなければ、その塔を建てることができないと仮定したら、お前ははたしてこんな条件で、その建築の技師となることを承諾するかね。さあ、偽らずに言ってみな!」
「いいえ、承諾するわけにゆきません」とアリョーシャは小さな声で言った。
「それから、世界の人間が小さな受難者の、償われざる血潮の上に建てられた幸福を甘受して、永久に幸福を楽しむだろうというような想念を、平然として許容することができるかい?」
「いや、できません。ねえ、兄さん」とアリョーシャは、急に目を輝かしながら言いだした。「兄さんはいま赦すという権利を持ったものが、この世の中にいるだろうかと言いましたね? ところが、それがいるんですよ。その人はすべてのことに対して、すべての人を赦すことができるのです。なぜって、その人はすべてのものに代って、自分で自分の無辜の血を流したからです。兄さんはこの人のことを忘れていましたね。ところが、この人を基礎としてその塔は築かれているのです。この人に向ってこそわれわれは、『主よ、なんじの言葉は正しかりき、何となれば、なんじの道ひらけたればなり!』と叫ぶのです。」
「ああ、それは『罪なき唯一人』とその血のことだろう! どうしてどうして、この人のことは忘れやしなかった。それどころか、どうしてお前がこの人を引き合いに出さないのかしらんと、長いあいだ不思議に思っていたんだよ。だって、普通お前たちは論争の時に、何よりもまず、この人を引き合いに出すんだものなあ。しかしね、アリョーシャ、笑っちゃいけないよ、僕はいつか一年ばかり前に、一つの劇詩を作ったことがあるんだ。もし僕を相手にもう十分ほど暇をつぶすことができるなら、一つお前に話して聞かしてもいいがね。」
「兄さん、劇詩を作ったことがあるんですって?」
「なんの、そんなことはない」とイヴァンは笑いだした。「僕は今までかつて、二連と詩を作ったことがないよ。その劇詩はただ頭の中で考えて、いまだに覚えているというだけさ。しかし、熱心に考えたものだよ。お前は僕の最初の読者、ではない、聴き手なんだ。まったく作者にとってはたった一人でも、聴き手をとり逃したくないもんだからね」とイヴァンは薄笑いをもらした。「話そうか、どうしよう?」
「僕、悦んで聞きますよ」とアリョーシャは言った。
「僕の劇詩は、『大審問官』というんだ。ばかばかしいものだけれど、何だかお前に聞かしたいのだ。」

[#3字下げ]第五 大審問官[#「第五 大審問官」は中見出し]

「ところでこの場合、序言をぬきにするわけにゆかないのだ、――つまり文学的序言さね、へっ!(とイヴァンは笑った。)どうも大変な作者になったもんだ! さて、僕の劇詩の時代は十六世紀だ、それはちょうど、――もっとも、こんなことはお前も学校時分からちゃんと知ってるだろうが、――それはちょうど詩作の中で天上の力を地上へ引きおろすのが流行していた時代なんだ。ダンテのことなぞ持ち出すまでもなく、フランスでは裁判所の書記だの僧院の坊さんなどが、いろいろな芝居をして見せたものだが、それは大ていマドンナや、天使や、聖徒や、キリストや、神様自身などを、舞台へ引っ張り出すようなものばかりだ。もっとも、その時分はごく無邪気に取り扱われていた。ヴィクトル・ユゴーの |Notre《ノートル》 |Dame《ダム》 |de《ド》 |paris《パリ》 の中には、ルイ十一世の御代に皇太子誕生奉祝のため、パリの市会議所で、〔“Le bon jugement de la tre's sainte et gracieuse Vierge Marie”〕([#割り注]きわめて神聖にして淑かなる処女マリヤの美しき裁判[#割り注終わり])という芸題の教訓劇が、無料で人民に観覧を許されたことが書いてある。この劇では聖母みずから舞台に現われて、その美しき裁判を行うことになっている。ロシヤでは昔ピョートル大帝以前にモスクワで、主として旧約から材を取った似寄りの芝居が、やはりときどき演じられていた。当時、演劇興行のほかに、いろんな小説や『詩』が世上に現われたが、その中には聖徒や、天使や、すべて天国に縁のあるものが、必要に応じて活動することになっているのだ。ロシヤの僧院でもやはり翻訳や、書き抜きや、中には創作にさえ手を染める者があったが、それが鞭靼侵入時代だから驚くよ。一つ例をあげてみると、ある僧院でできた(と言ってもむろん、ギリシャ語から翻訳したものだ)劇詩に、『聖母の苦患《くげん》遍歴』というのがある。これはダンテにも劣らないほど大胆な光景に充ちている。つまり聖母が大天使ミハイルに導かれて地獄の中の苦患《くげん》を遍歴し、多くの罪びととその苦患を目撃するというのだ。その中には火の池に落された最も注目すべき罪びとの一群がいる。彼らの中でも、永劫うかみ出る[#「うかみ出る」はママ]ことができないほどこの池の底ふかく沈んでしまったものは、『神様にも忘れられる』ことになるのだが、実に深刻な力強い表現じゃないか。そこで、聖母は驚き悲しみながら、神の御座《みくら》の前に伏しまろんで、地獄に落ちたすべての人、聖母の見て来たすべての人に対し、一切無差別に憐憫を垂れたまわんことを乞うた。聖母と神の対話は実に絶大な興味をふくんでいるよ。聖母はひたすら哀願して、そばを離れようとしない。すると、神はその子キリストの釘づけにされた手足を指さしながら、『彼を苦しめたものどもを、どうして赦すことができようぞ?』と訊かれた。聖母はすべての聖者、すべての殉教者、すべての天使、すべての大天使に向って、自分と一緒に神の大前にひれ伏し、あらゆる罪びとの赦免を哀願してくれと頼んだ。で、結局、聖母は毎年、神聖金曜日から精霊降臨祭までの五十日間、すべての苦痛を中止するという許しを得た。このとき罪びとらは地獄の中から主に感謝して、『主よ、かく裁きたるなんじは正し』と叫ぶ。
 さて、僕の劇詩も当時に現われたら、おそらくこれと似寄ったものになるだろう。僕の劇詩ではキリストが舞台へ出て来るのだ。もっとも、一口もものを言わずに、ただ顔を出しただけで通り過ぎてしまうんだよ。その時は、彼が地上をみずからの王国となし、ふたたび出現しようと約束してから、もう十五世紀たっているのだ。『こはすみやかに来るべし。されど、その日と時とは神の子みずからも知る能わず。ただ天にましますわが父のみこれを知りたもう』と予言者もしるし、キリスト自身もまだ地上に生きている頃にこう言った時から、もう十五世紀たっているのだ。しかし、人類は以前と同じ信仰、以前と同じ感激をもって彼の出現を待っている、いな、むしろ旧に倍する信仰をもって待っている。なぜなら、天より人間に与えられた保証がなくなって以来、もう十五世紀からたっているではないか!

[#ここから2字下げ]
信ぜよ胸のささやきを
今はなし神の保証《かため》も
[#ここで字下げ終わり]

 つまり、ただ胸の囁きを信ずるよりほかなかったのだ! もっとも、その当時にも多くの奇蹟があったのは事実だ。霊験あらたかな治療を行った聖者もあったし、中には聖母の訪れを受けた恵まれたる人たちもあった(ただし、その伝記によればだ)。しかし、悪魔も昼寝をしてはいなかったから、これらの奇蹟の真実さを疑うものが、人類の中に現われ始めた。ちょうどその頃、北方ゲルマニヤに恐ろしい邪教が発生した。『炬火に似た』(つまり教会に似た)大きな星が『水の源に隕《お》ちて水は苦くなれり』だ。これらの邪教が大胆にも奇蹟を否定しにかかった。しかし、信仰を保っている人は、なおさら熱烈に信じつづけたのだ。人類の涙は天国なるキリストのほうへ昇ってゆき、依然として彼を待ち、彼を愛し、以前に変らず彼に望みをつないでいた。こうして、幾世紀も幾世紀も、人類が信仰と熱情をもって、『主なる神よ、われらに姿を現じたまえ』と哀願したので、無量の同情を有するキリストは、ついに祈れる人々のもとへ降ってやろう、という気になったのだ。その以前も彼は天国を降って、まだこの地上に住んでいる聖なる隠遁者や、殉教者や、苦行者などを訪れたということは、この人たちの伝記にも見えている。わが国でも自分の言葉の真実をふかく信じていたチュッチェフ([#割り注]一八〇三―七三年、外交官にしてかつ純芸術派の人、その作品は深い象徴味をもって知られている[#割り注終わり])が、こんなふうに言っている。

[#ここから2字下げ]
十字架の重荷のために喘ぎつつ
神の子は奴隷のごとき姿して
母なる土よ、なれを隈なく
祝福しつつめぐりたまいぬ
[#ここで字下げ終わり]

 それは、そのとおりであったに相違ない、それは僕も保証する。で、キリストは、ほんのちょっとでも民衆のところへ降ってやろう、という気を起したのだ。懊悩し苦悶しながら、暗い罪に蔽われていながらも、幼児のように自分を愛してくれる民衆のところへね……僕の劇詩はスペインのセヴィリヤを舞台にとっている。ところで、時代は、神の光栄のために毎日国内に薪の山の燃えていた、恐ろしい審問時代に属するのだ。

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厳めしき火刑の庭に
烙《や》かるなり異教のやから
[#ここで字下げ終わり]

 むろんこの下界来降は、彼がかつて約束したように、天国の光栄に包まれて世の終りに出現するのとはまるで違う。決して東から西へかけて輝きわたる稲妻のごとき出現ではない。キリストはただほんの一瞬間でもいいから、わが子らを訪れたくなったのだ。そして、ことさら異教のやからを烙く焚火の爆音すさまじい土地を択んだのだ。限りなき慈悲をいだいたキリストは、十五世紀前に三十三年間、人々のあいだを遍歴したと同じ人間の姿を借りて、いま一ど民衆の間へ現われたのだ。彼は南方の町の『熱き巷』へ降ったが、それはちょうど『厳めしき火刑の庭』でほとんど百人に近い異教徒が、ad majorem gloriam Dei([#割り注]神の大いなる光栄のために[#割り注終わり])、国王はじめ、廷臣、騎士、僧正、および嬋娟たる女官の面前で、大審問官の僧正の指揮のもとに、一度に烙き殺された翌日であった。キリストはいつともなくおもむろに現われた。すると一同の者は、――奇妙な話ではあるが、――それが主《しゅ》であることを悟ったのだ。ここは、僕の詩の中でも優れた個所の一つとなるべきところなんだ。つまり、どういうわけで皆がそれを悟るか、という理由が素敵なのだ。民衆は打ち克つことのできない力をもって、彼のほうへ押し寄せたと思うと、たちまちその周囲を取り囲み、次第に厚く人垣を築きながら、彼のうしろへ従って行く。彼は限りなき憐憫のほお笑みを静かに浮べながら、無言に群衆の中を進んで行く。愛の太陽はその胸に燃え、光明と力の光線はその目から流れ出て、人々の上に充ち溢れながら、応うるごとき愛をもって一同の心を顫わす。彼は一同の方《かた》へ手を伸べて祝福したが、その体ばかりか、ただ着物に触れただけで、一切のものをいやす力が生じるのだ。
 その時、幼い頃から盲になった一人の老人が、群衆の中から、『主よ、わたくしをお癒し下さりませ。そうすれば、あなたさまを拝むことができまする』と叫んだ。と、たちまち目から鱗でもとれたように、盲人は主の顔が見えるようになった。民衆はありがた涙をこぼしながら、彼の踏んで行く土を接吻するのだ。子供らは彼の前に花を投げて歌いながら、『ホザナ!』を叫ぶ。『これはイエスさまだ、イエスさまご自身だ』と一同は繰り返す。『これはイエスさまに相違ない、イエスさまでのうて誰であろう。』
 やがて、彼はセヴィリヤ寺院の玄関に立ちどまった。その時、蓋をしない白い小さな棺が、泣き声とともに寺院の中へ舁ぎ込まれた。その中には、ある有名な市民の一人子で、八つになる女の子が横たわっている。小さな死骸は、花の中に埋まっているのだ。『あのお方は、お前の子を生き返らして下さるぞ。』悲嘆にくれている母に向って、群衆の中からこういう叫び声が起った。棺を迎えに出た寺僧は、けげんな顔をして眉をひそめながら眺めている。と、突然、死んだ子の母の叫びが響き渡った。彼女は主の足もとへ身を投げて、『もしあなたがイエスさまでいらっしゃいますなら、わたくしの子供を生き返らして下さりませ』と主のほうへ両手をさし伸べながら叫ぶのだ。葬列は立ちどまって、棺は寺の玄関へ、彼の足もとへおろされた。彼は憐憫の目をもって眺めていたが、その口は静かにかの『タリタ・クミ』(起きよ娘)をいま一ど繰り返した。と、女の子はむくむくと棺の中に起きあがって坐りながら、びっくりしたような目を大きく見ひらいて、にこにこあたりを見廻すのだ。その手の中には白ばらの花束があったが、これは棺の中でじっと持って臥ていたものである。群衆の間には動揺と叫喚と慟哭が起った。この瞬間、寺院の横の広場を、大審問官の僧正が通りかかったのである。
 彼はほとんど九十になんなんとしているけれども、背の高い腰のすぐな[#「腰のすぐな」はママ]老人で、顔は痩せこけ、目は落ち窪んでいたが、その中にはまだ火花のような光が閃めいている。彼の着物はきのうローマ教の敵を烙いた時に、人民の前でひけらかしていたような、きらびやかな大僧正の衣裳ではなく、古い粗末な法衣《ころも》であった。その後からは、陰欝な顔をした助役の面々や、奴隷や、『神聖なる』護衛の侍どもが、一定の距離を保ってつづいている。大審問官は群衆の前に立ちどまって、遙かに様子を眺めていた。彼は一切のことを見た。棺がキリストの足もとへおろされたのも見たし、女の子が蘇生したのも見た。と、彼の顔は暗くなってきた。その白い厚い眉は八の字に寄せられ、目は不吉な火花を散らし始めた。彼は指を伸ばして護衛に向い、かの者を召し捕るように下知した。彼の権力はあくまで強く、人人は従順にしつけられ、戦々兢々と彼の命を奉ずることに馴れているので、群衆はさっと護衛の者に道を開いた。そして、突然おそい来った墓場のような沈黙の中で、護衛はキリストに手をかけ、引き立てて行った。群衆はさながら唯一人の人間のように、一斉に額が土につくほど老審問官に頭を下げた。こちらは無言のまま一同を祝福して、かたえを通り過ぎた。護衛は囚人《めしゅうど》を神聖裁判所の古い建物内にある、暗く狭い円天井の牢屋へ連れて来て、ぴんと鍵をかけてしまった。
 一日も過ぎて、暗く暑い、『死せるがごときセヴィリヤの夜』が訪れた。空気は『桂とレモンの香に匂って』いる。深い闇の中に、とつぜん牢屋の鉄の戸が開いて、老いたる大審問官が手にあかりを持って、しずしずと牢屋の中へ入って来た。彼はただ一人きりで、戸はそのうしろですぐさま閉された。彼は入口に立ちどまって、長いこと、一分間か二分間か、じいっとキリストの顔に見入っていた。とうとう静かに近寄って、あかりをテーブルの上にのせて口をきった。
『お前はイエスか? イエスか?』しかし、返事がないので、急いでまたつけたした。『返事しないがいい、黙っておるがいい。それに、お前なぞ何も言えるはずがないではないか! わしにはお前の言うことが、あまりにもわかりすぎるくらいだ。それに、お前はもう昔に言ってしまったこと以外に、何一つつけたす権利さえ持っていないのだ。なぜお前はわしらの邪魔をしに来たのだ? 本当にお前はわしらの邪魔をしに来たのだろう、それはお前自身でもわかっておるはずだ。しかし、お前は明日どんなことがあるか知っておるか? わしはお前が何者か知らぬ、また知りたくもないわ。お前が本当のイエスかまたは贋物か、そのようなことはどうでもよい。とにもかくにも、明日はお前を裁判して、一ばん性《しょう》の悪い異教徒として烙いてしまうのだ。すると、今日お前の足を接吻した民衆が、明日はわしがちょっと小手招きしただけで、お前を烙く火の中へわれさきに炭を掻き込むことであろう、お前はそれを知っておるか? おそらく知っておるであろうな』と彼は一分間も囚人《めしゅうど》の顔から目を離さないで、しみじみと考え込むようなふうつきでこう言いたした。」
「僕はよくわかりません、兄さん一たいそれは何のことです?」しじゅう黙って聞いていたアリョーシャは、ほお笑みながら訊ねた。「それはただ途方もない妄想ですか、それとも老人の考え違いですか? まるで本当にはなさそうな qui pro quo([#割り注]撞着[#割り注終わり])じゃありませんか。」
「じゃ、その一番しまいの分としといてもいいさ」とイヴァンは笑いだした。「もしお前が現代の現実主義に甘やかされたため、空想的な分子は少しも我慢することができないで、これを qui pro quo と考えたいなら、まあ、そんなことにしといてもいいさ。いや、まったくだよ」と彼はまた笑った。「老人はもう九十という年なんだから、だいぶ前から、気ちがいじみた観念を持ってるかもしれないよ。それに、囚人の容貌だけでも、老人の心を打ったはずだからね。いや、それどころか、ことによったら、それは九十になる老人のいまわの際の譫言かもしれない、幻かもしれない。おまけに、きのう火刑場で百人からの異教徒を烙き殺したため、まだ気が立ってるのかもしれないよ。しかし、僕にとってもお前にとっても、qui pro quo だろうが、途方もない妄想だろうが、同じようなものじゃないか。要するに、老人は自分の腹の中を、すっかり吐き出してしまいたかっただけの話さ、九十年間だまっていたことを、すっかり口に出して言ってしまっただけの話さ。」
「そして、囚人はやはり黙っているのですか? 相手の顔を見つめながら、一ことも口をきかないんですか?」
「そりゃ、そうなくちゃならないよ、どんな場合においてもね」と、イヴァンはまた笑いだした。「老人自身も、キリストは昔自分が言ってしまったこと以外に、何一つつけたす権利を持っていない、と断言してるじゃないか。もし何なら、その中にローマカトリック教の最も根本的な特質がふくまれてる、と言ってもいいくらいだ。少くとも僕の意見ではね。『もうお前はみんなすっかり法王に渡してしまったじゃないか。いま一切のことは法王の手中にあるのだ。だから、今となって出て来るのは断然よしてもらいたい。少くとも、ある時期の来るまで邪魔をしないでくれ』というのさ。この意味において、彼らは単に口で言うばかりでなく、本に書いてるものさえある。少くとも、ジェスイットの連中はね。僕自身もこの派の神学者の書いたものを読んだことがあるよ。
『一たいお前は、自分が出て来たばかりのあの世の秘密を、よしんば一つでも、われわれに伝える権利を持っておるのか?』と大審問官はキリストに訊ねて、すぐみずから彼に代って答えた。『いや、いささかも持っていない。それはお前が以前いった言葉に、何一つつけたさないためだ。それはお前がまだこの地上におった頃、あれほど主張した自由を人民から奪わないためだ。お前が今あらたに伝えようとしていることは、すべて、人民の信仰の自由を危くするものだ。なぜと言うに、それが奇蹟として現われるからだ。ところで、人民の自由はまだあの頃から、千五百年前から、お前にとって何より大切なものだったじゃないか。あの当時「われはなんじらを自由にせんと歇す」と、よく言っていたのはお前じゃないか。ところが、今お前は彼らの自由な姿を見た。』もの思わしげな薄笑いを浮べながら、老人は急にこう言いたした。『ああ、この事業はわれわれにとって高価なものについた。』厳めしい目つきで相手を眺めながら、彼はこう言葉をつづけた。『が、いまわれわれはお前の名によって、ついにこの事業を完成した。十五世紀の間、われわれはこの自由のために苦しんだが、今はすでに完成した、きっぱりと完成した。お前は、きっぱり完成したと言っても、本当にしないだろうな? お前はつつましやかにわしを見つめたまま、憤慨するのも大人げないというような顔をしておるな。しかし、そのつもりでいるがよい、人民は今、いつにもまして今この時、自分らが十分自由になったことを信じている、しかし、その自由を彼らはみずから進んでわれわれに捧げてくれた。おとなしくわれわれの足もとへ置いてくれた。けれど、これを成し遂げたのはわれわれだ。お前が望んだのはこんなことじゃあるまい、こんな自由じゃあるまい?』」
「僕またわからなくなりました」とアリョーシャが遮った。「老人は馬鹿にしてるんですか、笑ってるんですか?」
「決して決して。つまり、彼はついに自由を征服して人民を幸福にしてやったのを、自分や仲間のものの手柄だと思ってるのさ。『なぜならば今はじめて(もちろん、彼は審問のことを言ってるんだ、)人間の幸福を考えることができるようになったからだ。人間はもともと暴徒にできあがっておるのだが、暴徒が幸福になると思うか? お前はよく人から注意を受けた、――と彼はキリストに言うのだ、――お前は注意や警戒にことを欠かなかったが、お前はその注意を聞かないで、人間を幸福になし得る唯一の方法をしりぞけたではないか。しかし、幸いにも、お前がこの世を去る時に、自分の事業をわれわれに引き渡していった。お前は自分の口から誓言して、人間を結んだり解いたりする権利をわれわれに授けてくれた。だから、もちろん今となって、その権利をわれわれから奪うわけにゆかない。どうしてお前はわれわれの邪魔に来たのだ?』」
「注意や警戒にことを欠かなかった、というのは、一たい何の意味でしょう?」とアリョーシャが訊いた。
「そこが老人の言いたいと思う肝心なところなんだよ。『恐ろしくしかも賢なる精霊』と老人は語りつづける。『自滅と虚無の精霊、――偉大なる精霊が、荒野でお前と問答をしたことがある。書物に伝えられておるところによれば、これがお前を「試みた」ことになるのだそうだ。それは本当のことかな? しかし、その精霊が三つの問いにおいて、お前に告げた言葉、お前に否定せられて書物の中で「試み」と呼ばれている言葉以上に、より真実なことを何か言い得るであろうか? もしいつかこの地上で本当に偉大なる奇蹟が行われた時があるとすれば、それはこの三つの試みの日にほかならぬのだ。つまり、この三つの試みの中に奇蹟がふくまれているのだ。もしかりにだな、試みにだな、この恐ろしき精霊の三つの問いが、跡かたなく書物の中から消え去ったので、ふたたびそれを書物の中へ書き入れるために、あらたに考え出して作らねばならなくなったとする。そして、このために世界じゅうの賢者、政治家、長老、学者、哲人、詩人などを呼び集めて、「さあ、三つの問いを工夫して作り出してくれ。しかし、それは事件の偉大さに相応しているのみならず、ただの三ことでもって、三つの人間の言葉でもって、世界と人類の未来史をことごとく表現していなくてはならぬ」という問題を提出する、――まあ、こんな空想をすることができるとして、世界じゅうの知恵を一束ねにしてみたところで、力と深みにおいて、かの強く賢い精霊が荒野の中でお前に発した三つの問いに、匹敵するようなものを考え出すことができるかできぬか、お前にだってわかりそうなものだ。
 この三つの問いだけで判断しても、その実現の奇蹟だけで判断しても、移りうごく人間の知恵ではなく、永遠に絶対な叡知を向うに廻している、ということがわかりそうなもんじゃないか。なぜというに、この三つの問いの中に人間の未来の歴史が、完全なる個となって凝結している上、地上における人間性の歴史的矛盾をことごとく包含した三つの形態が現われているからだ。もちろん、未来を知ることはできないから、その当時こそこんなことはよくわからなかったろうが、あれから千五百年もたった今となってみれば、もはや何一つ増減することができないほど、この三つの問いの中に一切のことが想像され予言されて、しかもその予言がことごとく的中しているのが、よくわかるではないか。
 一たいどっちの言うことが正しいか、自分で考えてみるがよい、――お前自身か、それとも、あの時お前を試みたものか? 第一の試みはどうだろう。言葉はちがうかもしれぬが、意味はこんなことであった。「お前は世の中へ行こうとしている。しかも、自由の約束とやらを持ったきりで、空手《からて》で出かけようとしている。しかし、生れつき下品で馬鹿な人民は、その約束の意味を悟ることができないで、かえって恐れている。なぜと言うに、人間や人間社会にとって、自由ほどたえがたいものはほかにないからだ! この真裸な焼野原の石を見ろ。もしお前がこの石をパンにすることができたら、全人類は感謝の念に燃えながら、おとなしい羊の群のように、お前のあとを追うて走るであろう。そうして、お前が手を引っ込めて、パンをよこさなくなりはせぬかと、それのみを気づかって、永久に戦々兢々としておるに相違ない」と言った。ところが、お前は人民から自由を奪うことを欲しないで、その申し出をしりぞけてしまった。お前の考えでは、もし服従がパンで買われたものならば、どうして自由が存在し得よう、という肚だったのだ。そのときお前は「人はパンのみにて生くるものにあらず」と答えたが、しかし、この地上のパンの名をもって、地の精霊がお前に反旗をひるがえし、お前と戦って勝利を博するのだ。そして、すべてのものは、「この獣に似たるものこそ、天より火を盗みてわれらに与えたるものなり」と絶叫しながら、その後にしたがって行くのを、お前は知らないのか。幾百千年と過ぎ去った後に、人類はおのれの知恵と科学の口を借りて、「犯罪もなければ、またしたがって罪業もない、ただ飢えたるものがあるばかりだ」と公言するのを、お前は知らないのか。「食を与えたるのち善行を求めよ!」と書いた旗を押し立てて、人々はお前に向って一揆を起す。そうして、この旗がお前の寺を破壊するのだ。
 お前の寺の跡にはやがて新しい建物が築かれる、またさらに恐ろしいバビロンの塔が築かれるのだ、もっとも、この塔も以前の塔と同じように落成することはなかろうが、それにしても、お前はこの新しい塔の建物を避けて、人々の苦痛を千年だけ縮めることができたはずなのだ。なぜと言うに、彼らは千年の間、自分の塔のために苦しみ通した挙句、われわれのところへやって来るに相違ない! そのとき彼らは、われわれがふたたび土の下の、塋窟《はかあな》の中に隠れているところを捜し出すのだ(と言うのは、われわれがふたたび迫害せられ、苦しめられるからだ)、捜し出したら、われわれに向って、「わたくしどもに食べ物を下さい。わたくしどもに天国の火を盗んでやると約束した人が嘘をついたのでございます」と絶叫する。そのとき初めてわれわれが彼らの塔を落成さしてやる。なぜと言って、落成さすことができるのは、ただ彼らに食を与えるものにかぎるが、われわれはお前の名をもって、彼らに食を与えてやるからだ。しかし、お前の名をもってと言うのは、ほんの出まかせにすぎないのだ。そうとも、われわれがいなかったら、彼らは永久に食を得ることができないのだ! 彼らが自由でいる間は、いかなる科学でも彼らにパンを与えることはできないのだ! しかし、とどのつまり、彼らは自分の自由をわれわれの足もとに捧げて、「わたくしどもを奴隷にして下すってもよろしいから、どうぞ食べ物を下さいませ」と言うに違いない。つまり、自由とパンとはいかなる人間にとっても両立しがたいものであることを、彼ら自身が悟るのだ。実際どんなことがあっても、どんなことがあっても、彼らは自分たちの間でうまく分配することができないにきまっているからな! また決して自由になることができないということも、彼らは同様に悟るであろう。なぜと言うに、彼らは意気地なしで、不身持で、一文の値うちもない暴徒だからな。お前は天上のパンを約束したが、しかしまた繰り返して言う、はたしてあの意気地のない、永久に不身持な、永久に下司ばった人間の目から見て、天上のパンが地上のパンとくらべものになるだろうか? よし幾千人、幾万人のものが、天上のパンのためにお前のあとからついて行くとしても、天上のパンのために地上のパンを蔑視することのできない幾百幾千万の人間は、一たいどうなるというのだ? それともお前の大事なのは、偉大で豪邁な幾万かの人間ばかりで、そのほかの弱い、けれどもお前を愛している幾百万かの人間、いや、浜の真砂のように数知れぬ人間は、偉大で豪邁な人間の材料とならねばならぬと言うのか? いやいや、われわれにとっては弱い人間も大切なのだ。彼らは放蕩者で暴徒ではあるけれど、しまいにはこういう人間が、かえって従順になるのだ。彼らはわれわれに驚嘆して、神様とまで崇めるだろう。なぜと言うに、われわれは彼らのかしらに立って、彼らの恐れる自由を甘んじてたえ忍び、彼らに君臨することを承諾したからである。で、最後に彼らは、自由になるのを恐ろしいと感じ始めるに違いない! が、われわれは、自分たちもキリストに対して従順なので、お前たちに君臨するのもキリストのみ名のためだ、と言って聞かしてやる。われわれはこうしてまたもや彼らを欺くが、もう決してお前をわれわれのそばへ近づけないから大丈夫だ。この偽りの中にわれわれの苦悶があるのだ。なぜなら、われわれは永久に嘘をつかなければならないからだ。さあ、荒野における第一の問いはこういう意味を持っているのだ。お前は自分が何より最も尊重している自由のために、これだけのものをしりぞけたのだ。
 そのほか、この問題の中には、現世の大秘密がふくまれている。もしお前が「地上のパン」を許容したら、個人および全人類に共通な永遠の憂悶に対して、答えを与えることになったのだ。それは「何びとを崇拝すべきか?」という疑問なのだ。自由になった人間にとって最も苦しい、しかもたえまのない問題は、少しも早く自分の崇拝すべき人を捜し出すことである。しかし、人間というものは間違いなく崇拝に価するものを求めている。万人が一時にうち揃ってその前に跪き得るくらい、間違いのないものを求めているのだ。これらの哀れな生物の心配は、めいめい勝手な崇拝の対象を求めるばかりでなく、万人が信仰してその前に跪くようなものを捜し出すことにある。つまり、どうしてもすべての人と一緒[#「すべての人と一緒」に傍点]でなければ承知しないのだ。この共通な[#「共通な」に傍点]崇拝の要求が、この世の始まりから、各個人および全人類の主な苦悶となっている。崇拝の共通ということのために、彼らは互いに剣をもって殺し合った。彼らは神を創り出して、互いに招き合っている。つまり、「お前たちの神を捨てて、われわれの神を奉じないか。そうしないと、お前たちもお前たちの神も命がないぞ!」というのだ。これは世界の終るまでこのとおりだ。神というものが地上から消え失せた時でも、やはり同じことだ。彼らは偶像の前に跪くだろうからな。お前はこの人間本性の根本秘密を知っていたろう、いや、知らぬはずはない。ところが、お前はすべての人間を無条件で自分の前に跪かせるため、精霊がお前に勧めた唯一絶対の旗幟、つまり地上のパンという旗幟をしりぞけた、しかも天上のパンと自由の名をもってしりぞけたではないか。
 それから、その上にお前がどんなことをしたか、考えてみるがよい。何でもかでも例によって、自由の名をもっていったではないか! わしがお前に言っておるとおり、人間という哀れな生物は、生れ落ちるときから授かっている自由の賜物を譲りわたすべき人を、少しも早く見つけねばならぬ、この心配ほど人間にとって苦しいものはない。しかし、人間の自由を支配する人は、その良心を安め得るものにかぎる。お前にはパンという間違いのない旗幟が与えられたのだから、パンさえ与えれば、人はお前の足もとに跪くに相違ない。なぜと言うに、パンほど間違いのないものはないからだ。しかし、もしその時お前よりほかに、人間の良心を支配するものが出て来たら、――おお、その時はお前のパンを捨てても、人間は自分の良心をそそのかす人に従うに違いない。この点においては、お前も正しかったのだ。なぜと言うに、人間生活の秘密はただ生きることばかりでなく、何のために生きるかということに存するからだ。何のために生きるかという確固たる観念がなかったら、人間はたとえ周囲にパンの山を積まれても、生活するをいさぎよしとせず、こんな地上にとどまるよりも、むしろ自殺の道を採ったに相違ない。これはまったくそのとおりだ。ところが、実際はどうであったろう。お前は人間の自由を支配するどころか、かえって一そう自由を増してやったではないか! それとも、お前は人間にとって平安のほうが(時としては死でさえも)、善悪の認識界における自由の選択より、はるかに大切なものであることを忘れたのか? それはむろん、人間としては、良心の自由ほど魅惑的なものはないけれど、またこれほど苦しいものはないのだ。ところがお前は、人間の良心を永久に慰める確固たる根拠を与えないで、ありとあらゆる異常な、謎のような、しかも取りとめのない、人間の力にそぐわないものを取って与えた。それゆえ、お前の行為は、少しも人間を愛さないでしたのと同じ結果になってしまった、――しかも、それは誰かというと、人類のために自分の命を投げ出した人なのだ! お前は人間の良心を支配する代りに、かえってその良心を増し、その苦しみによって、永久に人間の心の国に重荷を負わしたではないか。お前は自分でそそのかし擒《とりこ》にした人間か、自由意志でお前に従って来るように、人間の自由な愛を望んだ。確固たる古代の掟に引き換えて、人間はこれからさきおのれの自由な心をもって、何が善であり何が悪であるか、一人で決めなければならなくなった。しかも、その指導者といっては、お前の姿が彼らの前にあるきりなのだ。しかし、お前はこんなことを考えはしなかったか、もし選択の自由というような恐ろしい重荷が人間を圧迫するならば、彼らはついにお前の姿も、お前の真理もしりぞけ譏るようになる。そして、「真理はキリストの中にない」と叫ぶようになる。なぜならば、お前があのようにたくさんの心配と解決のできない問題を与えたために、人間は惑乱と苦痛の中にとり残されたからだ。実際、あれ以上残酷なことは、とてもできるものじゃない。
 こうしてお前は、自分で自分の王国の崩壊に基礎をおいたのだから、だれも他人を咎めてはならぬぞ。とはいえ、お前が勧められたのは、はたしてこんなことであったろうか? ここに三つの力がある。つまり、これらの意気地ない暴徒の良心を、彼らの幸福のため永久に征服し擒にすることのできる力は、この地上にたった三つしかないのだ。この力というのは、――奇蹟と神秘と教権である。お前は第一も第二も第三も否定して、みずから先例を作った。かの恐ろしく賢《さか》しい精霊がお前を殿《みや》の頂きに立たせて、「もし自分が神の子かどうか知りたいなら、一つ下へ飛んでみろ。なぜなら、下へ落ちて身をこなごなに砕かないよう、途中で天使に受け止めてもらう人のことが本に書いてあるから、その時お前は自分が神の子かどうかを知ることができるし、天なる父に対するお前の信仰のほども知れるわけだ。」しかし、お前はそれを聞いてその勧めをしりぞけ、術におちいって下へ身を投ずるようなことをしなかった、それはもちろん、お前は神としての誇りを保って、立派に振舞ったに相違ない。しかし、人間は、――あの弱い暴徒の種族は、決して神でないからな。おお、もちろんあの時お前がたった一足でも前へ出て、下へ身を投ずる構えだけでもしたなら、ただちに神を試みたことになって、一切の信仰を失い、お前が救うためにやって来た土に当ってこなごなとなり、お前を誘惑した賢しい精霊を悦ばしたに相違ない、おればそれを承知していたのだ。が、繰り返して言う、一たいお前のような人間がたくさんいるだろうか? このような誘惑を持ちこたえる力がほかの人間にもあるなどと、お前は本当に、ただの一分間でも考えることができたか? 人間の本性というものは、奇蹟を否定するようにできていない。ことにそんな生死に関する恐ろしい瞬間に、――最も恐ろしい、根本的な、苦しい精神的疑問の湧き起った瞬間に、自由な良心の決定のみで行動するようにできていないのだ。お前は、自分のこの言行が青史に伝えられ、時の極み地の果てまで達することを知っていたので、すべての人間も自分の例に倣って、奇蹟を必要とせず、神とともに暮すだろうと、こんなことを当てにしていたのだ。けれども、人間は奇蹟を否定するやいなや、ただちに神をも否定する、何となれば、人間は神よりもむしろ奇蹟を求めているのだからな。この理をお前は知らなかったのだ。人間というものは奇蹟なしでいることができないから、自分で勝手に新しい奇蹟を作り出して、はては祈祷師の奇蹟や巫女の妖術まで信ずるようになる。ご当人が骨の髄までの暴徒であり、邪教徒であり、無神者であっても同じことなのだ。お前は多くの者が、「十字架から下りてみろ、そしたらお前が神の子だということを信じてやる」と冷かし半分からかったとき、お前は十字架からおりたかった。つまり、例のごとく、人間を奇蹟の奴隷にすることを欲しないで、自由な信仰を渇望したから、下りなかったのだ。お前は自由な信仰を渇望したために、恐ろしい偉力をもって、凡人の心に奴隷的な歓喜を呼び起したくなかったのだ。
 しかし、お前は人間をあまり買い被りすぎたのだ。なぜと言うに、かれらは暴徒として創られてはいるものの、やはり奴隷に相違ないからな。まあ、よく見てから判断するがいい。もう十五世紀も過ぎたんだから、よく人間を観察するがいい。一たいお前は誰を自分と同等の高さにまで引き上げたか? わしが誓っておくが、人間はお前の考えたよりも、はるかに弱く卑劣に創られている! 一たいお前のしたと同じことが人間にできると思うのか? あれほど人間を尊敬したために、かえってお前の行為は彼らに対して同情のないものになってしまった、それはお前があまりに多くを彼らに要求したからである。これが人間を自分自身より以上に愛したお前の、なすべきことと言われようか? もしお前があれほど彼らを尊敬しなかったら、あれほど多くを要求しなかっただろう。そして、このほうが愛に近かったに相違ない。つまり、彼らの負担が軽くなるからだ。人間というやつは意気地がなくて、下劣なのだからな。いま彼らは到るところで、われわれの教権に対して一揆を起すのを自慢しているが、そんなことは何でもない。それは子供の自慢だ。小学生の自慢だ。それは教室で一揆を起して、先生を追い出すちっぽけな子供なのだ。今に子供の歓喜も冷めはてて、彼らはその歓喜に対して高い価を払わねばならぬ。彼らは殿《みや》を破壊して地上に血を流すであろうが、ついにはこの愚かな子供たちも、自分らは暴徒とはいいながら、一揆を最後まで持ちこたえることのできない意気地のない暴徒だと悟るだろう。自分を暴徒として作ってくれたものは、確かに自分を冷笑するつもりだったに相違ないということを、愚かな涙を流しながら、自覚するであろう。彼らがこんなことを言うのは、自暴自棄におちいった時だ。そうして、この言葉は神に対する呪いとなるが、そのために、彼らはさらに不幸におちいるであろう。何となれば、人間の本性はとうてい神に対する呪いを持ちこたえられるものでないから、結局、自分で自分にその復讐をするのがきまりなのだ。
 こういうわけで、不安と惑乱と不幸、これが今の人間の運命なのだ。お前が彼らの自由のためにあれだけの苦しみをしたあとでも、やはり人間の運命はこういう有様なのだ! お前の偉大なる予言者([#割り注]ヨハネ[#割り注終わり])は、その幻想と譬喩の中で、最終の日曜に加わったすべての人を見たが、その数は各種族について一万二千人ずつあったと言うておる。しかし、彼らの数がそれだけのものなら、それは人間でなくて神と言ってもよいくらいだ。それらの人は、お前の十字架をもたえ忍んだし、一木一草もない荒野の幾十年をもたえ忍んだ。そして、その間、蝗と草の根ばかりで命をつないでいたのだから、もちろん自由の子、自由な愛の子、お前の名のために自由で偉大な儀牲を捧げた子として、大威張りでこれらの人々を指さすことができる。しかし、それは僅か幾万人の神ともいうべき人間だ、このことを憶えていてもらいたい。一たいそのほかの人間はどうすればいいのだ? そうした偉大なる人々のたえ忍んだことを、そのほかの弱い人間が同様にたえ忍ぶことができなかったからとて、彼らを責めるわけにはゆかない。そのような恐ろしい賜物を納め入れることができなかったとて、弱い魂を責めるわけにゆかないではないか。それとも、お前はただ選まれたる者のために、選まれたる者のところへ来たにすぎないのか? もしそうだとすれば、それは神秘だ、そんなことはわれわれの了解のおよぶところでない。しかし、本当に神秘だとすれば、われわれも神秘を宣伝して、「人間の重んずべきは、良心の自由なる決定でもなければ愛でもなく、ただ神秘があるのみだ。すべての人間はおのれの良心に叛いても、この神秘に盲従しなければならぬ」とこう説いて聞かせる権利があるわけだ。実際、われわれはそのとおりにした。われわれはお前の事業を訂正して、それをば奇蹟[#「奇蹟」に傍点]と神秘[#「神秘」に傍点]と教権[#「教権」に傍点]の上に打ち建てたのだ。そのために民衆は、ふたたび自分たちを羊の群のように導いてくれる人ができ、非常な苦痛の原因たるかの恐ろしい賜物を、ついに取りのけてもらえる時が来たのを悦んだ。われわれがこういうふうに教えたのは間違っておるかどうか、一つ言って聞かしてくれ、われわれが素直に人間の無力を察して、優しくその重荷をへらしてやり、意気地のない本性を思いやって、われわれの許しを得た上なら、悪い行いすら大目に見ることにしたのは、はたして人類を愛したことにならぬだろうか?
 一たいお前は今ごろ何だって、われわれの邪魔をしに来たのだ? どうしてお前はそのおとなしい目で、腹の底まで読もうとするように、黙ってわしを見つめておるのだ? 怒りたいなら勝手に怒るがよい、わしはお前の愛なぞほしくもないわ。なぜならば、わし自身もお前が好きでないからだ。それに、何も隠しだてする必要はない。それとも、お前がどんな人間かということを、わしが知らぬとでも思うのか? わしが今いおうと思っていることは、すっかりお前にわかっている、それはお前の目つきでちゃんと読める。しかし、わしはお前にわれわれの秘密を隠そうとはせぬ。もっとも、お前はどうしてもわしの口から言わせたいのかもしれぬ。よいわ、聞かせてやろう。われわれの仲間はお前でなくて、彼[#「彼」に傍点]([#割り注]悪魔[#割り注終わり])なのだ、これがわれわれの秘密だ! われわれはもうずっと前から、もう八百年の間お前を捨てて、彼[#「彼」に傍点]と一緒になっているのだ。ちょうど八世紀以前、われわれは彼の手から、お前が憤然としりぞけたものを取ったのだ。彼が地上の王国を示しながらお前にすすめた、かの最後の贈物を取ったのだ。われわれは彼の手からローマとケーザルの剣を取って、われわれのみが地上における唯一の王者だと宣言した。もっとも、まだこの事業を十分完成する暇がなかったが、それはわれわれの罪ではない。この事業は今日にいたるまで、ほんの初期の状態にあるが、とにかく緒についてはいるのだ。その完成はまだまだ長く待たなければならぬし、まだまだこの地球は多くの苦しみを嘗めねばならぬが、しかしわれわれは目的を貫徹してケーザルとなるのだ。そうして、その時はじめて、人類の世界的幸福を考えることができるのだ。ところで、お前は、まだあのときケーザルの剣を取ることができたのに、どうしてこの最後の贈物をしりぞけたのだ! この悪魔の第三の勧告を採用したなら、お前は地上の人類が求めている一切のものを充すことができたのだ。ほかでもない、崇拝すべき人と、良心を託すべき人と、すべての人間が世界的に一致して蟻塚のように結合する方法である。なぜと言うに、世界的結合の要求は、人間の第三にしてかつ最後の苦悶だからである。全体としての人類は、常に世界的に結合しようと努力している、偉大な歴史を持った偉大な国民はたくさんあったが、これらの国民は高い地歩を占めれば占めるほど、いよいよ不幸になってゆく。というのは、人にすぐれて強い者ほど、人類の世界的結合の要求を烈しく感じるからだ、チムールとかジンギスカンとかいう偉大な征服者は、宇宙を併呑しようと努め、旋風のごとく地上を疾駆した。しかし、これらの人々も無意識ではあるが、同じような人類の世界的結合の偉大なる要求を表現したのだ。全世界とケーザルの剣を取ってこそ、はじめて世界的王国を建設して、世界的平和を定めることができるのだ。なぜと言うに、人間の良心を支配し、かつそのパンを双手に握っている者でなくて、誰に人間を支配することができようぞ!
 われわれはケーザルの剣を取った。そして、これを取った以上、むろんお前を捨てて彼[#「彼」に傍点]の跡について行った。おお、人間の自由な知恵と、科学と、人肉啖食《アンスロポファジィ》の放肆きわまりなき時代が、まだまだ幾世紀もつづくだろう(まったく人肉啖食《アンスロポファジィ》だ、なぜならば、われわれの力を借りないで、バビロン塔の建設を始めたのだから、彼らはついに人肉啖食で終るに相違ない)。しかし、最後にはこの野獣がわれわれのそばへ這い寄って、われわれの足をぺろぺろと嘗め廻しながら、その上に血の涙をそそぐにきまっている。そこで、われわれはその野獣に乗って、杯を挙げる。その杯には「神秘!」と書いてある。しかし、その時はじめて平和と幸福の王国が人類を訪れるのだ。お前は自分の「選まれたる人々」を誇っているが、しかしお前にはその選まれたる人々しかない。ところが、われわれはすべての人を鎮撫するのだ。それに、まだまだこれくらいのことではない。これらの選まれたる人々や、選まれたる人々になり得る強者の多くは、もはやお前の出現を待ちくたびれて、自分の精神力や情熱をまるで見当違いの畠へ運んで行った。まだこれからも運んで行くことであろう。そうしてついには、お前に叛いて自由[#「自由」に傍点]の旗をひるがえすに違いない。しかし、お前自身からしてこの旗をひるがえしたではないか。ところが、われわれのほうでは一人残らず幸福になって、もう一揆を起すものも、互いに殺し合うものもなくなるのだ。しかし、お前の自由世界では、これが随所に行われている。おお、われわれはよくみなの者に言い聞かしてやる、――お前たちがわれわれのために自分の自由を捨ててわれわれに服従した時に、はじめてお前たちは幸福になることができるのだ、とな。どうだろう、われわれの言うことは本当だろうか、嘘だろうか? いや、彼ら自身で、われわれの言うことが本当だと悟るに相違ない。なぜなら、お前の自由のおかげで、どんな恐ろしい奴隷状態と惑乱に落されたか、それを思い出しさえすればたくさんだからな。自由だの、自由な知恵だの、科学だのは、彼らをもの凄い谷間へつれ込んで、恐ろしい奇蹟や、解決することのできない神秘の前に立たせるので、彼らの中でも頑強で狂猛なやつらは自殺するし、頑強ではあるが気の小さなやつらは互いに滅ぼし合うし、そのほかの意気地ない不仕合せなやつらは、われわれの足もとへ這い寄ってこう叫ぶのだ。「あなた方は正しいお方でございました。あなた方ばかりがイエスさまの神秘を領有していらっしゃいます。それゆえ、わたくしどもはあなた方のところへ帰ります。どうかわたくしどもを自分自身から救うて下さいまし。」で、われわれは彼ら自身の獲たパンをその手から取り上げて、べつに石をパンに変えるというような奇蹟をも行うことなしに、ふたたび彼らに分配してやる。彼らはパンを受け取る時に、このことをはっきり承知しているけれど、彼らが悦ぶのはパンそのものよりも、むしろそれをわれわれの手から受け取るということなのだ。なぜならば、以前われわれのいなかった時分には、彼らの獲たパンがその手の中で石ころになってしまったが、われわれのところへ帰って来た時には、その石がまたもや彼らの手の中でもとのパンになったことを、覚えすぎるほど覚えているに相違ないからな。永久に服従するということがどんな意味を持っているか、彼らは理解しすぎるほど理解するに相違ないからだ。その理が合点ゆかない間は、人間はいつまでも不幸でいるのだ。しかし、第一番にこうした無理解を助長したのは誰だ、言ってみろ! 羊の群をばらばらにして、案内も知らぬ道へわかれわかれに追い散らしたのは誰だ? しかし、羊の群もまたふたたび呼び集められて、今度こそ永久におとなしくなるであろう。その時われわれは彼らに穏やかな、つつましい幸福を授けてやる。彼らの生来の性質たる意気地ない動物としての幸福を授けてやるのだ。おお、われわれはとどのつまり彼らを説き伏せて、誇りを抱かぬようにさせてやる。なぜと言うに、お前が彼らの位置を引き上げたため、誇りを教え込んだような工合になったからだ。そこで、われわれは彼らに向って、お前たちは意気地のないもので、ほんの哀れな子供同然だ、そして子供の幸福ほど甘いものはない、と言って聞かせてやる。すると、彼らは臆病になり、まるで巣についた牝※[#「奚+隹」、第 3水準 1-93-66]に寄り添う雛のように、恐ろしさに慄えながらわれわれのほうへ寄り添うて、われわれを仰ぎ見るに相違ない。彼らはわれわれのほうへ押し寄せながらも、同時にわれわれを崇めて恐れて、荒れさわぐ数億の羊の群を鎮撫し得る偉大な力と知恵を持ったわれわれを、誇りとするにいたるであろう。彼らはわれわれの怒りを見て、哀れにも慄えおののいて、その心は臆し、その目は女や子供のように涙もろくなるであろう。しかし、われわれがちょっと小手招きさえすれば、たちまちかるがると、歓楽や、笑いや、幸福な子供らしい唱歌へ移って来るのだ。むろん、われわれは彼らに労働をしいるけれども、暇な時には彼らのために子供らしい歌と、合唱と、罪のない踊りの生活を授けてやる。ちょうど子供のために遊戯を催してやるようなものだ。もちろん、われわれは彼らに罪悪をも赦してやる。彼らはよわよわしい力のないものだから、罪を犯すことを許してやると、子供のようにわれわれを愛するようになる。どんな罪でも、われわれの許可さえ得て行えば贖われる、とこう彼らに言い聞かしてやる。罪悪を赦してやるのは、われわれが彼らを愛するからだ。その罪悪に対する応報は、当然われわれ自身で引き受けてやるのだ。そうしてやると、彼らは神様に対して自分の罪を被ってくれた恩人として、われわれを崇拝するようになる。したがって、われわれに何一つかくしだてしないようになるわけだ。彼らが妻のほかに情婦とともに暮すことも、子供を持つことも持たないことも、すべてその服従の程度に応じて、許しもすればさし止めもする。こうして、彼らは楽しく悦ばしくわれわれに服従してゆくのだ。良心の最も悩ましい秘密も、それから、――いや、何もかも、本当に何もかも、彼らはわれわれのところへ持って来る。すると、われわれは一切を解決してやる。この解決を彼らは悦んで信用するに相違ない。なぜと言うに、これによって大きな心配をのがれることもできるし、今のように自分自身で自由に解決するという、恐ろしい苦痛をのがれることができるからだ。
 こうして、すべての者は、幾百万というすべての人間は幸福になるであろう。しかし、彼らを統率する幾万人かの者は除外されるのだ。つまり、秘密を保持しているわれわればかりは、不幸におちいらねばならぬのだ。つまり、何億かの幸福な幼児と、何万人かの善悪認識の呪いを背負うた受難者とができるわけだ。幼児らは、お前の名のために静かに死んで行く、静かに消えて行く。そうして、棺の向うにはただ死を見いだすのみである。しかし、われわれは秘密を守って、彼ら自身の幸福のために、永遠なる天国の報いをもって彼らを釣ってゆくのだ。なぜなら、もしあの世に何かあるとしても、しょせん彼らのような人間に与えられはしまいからなあ。人の話や予言によると、お前はふたたびこの世へやって来るそうだ。ふたたびすべてを征服して、選まれたる人々や、偉大なる強者を連れてやって来るそうだ。けれども、われわれはこう言ってやる、――彼らはただ自分を救ったばかりだが、われわれは万人を救ってやった、とな。またこんな話もある。やがてそのうちに意気地のないものどもがまたまた蜂起して、獣の上に跨って秘密を手にしている姦婦の面皮を引っぺがし、その秘密[#「秘密」に傍点]を引き破り、醜い体をむき出しにするという話だ。しかし、その時はわしが立ちあがって、罪を知らぬ何億という幸福な幼児を、お前に指さして見せてやる。彼らの幸福のために彼らの罪を身に引き受けたわれわれは、お前の行手に立ち塞がり、「さあ、できるものならわれわれを裁いてみろ」と言ってやる。よいか、わしはお前なぞ恐れはせぬぞ。よいか、わしもやはり荒野へ行って、蝗と草の根で命をつないだことがあるぞ。お前は自由をもって人間を祝福したが、わしもその自由を祝福したことがあるぞ。わしも「数を充し」たい渇望のために、お前の選まれたる人々の仲間へ、偉大なる強者の仲間へ入ろうと思ったことがあるぞ。しかし、あとで目がさめたら、気ちがいに奉仕するのが厭になったのだ。それでまた引っ返して、お前の仕事を訂正した[#「お前の仕事を訂正した」に傍点]人々の群に投じたのだ。つまり、わしは傲慢なる人々のかたわらを去って、へりくだれる人々の幸福のために、へりくだれる人々のところへ帰って来たのだ。今にわしの言ったことは実現されて、われわれの王国は建設されるであろう。しつこいようだが、明日はお前もその従順なる羊の群を見るだろう。彼らは、わしがちょっと手を振って見せると、われさきにとお前を烙《や》くべき焚火へ炭を掻き込むであろう。それはつまり、お前がわれわれの邪魔をしに来たからだ。実際、もし誰か一番われわれの刑火に価するものがあるとすれば、それは正しくお前なのだ。明日はお前を烙き殺してくれる。Dixi([#割り注]さあ言うだけのことは言ってしまった[#割り注終わり])」
 イヴァンは言葉を止めた。彼は話してる間にすっかり熱くなって、夢中になったように語りつづけた。が、語り終った時には、突然にたりと笑った。
 始終だまって聞いていたアリョーシャは、終りに近い頃おそろしく興奮して、幾度か兄の言葉を遮ろうとしたが、無理に押しこらえているらしかった。突然、彼はまるでぜんまい仕掛のように飛びあがりながら、口をきった。
「しかし……それはばかばかしい話です!」と彼は真っ赤になって叫んだ。「あなたの劇詩はキリストの讃美です、決して誹謗じゃありません……兄さんが期待した結果とはちがいます。それに、誰が兄さんの自由説なんか信じるものですか! 一たい、一たい自由ってものを、そんなふうに解すべきでしょうか? それがはたして正教の解釈でしょうか……それはローマです、いや、ローマも全体をつくしたものとは言えません。それは嘘です、――それはカトリック教の中でも一ばん悪いものです、審問官の思想です、ジェスイットの思想です!………それに兄さんの審問官みたいな幻想的な人間は、ぜんぜん存在するはずがありません。わが身に引き受けた人間の罪とは何です? 人間の幸福のために何かの呪いを背負った秘密の保持者とは、どんなものです? そんな人がいつありました? 僕らはジェスイットのことを知っています。彼らはずいぶん悪く言われるけれど、兄さんの考えてるのとはちがいます! まるでちがいます。全然ちがいます……彼らはただ、かしらに帝王を、ローマ法王をいただいた、未来の世界的王国に向って努力するローマの軍隊にすぎません……これが彼らの理想ですが、しかし何の神秘もなければ、高遠な憂愁もありません……権力と、けがれた地上の幸福と、隷属とに対する、最も単純な希望にすぎません……この隷属は、未来の農奴制度とも言うべきものですが、ただし地主となるのは彼ら自身です……まあ、彼らが持っているのは、これくらいのものです。おそらく彼らは神も信じていないでしょう。兄さんの苦しめる審問官はただの幻想です……」
「まあ、待ってくれ、待ってくれ」とイヴァンは笑って、「ばかに熱くなるじゃないか。お前は幻想というが、それならそれでもいい! むろん、幻想だよ。しかし、ちょっと聞かしてくれ。お前本当に、最近数世紀間のカトリック教の運動は、すべて穢れた幸福のみを目的とする権力の希望にすぎないと思うのかい? それはパイーシイ主教でも教えたことじゃないかしらん。」
「いいえ、いいえ、それどころか、パイーシイ主教はいつだったか、あなたと同じようなことを言われたことさえあります……しかし、むろんちがいますよ。まるっきりちがいますよ。」アリョーシャは急に慌ててこう言った。
「しかし、それはお前が『まるっきりちがいます』と言ったにしろ、ずいぶん貴重な報告だね。ところで、お前に訊くがね、どういうわけでジェスイットや審問官たちは、ただただ物質的幸福のためのみに団結したというのかね。なぜ彼らの中には、偉大なる憂愁に苦しめられ、かつ人類を愛する受難者が、一人として存在し得ないのだ? え、穢れた物質的幸福を望んでいるこの連中の中にも、せめて一人くらい僕の老審問官のような人があったと、想像してもいいじゃないか。彼は荒野で草の根を食いながら、自己を自由な完全なものとするために、肉を征服しようと気ちがいじみた努力をしたが、人類を愛する念は生涯かわりなかった。ところが、一朝忽然と悟りを開いて、意志の完成に到達する精神的幸福はしかく偉大なものでない、ということを知った。なぜと言うに、自分ひとり意志の完成に到達したところで、その余の数億の人間が、ただ嘲笑の対象物として創られたということを認めざるを得ないからだ。まったく彼らは、自分の自由をどう始末していいかわからないのだ。こういう哀れな暴徒の中から、バビロン塔を完成する巨人が出て来るはずはない。『偉大なる理想家』が、かの調和を夢みたのは、こんな鵞鳥のような連中のためではない、――こういうことを悟ったので、彼は引っ返して……賢明なる人々に投じたわけだが、こんなことはあり得ないと言うのかね?」
「誰に投じるのです、賢明なる人とは誰ですか?」アリョーシャはほとんど狂憤したように叫んだ。「決して彼らにそんな知恵はありません、そんな神秘だの秘密だのというものはありません……あるのはただ無神論だけです、それが彼らの秘密の全部です。兄さんの老審問官は神を信じていやしません、それが老人の秘密の全部です!」
「まあ、それでもかまわない! とうとうお前も気がついたね。いや、本当にそうだ。本当に彼の秘密はただその中にのみ含まれてるのだ。しかし、それは彼のような人間にとっても、はたして苦痛でないだろうか。彼は荒野の中の苦行のために、一生を棒に振ってしまいながら、それでも、人類に対する愛という病を、いやすことができなかった人なんだよ。ようやく自分の生涯の日没頃になって、ただ恐ろしい精霊の勧告のみが、意気地のない暴徒らを、『嘲笑のために作られた、未完成の試験的な生物を』、いくらかしのぎいい境遇におくことができる、ということを明瞭に確信したのだ。これを確信すると、彼は賢明なる精霊、恐ろしい死と破壊の精霊の指図によって進まねばならぬ、ということを見てとった。このためには虚偽と譎詐を採用して、自覚的に人間を死と破壊へ導き、しかも彼らが何かの拍子で自分らの行手に気づかないようにする必要がある。つまり、せめてその間だけでも、この憫れな盲人どもに、自分は幸福なものだと思わせるためなんだ。しかし、注意してもらいたいのは、この虚偽もキリストの名においてなんだよ。老人は一生涯、熱烈にキリストの理想を信じていたのだ! これでも不幸でないだろうか? もしあの『けがれた幸福のためのみに権力に渇している』軍隊のかしらに、ほんの一人でもこんな人が現われたら、その一人だけでも悲劇を生むに十分じゃないか? そればかりか、こんな人がたった一人でもかしらに立っていたら、ローマの事業(その軍隊もジェスイットもみんな引っくるめて)、ローマの事業に対する本当の指導的な、高遠な理想を生むに十分じゃないか。僕はこう断言する、僕は固く信じている、――こうした『唯一人者』は、あらゆる運動の指導者の間に、今まで決して絶えたことがない。ことによったら、ローマの僧正の間にも、この種の唯一人者がなかったともかぎらないからね。いや、それどころか、こうしてきわめて執拗に、きわめて自己流に人類を愛しているこの呪うべき老人は、同じような『唯一人者的』老人の大集群の形をとって、今でも現に存在しているかもしれないのだ。しかも、それは決して偶然でなく、ずっと前から秘密を守るために組織された同盟、もしくは秘密結社として存在しているかもしれない。この秘密を不幸な意気地のない人間から隠すのは、つまり彼らを幸福にするためなんだ。これは必ず存在する、また存在しなければならないはずだ。僕は何だか共済組合《マソン》の基礎にも、何かこんな秘密に類したものがあるんじゃないか、というような気さえするよ。カトリック教徒がマソンを憎むわけは、彼らを自分の競争者、つまり自分の理想の分裂者と見るからだ。なぜって、羊の群も一つでなくちゃならないし、牧者も一人でなくちゃならないものね……しかし、こうして自分の思想を弁護してるところは、お前の批評を持ちこたえることのできなかった作者のようだね。もうこんなことはたくさんだ。」
「兄さん自身マソンかもしれませんね!」突然アリョーシャは思わずこう口走った。「兄さんは神を信じてないのです」とまた言いたしたが、その声はすでに強い悲しみをおびていた。
 そのうえ彼は、兄が冷笑的に自分を眺めているように感じられた。
「ところで、あなたの詩はどんなふうに終るんです?」とふいに彼は地面を見つめながら訊ねた。「それとも、もう終ったんですか?」
「僕はこんなふうにしまいをつけたいと思ったのさ。審問官は口をつぐんでからしばらくの間、囚人《めしゅうど》が何と答えるか待ちもうけていた。彼は、相手の沈黙が苦しかったのだ。見ると、囚人は始終しみ入るように、静かに相手の目を見つめたまま、何一つ言葉を返そうとも思わぬらしく、ただじっと聴いているばかりだ。老人はたとえ苦い恐ろしいことでもいいから、何か言ってもらいたくてたまらなかった。が、とつぜん囚人《めしゅうど》は無言のまま老人に近づいて、九十年の星霜をへた血の気のない唇を静かに接吻した。それが答えの全部なのだ。老人はぎくりとなった。何だか、唇の両端がぴくりと動いたようであった。と、彼は戸のそばへ近寄って、さっと開け放しながら、囚人に向って、『さ、出て行け、そして、もう来るな……二度と来るな……どんなことがあっても!』と言って、『暗き巷』へ放してやった。囚人はしずしずと歩み去った。」
「で、老人は?」
「かの接吻は胸に燃えていたが、依然としてもとの理想に踏みとどまっていた。」
「そして、兄さんも老人と一緒なんでしょう、兄さんも?」とアリョーシャは愁わしげに叫んだ。
 イヴァンは笑いだした。
「おいおい、アリョーシャ、これはほんの寝言じゃないか。今まで二連と詩を書いたことのない、わけのわからん学生のわけのわからん劇詩にすぎないよ。何だってお前はそう真面目にとるんだい? 一たいお前は僕が本当にジェスイットのところへ行って、キリストの事業を訂正した人たちの群へ投じるだろう、とでも思ってるんじゃないか? とんでもない、僕の知ったことじゃないよ! 僕はお前に言ったとおり、三十まではだらだらとこうやっていて、三十がきたら杯を床へ叩きつけるんだ!」
「でも、粘っこい若葉は? 貴い墓は? 瑠璃色の空は? 愛する女は? ああ、それじゃ兄さんは何を足場にして生きてゆくのです、どうやってそういうものを愛するつもりなんです?」とアリョーシャは悲しげに叫んだ。「胸に頭にそんな地獄をいだきながら、一たいそんなことができるんですか? いいえ、本当に兄さんはジェスイットへ投じるために出かけて行きます……もしそうでなかったら自殺します。とても持ちこたえることはできません!」
「何でも持ちこたえることのできるような力があるよ!」もはや冷やかな嘲笑をおびた声でイヴァンはこう言った。
「どんな力です!」
カラマーゾフ的力だ……カラマーゾフ的の下劣な力だよ。」
「それは淫蕩の中に惑溺することですね、腐敗の中に霊魂を窒息させることですね、ね、ね?」
「まあ、そうかもしれん……しかし、ただ三十までだ。もしかしたら、逃げ出せるかもしれない。そしたら……」
「どうして逃げ出すんです? なんで逃げ出すんです? あなたのような思想を持っていては、不可能です。」
「これもまたカラマーゾフ式にやるんだ」
「それは『すべてが許されている』ですか? 本当にすべてが許されますか、そうですか、そうですか?」
 イヴァンは眉をしかめたが、急に不思議なほど真っ蒼になった。
「ははあ、お前は昨日ミウーソフの憤慨した、例の言葉を掴まえて来たな……あのときドミートリイが無邪気に飛び出して、あの言葉を繰り返したっけね」と彼はひん曲ったような微笑をもらした。「ああ、もしかしたら、『すべては許されてる』かもしれない。一たん言った以上は撤回しないよ。それに、ミーチカの作り変えもまずくないね。」
 アリョーシャは黙って兄を見つめた。
「ねえ、アリョーシャ、僕は出発の間ぎわになって、ひろい世界じゅうにお前一人が親友だと思ったが、」突然イヴァンは思いがけない真心をこめてこう言った。「しかし、今はお前の胸にも、――可愛い隠遁者の胸にも、僕の居場所はないことがわかった。だが、『すべては許されている』という定義は否定しないよ。ところで、どうだい、お前はこの定義のために僕を否定するだろうね、そうだろう、そうだろう?」
 アリョーシャは立ちあがって兄に近寄り、無言のまま静かにその唇を接吻した。
剽窃だ!」とイヴァンは急に、一種の歓喜に移りながら叫んだ。「お前はその接吻を僕の劇詩から盗み出したね! しかし、有難う。さあ、アリョーシャお立ち、出かけようじゃないか。僕にしても、お前にしても、もう時間だよ。」
 二人は外へ出たが、料理屋の表口で立ちどまった。
「おい、アリョーシャ」とイヴァンはしっかりした声で言いだした。「もし本当に粘っこい若葉を愛するだけの力が僕にあるとしたら、それはお前を思い起すことによって、はじめてできることなのだ。お前がこの世界のどこかにいると思っただけで、僕は十分人生に愛想をつかさないでいられる。しかし、お前こんなことはもうたくさんだろうね? もし何なら、これを恋の打ち明けと思ってくれてもいいよ。しかし、もう別れよう、お前は右へ、僕は左へ、――もうたくさんだ、いいかい、もうたくさんだよ。つまり、もし僕があす発たないで(しかし、きっと発つらしいがね)、またどうかしてお前に出会うことがあっても、こんな問題については一口も言わないようにしてくれ。くれぐれも頼んだよ。それから、ドミートリイのことについてもとくに頼んでおくが、どうか決して口に出さないでもらいたい。」急に彼はいらいらした調子でこう言い添えた。「もう話の種はつきちまった、言うべきことは言っちまったのだ、そうじゃないか? ところで、僕のほうからも一つお前に約束しておこう。三十近くになって『杯を床へ抛りつけ』たくなった時、僕はお前がどこにいようとも、もう一度お前のとこへ話しに来るよ……たとえアメリカからでもやって来る、それは承知しといてもらおう。わざわざやって来るんだからね。それに、お前がその頃どんなになってるか、ちょっと会ってみるだけでも、大いに愉快だろうよ。ね、ずいぶんぎょうぎょうしい約束じゃないか。しかし本当にこれが七年か、十年くらいの別れになるかもしれないんだよ。さあ、もうお前の |Pater《パーテル》 |Seraphicus《セラフィークス》([#割り注]神父セラフィクス[#割り注終わり])のところへ行ったほうがよかろう、いま死にかかってるんだからね。お前の帰らないうちに死んだら、僕が引き止めたからだといって、腹を立てるかもしれないよ。さよなら、もう一ど接吻してくれ、そうそう、じゃお行き……」
 イヴァンはいきなり踵をめぐらして、もう振り返ろうともせず、ぐんぐん勝手に歩きだした。それはちょうど、きのう兄ドミートリイが、アリョーシャのそばを立ち去った時の様子に似たところがあった。もっとも、昨日のとはぜんぜん性質が違ってはいるけれど……この奇妙な印象は、折しも愁いに充ちたアリョーシャの頭を、飛箭のごとくにかすめたのである。彼は兄のうしろ姿を見送りながら、しばらくじっと佇んでいた。ふとイヴァンが妙にふらふらしながら歩いているのに気がついた。それに、うしろから見ると、右肩が左肩より少し下っている。こんなことは今までついぞ見受けなかったところである。
 が、急に彼もくるりと踵を転じて、ほとんど駆け出すように僧院へ急いだ。もうあたりは大分たそがれて、気味の悪いような感じがするくらいであった。はっきり名ざすことはできないけれど、何かしら新しいあるものが、彼の心内に成長しつつあった。彼が庵室の森へ入った時、また昨日のように風が吹き起って、幾百年かへた松の木は暗澹として、彼の周囲にざわめきだした。彼はほとんど走らないばかりであった。『Pater Seraphicus ――兄さんはこんな名前をどこから引っ張り出したんだろう、――一たいどこから……』こんな考えがアリョーシャの頭に浮んできた。『イヴァン、イヴァン兄さん、可哀そうに、今度はいつ会えることだろう?……ああ、もう庵室だ! そうだ、そうだ、ここに Pater Seraphicus がいらっしゃるのだ。この人が僕を……悪魔から永久に救って下さるのだ!』
 その後、彼は生涯のあいだに幾度となく、深い怪訝の念をいだきながら思い起すことがあった。ほかでもない、兄イヴァンと別れる時に、どうして急に兄ドミートリイのことを、すっかり忘れてしまうことができたか、という疑問である。しかも、その二三時間まえに、どんなことがあろうとも捜し出さねばならぬ、これをはたさぬうちは今夜じゅうに僧院へ帰れなくても、断じて町を立ち去るまいと決心したのではないか。

[#3字下げ]第六 とりとめなき憂愁[#「第六 とりとめなき憂愁」は中見出し]

 イヴァンは弟と別れ、父の家さして歩きだしたが、奇妙なことには、突然たえがたい憂愁が彼の心をおそうたのである。しかし、何よりもいけないのは、一歩一歩家のほうへ近寄るにしたがって、それが次第に烈しくなることであった。けれども、不思議なのは憂愁そのものでなく、どうしてもその憂愁の本体を突きとめることができない点であった。これまでにも憂愁を感じることはたびたびあったから、それがこういう場合に頭を持ちあげるのは、べつに不思議なことでもなかった。実際、彼は明日という日に、自分をこんなところまで牽き寄せた一切のものと縁を切って、新たにぜんぜん別な方面へ転じようとしているのだ。そして、また以前と同じくまったくの一人ぼっちで、まるで未知案内の新しい道へ踏み入ろうとしているのだ。希望もたくさんあるが、対象は何かわからない。人生から期待しているものもありすぎるほどあるが、その期待についても希望についても、自分自身まるではっきりしたことが言えないのである。こうした新しい未知のものに対する憂愁は、事実彼の心にあったにはあったが、それでもこの瞬間彼を悩ましているのは、ぜんぜん別なものであった。
『ひょっとしたら、親の家に対する嫌悪の念ではないかな?』と彼は肚の中で考えた。『何だかそれらしい。もうすっかり厭になっちゃったからなあ。もっとも、あの穢らわしい閾を跨ぐのも、今日がお名残りだが、それにしても、厭なものは厭なんだ……しかし、ちがう、これでもない。じゃ、アリョーシャと別れたためかな、あんな話をしたためかな? もう何年間か社会ぜんたいに対して沈黙を守って、口をきくのも大人げないと思ってたのに、突然あんな無意味なことを並べ立てたためかもしれない。』実際、それは若い無経験と若い虚栄心との苦い悔恨の情かもしれない。つまり、アリョーシャのような小僧に対して、うまく自分の心中を言い現わすことのできなかったいまいましさかもしれない。しかも、イヴァンはこの小僧に対して、かなり大きな心づもりを持っていたのだ。『もちろん、それもあるだろう、そうしたいまいましさもあるだろう。いや、必ずあるに相違ない。しかし、これもやはりそうでない、みんなそうでない。胸が悪くなるほどくさくさするくせに、どんなにもがいても、これと名ざすことができないのだ。もう考えなきゃいいんだ……」
 イヴァンは『もう考えまい』と試みたが、それは何の役にも立たなかった。第一、この憂愁は何だか偶然の、ぜんぜん外部的な趣きをおびているために、なおいまいましく癇ざわりなのであった。それはイヴァンにもそう感じられた。つまり、何かしら生きたものか品物かが、どこぞに突き出ているような工合であった。例えば、よくあることだが、何かが目の前に出しゃばっているのを、話なり仕事なりに熱中していたため、長いあいだ気がつかないではいるものの、何だか妙に気がひらひらして、ほとんど悩ましくさえなってくる、そのうちにやっと気がついて、その邪魔ものをとりのけるが、それは多くの場合つまらない滑稽なもの、――何かとんでもない場所へ置き忘れた品物とか、床の上へ落ちたハンカチとか、書棚へ片づけ忘れた書物とか、そんなふうのものなのである。ついにイヴァンは恐ろしい不快な、いらだたしい気分で、父の家までたどりついたが、ふとくぐりから十五歩ばかり離れた門を見やった時、たちまち自分の心を悩まし掻き乱した原因を察したのである。
 門のかたわらのベンチには、下男のスメルジャコフが腰をかけて、夕風に吹かれていた。と、イヴァンは一目見るなり、自分の心の底にもこの下男がひそんでいたために、本能的にこの男が厭でたまらなかったのだな、と悟った。すべてが急にぱっと照らし出され、明るくなった。さきほどアリョーシャがこの下男と出会った話をした時に、何かしら暗いいとわしいものが彼の胸を突き通したようなあんばいで、たちまち反射的に憎悪の念を呼びさましたのである。その後、話に夢中になって、スメルジャコフのこともしばらく忘れていたが、それでもやはり心の底に残ってはいたので、アリョーシャと別れてただひとり家路へ向うと同時に、忘れられていた感覚がふいにまた頭を持ちあげたのである。『一たい、こんなつまらないやくざ者が、これほどまでにおれの心を掻き乱す力を持ってるんだろうか?』彼はたえがたい憤愍を感じながらそう考えた。
 事情を話すとこうである。実際、イヴァンは近頃この男が恐ろしく嫌いになってきた。とりわけこの二三日、それがとくにはなはだしくなったのである。この男に対するほとんど憎悪ともいうべき感情が、日に日に募ってゆくのを、彼自身でも気づき始めた。こうした憎悪の念が、かくまで険悪な経過をとってきたのは、最初イヴァンの帰省当時、ぜんぜん反対な事実が生じたためかもしれぬ。当時、イヴァンは急にスメルジャコフに対して、一種特別な同情を示すようになったばかりでなく、彼を非常に風変りな人間だとまで考え始めた。この下男が自分と話をするように仕向けたのは、彼自身であったが、いつも妙にわけのわからない話しぶり、というより、むしろ彼の考えが妙に不安な影をおびているのに、一驚を喫するのであった。そして、一たい何かこの『瞑想者』をこうたえまなく執拗にさわがしているのか、合点がいかなかった。
 彼らは哲学的な問題も語り合ったし、また創世のとき太陽や月や星は、やっと四日目に創られたばかりだのに、どうして最初の日に光がさしていたのだろうか、この事実を何と解釈すべきだろうか、などという問題をも話し合ったことがある。しかし、イヴァンは間もなく、問題は決して太陽や、月や、星でないことを悟った。実際、太陽や、月や、星は、興味のある問題に相違ないが、スメルジャコフにとってはぜんぜん第三義的のもので、必要なのはまるっきり別なものらしかった。そうして、そのときどきによって工合は違うけれど、とにかくどんな場合でも底の知れない自尊心、おまけに侮辱されたる自尊心が、ありありと顔をのぞけ始めるのであった。イヴァンはそれがひどく気にくわなかった。これから彼の嫌悪の念がきざし始めたのである。
 その後、家庭に内訌が生じて、グルーシェンカが現われたり、兄ドミートリイの騒ぎがもちあがったりして、いろいろ面倒なことがつづいた時、二人はこのことについても語り合った。もっとも、スメルジャコフはこの話をする時でも、非常に興奮した様子を示しながらも、やはり彼自身どんなことが望ましいのか、どうしても正確に突きとめることができなかった。それどころか、不用意のうちに顔をのぞけるいつも決って茫漠とした彼の希望が、ひどく非論理的で秩序が立ってないのに、むしろ一驚を喫するくらいであった。彼は絶えず何か訊き出そうとするかのように、前から考えていたらしい遠廻しな質問を持ちかけるのであったが、何のためか説明はしなかった。しかも、非常に熱中して何か訊ねている最中に、ふいにぴたりと口をつぐんで、まるで別なほうへ話を移すのであった。
 しかし、ついにイヴァンを極端までいらだたせて、その心に激烈な嫌悪の情を植えつけたのは、このごろ彼がイヴァンに対してまざまざと示すようになった一種特別ないまわしいなれなれしさである。しかも、これが日をふるにしたがって、ますます目立ってくるのであった。しかし、それかといって、イヴァンに対して失礼な態度をあえて見せる、というわけではさらさらない。それどころか、いつも非常にうやうやしい調子で口をきいたが、なぜかしら、彼は自分とイヴァンとがあることについて、共同な関係でも持っているように思い込んでるらしい。そして、いつか二人の間に言い交わした秘密の約束でもあって、自分たち二人にだけはわかっているけれど、まわりにうようよしている人間どもにはとうていわかりっこない、とでもいうような調子でいつも話をする、これが定式のようになってしまったのである。もっとも、イヴァンはその時にもこの真因を――次第につのってゆく嫌悪の原因を、長いあいだ悟ることができなかったが、この頃になってようやく事の真相がわかってきた。
 腹立たしい、いらいらした感触をいだきながら、彼はいま無言のまま、スメルジャコフのほうを見ないで、すっとくぐりの中へ通り抜けようと思った。と、その瞬間、スメルジャコフはっとベンチを立ちあがった。その身振りを見ただけで、イヴァンはすぐさま、彼が何か特別な相談を持ちかけようと思っていることを、察してしまったのである。イヴァンはちらとそのほうを見て立ちどまった。つい一分間まえに決心したように、そのまますっと通り過ぎないで、立ちどまったことを意識すると、彼は身うちの顫えるほど腹が立ってきた。憤怒と嫌悪の念をもって、彼はスメルジャコフの去勢僧のように痩せこけた顔や、櫛で綺麗に掻き上げた両鬢や、小さな鶏冠《とさか》のように盛り上げた前髪をじっと睨んだ。心もち細めた左の目は、ちょうど、『いかがです、通り過ぎておしまいにならないところを見れば、やはりわたくしどものような利口な人間には、何か話すことがあると見えますな』とでも言いたそうに、笑みをふくんでしばしばと瞬いている。イヴァンはぶるっと身を顫わした。『どけろ、馬鹿野郎、おれは貴様なんぞの仲間じゃないぞ。こん畜生!』と呶鳴りつけようと思ったが、自分ながら意外にも、ぜんぜん別な言葉が口をすべり出たのである。
「どうだ、お父さんは寝てらっしゃるかい、それともお目ざめかい?」自分でも思いがけないほど静かに、おとなしくこう言った。そして、やはり思いがけなく、ひょいとベンチへ坐り込んでしまった。その刹那、彼はほとんど恐ろしくなった(このことは後に思い出したのである)。スメルジャコフは手を背中で組みながらその前に立って、自信ありげな、ほとんどいかついくらいな目つきで彼を見つめていた。
「まだお休みでございます」と彼は悠々として言った。この調子は『さきに口を切ったのはあなたご自身で、私じゃありませんよ』というようであった。「若旦那、あなたには驚いてしまいますよ。」ややしばらく無言の後、わざとらしく目を落しながら、彼はこう言い添え、右の足を一歩前へ踏み出して、漆塗りの靴の爪先をひょいひょいと動かすのであった。
「どうして僕に驚いてしまうんだろう?」イヴァンは一生懸命に自分を抑制しながら、ぶっきらぼうな素気ない調子でこう言ったが、突然、自分がなみなみならぬ好奇心をいだいていて、それを満足させないうちは、どんなことがあってもこの場を立ち去りそうにもないのを感じて、われながら嫌悪の情を禁じ得なかった。
「若旦那。なぜあなたはチェルマーシニャヘいらっしゃいません?」ふいにスメルジャコフは視線を上げて、なれなれしくにたりと笑った。『私がどうして笑ったか、あなたご自身でおわかりのはずです、もしあなたがお賢い方でしたならばね……」と、細めた左の目が言うように思われた。
「何のために僕がチェルマーシニャヘ行くんだ?」イヴァンは面くらった。
 スメルジャコフはまたちょっと無言でいた。
「旦那さまご自身でさえ、あなたにこのことをお頼みになったではございませんか。」とうとう彼はゆっくりとこう言ったが、自分でもこの返答を大して重要なものとは思っていないらしい。『これはただ何か言わないわけにゆかないから、つまらない理由を持ち出してごまかすんでさあ』とでもいうようなふうつきであった。
「ええ、こん畜生、もっとはっきり言わないか、貴様どうしようというんだ?」ついにイヴァンは温良な態度から、一転して粗暴な態度に移りながら、腹立たしげに一喝した。
 スメルジャコフは、踏み出していた右足を引いて、左足へ当てながら、ちょっと体をまっすぐに伸ばしたが、しかし、依然たる落ちつきと薄笑いをもって、相手の顔を見つめるのであった。
「べつに大したことはございません……ただちょいと話のついでに……」
 ふたたび沈黙がつづいた。二人は一分間ばかりも黙り込んでいた。イヴァンは、もう今こそ立ちあがって叱りつけるべき時だと思ったが、スメルジャコフはその前に突っ立ったまま、何が待ちもうけているようなふうつきであった。『お前さんが怒るか怒らないか、一つ拝見いたしましょうかな。』少くともイヴァンにはそう感じられた。ついに彼は立ちあがろうと身を動かした。と、下男は待ち構えていたように、その一瞬を捉えた。
「若旦那、わたくしの境涯は実に恐ろしゅうございます、どうしたらいいか、それさえわかりません。」突然、彼はしっかりと一語一語区切るようにこう言って、最後の一句とともに、溜息をつくのであった。イヴァンはまたすぐに腰をおろした。
「お二人ともすっかり逆上《のぼ》せあがってしまって、まるっきり赤ん坊同然になっていらっしゃいます」とスメルジャコフは語をついだ。「わたくしはあなたのお父さまと、お兄さまのドミートリイ・フョードルイチのことを申すのでございます。今にもお目ざめになりましたら(つまり、その、お父さまのことなので)、すぐさまわたくしを掴まえて、しつこくのべつにお訊ねになりまず。『どうだ、あれは来なかったか? どういうわけで来なかった?』と、これが夜の十二時頃まで、いや、十二時すぎまでつづくのでございます。ところが、もしアグラフェーナさまがおいでにならなかったら(もしかしたら、あの方はまるっきり、そんな考えを持っていらっしゃらないかもしれませんよ)、翌朝また早速わたくしに飛びかかって、『なぜ来なかった? どういうわけで来なかった? 一たいいつ来るのだ?』と、まるでわたくしの知ったことかなんぞのようでございます。ところが、また一方では、そろそろ暗くなりかかるやいなや、――いえ、それよりもっと早いこともございます、――お兄さまが刃物を持って隣りへお見えになりまして、『いいか、悪党、下司男、もし貴様があの女を見のがして、ここへ来たことをおれに知らせなかったら、誰よりもまっさきに貴様を殺してやるから』とおっしゃいます。それから、夜が明けて朝になると、またしても旦那さまが同じように、こっぴどくわたくしをおいじめになるのでございます。『どうして来なかった。もうすぐやって来るだろうか?』と、ここでもまたあのご婦人がお見えにならなかったのを、まるで私が知ったことのようにおっしゃいます。こうして、お二人のお腹立ちが一日ごとに、いえ、一時間ごとに烈しくなってゆきますので、わたくしはときどき恐ろしさのあまりに、いっそ自殺してしまおうかと思うことがございます。若旦那、わたくしはあのお二人には愛想がつきはてました。」
「じゃ、何だってかかり合いになったのだ? 何だってドミートリイに内通を始めたんだ?」とイヴァンはいらだたしげに言った。
「どうしてかかり合わずにいられましょう? それに、すっかりありのままを申しますと、決してわたくしがかかり合ったのではございません。わたくしは初めから一口も言葉を返す元気もなく、始終だまっていたのでございます。ただあの人が勝手にわたくしを自分の召使に、リチャルドに決めておしまいになったので。その頃からドミートリイさまは、『悪党め、もしあの女を見のがしたら、貴様の命はないぞ!』としか、言うことをご存じないのでございます。若旦那、明日はたしかに長い発作が起るに相違ないと思います。」
「何が長い発作なのだ?」
「長い癲癇の発作なのでございます、おそろしい発作なので……何時間も何時間も、ひょっとしたら一日も二日もつづくかもしれません。一度なんか、三日間もつづいたことがございます。その時は屋根部屋から落ちましたので、やんだかと思うとまたぶり返して、三日間どうしても人心地に返ることができませんでしたよ。そのとき旦那さまが、ヘルツェンシュトゥベという、この町のお医者さまを呼んで下さいまして、頭を氷で冷やしていただきました。ああ、それからま一つ何かの薬をいただきましたっけ……本当に危なく死んでしまうところでございました。」
「しかし、癲癇という病気は、いつごろ起るかってことを、前もって知るわけにゆかないというじゃないか。どうしてお前は明日発作が起るなんて言うのだ?」一種特別ないらいらした好奇心をいだきながら、イヴァンはこう訊ねた。
「それはそのとおりでございます、前もって知るわけにはまいりません。」
「それに、その時お前は屋根部屋から落ちたんじゃないか。」
「屋根部屋へは毎日あがりますから、明日もまた屋根部屋から落ちるかもわかりません。もし屋根部屋でなければ、穴蔵へ落ちるかもしれません。穴蔵へも毎日、用事がございますから、しょっちゅう往き来いたします。」
 イヴァンは長いこと、じいっと彼を見つめていた。
「何かでたらめを言ってるな、見えすいてるぞ。それにお前の言うことはどうもよくわからない。」低い声ではあるが、何となく脅しつけるような調子で彼は言いだした。「一たいお前は明日から三日の間、癲癇の真似をするつもりじゃないのか? おい?」
 スメルジャコフは地べたを見つめながら、またしても右足の爪先をひょいひょいと動かしていたが、このとき右足をもとのところへ引っ込め、その代りに左足を前へ出して顔を上げ、薄笑いを浮べながら言った。
「もしわたくしがそうするとしても、つまり真似をするとしても(それは経験のある人間にとって決してむずかしいことじゃありませんからね)、わたくしはそれに対して十分な権利を持っているのでございます。なぜと申して、自分の命を助ける方法なんですものね。わたくしが病気で臥てさえいれば、たとえアグラフェーナさんが旦那さまのところへお見えになっても、病人を掴まえて、『なぜ知らせなかった』と責めるわけにまいりません。お兄さまご自身でも恥しいことだとお思いになりますからね。」
「ええ、こん畜生!」イヴァンは憤怒のために顔を歪めながら、いきなり飛びあがった。「何だって貴様は自分の命ばかり心配してるんだ! そんな脅かしはただ腹立ちまぎれの言葉だ、それっきりのことだよ。兄貴はお前なんか殺しゃしない。もし殺すとしてもお前じゃないよ!」
「蠅のように叩き殺しておしまいなさいます。そして、わたくしが第一番にやられるのでございます。しかし、何より恐ろしいのは別のことなので、――つまり、お兄さまが旦那さまのお身の上に、何か馬鹿なことをしでかしなすった時、あの方とぐるのように思われるのが、恐ろしいのでございます。」
「なぜお前がぐるのように思われるんだ?」
「わたくしがぐるのように思われるわけは、例の合図をごく内《うち》でお知らせしたからで。」
「合図って何だ? 誰に知らせたのだ? 本当にこいつどうしてくれよう、はっきり言わんか?」
「もうすっかり白状いたさねばなりません。」ペダントじみた落ちつきをもってスメルジャコフは、言葉じりを引きながらこう言った。「実はわたくしと旦那さまとの間に、一つ秘密があるのでございます。ご承知でもございましょうが(たぶんご承知でございましょうね)、旦那さまはこの三四日、夜になると、いえ、早い時には晩になるとすぐ、部屋の内側から戸に鍵をかけておしまいになります! もっとも、あなたはこの頃いつも早く二階の居間へ引っ込んでおしまいになりますし、昨日はまるでどこへもおいでになりませんでしたから、もしかしたらご存じないかもしれませんね。ところが、旦那さまはこのごろ夜になると、大へん念入りに戸締りをなさるのでございます。そして、グリゴーリイさんが行っても、声でもって確かにそうだとわからないうちは、決して戸をお開けになりません。ところで、グリゴーリイさんもあまり行かないから、今のところお居間のお世話をするのは、わたくし一人でございます、――これはアグラフェーナさんの騒ぎが始まって以来、旦那さまがご自身でお決めになったことなので……しかし、夜になりますと、わたくしは旦那さまのお申しつけで、離れのほうへさかって休みますが、それでも夜なか頃までは寝ずの番をしなけりゃなりません。ときどき起きて邸内を一廻りして、アグラフェーナさまのおいでを待ち受けていなくちゃなりません。なぜと申して、旦那さまはこの二三日まるで気ちがいみたいになって、あの方を待っていらっしゃいますので。旦那さまのお考えでは、あの方はお兄さまを、ドミートリイ・フョードルイチを(旦那さまはいつも、ミーチカとおっしゃいますが)恐れていらっしゃるから、夜もだいぶ遅くなってから、裏道を通ってお見えになるに相違ない。『だから、貴様ちょうど十二時まで、いや、もっと遅くまで見張りをしろ。もしあれがやって来たら、居間の戸口へ走って来て叩いてもよし、庭から窓を叩いてもいい。しかし、初めの二つはこんなふうにゆっくり叩いて、それからすぐ早目に三つ、とんとんとんと叩くのだ。そうすれば、わしはすぐ、あれが来たのだと思って、そっと戸を開けてやる』とこうおっしゃるのでございます。それから、もし何か変ったことが起った時の用心に、もう一つの合図を教えて下さいました。それは初め二つ早目にとんとんと打って、それから少したってから、もう一つずっときつく、どんと叩くのでございます。すると、旦那さまは何か変《へん》があったので、わたくしがぜひ旦那さまのお目にかからなくちゃならない、ということをお察しになって、やはりすぐ戸を開けて下さいます。そこでわたくしは入って行って、お知らせするのでございます。それは、アグラフェーナさんがご自分でお見えにならないで、使いでもって何かお知らせになる場合の用心でございます。そのほか、ドミートリイさまもやはりおいでになるかもしれませんから、あの方が近くまで来ていらっしゃることを、旦那さまへお知らせしなければなりません。旦那さまは大へんお兄さまを怖がっていらっしゃいますから、たとえアグラフェーナさまがお見えになって旦那さまと一緒に部屋の中へ閉じ籠っていらっしゃる時でも、お兄さまが近くに姿をお見せになりましたら、わたくしはすぐに戸を三つ叩いて、ぜひそのことをお知らせしなければなりません。こういうわけで、五へん叩く方の合図は、『アグラフェーナさまがおいでになりました』ということで、も一つの三べん叩く方の合図は、『ぜひお話ししなければならぬことがあります』というわけなのでございます。これは旦那さまがご自分で幾度も真似をして、よく説明しながら教えて下すったので。こういうわけで、広い世界にこの合図を知っておるのは、わたくしと旦那さまと二人きりでございますから、旦那さまは少しも疑いなしに声を出さないで(旦那さまは声を出すのを、大へん恐れていらっしゃいます)、すっと戸を開けて下さいます。この合図が今お兄さまに知れているのでございます。」
「なぜ知れてるんだ? 貴様が告げ口したのか? どうしてそんな大胆なことをしたのだ?」
「つまり、恐ろしいからでございます。どうしてあの方に隠しおおせることができましょう? お兄さまは毎日のように、『貴様はおれを騙してるんじゃないか? 何かおれに隠してるんじゃないか? そんなことをしたら、貴様の両足を叩き折ってやるから!』と脅しなさるじゃありませんか。そこで、わたくしはあの方に、この秘密の合図をお知らせしました。つまり、それでもって、こちらの奴隷のような服従を見ていただいて、わたくしが決して騙すどころじゃない、かえって何でもかでもお知らせしてる、ということを信じていただくためなので。」
「もし兄貴がその合図を利用して入りそうだと思ったら、貴様が入れないようにしたらいいじゃないか。」
「そりゃわたくしだって、お兄さまの乱暴なことを承知の上で、生意気にお通しすまいと考えたにしろ、もしわたくしが発作で倒れていましたら、何ともしようがないではございませんか。」
「ええ、こん畜生! どうして貴様は発作が起ることに決めてやがるんだ、本当にどうしてくれよう? 一たい貴様は僕をからかってるのか、どうだ?」
「どうしてあなたをからかうなんて、そんな生意気なことができましょう。それに、こんな恐ろしいことを目の前に控えているのに、冗談どころの話ですか? 何だか癲癇が起りそうな気がいたします、そんな気がするのでございます。ただ恐ろしいと思うばかりでも起ります。」
「こん畜生! 明日お前が臥れば、グリゴーリイが見張りをするよ。前からあれにそう言っといたら、あれは決して兄貴を入れやしない。」
「あの合図は、旦那さまのお許しなしにグリゴーリイさんに知らせるわけには、どんなことがあってもまいりません。ところで、グリゴーリイさんがお兄さまのおいでを聞きつけて、入れないようにするだろうとおっしゃいますが、あの人はちょうど、きのうから患いだしまして、明日マルファさんが療治をすることになっております。さきほどそんな相談ができましたので。