『ドストエーフスキイ全集 第12巻 カラマーゾフの兄弟』(1959年、米川正夫訳、河出書房新社)P094-P109

「わからにゃわからんでええ。しかし、それはそうに違えねえだ。もうこのさき口いきくなよ。」
 そして、本当に二人はこの家を去らなかった。フョードルは夫婦の者に僅かな給金を定めて、ちびりちびりと支払うのであった。しかし、グリゴーリイは疑いもなく主人に対して、一種の勢力をもっていた。これは彼自身も承知している。そして彼がこう感じたのは、決して思い違いではなかった。狡猾で執拗な道化者のフョードルは、『世の中のある種の事物については』(これは彼自身の言い草である)なかなかしっかりした気性を持っているけれど、『世の中の別種な事物については』自分でもびっくりするほど、恐ろしく意気地がなかったのである。それがどんな事物であるかは、彼も自分で承知していたので、さまざまなことに恐れをいだいていた。世の中のある種の事物については、ずいぶん警戒しなければならぬ場合が多かったので、誰か忠実な人間がなくては心細かったのである。ところで、グリゴーリイは忠実無比な人間であった。フョードルはあれだけの富を積む間に、幾度となくぶたれそうな、しかもこっぴどくぶたれそうな場合もしょっちゅうあったが、そういう時には、いつもグリゴーリイが彼を救い出した。もっとも、あとで必ずお説教をして聞かせるのがきまりであった……とはいえ、フョードルもぶたれるだけなら、さして恐ろしくもなかったろうが、まだまだそれより一そう高級な、複雑微妙な場合がたびたびあって、フョードルはなぜかわからないけれど、とつぜん瞬間的に、誰か忠実な人間を自分のそばに置きたいという、なみなみならぬ要求を心に感じるのであった。しかも彼自身でさえ、その理由を明らかにすることができなかった。それはほとんど病的といってもいいくらいな場合である。放埒無比であり、しかもその放埒のためにしばしば残忍なことをあえてする、まるで意地わるい虫けらのようなフョードルが、酔っ払った時などふいと心の中に精神的の震駭感と、恐怖とを感じるのであった。この震駭感はほとんど生理的に彼の魂に反応した。
『こんな時、わしはな、魂が咽喉の辺で慄えておるような気持だ』と彼はときどきこんなことを言った。こういう瞬間に、彼は自分に信服した、しっかりした男が自分の身辺に、同じ部屋の中でなくてもよいが、せめて離れのほうにでもいてほしかった。その男は自分のような道楽者とはまるで別人であるけれども、目前に行われるこれらの悪行《あくぎょう》を見、秘密という秘密を知りつくしていながら、信服の念のために一切のことを許して反抗しない。それに、何より大切な点は、いささかも非難めいたことを言わないで、この世でも先の世でも決して脅かしめいたことをしない。しかも、すわという時には自分を防いでくれる――しかし誰から? 誰からかわからないが、とにかく危険な恐ろしい人間から庇ってくれる。要するに、昔なじみの親しい自分以外[#「自分以外」に傍点]の人間が、ぜひなくてはならないのである。心の痛むような時にこの男を呼び寄せる。それもただじっとその顔を見つめて、気が向いたら何か一つ二つ無駄口を叩き合うくらいのことで、もし相手が平気な顔をしてかくべつ腹も立てなければ、それで心が安まるし、もし腹を立てれば、よけい気が鬱しようというものである。ごく時たまではあるけれど、こんなこともあった。フョードルは夜中に離れへ行って、グリゴーリイを叩き起し、ちょっとでいいから来てくれと言う。こっちは起きて行ってみると、思いきって下らない話をしてすぐにさがらしてしまう。どうかすると、別れぎわに冷かしや冗談を言うこともある。そして、ご当人はぺっと唾を吐いて横になると、もう天使のような眠りに落ちてしまうのであった。
 アリョーシャが帰って来た時も、ちょっとこれに似寄ったことがフョードルの心中に生じた。アリョーシャは『一緒に暮して、何もかも見ておりながら、少しも咎め立てをしない』というところで、彼の『心を刺し通した』のである。そればかりか、アリョーシャは彼にとって未曾有のものをもたらした。ほかでもない、この老人に対して少しも軽蔑の色を見せないばかりか、それほどの値うちもないこの老人にいつも愛想がよくて、しかもきわめて自然で素直な愛慕の情を寄せるのであった。今までただ『穢れ』のみを愛していた、家庭というもののない、年とった好色漢にとって、こういうことはすべて思いがけない賜物であった。アリョーシャが寺へ去った後、彼は今まで理解することを欲しなかったあるものを理解した、と心中ひそかに自認したのである。
 グリゴーリイがフョードルの先妻、すなわち長男ドミートリイの母アデライーダを憎み、その反対に、後妻のソフィヤ、『|憑かれた女《クリクーシカ》』を当の主人に楯ついてまで庇いだてし、彼女について軽はずみな悪口を言うものをことごとく相手どって争ったということは、もう物語の初めに述べておいた。この不幸な婦人に対する彼の同情は、一種神聖なものかなんぞのようになって、二十年もたった今日でも、誰の口から出たにせよ、彼女を悪く言うようなあてこすりに我慢できないで、すぐさまその人をやりこめるのであった。
 外貌から言うと、グリゴーリイは冷やかな、しかつめらしい男で、口数はきわめて少く、軽はずみなところの少しもない、おもおもしい言葉を一つずつ押し出すような話しぶりであった。彼がおとなしい無口な妻を愛しているかどうか、ちょっと見ただけでははっきりしたことが言えなかった。しかし、むろん、愛していたに相違ないので、妻もそれを承知していた。このマルファ・イグナーチエヴナは決して馬鹿な女でなかったばかりか、かえって亭主より利口なくらいであった。少くとも実生活のこまごました事柄にかけては、ずっと分別があった。が、それでも彼女は一緒になったそもそもから、いささかも不平など言わないでグリゴーリイに服従し、その精神的にすぐれた点を絶対に尊敬するのであった。なお一風変っているのは、この夫婦がごくごく必要な目前の事柄を除いて、あまり口をきき合わないということであった。グリゴーリイはいつもしかつめらしい、ものものしい様子をして、一切の仕事や心配を自分一人で考えるのであった。それゆえマルファも、彼が自分の忠言などてんで求めていない、夫は自分の無口なのを尊んで、そのために自分を賢いものと見てくれるのだ、と悟ったのである。グリゴーリイは決して妻を折檻したことがない。けれど、例外としてたった一度、それもほんの少しばかりぶったことがある。フョードルがアデライーダと結婚した最初の年、あるとき村の娘や女房どもが(当時まだ農奴であった)、地主邸へ呼び集められて、歌ったり踊ったりしたことがある。『草原で』の踊りが始まった時、当時まだ若かったマルファが突然コーラスの前へ跳り出して、一種とくべつな身振りで『ロシヤ踊り』を踊った。それは女房どものような田舎臭いものと違って、彼女が物持ちのミウーソフ家で女中を勤めていたころ、モスクワから招聘された踊りの師匠に教えられて、同家の家庭劇場で踊ったようなものであった。グリゴーリイは妻の踊りを黙って見ていたが、一時間後、自分の家へ帰って、少々髪を引っ張って彼女を懲らしめた。しかし、手荒な折檻はそれきりで終って、もうその後一度も繰り返されなかった。マルファもそれからふっつり踊りを断念してしまった。
 この夫婦には子供が授からなかった。もっとも、一人赤ん坊ができたが、それもすぐ死んでしまった。グリゴーリイは見うけたところ子供が好きらしかったし、またそれを隠そうともしなかった。つまり、それをおもてに見せるのを恥しがる様子がなかったのである。アデライーダが家出したとき、彼は三つになるミーチャを自分の手に引き取って、自分で髪を梳かしてやったり、盥に入れて洗ってやったりして、一年ばかりも世話を焼いた。それから後、イヴァンとアリョーシャの面倒をもみてやったが、そのために頬げたを一つ見舞われるようなことになった。しかしこのことはもう前に話しておいた。
 自分の子供が彼に悦ばしい希望をいだかしたのは、ただマルファが妊娠している間だけであった。生れてみると、その子は悲しみと恐れとをもって彼の心を刺し通した。ほかでもない、この男の子は六本指に生れついたのである。これを見たグリゴーリイはすっかり落胆して、洗礼の日までむっつり黙り込んでいたばかりでなく、口をきかないですむようにわざと庭へ出て行った。ちょうど春のことで、彼は三日間しじゅう菜園の畦を起していた。三日目に幼児の洗礼をすることになったが、この時までにグリゴーリイはもう何か思案を決めていたのである。家では僧侶もちゃんと支度をととのえ、客も集り、主人フョードルも名づけ親の格でわざわざ出かけていたが、彼は小屋へ入るといきなり、子供はまるで洗礼しなくてもよいと言いだした。それも、大きな声でくどくど述べたてたわけでなく、一こと二こと歯の間から押し出すような言い方で、同時に僧の方を鈍い目つきで、じっと見つめるのであった。
「どういうわけで?」と僧ははしゃいだ驚愕の調子で問い返した。
「なぜちゅうて……あれは竜でござりますからな……」とグリゴーリイは呟いた。
「え、竜だって……竜て何のことじゃな?」
 グリゴーリイはしばらく黙っていた。
「神様のお手違いができたのでござりますよ……」彼は不明瞭ではあったが、しっかりした声でこう呟いた。見うけたところ、あまりくどくど説明したくないようなふうであった。
 人々は一笑に付して、不幸な幼児の洗礼はむろんそのまま執り行われた。彼は洗礼盤のそばで一心に祈祷したけれども、幼児に対する意見は変えようとしなかった。しかし、それかといって、かくべつ邪魔をするでもなかったが、病身な子供の生きている二週間というもの、ほとんど一度もその顔を見なかった。そしてときどき目に入るのもいやな様子で、多くは家の外にばかり出ていた。しかし、二週間の後、幼児が鵞口瘡のために死んだ時、自分でその死体を小さな棺に納め、深い憂愁の色を浮べながら、じっと眺めていた。ささやかな浅い墓穴に土をかぶせたとき、彼は跪いて、土饅頭に額のつくほど、礼拝するのであった。
 その時から多くの年月が流れたが、彼は一度も自分の子供のことを口にしなかった。またマルファも夫の前で子供のことを追想しないようにした。ときどき誰かを相手に『赤ちゃん』の話をするようなことがあったら、その場にグリゴーリイがいあわさなくっても、小さな声でささやくのが常であった。マルファの気づいたところによると、あのとき墓場から帰るとすぐ、彼はおもに『神様に関係のあること』を研究するようになり、『殉教者伝』など読みふけり始めた。それも大抵一人で黙読するので、そのたびにいつも大きな円い銀縁の眼鏡をかけるのであった。声を出して読むのはごくまれで、四旬斎の時くらいのものであった。ヨブ記を好んで読んだが、またどこからか『聖《とうと》き父イサーク・シーリン』の箴言や教訓の書き抜きを手に入れて、ほとんど何一つわからぬくせに、長年のあいだ辛抱づよく読み返すのであった。しかし、そのわからないということのために、余計この書物を尊重し、かつ愛したのかもしれない。最近にいたって、近所に凝り屋があったために、フルイスト派の説を注意して傾聴しはじめ、だいぶ烈しい感動を受けたらしいが、その新しい宗派へ移ろうとも思わなかった。『神様に関係のある』書物を耽読したということは、彼の外貌に一そうものものしい影を添えたのである。
 もしかしたら、彼は元来、神秘的傾向を持っていたのかもしれぬ。ところで、六本指の子供の誕生と、つづいてその死亡とほとんど同時に、まるでわざとのように、いま一つ思いがけない、奇怪な、そしてほかに類のないような出来事がもちあがって、彼の心に深い『烙印』を捺した(これはあとで彼自身の言ったことなのである)。それはほかでもない、ちょうど夫婦が六本指の幼児を葬った日、ふと夜中に目をさましたマルファが、生れ落ちたばかりの赤ん坊の泣き声ともおぼしいものを聞きつけた。彼女は、びっくりして夫を呼び起した。こちらは耳をすましていたが、あれは赤ん坊というより、誰か唸ってるのだ、『しかも女らしいぞ』と言った。とにかく、彼は起きあがって着替えをした。それはかなり暗い五月の夜であった。あがり段へ出てみると、呻き声は明らかに庭園のほうから聞えてくる、しかし、庭園は夜になると裏庭から錠を下ろしてしまう上に、まわりにはすっかり高い堅固な塀をめぐらしてあるから、この入口よりほかに庭園へはいる口がないのであった。
 グリゴーリイは家へとって返して提灯をともし、庭園の鍵を取った。そして、妻のマルファが、自分にはどうしても子供の泣き声らしく聞える、きっと死んだ子が自分を呼んで泣いてるに相違ない、とヒステリイでも起したように怖がるのに耳もかさず、黙って庭園へ出て行った。ここでは彼は明らかに、呻き声はくぐりからほど遠からぬ庭園に立っている湯殿の中から出て来るので、そのぬしはじじつ女に相違ないと悟った。湯殿の戸を開けた時、彼はある光景の前に立ちすくんでしまった。いつもこの町をうろつき廻って町じゅう誰知らぬものもない、綽名をリザヴェータ・スメルジャーシチャヤ([#割り注]悪臭を発する女の意[#割り注終わり])という宗教的畸人《ユロージヴァヤ》が、この家の湯殿へ入り込んで、たったいま赤ん坊を生んだばかりのところであった。赤ん坊は彼女のそばに転がって、産婦はもはや死になんなんとしていた。彼女は何一つ話さなかった。話したくても話すすべを知らないのであった。しかし、この事件は特別の説明を要する。

[#3字下げ]第二 リザヴェータ・スメルジャーシチャヤ[#「第二 リザヴェータ・スメルジャーシチャヤ」は中見出し]

 この事件には、グリゴーリイの以前からいだいていた不愉快な穢わしい疑いを、弁護の余地がないほど明確に裏書きする事情があって、それが彼の心を深く震撼させたのである。
 このリザヴェータは恐ろしく背の低い娘で、死んだ後までも多くの信心ぶかい町の老婆たちが、『二アルシンと少ししきゃなかったのう』などと感にたえたような調子で話したほどである。はたちになる彼女の幅の広い顔は、達者そうに赤々としていたが、純然たる白痴の相好であった。目つきはおとなしそうであるけれど、じっとすわって、不快な色をおびていた。夏でも冬でも、しじゅう彼女は麻のシャツ一枚で跣のまま歩き廻った。厚い髪はほとんど真黒で羊のように渦を巻き、まるで大きな帽子かなんぞのように頭にのっかっていた。おまけに砂や泥に汚れ、枯葉や、木っぱや、鉋屑などがくっついていた。いつも地べたや泥の上に寝るからであった。父のイリヤーは無茶苦茶に飲んだくれて家財を蕩尽した宿なしの病身な町人で、同じくこの町の町人である物持の家に雇男として長年住み込んでいる。母はとうの昔に亡くなっていた。イリヤーは年百年じゅう病身でいらいらしていたので、娘が帰って来ると容赦なく折檻するのであった。しかし、リザヴェータはあまり家へ寄りつかなかった。なぜなら、彼女は神聖な神の使いというので、町全体の居候となって暮していたからである。
 イリヤーの主人夫婦や、イリヤー自身や、町内の思いやりの深い多くの人たちが(それはおもに商人や、商人の妻であった、リザヴェータに肌衣一枚という無作法な恰好でなく、も少し気のきいた服装《なり》をさせようと試みたのも、一度や二度でなかった。そして、冬が迫って来ると裘《かわごろも》を着せたり、靴を履かせたりした。彼女は、大抵だまって勝手に着さしておきながら、そこを去るとすぐどこかで(おもに寺院の玄関で)、必ず恵まれたものをすっかり、――頭巾であろうと、腰巻であろうと、外套であろうと、靴であろうと、何もかも一切ぬぎ捨ててその場に残したまま、またもとの肌衣一枚に素足で立ち去るのであった。ある時こんなことがあった。当県の新任知事が巡視のついでにこの町を視察した時、リザヴェータの姿を認めて、その美しい感情に深い侮辱を感じた。そしてなるほどこれは報告どおりの宗教的畸人《ユロージヴァヤ》であるとは合点したが、それにしても若い娘が肌衣一つでうろうろしているのは大いに風教を害するから、向後こんなことのないようにと訓示した。しかし、知事が去った後、リザヴェータはまたもとの通りに棄て置かれた。
 やがてついに父も死んだが、そのため彼女は身なし児だというので、かえって町の信心ぶかい人たちから、一そう可愛がられるようになった。実際、彼女は皆から愛されていると言っていいくらいであった。子供、ことに学校子供というものは、とかくことを起したがるものであるが、子供たちさえ彼女をからかったり、侮辱したりしなかった。彼女が見知らぬ家へどんどん入っても、誰も追い出そうとしないばかりか、かえってさまざまにいたわって小銭をやったりなどした。しかし、彼女は金をもらっても、すぐそれを教会か監獄かの慈善箱へ持って行って、投げ込んでしまうのであった。市場でフランスパンや丸パンをもらっても、出会いがしらの子供にすぐくれてやったり、時には町でも屈指の金持の奥さんを引き止めてやることもあった。自分はどうかというと、黒パンと水よりほか決して何も食べなかった。彼女はよく大きな店へ行って坐り込むが、その前に高価な品物や金などが置いてあっても、店の主人は彼女を警戒するようなことをしなかった。たとえその前に何千ルーブリ積上げたまま忘れても、一コペイカだって取られる心配はないということを、承知しているからであった。
 教会へ立ち寄ることはめったになかった。夜は、寺院の玄関か、さなくばよその編垣を越して(この町には塀の代りを勤める編垣が、こんにちにいたるまで随所にあるから)、菜園の中に寝るにきまっていた。うち、といってつまり、亡父の住んでいた主人の家へは、およそ一週間に一ど顔を出したが、冬になると毎日やって来た。しかしそれもほんの夜だけ、玄関か牛小屋で泊るためなのである。人々は彼女がこんな生活にたえてゆくのに、驚いていたが、もうこれが習性となってしまったのである。彼女は背こそ小さいけれど、並みはずれてがんじょうな体格を持っていた。町の紳士の中には、彼女がこんなことをするのは、一種の見得にすぎない、などと断定する人もあったけれど、どうもそれでは辻褄が合わなかった。彼女は一ことも口をきくことができず、ただときどき妙に舌を動かして、むむと唸るだけであった、――こんな有様で見得も何もあったものではない。
 ある時こういうことがあった、それは、もうずっと以前のこと、月影も満ちた九月の明るい暖いある夜、この町で言えばだいぶ遅くなった刻限に、遊び疲れて酔っ払った町の紳士の一群、一騎当千の強《ごう》の者が五六人、クラブから裏町づたいに家路についていた。横町の両側には編垣がつづいて、その向うには家々の菜園が見えていた。横町は、この町で時とすると小川と呼ばれることもある臭い長い水溜りに渡してある、板橋の方へ抜けるようになっていた。一行は編垣のそばの蕁麻《いらくさ》や山牛蒡の中に、リザヴェータが眠っているのをすかし見た。遊びほうけた連中は大声に笑いながらそのそばに立ちどまって、口から出まかせに猥褻な警句を吐き出した。突然ある一人の若い貴族が、口にするにたえない、とっぴな問題を思いついた。『誰でもいいが、この獣を女として扱うことのできるものがいるだろうか。今すぐにでも証明するものがあるかしらん、云々。』この問いに対して人々はさも穢わしいというような、傲然たる態度で、金輪際不可能だと答えた。しかし、この一群の中に偶然フョードルがいあわして、すぐさましゃしゃり出た。そして女として扱うことができる、大いにできる、しかも一種特別なぴりっとした味がある云々、と断言した。実際のところ、彼はその時分、ことにわざと道化の役を買って出て、どこへでも出しゃばって、皆のものを浮かれさせることを好んだ。うわべは対等のつき合いらしく見せていたけれど、事実はまったく一同の下男であった。それはちょうど、彼が前妻アデライーダの訃報を、ペテルブルグから受け取ったばかりの頃であったが、それにもかかわらず彼は帽子に喪章をつけたまま、放埒のありったけをつくしていたので、この町のかなりしたたかな道楽者さえ、彼の姿を見て、眉をひそめるくらいであった。一行はこのとっぴな意見を聞いて、からからと笑い興じた。誰であったかその中の一人は、フョードルをけしかけさえしたが、ほかの者は一そう眉をしかめて唾を吐いた。がそれでも、度を過した陽気な気分は依然として失われなかった。とうとう一同はそこを去って向うへ行ってしまった。
 後になってフョードルは、自分もその時みんなと一緒に立ち去ったのだ、と誓うように言い張ったが、はたしてそのとおりであったかどうか、誰一人たしかなことを知っているものはない。しかし、何カ月かたって、町じゅうの人は、リザヴェータが大きな腹を抱えて歩いている、と心からの憤懣を表わしながら噂し始めた。人々は一たい誰の罪なのか、無法者は誰なのかと、さまざまに調べたり訊ねたりした。このとき突然、無法者は例のフョードルだという恐ろしい噂が、町じゅうに拡がったのである。この噂は一たいどこから出たのか? その夜一緒に騒いだ連中の中で、当時町に残っていたものはたった一人しかなかった。それも年頃の娘を幾人も持った家庭の人で、世間から尊敬されている相当の年輩の五等官であるから、本当に何かあったとしても、決して言いふらすはずがない。五人ばかりいたほかの仲間は、その頃みんなちりぢりになっていた。しかし、世間の噂はきっぱりとフョードルを名ざしたし、今だに名ざしつづけている。とはいえ、彼はこれに対してあまり弁解しなかった。取るにたらぬ商人や、町人どもを相手にする必要がなかった。当時彼はだいぶ高慢になって、一生懸命お太鼓を持っている官吏や貴族の仲間でなければ、口もきかないというふうだったからである。
 ちょうどこの時、グリゴーリイは一生懸命になって、主人のためにつくした。彼はこんな言いがかりを防いだばかりでなく、主人のために喧嘩口論までして、多くの人の意見を変えさした。『あの下司女が自分で悪いことをしたんだ』と彼は断乎たる調子で言った。『当の相手はあのねじ釘のカルプでなくって誰だよ。』(これは当時、町でも有名な一人の恐ろしいお尋ね者で、県庁の監獄を脱け出して、ひそかにこの町で暮していたのである)。この推察は本当らしく思われた。人々はカルプのことを覚えていた、――ちょうどその秋はじめの頃、彼が毎夜毎夜町内を徘徊して、三人ばかり通行人を剥いだ事実はまだ皆の記憶にあった。
 しかし、こうした事件も風説も、哀れな不具者から町の人の同情を奪わなかったのみならず、人々は余計にこの女を大事にかけて保護するようになった。商人の後家で裕福なコンドラーチエヴァという女は、まだ四月の末頃から彼女を自分の家へ引き取って、産のすむまで、外へ出さないように取り計らったほどである。家の人は、夜も眠らないくらいにして見張っていたが、結局この苦心の甲斐もなく、リザヴェータは最後の日の夕方、そっとコンドラーチエヴァの家を抜け出して、突然フョードルの庭園に姿を現わしたのである。どうして彼女がただならぬ体をして、高い堅固な塀を乗り越したかということは、いまだに一種の謎になっている。ある者は、誰かほかの人にたすけられたのだとも言うし、またある者は、何かもののけにたすけられたのだとも言った。が、何より確からしいのは、この動作がきわめて困難ではあるが、自然な方法で行われたという説である。つまり、リザヴェータはよその菜園で夜を明かすために、編垣を越すのが上手であったから、フョードルの家の塀にも何とかして這いあがって、体に障るとは知りながら、妊娠の身をもいとわずそこから飛びおりたのであろう。
 グリゴーリイはマルファのところへ飛んで行って彼女をリザヴェータの介抱にやり、自分はちょうどいいあんばいについ近くに住んでいる取りあげ婆を迎えに駆けだした。赤ん坊は仕合せと助かったけれど、産婦は夜明け近く死んでしまった。グリゴーリイは赤ん坊を抱いて家へ連れて帰り、妻を坐らして、その胸へ押しつけるように、赤ん坊を膝の上へのせた。『みなし子ちゅうものは神様の子で、皆のものの親類だによって、わしら夫婦にとってはなおさらのこっちゃ、これは家の赤ん坊がわしら二人に授けてくれたんだ。ところで、この子は悪魔の子と神様のお使わしめの間にできたもんだで、お前自分で育ててやるがええ、もうこれからさき泣くでねえだぞ』と言った。そこでマルファは子供を育てることにした。子供は洗礼を受けてパーヴェルと名づけられたが、父称は誰いうとなく自然に、フョードロヴィッチと呼ばれるようになった。
 フョードルはかくべつ抗議を唱えるでもなく、むしろ興あることのように思っていたが、そのくせ一生懸命にすべての事実を打ち消すのであった。彼がこの捨て児を引き取ったということは、町の人の気に入った。後になってフョードルはこの子のために、苗字まで作ってやった。母親の綽名のスメルジャーシチャヤ([#割り注]悪臭を発する女[#割り注終わり])から取って、スメルジャコフと呼んだのである。このスメルジャコフが彼の第二の下男となって、この物語の初めのころ老僕グリゴーリイ夫婦とともに、離れに住んでいたのである。彼は料理人として使われていた。この男についてもとくに何か言っておく必要があるけれど、こんな珍しくもない下男たちのことに、あまり長く読者の注意を引き留めるのも気がひけるから、スメルジャコフのことはいずれ物語の発展につれて、自然何か言うときが来ようとあてにしておいて、物語のつづきに移ることにする。

[#3字下げ]第三 熱烈なる心の懺悔――詩[#「第三 熱烈なる心の懺悔――詩」は中見出し]

 アリョーシャは、父が僧院を立ち去る時、馬車の中から大きな声で発した命令を聞いて、しばらくの間ひどく途方にくれ、その場にじっと立っていた。しかし、何も棒のように立ちすくんだというわけではない。そんなことはなかった。それどころか、心配は心配であったけれど、彼はすぐさま僧院長の勝手へ行って、父が客間でしでかした一部始終を聞いた後、大急ぎで町の方へ出かけた、自分を悩ます問題もみちみち何とか解決がつくだろう、という望みを胸に抱きながら……前もって断わっておくが、『枕も蒲団もかついで』家へ帰って来いという父の命令も叫び声も、彼は一向に恐れなかった。ああしたわざとらしいぎょうさんな声で発せられた命令は、ただあまり図に乗りすぎて、いわば舞台効果を狙ったものにすぎないということを、彼は百も承知していた。例えて言えば、つい近頃おなじ町の或る商人が、自分の命名日に、あまり食べ過した挙句、もうウォートカは出さないと言われたのに腹を立てて、客の前をも憚らず自分の家の器をこわしたり、自分や細君の着物を引き裂いたり、自分の家の椅子や、はてはガラスまで叩きこわしたが、これも同じく舞台効果を強めるためなので、――ちょうどこれと同じようなことが、今日父の心にも生じたのである。その酔い狂った商人も、翌日はすっかり酔がさめて、自分のこわした茶碗や皿を惜しがったが、老人も明日になったらまた自分を寺へ帰してくれる。いや、今日にもすぐ帰してくれるに違いない、とアリョーシャは見抜いていた。それに、父がほかの人はともあれ、自分を侮辱しようなんて気は起すはずがない、こう彼は固く信じていた。彼は世界じゅうで誰ひとり自分を侮辱しようとするものはない、いな、単にないばかりでなく、できないのだと信じきっていた。これは彼が何らの推理をも要せずに、とうからきめている公理であった。この意味において、彼は何の動揺もなく、確固たる足どりで前進する人であった。
 しかし、このとき彼の心中に、ぜんぜん種類の異った杞憂の念が、かすかに動いていた。しかも、自分でそれをはっきりと掴まえることができないので、余計アリョーシャには苦しく感じられた。それは女性に対する恐怖であった。つまりさきほどホフラコーヴァ夫人の手渡した書面の中で、何かしら話があるからぜひ来てくれと、一生懸命に嘆願している、かのカチェリーナ・イヴァーノヴナに対する恐怖であった。この要求と、それについてぜひ行かねばならぬと思う心とは、彼の胸に何か妙に悩ましい感じを宿らした。そして、見苦しくも恥しいさまざまな出来事が、僧院内で相次いで起ったにもかかわらず、この感じは午前中を通じて、次第次第に悩ましいものとなっていった。
 彼が恐れたのは、カチェリーナが何を言いだすか、またそれに対してこちらから何と答えていいか、そんなことがわからないためではない。また全体に女として彼女を恐れたわけでもない。もちろん、彼はあまり女というものを知らないが、しかし、何といっても幼い時から僧院生活に入るすぐ前まで、ずうっと女の中ばかりで暮しているのだ。彼が恐れたのは、この女である、カチェリーナという女である。初めて会った時からして、彼はこの女が恐ろしかった。もっとも、この女に会ったのは、僅か一度か二度、多くて三度くらいなものである。しかし、一度何かの拍子で、二こと三こと言葉を交えたこともあった。彼女の姿は、美しく傲慢な権高い令嬢として彼の記憶に残っている。しかし、彼の心を苦しめたのはその美貌ではなく、何か別なものである。こんなふうに自分の恐怖の原因をきわめることができないために、恐怖はなお一そう彼の心中に募ってゆくのであった。この令嬢の目的は高潔なものに相違ない、それは彼も承知していた。彼女は、自分に対して罪を犯した兄ドミートリイを救おうと、一生懸命になっているのだ、しかもそれはただ寛大な心から出たことにすぎない。ところが、今これを見抜いた上に、こうした寛大な心持に尊敬を払いながらも、彼は、女の家へ近づくにつれて、背筋を寒けが走るように感じた。
 彼の想像したところでは、カチェリーナと非常に親しくしている兄イヴァンは、いま彼女の家に来ていないで父と一緒にいるらしかった。ドミートリイがいないことは、なおなお確かなのである。なぜか彼にはこう感じられた。こういうわけで、自分とカチェリーナとの会見は、さし向いで行われることになる。しかし、彼はこの気味のわるい会見にさきだって、兄ドミートリイのところへ駆けつけ、ちょっと会って来たくてたまらなかった。そうすればこの手紙を見せないで、何かちょっと打ち合わしておくこともできる。しかし、兄ドミートリイの住居はだいぶ遠い上に、今はたしか留守らしく思われた。一分間ほど、一ところにじっと立っていたが、ついに彼は断然こころを決した。馴れた忙しそうな手つきで十字を切ってから、すぐ何かにほお笑みかけながら、彼は自分にとって恐ろしい婦人のもとをさして、しっかりした足どりで歩きだした。
 彼女の家はよくわかっていた。しかし、大通りへ出てから広場を越えたりなどしたら、かなり遠くなってしまう。この町は小さいくせに家がとびとびに建っているので、端から端までは大分の距離になる。それに、父親も彼を待っている。ことによったら、まだ例の言いつけを忘れないで、またまた気まぐれを出さぬともかぎらない。それゆえ、あっちへもこっちへも間に合うように急がなくてはならぬ。かれこれ思いめぐらしたすえに、彼は裏道を通って道のりを縮めようと決心した。彼は町うちのこうした抜け道を五本の指のごとく承知していた。裏道というのは荒れた垣根に沿うて、ほとんど道のないところを通るので、どうかすると、よその編垣を踏み越したり、よその庭を抜けたりしなければならぬ。もっとも、よそといったところでみんな彼の知った家で、出会った人が一々挨拶の言葉をかけるぐらいであった。こういう道を通ると、大通りへ出るのが半分道から近くなる。
 一ところ、父の家のすぐそばを通り過ぎなければならなかった。それは父の庭と境を接した隣りの庭のそばであった。この庭は窓の四つついた、歪み古ぼけた小屋に付属していた。小屋の持主は娘と二人暮しの足なえの老婆で、この町の町人だということを、アリョーシャも知っていた。娘はかつて都で小間使をして、ついこの間まで将軍家などで暮していたが、一年ばかりまえ老母の病気のために帰郷して、はでな着物をひけらかしていた。けれど、この老婆と娘はひどい貧乏になって、隣家のよしみでカラマーゾフ家の台所へ、スープやパンをもらいに来るほどになった。マルファは悦んで二人に分けてやった。ところが、娘はスープの無心をするくせに、自分の着物は一枚も売らなかった。しかも。その中の一つにはやたらに長い尻尾さえついていた。このことはアリョーシャも知っていたが、それはむろん偶然に、町のことなら何一つ知らぬことのないラキーチンから聞いたのである。しかし、聞くとすぐまた忘れてしまった。けれど、いま隣家の庭のそばへ来たとき、ふとこの尻尾のことを思い出して、もの思いに沈んでうなだれていた頭を急に振り上げた……と、実に思いもよらぬ人に出くわしたのである。
 編垣の向うの隣家の庭に兄ドミートリイが、何やら踏台をして胸の辺まで乗り出しながら、一生懸命に合図をして、彼を小手招いているのであった。ドミートリイは人に聞かれやしないかと、叫び声を出すどころか、一ことも口に出すのを忘れているらしかった。アリョーシャは、すぐ編垣のそばへ駆け寄った。
「まあ、お前が振り向いてくれてよかったよ。でないと、おれは危く呶鳴るところだった」とドミートリイは嬉しそうにせかせかと囁いた。「こっちへ越して来い! さあ、早く! ああ、お前が来てくれて本当によかったよ。おれはたった今お前のことを考えてたところなんだ……」
 アリョーシャは自分でも嬉しかったが、ただどうして編垣を越そうかと惑っていた。しかし、『ミーチャ』は古武士のような手で彼の肘を抑え、弟が飛び越すのを手伝った。アリョーシャは法衣の裾をからげて、町の跣小僧のように、はしっこい身振りでひょいと飛び越した。
「さあ、行こう!」勝ち誇ったような囁きがミーチャの喉を洩れた。
「どこへ?」アリョーシャはあたりを見廻したが、自分の立っているのがまるっきりがらんとした庭で、二人のほか誰もいないのを見て、こう囁いた。それはちっぽけな庭であったが、それでも老婆の小屋までは五十歩以上あった。「ここには誰もいないのに、どうしてそんな小さな声をするんです?」
「どうして小さな声をするって? あっ、なんて馬鹿な!」ドミートリイはとつぜん声を一ぱいに張って叫んだ。「本当におれは何だって小さな声をしてるんだろう? 今お前が自分で見たとおりだ、人間の性質というやつは、ふいとわけのわからないことをしでかすもんだなあ、おれはここで秘密に坐って、人の秘密を見張ってるんだ。そのわけはあとで話すが、秘密秘密と思ってるもんだから、急に口をきくのまで秘密にしちゃって、何の必要もないのに、馬鹿みたいに小さな声をしてたのさ。さあ、行こう! ほら、あそこだ! それまで黙っててくれ。おれはお前を接吻したいんだ!

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世界の中なる神に栄《はえ》あれ
われの中なる神に栄あれ……
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 こいつをおれはたった今お前の来るまで、ここに坐って繰り返してたのさ……」
 庭は一町歩か、あるいはそれより少々広いくらいの大きさであったが、林檎、楓、菩提樹、白樺などの木は四方の垣根に沿うて、ぐるりとまわりに植えてあるだけで、まん中はがら空きになっていた。ここはささやかな草場になっていて、夏になると幾フードかの乾草が刈り取られるのであった。老婆は春になるとこの庭を幾ルーブリかで賃貸していた。ほかにまだ各種の木苺畑があったが、これもやはり垣根のそばにあった。家のすぐそばには野菜畑もあったが、これは近ごろ起されたばかりである。
 ドミートリイは、母屋から最も遠い庭の片隅へ客を案内した。そこには菩提樹の茂みや、すぐり、接骨木《にわとこ》、木苺、ライラックなどの薮陰から、忽然として古ぼけた緑いろの四阿《あずまや》の崩れ残りのようなものが現われた。もう全体に歪みくねって黒ずんで、壁は骨組みを露出していたけれど、ちゃんと屋根がついていて、雨をしのぐこともできる。この四阿はいつごろ建てられたものかわからないが、言い伝えによると、当時の家の持主で、フォン・シュミットとかいう退職中佐が、五十年ばかり前に建てたものらしい。しかし、もうすっかりぼろぼろになって、床は腐り、床板はすっかりがたついて、材木からは湿っぽい匂いがしている。まん中には緑いろの木造のテーブルが掘っ立てになって、そのまわりには同じく緑いろのベンチが並んでおり、その上にはまだ腰をかけることができた。アリョーシャはすぐ兄の高潮した心の状態に気がついた。四阿へはいると、テーブルの上にコニヤクの小壜と、杯が置いてあるのが目に映った。
「これはコニヤクだ!」とミーチャは、からからと笑った。「お前はもう『また酔っ払ってるな』というような目つきをしてるが、幻に迷わされちゃいかん。

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空しくも偽り多き世の人を信ずることなく
われとわが疑いを忘れはつべし……
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 おれは酔っ払ってるんじゃない、ただ、『味わってる』のだ。これは、あのラキーチンの豚野郎の言い草だよ。あいつはそのうちに五等官になって、いつまでも『味わう』式の言い方をするだろうよ。まあ、坐れ、アリョーシャ、おれはお前を抱いて、つぶれるほどこの胸へしめつけてやりたい。なぜって世界じゅうに……本当の意味で……(いいか! いいかい!)ほーんとーの意味で……おれが愛している人間は、お前一人っきりだからなあ!」
 この最後の一句を発した時、彼は前後を忘れるほど興奮していた。
「お前一人っきりだ、が、もう一人ある、『卑しい女』に惚れ込んだのだ。そのためにおれは破滅しちゃったのだ。しかし、惚れ込むというのは愛することじゃない。惚れるのは憎みながらでもできる。覚えとけよ! まあ今のうちしばらく陽気な話しっぷりをするぜ! まあ坐れ、このテーブルの前によ、おれはこう横のほうから坐って、お前の顔を見ながらすっかり話しちゃうから。お前は黙ってるんだぞ、おれがすっかり話しちゃうから。なぜって、もう時機が到来したんだからなあ。もっとも、おれば本当に小さな声で話さなきゃならん、と考えたんだよ。だって、ここは……ここは……どんなことで意外な聞き手が出て来ないともかぎらんからなあ。よし、すっかり話して聞かせよう。いわゆる、あとは次回のお楽しみかね。一たいどういうわけでおれはこの四五日、いや、現に今もお前を待ち焦れてたんだろう?(おれがここへ錨をおろしてからもう五日目だ。)この四五日、本当に待ち焦がれてたんだよ。ほかでもない、お前一人だけに話したかったからだ。なぜって、そうしなくちゃならないからよ。お前という人間が必要だからよ、なぜって、明日にも雲の上から飛びおりるからよ、明日にもおれの生活が終ると同時に、また新しく始まるからだよ。お前は山のてっぺんから穴ん中へ落ちるような気持を経験したことがあるか、夢にでも見たことがあるか? ところがおれは今、夢でなく本当に落ちてるんだ。しかし、おれは恐れやしない、お前も恐れないがいい。いや、実は恐ろしいけれど、いい気持なんだ。いや、いい気持どころじゃない、有頂天なのだ……ええ、畜生、どっちだって同じこった。強い心、弱い心、女々しい心、ええ、どうだってかまやしない! ああ、自然は讃美すべきかなだ。ごらん、日の光はなんて豊かなんだろう。空は澄み渡って、木の葉はみんな青々として、まだすっかり夏景色だ、いま午後三時すぎ、静寂! お前、どこへ行ってたい?」
「お父さんのところへ。しかし、初めカチェリーナ・イヴァーノヴナのところへ行こうと思ってました。」
「あのひとのところと、それから親父のところへ? ふむ! 何という暗合だろう! 一たいおれがお前を呼んだのは何のためだと思う、お前に会いたいと思って待ち焦れていたのは何のためだと思う、おれの心の襞の一つ一つに、憧憬の念を籠めたのは何のためだと思う? ほかでもない、お前をおれの代理として最初おやじのところへ、それからあのひとのところへ使いにやって、それでもって両方の片をつけようと思ったのさ。天使をやりたかったのさ。おれは誰を使いにやってもよかったんだが、どうしても、天使でなくちゃならなかったんだ。ところが、お前自分であのひとと親父のところへ行くなんて。」
「本当に兄さんは僕を使いにやりたかったんですか?」病的な表情をおもてに浮べて、アリョーシャはこう口走った。
「待て、お前はこのことを知ってたんだ。お前が一遍にすっかり呑み込んじまったのは、おれにもちゃんとわかっている。が、黙ってろ、しばらく黙ってろ。気の毒がることはない、泣くな!」
 ドミートリイは立ちあがって、考え込むように指を額にあてがった。
「あのひとがお前を呼んだのかい? あのひとが手紙か何かよこしたので、それで出かけるところなのかい? でなきゃ、お前が出かけるはずがないもんなあ。」
「ここに手紙があります」と、アリョーシャはかくしから手紙を取り出した。ミーチャはざっと目を通した。
「お前が裏道を通って行くなんて! おお、神様、弟に裏道を選まして、わたくしと出会わして下すったことを感謝します。本当に昔噺にある黄金《きん》の魚が、年とった馬鹿な漁師の手に入ったようだ。聞いてくれ、アリョーシャ、聞いてくれ。おれは何もかも言ってしまうつもりなんだから。せめて誰か一人には話さなくちゃならないからなあ。天上の天使にはもう話したが、地上の天使にも話さなくちゃならん。お前は地上の天使なんだよ。よく聞いて判断して、そして赦してくれ……おれは誰か一段上の人に、赦してもらいたいんだ。いいかい、もしある二人の人間が一切の地上のものから離れて、どこかまるで類のないようなところへ飛んで行くとする、――いや、少くとも、そのうちの一人が飛んで行って亡びてしまう前に、いま一人のところへ来てこれこれのことをしてくれと、臨終の床の中よりほかには、他人に持ちかけることのできないようなことを頼むとしたら、その男はきいてやるだろうか、どうだろう……もしその男が親友か兄弟であったとすれば……」
「僕もききます。しかし、何か言ってごらんなさい、早く言ってごらんなさい」とアリョーシャは促した。
「早く……ふむ。しかし、まあせくなよ、アリョーシャ。お前はせかせかして心配してるようだな。いまは何もせくことなんかありゃしない。いま、全世界が新しい道へ出たんだからなあ、おい、アリョーシャ、お前が有頂天になるほど考え抜かなかったのが残念だよ! しかし、おれはぜんたい何を言ってるんだ? お前が考え抜かなかったなんて! 一たいおれは、このなまけ者は何を言ってるんだ?

[#2字下げ]人は心を潔《きよ》く持て!

 これは誰の詩だったかなあ?」
 アリョーシャはしばらく待っていることに決めた。彼は自分の仕事の全部が、あるいはここにあるかもしれない、と悟ったのである。ミーチャはちょっとの間テーブルに肘を突いて、掌で頭を抑えながら考え込んだ。二人とも無言でいた。
「アリョーシャ」とミーチャは言いだした。「お前だけは笑ったりなんかしないね! おれは……自分の懺悔を………シルレルの悦びの頌歌 An die Freude([#割り注]歓喜について[#割り注終わり])でもって切り出したいのだ。しかし、おれはドイツ語を知らん、ただ An die Freude ということを知ってるだけだ。ところで、おれが酔っ払ったまぎれに喋ってると思っちゃいかんぞ。おれはちっとも酔っちゃいない。コニヤクがあるにはあるけれど。酔っ払うには二壜なくちゃならん。

[#ここから2字下げ]
足よわ驢馬に跨れる
赫ら顔なるシレーン([#割り注]酒神バッカスの従者シレヌス[#割り注終わり])は
[#ここで字下げ終わり]

 ところで、おれはこの壜を四分の一も飲んでないから、したがって、シレーンじゃない、シレーンじゃないが剛毅《シーレン》だ。なぜって、もう断乎たる決心をとってるんだからなあ。お前、おれの地口を赦してくれ。お前きょうは地口どころじゃない、まだまだいろんなことを赦さなくちゃならないんだよ。しかし心配するな、おれはごまかしゃしない、さっそく用談に取りかかるよ、だらだらと引っ張りゃしない。が、待てよ、どうだったかな……」
 彼はこうべを上げて考えていたが、突然、歓喜に充ちた調子で吟じ始めた。

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野に生い立ちし穴住みの
裸身《らしん》の人は岩石の
洞窟のなか奥深く
臆せしさまに身をひそめ
水草を追う人の子は
野辺より野辺へさまよいて
野をことごとく荒し去り……
猟夫《さつお》は槍と矢を持ちて
いともの凄き形相に
森また森を走るなり……
休ろう方も荒磯へ
波のまにまに捨てられし
人の子らこそ悲しけれ!

プルトー([#割り注]冥府の司神[#割り注終わり])の手に奪われし
プロゼルピンの跡追いて
母のセンス([#割り注]豊穣の神[#割り注終わり])はオリムプの
頂きよりぞ下りしが
見渡すかぎり天地《あめつち》は
荒寥として横たわり
女神の身を置くところなく
口に入るべきものもなし
いずくの寺も神々を
祭れるさまは見えざりき

いと豊かなる野の実り
甘き葡萄の房すらも
うたげの席に影もなく
あけに染みたる祭壇に
残る屍ぞ煙るなる
愁わしげなる瞳もて
セレスが見やるかなたには
深き穢れに沈みたる
人よりほかに見ゆるものなし!
[#ここで字下げ終わり]

 突然、歔欷の声がミーチャの胸をほとばしり出た。彼はアリョーシャの手を取った。
「ねえ、お前、深き穢れだ、今でもおれは深き穢れに沈んでるんだ。人間というものは恐ろしくいろんな悲しい目にあうもんだよ。恐ろしくいろんな不幸を経験するもんだよ! しかし、おれは単に将校の肩書を持って、コニヤクを飲んだり極道な真似をしたりする、虫けらのようなやつだと思わないでくれ。おれはほとんどこのことばかり考えてるんだ。この深き穢れに沈んだ人のことをね。これはおそらく嘘じゃあるまい。まったくおれは嘘をついたり、から威張りをしたりしないように願ってるよ。おれがこの人のことを考えるのは、つまりおれがそれと同じような人間だからさ。

[#ここから2字下げ]
堕落の淵より魂を
振い起すを望みなば
古き母なる大地《おおつち》と
結び合えかし、とことわに
[#ここで字下げ終わり]

 ただしかし、どうして大地と結び合うのか、それが問題なんだ。おれは大地を接吻もしなければ、大地の胸をえぐることもしない。一たいおれに百姓か牛飼いでもしろというのかい? おれはこうして進んで行きながら、自分が悪臭と汚辱に踏み込んでるのか、それとも、光明と喜悦の中へはいってるのか、自分でも見分けがつかないのだ。こいつがどうも厄介なのだ、実際この世の中では一切が謎なんだ! おれが実に恐ろしい穢れた堕落の深みへはまって行く時(しかも、おれはこんなことよりほか何もしないのだ)、おれはいつもこのセレスと『人』の詩を読んでみる。ところで、それがおれを匡正したことがあるだろうか? 決して決して! なぜって、おれはカラマーゾフだものなあ。無限の淵へ飛び込むくらいなら、いっそ思いきって真逆さまに落ちるがいい、という気になるんだ。しかも、そんな恥しい境界に落ちぶれるのに満足して、それを美的だと考えるようになる。ところが、こうした汚辱のただ中にあって、おれは突然、讃美歌を唱えはじめるじゃないか。よしや自分は、呪われた、卑しい、穢れた人間であるとしても、神様の纒うておいでになる袈裟の端を、接吻したってかまわないはずだ。しかも、それと同時に、悪魔の跡へついて行こうとも、おれはやはり神様の子だ、神様を愛する、そして悦びの情を心に感じる。この悦びの情がなかったら、世界も存在することはできないのだ。

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とことわのよろこびは
人の心を水かいつ
醗酵の秘力もて
いきの命の盞に
※[#「火+陷のつくり」、第 3水準 1-87-49]をもやす
一|茎《けい》の小草をも
光の方へさし招き
混沌を太陽と化《け》し
陰陽師さえ数え得ぬ
星屑を空に充しぬ

息あるものはことごとく
美しき自然の胸に
悦びを汲み交すめり
もろもろの生けるもの
もろもろの民草も
そが後に曳かれゆくなり
悦びはさちなき人に
友垣と、葡萄のつゆと、美の神の
花のかむりを恵みつつ
虫けらに卑しきなさけ……
エンゼルに神の大前《おおまえ》
[#ここで字下げ終わり]

 しかし、詩はもうたくさんだ。おれはつい涙をこぼしたが、どうか十分泣かしてくれ。よしんばこんなことがほんのつまらない話で、みんなが声を揃えて笑うとしても、お前だけはそんなことをしやしない。それ見ろ、お前の目がぎらぎら光ってるじゃないか。いや、本当に詩はたくさんだ。おれがいま話そうと思ってるのは、あの神様に『卑しきなさけ』を授けられた虫けらのことなんだ。

[#2字下げ]虫けらに卑しきなさけ!

 おれはつまりこの虫けらなんだ、これは特別におれのことを言ったものなんだよ。われわれカラマーゾフ一統はみんなこういう人間だ。お前のような天使の中にもこの虫けらが巣食うていて、お前の血の中に嵐をひき起すんだ。まったくこれは嵐だ。実際、情欲は嵐だ。いな、あらし以上だ! 美――美というやつは恐ろしいおっかないもんだよ! つまり、杓子定規にきめることができないから、それで恐ろしいのだ。なぜって、神様は人間に謎ばかりかけていらっしゃるもんなあ。美の中では両方の岸が一つに出あって、すべての矛盾が一緒に住んでいるのだ。おれは無教育だけれど、このことはずいぶん考え抜いたものだ。じつに神秘は無限だなあ! この地球の上では、ずいぶんたくさんの謎が人間を苦しめているよ。この謎が解けたら、それは濡れずに水の中から出て来るようなものだ。ああ、美か! そのうえ、おれがどうしても我慢できないのは、美しい心と優れた理性を持った立派な人間までが、往々マドンナの理想をいだいて踏み出しながら、結局|悪行《ソドム》の理想をもって終るということなんだ。いや、まだまだ恐ろしいことがある。つまりソドムの理想を心にいだいている人間が、同時にマドンナの理想をも否定しないで、まるで純潔な青年時代のように、心底から美しい理想の憧憬を心に燃やしているのだ。いや、じつに人間の心は広い、あまり広すぎるくらいだ。おれはできることなら少し縮めてみたいよ。ええ、畜生、何か何だかわかりゃしない、本当に! 理性の目で汚辱と見えるものが、感情の目には立派な美と見えるんだからなあ。一たいソドムの中に美があるのかしらん? ところで、お前は信じないだろうが、大多数の人間にとっては、まったくソドムの中に美がひそんでいるのだ、――お前はこの秘密を知ってたかい? 美は恐ろしいばかりでなく神秘なのだ。これがおれにはおっかない。いわば悪魔と神の戦いだ、そしてその戦場が人間の心なのだ。しかし、人