『ドストエーフスキイ全集 第12巻 カラマーゾフの兄弟』(1959年、米川正夫訳、河出書房新社)P310-P333

講義するわけにゆかぬ。よしルーテル派やその他の異教徒が、羊の群を奪い始めようとも、勝手に奪わせるほかはない。自分らの収入が少いのだから、などと断言して憚らないものさえある。ああ、神よ、彼らのためにかほどまで貴き収入を、いま少し多分に与えたまえ、と余は考えた(なぜならば、彼らの訴えにもまた道理があるからである)。しかし、真実のところを言うと、もしこれについて誰か罪があるとすれば、それはなかば余ら自身なのである。なぜなれば、たとえ余暇がないとしても、たとえ二六時中、労働と勤行《ごんぎょう》にさいなまれているという彼らの申し分に道理があるとしても、せめて一週間にたった一時間でも、神のことを思い起す時がありそうなものではないか。それに、年じゅう仕事のあろうはずはない、初めのうちはただ子供だけでもよい、一週間に一ど夜分わが家へ集めるがよい、――そのうちに父親たちも噂を聞いて、やがて聴聞に来るようになるであろう。しかし、何もこのために大きな家など建てることはいらぬ。ただ自分の小屋へ招けばよいのである。決して心配することはいらぬ。自分の小屋を汚されるようなことはない、僅か一時間ばかりの集りではないか。それからこの本をひろげて見せて、むずかしい言葉を使ったり気どったり、高いところから見おろしたりするような態度をとらず、優しいつつましい調子で読んで聞かしてやるがよい。その際、自分の読んでいることを、みなの者がじっと聞きとり了解してくれると思って、みずから悦ばしい感じをいだかねばならぬ。自分で自分の読んでいる言葉に愛を持たねばならぬ。そして、ときおり朗読をやめて、民衆にわからない言葉を、説明して聞かせるがよい。いや、何も心配することはない、みんな会得してくれる。正教の民は何でも会得することができるから! アブラハムのこと、サラのこと、イサークのこと、レヴェッカのことなど読んで聞かせるがよい。それからヤコブがラバンのところへ行って、夢に神と戦い、『このところは恐ろし』と言った話をもして聞かせて、民衆の正直な心に驚異を与えるがよかろう。
 また民衆に、とりわけ子供らには、次の話を読んで聞かすがよい。兄たちが肉親の弟ヨセフを、――夢判断に長じた偉大な予言者で、同時に可憐なる少年を、奴隷に売っておきながら、父には獣が弟を八つ裂きにしたと告げて、血にまみれた弟の着物を出して見せる。その後、兄たちは穀物を取りにエジプトへ赴いたが、ヨセフはもはや兄たちも弟と気がつかないほどの廷臣となっているのを幸いに、兄たちの罪を責めてさんざんに苦しめた上、弟ベニヤミンを召し捕ってしまった。しかも、これらすべてのことは、愛しながらしたことなのである。『私はあなた方を愛しています。愛しながら、苦しめるのでございます。』なぜと言うに、彼は自分がかつてどこかの砂漠の井戸のそばで、奴隷として商人に売られたことや、そのとき兄たちに向って、よその国へやらないでくれと祈ったことを、これまでたえまもなく思い出していたけれども、こうして長の年月を隔てて会ってみると、ふたたび量りがたい愛を感じたからである。しかし、愛しながらも、彼らを苦しめ悩ますのであった。ついにヨセフは心の悩みにたえかねて、彼らの傍らを去り、床の上に身を投げながら、啼泣する。やがて涙を払って、晴れ晴れした明るい顔をしながら部屋を出て、『兄さん、わたくしはヨセフです、あなた方の弟です』と名乗りをあげた。それから、なお進んで、老父のヤコブが、愛するわが子のまだ生きていることを聞いた時、故郷を棄てて、エジプトさして慕って行ったが、ついに他郷の土と化してしまった。そのとき彼は一生涯、自分のつつましい臆病な胸の中に、人知れず秘めていた偉大なる言葉、すなわち、彼らユダの一族より、全世界の希望、全世界の和解者、全世界の救済者が出現するであろうという言葉を、末世末代までの誓約として言い遺した。こういうことも読んで聞かしたらよかろう。
 親愛なる諸師よ、どうか怒ることなく許したまえ。余は諸師のすでに熟知せられ、かつ余自身より数百倍も巧みに整然と語り得らるる事柄を、幼児のごとく、とくとくとして説いている。しかし、余は感激を包みかねて物語るのである。しかして、余の涙をも許していただかねばならぬ。なぜなれば、余はこの書物を愛するからである! これを民衆に読み聞かす僧侶にも、感激の涙が望ましい。さすれば、聴衆の胸もこれに応じて顫えるのが、認められるであろう。必要なのは、ただ一粒の小さな種子だけである。これを民衆の胸に投げさえすれば、種子は生涯ほろびることなくその胸に生きて、あたかも一点の光のごとく、偉大なる暗示のごとく、罪悪の闇と悪臭との間にひそむであろう。しかし、くだくだしく説き諭すことはない、そんな必要は少しもない。彼らは素直に一切のことを会得するであろう。
 はたして諸師は、人民に会得の力がないと思われるか? さらば試みに進んで、美しきエスチイーリと傲れるバスチヤの、哀れな感動すべき物語を読んで聞かせるがよい。でなければ、鯨の腹へ入った予言者ヨナの驚嘆すべき物語でもよかろう。それから同じように、キリストの寓話をも忘れぬようにしなければならぬ。これは主としでルカ伝からとるがよい(余もそういうふうにしてきた)。また使徒行伝の中からはサウルの告白(これはぜひぜひ読んで聞かせねばならぬ!)、また最後には『殉教者伝』の中から神の子アレクセイの生涯と、偉大なるが中にも偉大なる悦びの殉教者であり、神の実見者であり、キリストの崇拝者である尼僧、エジプトのマリヤの生涯を読み聞かすがよい、――すると、これらの単純な物語で、民衆の心を刺し貫くことができるのである。それも一週間に僅か一時間でよい。自分の俸給の少いことなど意に介せず、ただ一時間だけ犠牲にすればよいのである。さすれば、いかにわが国の民衆がなさけ深く、感謝の心に富んでいるかを、おのずから了解するに相違ない。民衆は、僧侶の熱心と感激に充ちた言葉をいつまでも覚えていて、百層倍もあつく酬いるであろう。すなわち、彼の畠の仕事なら喜んで手伝おうし、家の仕事も同様に手伝うであろう。そして、以前にまさる尊敬を払うにちがいない、――それだけで、もはや彼の収入は増すことになる。これはまったく単純な思いつきであるから、場合によっては、何だばかばかしいと笑われはせぬかと思って、人に話すのが躊躇されるくらいである。とはいえ、これが何よりも確かな方法なのである! 神を信じないものは、民衆をも信じない。民衆を信ずるものは、それまで少しも信じていなかった神の尊い恵みをも見抜くようになる。ただ民衆と民衆の未来の精神力のみが、生みの土からもぎ放されたわが国の無神論者を、正しい道へ引き戻すことができるのである。事実、キリストの言葉といえども、実例なくしては何にもならぬ。神の言葉がなかったら、民衆はただ滅亡あるのみではないか。民衆は神の言葉に渇し、すべて美しきものの感受に饑えている。
 余の若い時であるから、もはやずいぶん古いことである。かれこれ四十年ばかり前、余はアンフィーム師とともにロシヤ全土を遍歴して、ある僧院のために寄進を集めたことがある。ある時、余らは船の通っている大きな河の岸で、漁師らとともに一夜を明かした。その時、ひとり顔かたちの整った農夫出の若者が、余らの傍ら近く座を占めた。見受けたところ、もう十九ばかりの年頃らしかったが、明日さる商人の艀《はしけ》を曳船しようというので、目的地をさして急いでいるのであった。見ると、若者は感激に充ちたはればれしい目つきをして、向うのほうをじっと見つめている。それは明るい、静かな、暖い七月の夜で、ひろびろとした河面からは水蒸気が立ち昇り、人の気持を爽やかにしてくれる。ときどき魚がぴちりと跳ねるくらいのもので、小鳥どもは声をおさめ、あたりは気高く静まりかえって、すべてが神に祈りを捧げているようであった。その夜、寝ないでいたのは余らふたり、つまり余と若者ばかりであった。余らは神の世界の美しさと、その偉大なる神秘とを語りあった。一もとの草、一匹の甲虫、一匹の蟻、こがね色した蜜蜂、すべて知性を持っていないこれらのものが、驚かるるばかりおのれの道を心得ていて、神の秘密を証明し、みずからその秘密をたゆみなく行っているではないか。このような話をしているうちに、可憐な若者の心が燃えてくるのが、余にはよくわかった。この若者の話によると、彼は鳥さしで、森や森の小鳥が大好きだとのことであった。彼は小鳥の啼き声を一つ一つ聞き分けて、どんな小鳥でもおびき寄せるすべを弁えていた。
『わたくしは森の中にいるのが一番すきでございます』と彼は言った。『けれど、何でもみんなよろしゅうございます。』
『そのとおりじゃ』と余は答えた。『何でもみんなよい、何でもみんな美しい、なぜなら、すべてが真《まこと》であるからじゃ。まあ、馬を見てごらん。あれほど大きな獣が人間のそば近く立っておるではないか。また牛をごらん、いつももの思わしそうに頭《こうべ》を垂れながら、人間に乳を与えたり、人間のために働いたりする。まあ、牛や馬の顔を見るがよい、何というつつましい表情であろう。たびたび自分を無慈悲に鞭うつ人間に対し、何という愛慕の情を示しておることであろう。また何という悪びれない、一途に人を頼るような表情であろう。また何という美しい顔であろう。こういう獣にはいささかも罪がない、ただこう考えるだけでも涙が溢れるではないか。なぜなら、人間をのぞくすべてのものは、少しも罪のないように創られておるから、キリストさまはわれわれよりもさきに、牛や馬につき添うて下さるのじゃ。』
『へえ、それでは』と若者はたずねた。『牛や馬にもキリストさまがつき添うていらっしゃいますか?』
『つき添うて下さらないで何としよう』と余は言った。『なぜなら、道《ことば》はすべてのもののために存在するからじゃ。すべての創造物《つくりもの》は、たとえ一枚の木の葉でも、その道を目ざして進みながら、神様の栄えを歌い、キリストさまのために嬉し涙を流しておるのじゃ。しかし、自分でもそれを知らずにおる。ただただ無垢の生活の秘密がこれを行ってくれるのじゃ。なあ、それ、森の中には恐ろしい熊がうろついている。もの凄い、だけだけしい獣じゃ。しかし、そのことは毫も熊の罪にはならぬじゃて』と言って、余は森の中の小さな庵で行いすましている大聖者のところへ、あるとき一匹の熊がやって来た話をして聞かせた。大聖者はこの熊が可愛くてたまらなくなったので、恐れげもなくそのそばへずかずかと立ち寄り、一片のパンを与えながら、『もう行け、キリストさまがついていらっしゃる』と言うと、猛き獣は少しも害を加えないで、おとなしくそこを立ち去ってしまった。
 若者は、熊が少しも害を加えないで立ち去ったことや、熊にもキリストさまがついていらっしゃるということなどに、すっかり感動してしまった。
『ああ、面白い話でございますなあ。本当に神様のものは何でもみな結構で、立派でございますなあ!』若者はじっと坐ったまま、静かな甘いもの思いに耽っている。余の言葉が腹に入ったらしい。やがて、余の傍らで、軽い無垢な眠りに落ちてしまった。『主よ、青春を祝福したまえ!』余はそのとき眠りにつく前に、若者のために祈ってやった。『神よ、みずから創りたまいし人々に、やわらぎと光を送りたまえ!』

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(C) 俗世にありしゾシマ長老の青年期に関する回想――決闘[#「(C) 俗世にありしゾシマ長老の青年期に関する回想――決闘」は太字]
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 ペテルブルグでは幼年学校の中にずいぶん長く、八年ばかりもいた。そして、新しい教育を受けるとともに、幼い頃の印象を大部分どこかの隅のほうへ追いやってしまった。もっとも、何一つ忘れはしなかったのである。その代り、いろいろ新しい習慣や意見を摂取したので、ほとんど野蛮といっていいくらい残酷で、愚昧な動物となりおおせた。礼儀と社交術の上っ光りはフランス語とともに手に入れるし、学校で余らのために仕えてくれる兵隊どもは、余らの目から見ると、何のことはない、ただの牛馬同然に思われた。余もやはり同じように思っていた。いや、ことによったら、余が一番ひどかったかもしれぬ。というのは、余は万事につけて、友達仲間でも一ばん感受性が鋭かったからである。余らは将校として学校を出たとき、傷つけられたるわが連隊の名誉のためには、自分の血を流すのもいとわないくらいの勢いであった。しかし、真の名誉が何ものであるかは、余らのうち誰ひとりとして弁えるものがなかった。よしまた知ったところで、余自身まっさきになって、それを罵倒したに相違ない。飲酒、放蕩、伊達気取りなどは、ほとんど自慢の種にならないばかりであった。
 しかし、何も余らが穢らわしい人間であったというわけではもうとうない。これらの青年はすべて善良な人間であったが、ただ素行が悪かったのである。中でも余は、最もはげしかった。何よりおもな原因は、余に自分の財産というものができたことである。それゆえ、年少の血気にまかせて、おのれの快楽に向って盲目的に突進した、つまり、ありったけの帆をあげて船を走らせたのである。しかし、ここに奇妙なことがある。ほかではない。その時分でも余は書物を読んでいたばかりか、読書には非常な快楽を感じたほどである、けれど、聖書だけは当時一度もひもといたことがない。そのくせ、決して肌身をはなしたこともなく、どこへ行くにも、持って歩いたものである。まったく、自分でもそれと意識しないで、この本を大事にかけていた。『もう一時間たったら、もう一日たったら、もう一月たったら、もう一年たったら』という心持だったのである。
 このような有様で、四年ばかり勤務した後、ついに余は当時連隊の駐屯していた。K町に住むこととなった。町の社交界にはさまざまな毛色の変った人が大勢いて、なかなか賑やかではあるし、客あしらいはいいし、それにずいぶん贅沢であった。余はどこへ行っても、よくもてなされた。それは、余が生れつき快活な性質であった上に、小金を持っているという噂が通っていたからである。まったくこれは社交界で少からぬ意義を有している。ところが、ここに一つの事件がもちあがって、一切のことの発端となったのである。
 余は若い美しい一人の令嬢と近づきになった。彼女は町の名士を親に持った、聴明で品格のある、高尚で明快な性質の女であった。その一家は地位も財産もあり、相当な権力も持っていた。家の人は余の訪問を優しく愛想よく迎えてくれた。そのうちに、この令嬢が余を憎からず思っているというような気がしたので、余の心はその想像に煽られて、燃え立ってきた。それからずっと後に、余も目がさめて、自分はあの令嬢をさほど熱烈に愛していたわけでなく、ただその高尚な性格と知性(これは実際まちがいなかった)を尊敬していたにすぎない、と悟ったのである。とはいえ、その時は利己心に妨げられて、結婚の申し込みができなかった。つまり、そうした血気さかんな年頃ではあるし、おまけに金まで持っていたので、自由放佚な独身生活の誘惑と別れるのが、苦しくも恐ろしくも感じられたのである。しかし、少々匂わすくらいのことはしたが、とにかく断然たる行動はしばらく見合せていた。
 そのとき突然、ひと月ばかり他郡へ派遣されることとなった。二カ月たって帰ってみると、意外にも令娘はもう結婚しているではないか。男は郊外の富裕な地主で、余にくらべると幾つか年上ながらまだ若い人で、首都――しかも上流の社会で、多くの知人縁者を持っている(余にはこれがまったく欠けていた)。ごく愛想のいい人で、おまけに教育もあった。しかるに余はまるで無教育ものなのである。余はこの思いがけない出来事に打ち挫がれて、頭がぼうとなってしまった。しかし主なる理由は、この若い地主がすでにとくから令嬢の許婚であったということと(余はその時はじめてこのことを耳にしたのである)、余自身も幾度となく同家でこの男に出会いながら、自分の価値をすっかりうぬ惚れていたために、今まで少しも気がつかなかったということである。
『一たいどういうわけでみんな誰でも知っていることを、おれ一人知らなかったのだろう?』こういった想念が何よりも余を侮辱したのである。余は急にたえがたい憎悪を感じた。
 余は顔を赧らめながら、以前のことを回想し始めた。ほとんどあからさまに自分の恋を打ち明けようとしたことも幾度となくあった。そのとき彼女が余の言葉をとめようともせず、また事情を知らせようともしなかったところを見ると、疑いもなく彼女は余を弄んだのだ、とこういう結論に達した。もちろんずっと後になっていろいろ思いあわしたすえ、彼女は少しも弄びなどしなかったばかりか、かえってそうしたふうな話を冗談のように遮って、話頭を他へ転じようとしたことを思い出した、――しかし、当時はそんなことなど思いあわしている余裕がないので、ひたすら復讐の念に燃えていた。時おり思いだすたびに驚きを禁じ得ないことであるが、こうした復讐や憤怒の念は、余自身にとっても苦しくいまわしいものであった。なぜなら、余は生来軽快なたちであり、誰に対しても長く腹を立てていることができなかったので、まるでわれとわが心に火をつけるようにしていた。その結果、ついにはいまわしい愚かな人間となりはてたのである。
 余は時のいたるのを待っていたが、突然あるとき大勢の一座の中で、まるっきり関係のないことが原因になって、うまく自分の『競争者』を侮辱することができた。つまり、当時の重大なある出来事([#割り注]一八二五年十二月十四日にいわゆる十二月党事件が起った[#割り注終わり])(それは一八二六年のことであった)に関する彼の意見を冷やかしたのである。人の話によると、その冷やかしがなかなかうまく辛辣にいったとのことである。それから無理やり彼に話合いを要求したが、その話合いの際、思うさま無礼な態度をとったので、ついに彼は余ら両人の間の格段な相違をも顧みず、――なぜというに、余は彼より年も若く、社会上の地位も官等も微々たるものであったから、――余の挑戦に応じたのである。これは後になって確かな筋から聞いたことだが、彼もやはり余に対する嫉妬の情から余の挑戦に応じたとのことである。彼は以前、妻の処女時代に幾分余を嫉視していたから、いま凌辱を受けながら、断然決闘を申し込むことができなかった、などということが妻の耳に入ったら、彼女は自然と夫を軽んずるようになり、したがってその愛もゆらぐに相違ない、とこう考えたのである。余はただちに介添人を探し出した。それは同じ連隊の中尉であった。当時、決闘は厳重に処罰されたが、軍人仲間ではそれがまるで流行のようになっていた。それほどまでに人間の偏見は野蛮な成長を遂げ、固く根を張ることがある。
 おりしも七月の終り頃で、二人の決闘は明朝七時、場所は郊外ということになっていた、――と、思いがけなく、全運命を顛覆するようなあるものが、余の心に生じたのである。その夕方、獰悪な醜い形相で家へ帰った余は、従卒のアファナーシイに腹を立てて、二度ばかり力まかせに、血が滲み出るほど横つらを擲りつけた。彼はもうずっと前から余のもとに勤務していたので、前にもよく擲りつけたことがあるけれど、こんな野獣のように残忍なことは、ついぞしたことがない。こう言ったとて、諸師は信じもせられまいが、四十年たった今日にいたるまで、このことを思い出すたびに、羞恥と苦痛を感ずるのである。
 余は床についた。三時間ばかり眠った後、目をさましてみると、すでに夜は明けかかっていた。余はくるりと起きて、――もう寝る気にならなかったので、――窓に近づいて扉を開けた。余の窓は庭に面していたが、と見ると、日はまさに昇ろうとして、暖い美しい景色である。小鳥が鳴きだした。一たいどうしたのだろう?(ふと余はこんなことを考え始めた)、どういうわけで心の奥に何かしら穢れた、卑しいものを感じるのだろう? これから人の血を流しに行こうとしているからだろうか? いや、どうもそうでないらしい。それとも死が恐ろしいからだろうか、殺されるのが恐ろしいからか? いや、まるでちがう、全然ちがう……
 と、ふいに余は事の何たるやを悟った。ほかでもない、昨夕アファナーシイを擲ったからである! すべての光景がもう一ど繰り返されたかのように、まざまざと脳裏に描き出された。目の前にはアファナーシイが立っている。すると、余は力まかせにその顔の真ん中を擲りつける、彼は列中に立っているように不動の姿勢をとって首をまっすぐにささえながら、目を大きくむき出している。一つ打たれるごとに、ぴりりと身を慄わすばかりで、自分を庇うために手を上げることさえし得ないのだ。ああ、人間が人間を打つとは、人間もこれほどまでに堕落するものか! ああ、何という犯罪! それはちょうど鋭い針で魂をぐさりと突き通されたような気持であった。余は腑抜けのように立っていた。窓外には太陽が輝いて、木の葉は悦しげにきらめき、小鳥らは、ああ、小鳥らは神をたたえていた。余は両手で顔を蔽うや、そのまま床の上へくず折れて、声をあげて慟哭し始めた。そのとき余は兄のマルケールと、彼が臨終のまえ召使らに言った言葉を思い起した。『お前たちは優しい親切な人間だ。一たいお前たちは何のために僕に仕えてくれるのだ。何のために僕を愛してくれるのだ。一たい僕はお前に仕えてもらうだけの値うちがあるのかしら?』『ああ、本当におれにそんな値うちがあるかしら?』という考えがふと余の胸中にひらめいた。『実際、どういう値うちがあって、おれは自分と同じ人間を、神の姿に似せて創られた人間を、自分に奉仕させているのだろう?』この疑問が、生れて初めて、余の心を深く貫いたのである。『お母さん、あなたは僕の大事な懐かしい血潮です。ねえ、お母さん、まったく人は誰でもすべてのことについて、すべての人に対して罪があるのです。人はただこのことを知らないだけなのです。もしこれを知ったなら、すぐ天国が出現するでしょうにねえ!』――『ああ、神様、これが本当のことでないでしょうか』と余は泣きながら考えた。『まったくわたくしは、すべての人に対して罪があるのでございます。いや、もしかしたら、誰より一ばん罪が重いかもしれません。世界じゅうで一ばん劣った人間かもしれません!』そのとき忽然として、事の真相が余の胸裏に隈なく照らし出された。一たい余は、これから何をしようとしているのか? 自分に対して何一つ罪のない、善良にして聡明な、高潔なる紳士を殺そうとしているではないか? そうしてこの行為によって、その妻を不幸におとしいれ、非常な苦悶を与えた挙句、ついには殺してしまおうとしているではないか。
 余は床の上へうつ伏しに身を投げだし、枕に顔を埋めたまま、時のたつのも知らずにいた。ふいに同僚の中尉が、二挺のピストルを持って余を誘いに来た。
『ああ、よかった、もう起きてたんだね。もう時間だよ、行こうじゃないか。』
 余は急にうろたえて騒ぎだした。やがて二人は馬車へ乗るべく外へ出た。
『ちょっと待ってくれたまえ』と余は彼に言った。『ちょっと一走り行って来るから、金入れを忘れたんだ。』余は一人で家のほうへとってかえし、アファナーシイの部屋へ駆け込んだ。
『アファナーシイ、おれは昨日お前の顔を二度なぐった。どうかおれを赦してくれ』と言った。
 彼は慴えたように慄えあがって、余の顔を見つめていた、――が、これだけではたらぬように思われたので、ちょうど礼服を着けていたが、そのままふいに、彼の足もとへ身を投じ、額を床《ゆか》につけて『おれを赦してくれ!』と言った。このときは彼もすっかり度胆を抜かれてしまった。
『中尉殿、旦那さま、あなたはまあ、何を……それに、わたくしがそんなことをしていただく値うちが……』突然彼は、先刻の余と同じように泣きだした。両手で顔を蔽いながら、くるりと窓のほうへ向き、せぐり上げる涙に全身を顫わせるのであった。余は同僚のほうへ走って行って、馬車に飛び乗るやいなや、『やれ』と叫んだ。
『おい、君、勝利者を見たかい。』余は友に向って叫んだ。『それはいま君の前にいるんだ!』
 余は何ともいえぬ歓喜を覚えたので、みちみち笑いながら喋って喋って喋り抜いたが、何を喋ったかは、少しも憶えていない。友は余の顔を見て、
『いや、君はまったくえらい、確かに軍服の名誉を保ち得るよ。』
 やがて余らは定めの場所へ到着した。敵手はもうその場にあって余らを待っていた、余らふたりは互いに十二歩の距離をへだてて、別れ別れに立たされた。第一発の権利は相手方に与えられた、――余は愉快そうな顔つきをして、面と面を向け合せながら彼の前に立ち、瞬きもせずに、愛情をこめて彼の顔を見つめていた。余は自分のなすべきことがわかっていた。ついに彼は火蓋を切った。が、僅かに余の頬をかすめて、耳に触ったばかりである。
『ああ、いいあんばいだった』と余は叫んだ。
『人間ひとり殺さないですみました!』こう言って、自分のピストルを取り、くるりとうしろ向きになると、いきなり森の中へ投げ込んでしまった。『そら、そこがお前に相当した場所だ!』それから余は敵のほうへ向きなおって、『あなた、どうぞわたくしを、この愚かな若者を赦して下さい。わたくしは自分が悪いために、かえってあなたを侮辱した上、どうしてもピストルを撃たねばならないように仕向けました。わたくしはあなたより十倍も、いや、あるいはそれ以上劣った人間です。どうかこれをあのお方に、――あなたがこの世の誰よりも尊敬していられる方に伝えて下さい。』
 余がこう言い終るか終らぬかに、三人のものは声を揃えて叫び出した。
『まあ、考えてもごらんなさい』と敵は言った(彼はむしろ腹を立てていたくらいである)。『もし喧嘩をしたくないのなら、どうしてこんな手数をかけたのです?』
『昨日は』と余は答えた。『昨日は、まだ馬鹿だったのですが、今日は少し利口になりました。』余は愉快そうな調子でこう言った。
『昨日のことはわたしも本当にしますが、今日のようなことになると、あなたのご意見だけでは、何とも了察しかねます。』
『まったくです』と余は両手を拍って叫んだ。『わたくしもあなたに同意です、それが当然の報いなのです!』
『一たいあなたは撃つのですか、撃たないのですか?』
『撃ちません。しかしお望みなら、あなたもう一度お撃ちなさい。が、お撃ちにならないほうがいいでしょう。』
 両方の(とくに余のほうの)介添人も喚きだした。
『決闘の場で敵に謝罪するなんて、本当に連隊を穢すというものじゃないか。ええ、こんなことと知ったら!』
 余は彼ら一同の前に立ったまま、もはや笑おうとしなかった。
『皆さん、一たい今の世の中に、自分の愚を後悔して、罪を公衆の面前で謝する人間を見るのが、あなた方にはそれほど奇妙に思われるのですか?』
『しかし、何も決闘の場でしなくとものことじゃないか』と余の介添人はまた叫んだ。
『それはこういうわけなんですよ』と余は一同に向って答えた。『そこが奇妙なところなんですよ。なぜなら、元来わたしはここへ着くとすぐ、相手から火蓋を切らないさきに謝罪して、相手方の人を恐ろしい殺人の罪におとしいれないようにすべきはずだったのです。けれども、われわれはみずから社会組織を極度に醜悪なものとしてしまったために、そういうことをするのはほとんど不可能になったのです。わたしが十二歩の距離をおいて、敵の発射を受けた後、わたしの言葉は初めて世間の人にとって、何らかの意味をおびて来るのです。もしここへ着くとすぐ、相手方から火蓋を切らないさきにそんなことをしたら、世間の人は頭ごなしに、臆病者、ピストルが怖くなったのだ、あんなやつの言うことなど聞くがものはない、と言い捨ててしまうに相違ありません。皆さん。』突然、余はまごころから叫んだ。
『まあ、あたりを見廻して、神様の恵みをごらんなさい。晴れ渡った空、清らかな空気、しなやかな草、小鳥、自然は実に美しく無垢な姿をしているではありませんか。それだのに、われわれは、ただわれわればかりは、愚かにも神を信じないで、人生が楽園だということを知らずにいるのです。実際、われわれが理解する気にさえなれば、楽園はただちに美しい粧いをこらして現出し、われわれは互いに抱き合って泣くようになるのです……』
 余は言葉をつづけようとしたが、できなかった。何かしら甘い、若々しい感激に息がつまるような心持がし、胸には今までかつて経験したことのない幸福感が、充ち溢れるのであった。
『あなたのお言葉には、なかなか道理がある、高潔なものです。』相手は余に向ってこう言った。『何はともあれ、あなたは一風変った人ですねえ。』
『どうか勝手にお笑い下さい』と余も笑いながら、『後になったら、あなたも自分から褒めて下さるでしょう。』
『いや、わたしは今でもお褒めすることをいといません。どうかお手を握らして下さい。なぜって、あなたは本当に真剣らしいですからね。』
『いいえ、今はいけません。このさきわたしがもっと優れた人間になった時、――本当にあなたの尊敬に値するようになった時、そのとき握手をしていただきましょう、そのほうがよろしいです。』
 余らは帰途についた。介添人はみちみち余を罵倒したが、余は彼を接吻するのみであった。同僚たちは早速この出来事を聞きつけて、その日すぐ余を裁くために集合した。『軍服を穢した男だ、退職願いを出させるがよい』と言うものがあると思うと、また余に味方するものも現われて、『それでも敵の発射を受けたではないか。』『それはそうだ、しかし、その次の弾を恐れたものだから、決闘の場で謝罪なんかしたのだ。』すると余の味方はこれに対して、『もし弾が怖かったのなら、謝罪をする前に自分のほうから撃ったはずだ。ところが、事実、彼はちゃんと装填してあるピストルを、森の中へ投げこんでしまったではないか。いや、これには何かまるで別な、一風変った事情があるのだ。』
 余はじっと聞いていた。人々の様子を見ていると愉快になってきた。
『皆さん』と余は言った。『退職願いのことなら、どうぞ心配しないで下さい。わたくしはもう、手続きをすませました。もう今朝ほど、人事局へ願書を提出しました。辞令の下り次第、すぐ僧院へ入ります。わたくしが退職するのもそれがためなのです。』余がこう言いきるやいなや、一同は一人の洩れなしにどっと笑いだした。
『じゃ、はじめから知らせてくれればよかったのに、これですっかり解決がついた。なにしろ坊主を裁判するわけにはいかんからなあ。』人々はなかなか笑いやまなかった。しかし、それは決して冷笑ではなくて、優しい愉快そうな笑い声であった。一同は、最も過激な反対党でさえ、急に余を愛し始めた。辞令が下りるまで、まる一カ月の間というものは、ほとんど余を抱いて歩かないばかりの有様であった。誰でも彼でも『おい、君、坊さん!』などと優しい言葉をかけてくれたが、中には余を惜しんで、志をひるがえすようにと勧めるものもあった。『君は自分で自分をどうしようというのだ?』とか、『いや、この男はわれわれ仲間でも勇敢な男だから、敵の発砲を見事に受けたが、自分のほうから撃つことができなかったわけは、前の晩に坊主になれというお告げを夢に見たからだ。そうなんだよ』などと言った。
 交際社会でもそれと同じことが生じた。以前はとくにこれというほど目をつけてくれたわけでなく、ただ愛想よく迎えたというにすぎなかったが、今は急にみなが争って、余を知ろうとし、自宅へ招待するのであった。人々は笑いながらも余を愛してくれた。ついでに断わっておくが、世間の人は余の決闘のことを公然と話していたけれど、長官はこれを見て見ぬふりをしていた。なぜと言うに、相手のほうが隊の閣下と近しい親戚であったのと、事件が血を見ないで冗談かなんぞのようにすんでしまったのと、それに余が退職願いを出したのとで、本当に冗談ということにしてしまったのである。余は世間の人の嘲笑をも顧みず、公然と恐れげなしに話した。なぜなら、彼らの冷笑は意地わるでなく、善良なものだったからである。こうしたふうの会話はおもに夜会の席、婦人たちのサークルで行われた。当時、婦人たちのほうがよけいに余の話を聞くことを好んで、男子連まで傾聴させるのであった。
『一たいどうしてそんなことが言えるのでしょう。わたしがすべての人に対して罪があるなんて?』とみなは面と向って余にこう言った。『例えば、わたしはあなたに対して罪があるでしょうか?』
『どうしてどうして、あなた方にそんなことがわかってたまるものですか』と余は答えた。『世界ぜんたいが間違った道へ踏みこんで、根もない偽りを真理だと思って、他人からもまた同じような偽りを要求しているんですもの。ところが、わたしが生れて初めて思いきって、誠意をもって行動すれば、どうでしょう、あなた方はわたしをまるで宗教的畸人《ユロージヴァイ》あつかいになさるじゃありませんか。そりゃもちろん、愛しては下さるけれど、しかし、わたしをからかってもいらっしゃるのです。』
『どうしてあなたのような人を愛さずにいられましょう?』と女あるじは余に向って声高に笑った。
 この夜の来客は大勢あった。見ると、とつぜん婦人たちのサークルから、一人の若い美人が席を立った。これこそ余に決闘を申し込ませた女、ついこの間まで余が内心わが妻をもって擬していた当の婦人である。余は彼女がこの夜会へ来たのに、少しも気づかなかったのである。彼女は立ちあがって余に近づき、手をさし伸べながら言った。
『失礼でございますが、わたくしこそあなたのことを笑わない第一の人間だってことを申し述べさせていただきとうございます。それどころか、あの時あなたのなすったことを、涙ながらに感謝いたしました。どうかあなたに対する尊敬の情を現わさして下さいまし。』
 このとき彼女の夫も近寄って来た。つづいて一同が余のそばへ押し寄せて、ほとんど接吻しないばかりの勢いであった。余は何ともいえない悦ばしい気持になったが、そのとき突然、かなりの年輩をした一人の紳士が、みなと同じように余のほうへ近づいて来るのが、誰よりも一ばん目についた。余は以前からこの人の名前を知っていたが、べつに知合いというわけではなかったので、この晩まで一度も彼と言葉を交わしたことがなかった。

[#4字下げ](D) 謎の客[#「(D) 謎の客」は太字]

 それはずっと以前からこの町で勤めをしている人であった。立派な社会上の位置を占め、すべての人から尊敬せられ、かつ慈善家として聞えた金持であった。彼は養育院や孤児院に莫大な金を寄付したのみか、そのうえ匿名で秘密に多くの慈善を施したことが、その死後ことごとく明白になった。年の頃五十ばかり、容貌は厳めしく、口数は少いほうであった。結婚したのはやっと十年ばかり前のことで、夫人はまだ若い女である。二人の間に年のゆかぬ子供が三人いる。ちょうど余が夜会の翌晩、自宅にこもっていると、とつぜん戸が開いて、この紳士が入って来た。
 ちょっと断わっておかねばならぬが、当時余はもう以前と違った宿に住まっていた。辞表を提出すると同時に宿を引き払って、ある老婦人――官吏の後家さんのところに間借りして、その家の女中で身の廻りの用をたしていた。余がこの家へ引っ越したのは、ほかでもない、あの日、決闘から帰って来ると同時に、アファナーシイを中隊へ送り返したからである。あんなことをしたあとで、彼の顔を見るのが恥しかったのだ、――実際、心に準備のできていない俗世の人間は、自分の正しい行いすら、恥じがちなものである。
『わたくしは』と入って来た紳士は言いだした。『もうこのごろ毎日ほうぼうの家であなたのお話を伺って、非常な好奇心を感じましたので、とうとう直接お目にかかって、もっとくわしくお話がしてみたいという希望を起したのでございます。あなたはこの大きな願いをかなえて下さいましょうか?』
『それはわたくしにとって非常に愉快なこと、と申すより、むしろ名誉なくらいでございます』と余は答えたが、自分では何だか気味が悪いようであった。それほど彼の姿は最初から余を驚かしたのである。それまでは、みんな好奇心をいだいて余の話を聞いてはくれたが、これほど真面目な厳めしい心の影をおもてに浮べながら、余に近づいたものは誰ひとりとしてなかったからである。のみならず、この人は自分のほうから余の宿を訪れたではないか。彼は座に着いた。
『わたくしは』と彼は語をついで、『偉大なる精神力をあなたの中に看取することができます。なぜと言うに、あなたはすべての人から、嘲笑を受けねばならぬような事件に処して、敢然と恐れげなしに真理のために奉仕されたからです。』
『あなたの讃辞はあまり誇大されているかもしれません』と余は言った。
『いや、誇大されてはいません』と彼は答えた。『まったくああいう行為を敢行するということは、あなたのお考えになるよりもはるかに困難なことです。実のところ、わたくしはただこのことだけに感心してたので、それでお宅へ伺ったようなわけです。一たい決闘の場で謝罪しようと決心なすったとき、はたしてどんな感じをおいだきになったのでしょうか? もし、このような失礼な質問にご立腹なさらなかったら、そしてもし覚えていらっしゃいましたら、一つ話して聞かせて下さいませんか。どうかわたくしの質問を、軽率な動機から起ったものと思わないで下さい。それどころか、こんな問いを発するについては、わたくし自身も秘密の目的を有しているのです。もし神様が私たち二人をもっと親しく近づけて下さったら、あるいは後日お話しするかもしれません。』
 彼がこう言っている間、余はその目をひたと見つめていた。すると、突然この紳士に対して強い強い信頼の念と、そうして(今度は逆に余のほうから)異常な好奇心を感じた。余はこの人の心中にも何かしらなみなみならぬ秘密かある、ということを直覚したのである。
『わたくしが敵に謝罪した瞬間、どんな感じがしたかというお訊ねですが』と余は答えた。『それよりいっそ、はじめからお話ししたがいいでしょう。これはまだ誰にも話さなかったことなのです』と言って、余は例のアファナーシイとの出来事から、額を地につけて彼に謝罪したことまで、すっかり話して聞かせた。『これだけお話ししたら、ご自身でもおわかりになるでしょうが』と余は言葉を結んだ。『決闘の時には、もう心持がずっと楽でした。なぜと言って、わたくしはもう家で皮切りをしたのですものね。一たんこの道程へ踏み込んだら、それからさきはべつにむずかしいどころじゃない、かえって愉快に楽しく運んでゆきました。』
 聞き終った時、彼は実に気持のいい目つきをして余を眺めた。
『いや、どうも実に面白うございました。わたくしはまた二度も三度もお邪魔にあがります。』
 それ以来、彼はほとんど毎晩のように通い始めた。もし彼が自分のことも話したら、余らはもっともっと親しくなったに相違ない。しかし、彼は自分のことはほとんど一ことも話さないで、いつも余のことばかり根掘り葉掘りしていた。にもかかわらず、余は非常に彼を愛し、心の底から信頼してしまった。『あの人の秘密なぞ聞いて何になる、そんなことをしなくとも、あの人が正しい人間だってことはちゃんとわかっている』と考えたからである。その上に、彼は重要な地位を占めた人ではあるし、年齢からいっても、余とは大変な相違があるにもかかわらず、余のような青二才のところへやって来て、豪も余をあなどる気色がなかった。それに、きわめて聰明な人であったから、余はこの人からいろいろ有益なことを学んだ。
『人生が楽園だってことは』とつぜん彼はこんなことを言いだした。『わたくしも前から考えていました。』それから急にまたこんなこともつけたした。『わたくしはこのことばかり考えているのです。』余の顔を見て微笑し、『わたくしはそれをあなた以上に確信するものです。なぜかってことは、あとでおわかりになりますよ。』
 これを聞いて余は心の中で思った。『この人はきっと何か打ち明けるつもりにちがいない。』
『楽園はおのおのの人に隠されています。現に今わたくしの中にも隠されています。だから、自分でその気にさえなれば、明日にもその楽園が間違いなく訪れて、生涯うしなわれることはないのです。』見ると、彼は感激したようなふうつきで語りながら、何かもの問いたげに、そっと余の顔を見つめている。『そこで』と彼は語をついで、『どんな人でも自分の罪以外、すべての人に対して罪があるというあなたのお考えは、ぜんぜん真実です。ああいうふうに突然、この思想を間然するところなくお掴みになったのは、まったく驚嘆すべきことです。人間がこの思想を了解する時、天の王国は彼らにとって空想でなく、事実において現出するのです。それは真実正確な話です。』
『ああ、それはいつ実現されるでしょう、』余は愁いの調子をおびて、こう叫んだ。『そして、本当にいつか実現する時があるでしょうか? これはただの空想ではないでしょうか?』
『ああ、それじゃ、あなたも信じていらっしゃらないのだ。自分で宣伝しながら、信じていらっしゃらない。よくお聞きなさい、あなたのいわゆるこの空想が必ず実現するということは、お信じになっていいんですよ。しかし、今じゃありません。なぜって、何事にも特殊な法則がありますからね。もともとこれは心理的、精神的な問題ですから、全世界をあらたに改造しようというには、人間自身が心理的に新しい道へ転じなければなりません。人間がすべての人に対して本当に兄弟同様にならないうちは、世界同胞の実現されるはずはありません。どんな科学の力を借りても、またどんな利子をもって釣ったところで、決して人間は不平なしに財産や権利を分配することはできません。常に自分の分けまえの不足を訴え、互いに羨んで滅ぼしあうに相違ありません。あなたは、いつ実現するかとお訊ねになりましたが、実現することはしますけれど、まず最初に人間の孤独[#「孤独」に傍点]時代というものが閉されねばなりません。』
『どんな孤独ですか?』と余は彼に訊いた。
『ほかでもありません、今――ことに現世紀において、到るところに君臨しているようなものです。しかし、この時代はまだなかなか閉されません。まだ終るべき時期が来ないのです。今すべての人はできるだけ自分を切り放そうと努め、自分自身の中に生の充実を味わおうと欲しています。ところで、彼らのあらゆる努力の結果はどうかというと、生の充実どころか、まるで自殺にひとしい状態がおそうて来るのです。なぜと言うに。彼らは自分の本質を十分に究めようとして、かえって極度な孤独におちいっているからです。現代の人はすべて個々の分子に分れてしまって、誰も彼も自分の穴の中に隠れています。誰も彼もお互いに遠く隔てて、姿を隠しあっています。持ち物をかくしあっています。そして、結局、自分で自分を他人から切りはなし、自分で自分から他人を切りはなすのがおちです。ひとりひそかに富を蓄えながら、おれは今こんなに強くなった、こんなに物質上の保証を得たなどと考えていますが、富を蓄えれば蓄えるほど、自殺的無力に沈んでゆくことには、愚かにも気づかないでいるのです。なぜと言うに、われ一人を恃むことに馴れて、一個の分子として全を離れ、他の扶助も人間も人類も、何ものも信じないようにおのれの心に教え込んで、ただただおのれの金やおのれの獲得した権利を失いはせぬかと戦々兢々としているからです。真の生活の保証は決して個々の人間の努力でなく、人類全体の結合に存するものですが、今どこの国でも人間の理性はこの事実を一笑に付して、理解しまいとする傾向を示しています。しかし、この恐ろしい孤独もそのうちに終りを告げて、すべての人が互いに乖離するということが、いかに不自然であるかを理解する、そういった時期が必ず到来するに相違ありません。そういった時代風潮が生じて、人々はいかに長いあいだ闇の中に坐ったまま、光を見ずにいたかを思って、一驚を喫するに相違ありません。その時こそ、人の子の旗が天上高くかかげられるのです……しかし、何といっても、それまでは旗を大切に守らねばならぬ。そうして、まだまだと思っているうちに、たといただ一人であろうとも、宗教的畸人《ユロージヴァイ》のそしりを受けようとも、みずから進んで範を示し、人間の霊魂を孤独の中から相愛的結合の努力の道へ導いてゆくものが出現すべきはずです。それは偉大なる思想を亡ぼさないために必要なのです。』
 こうした歓喜の燃え立つような談話のうちに、二人のよなよなは流れ去ったのである。余は社交界をも棄てて、あまり客間へ顔を出さなくなってしまった。それに、余を招待する流行も下火になりかけていた。これはべつに非難の意味で言うのではない。なぜなれば、人々は依然として余を愛し、愉快な調子で応対してくれたからである。しかし、社交界は事実少からず流行に支配されていた。このことは認めないわけにはゆかない。ついに、余は謎のような訪問者を、歓喜の目をもって眺めるようになった。そのわけは、彼の叡知によって愉楽を得るのみならず、彼が一種の意図をいだいて、何か偉大な苦行を心組んでいるということを、だんだん予感し始めたからである。しかし、余はあからさまに彼の秘密に興味をいだかないで、直接きいたこともなければ、謎をかけたこともない、これが彼の気に入ったのかもしれぬ。が、そのうちに彼自身、何か余に打ち明けたいという望みに悩んでいるのに、余も気がつきだした。少くとも、彼が余を訪問しはじめてから、ほぼひと月ばかりたった頃、それがあまり見えすきすぎるほどになった。
『あなたご存じですか、』あるとき彼はこう訊いた。『町ではわれわれ二人に、非常な好奇の目を向けていますよ。わたしがこんなにたびたびお宅へあがるので、びっくりしてるんです。しかし、うっちゃっといたらいいです。そのうちにすっかりわかりますから[#「そのうちにすっかりわかりますから」に傍点]。』
 時として、ふいに彼は、異常な興奮におそわれることがあった。そんな時は大ていいつも立ちあがって、帰って行くのが常であった。どうかすると、長い間、まるで刺すように余の顔を見つめることがあった。『今に何か言いだすな』と思っていると、急に気を変えて、何かわかりきった世間なみの話を持ちだすのであった。また、彼はしばしば頭痛を訴えるようになった。ところが、ある時、長いこと熱烈な話をしたあとで、急に思いがけなく彼の顔がさっと蒼ざめ、まるでひん曲ったようになってしまった。彼はじっと穴のあくほど、余の顔を見つめるのであった。
『どうしたのです』と余は言った。『気分でも悪いのじゃありませんか?』
 ちょうどその前に、彼は頭痛を訴えたのである。
『わたしは……実はねえ……わたしは……人を殺したのです。』
 こう言って、にやりと笑ったが、そのくせ、顔はさながら白墨のように真っ蒼になっているのであった。なぜこの人は笑っているのだろう、――まだ何を考える暇もないうちに、この想念は突然、余の胸を刺し貫いた。余の顔もさっと蒼ざめた。
『あなたそれは何のことです?』と余は叫んだ。
『おわかりですか、』依然として蒼ざめた微笑をふくみつつ、彼はこう答えた。『わたしは最初の一言を口に出すのに、ずいぶん高い価を払いました。しかし、今はもう本当の道へ出たようです。もう前進すればいいのです。』
 余は長く信じることができなかった。信じはしたけれど、それは一朝一夕のことでなく、彼が三日のあいだ余の住家へ訪れて、一切の事情をくわしく物語って聞かせた後のことである。はじめ余は彼を目して狂者としたが、ついに大いなる悲しみと驚きをもって、事実を確信せざるを得なくなった。
 十四年前、彼はある富裕な婦人、年若く美しい地主の未亡人に対して、恐ろしい大罪を遂行したのである。この婦人はときおり来遊の場合の用意として、この町に自分の家を構えていた。彼はこの未亡人に熱烈なる愛慕を感じたので、とうとう自分の恋を打ち明け、結婚を懇望したのである。しかし、彼女はすでにそのとき別な人に心を許していた。それは官位低からぬある立派な軍人で、当時、行軍中であったけれど、間もなく自分のところへ帰って来るものと、彼女は心待ちにしていた。で、彼の申し込みを拒絶し、今後、自分の家へ出入りしないでくれと頼んだ。出入りはやめたが、彼は女の家の勝手を心得ていたので、ある夜、大胆不敵にも、見とがめられる危険をものともせず、女の家の庭から屋根の上へ攀じ登った。しかし、最も大胆に行われる犯罪は最も成功しやすいものだ、それは世間にもよくある話である。通風口から屋根裏へ忍び込んだ彼は、そこから梯子を伝って、彼女の寝起きしている部屋をさして下りて行った。彼は、梯子の下の戸が召使の不注意によって、ときどき鍵がかからないのを知っていた。今日もこの手落ちを当て込んだのであるが、はたしてそのとおりであった。
 下の部屋へ入り込むと、彼はくら闇の中に燈明の光っている女の寝室をさして進んだ。ちょうど誂えたように二人の小間使は、近所に、――同じ通筋《とおり》に催された命名日の宴会へ、断わりなしにこっそり出かけたあとであった。その他の下女下男は、下の男部屋や、台所で眠っていた。眠れる女の姿を見ると、彼の心中には情欲の焔が燃えたったが、すぐまた復讐と嫉妬にかわく憤怒の念が彼の心をつかんだ。まるで酔っ払いのように前後を忘れて、そばへ寄るやいなやいきなり、ぐさとばかり、ナイフを心臓のただ中へ突っ込んだ。女は声も立て得なかった。それから、鬼のような恐ろしい分別をめぐらして、下男に疑いがかかるように仕向けた。彼は女の紙入れを盗むことを忘れなかった。枕の下から取り出した鍵で箪笥を開け、幾つかの品物を盗みだしたが、それをさもさも無教育な下男がしたことのように拵えた。つまり、貴重な書類はそのままにして、ただ現金だけを取り出したのである。その上、割合にかさ高な金属品を幾つか盗み出しておきながら、その十倍から高価なものではあるが、かさの小さいものには手をつけなかった。それから、自分の記念のために取っておいたものもあるけれど、このことはまたあとで話そう。この恐るべき行為をなしとげてから、彼はもとの道を通って外へ出た。
 次の日、騒ぎの始まった時も、またその後一生涯の間いかなる時も、この本当の兇行者を疑うなどという考えは、誰の頭にも浮ばなかったのである! そればかりか、彼の恋についても、誰ひとり知るものがなかった。いつも無口な性質で、自分の胸中を打ち明けるべき友を持たなかったからである。彼は最後の二週間ばかり、一度も女を訪ねたことがなかったので、人人は彼を単に被害者の知人、それも大して近くない知人くらいにしか思っていなかった。
 嫌疑はただちに農奴の下男ピョートルに落ち、しかもちょうどこの嫌疑を確めるような事実が、幾つも幾つも重なったのである。彼女は、自分の領地からさし出すべき新兵として、この下男を軍隊へ送ろうと思っていた。それはこの下男が独り身でもあったし、品行も悪かったからである。このことは当の下男自身も承知していた(女主人もべつに自分の意向をかくそうとしなかったので)。これに憤慨した彼は、ある居酒屋で酔いにまぎれて、あいつを殺してやると脅し文句を並べたことがある。こんなことも人の耳に入っていた。女主人の横死の三日前、彼は家を逃走して、町うちのどこかに潜伏していた。兇行の翌日、彼は町はずれの路ばたで、死人のように酔い潰れているところを発見された。その際、彼はかくしにナイフを隠し、しかも右手をなぜか血に染めていた。当人は鼻血だと弁解したが、誰も本当にするものがなかった。おまけに小間使らは自分たちが宴会に出かけたので、帰るまでと思って玄関の戸を開け放しにしておいた、と白状した。そのほか、これに類した証跡がいろいろ発見されて、ついに無辜の下男は逮捕された。それからすぐ裁判が始まったが、ちょうど一週間たった時、被告は熱を病んで、意識を失ったまま病院で死んでしまった。それで事件も落着して、その後は神のみむねに任された。で、一同の者は、裁判官も、警察も、社会も、犯人は死んだ下男のほかにないと思い込んでしまった。これから神の罰が始まったのである。
 謎の客、――いや、今はすでに余の親友は、次のように説明して聞かせた。初めのうちはぜんぜん良心の呵責など感じなかった。長いあいだ苦しんだのは事実であるが、原因が別であった。つまり、情欲の火はなおも自分の血の中に燃え残っているのに、愛する女はすでにない、彼女を殺すことによって自分の愛を殺したのだ、といったような苦しみであった。自分の流した無辜の血、人殺しというようなことは、当時ろくろく考えもしなかった。それより自分の殺した女が、もしあのままでおいたら、他人の妻になったのだという想念は、しょせんたえ難いものに思われたので、彼は長いこと、自分の良心に照らしてみて、ああよりほかに仕方がなかったのだと確信していた。
 初めの間、下男の逮捕がいくぶん彼の心を悩ましていたが、急な発病とそれにつづく死亡とは、すっかり彼を安心させてしまった。なぜなら、彼の死因は明らかに逮捕や驚愕のためでなく、逃走の際、死人のように酔い潰れて、一晩じゅう湿った土の上でごろごろしていたとき風邪《かぜ》を引き込んだためだ、とこう彼はその当時判断したのである。盗んだ品物や金などは、あまり彼を当惑させなかった。つまり、彼の考えによると、この盗みは物欲のためでなく、ただ嫌疑を他へ転ずるためにしたことだからである。盗んだ金額は些細なものであったから、間もなくこの金額を、いや、それよりさらに多くの金を、当時この町に建てられた養育院へ寄付した。これは盗みに関して自分の良心を安めるため、わざとしたことなのであるが、不思議にもしばらくの間、というよりもむしろ長い間、彼は本当に安心してしまったのである、――彼は自分で余にこう伝えた。
 それから、彼は大いに勤務のほうへ力をそそぎ始めた。面倒な骨の折れる仕事を、たって自分から引き受けて、二年ばかりそれにかかっていた。そして、元来つよい性格の人であったから、過去の出来事をほとんど忘れてしまった。思い出した時には、頭からそのことを考えないように努めた。彼は慈善のほうにも力を入れ、この町でさまざまな施設や寄付をしたばかりでなく、両首都までも慈善家という名前を知られて、モスクワおよびペテルブルグにおける慈善会の委員に選ばれた。しかし、それでもついに悩ましいもの思いがはじまって、自分の力にかなわなくなってきた。ちょうどそのころ、美しい聡明な一人の令嬢が彼の意にかなって、間もなくその女と結婚してしまった。それは、結婚によって孤独の憂愁を追いのけることもできよう、新しい道程に上って、妻子に対する義務を一心不乱にはたしているうちに、恐ろしい追憶からすっかり遠のくこともできよう、とこう空想したからである。
 しかし、事実はこの期待とぜんぜん正反対であった。もう結婚の最初の月から、『ああ、こうして妻は自分を愛してくれるが、もしあのことを知ったらどうだろう?』という考えが絶えず彼の心を乱すようになった。妻が初めて妊娠して、そのことを彼に知らせた時、彼はとつぜん狼狽した。『おれは命を与えようとしているが、かつて命を奪ったことがあるじゃないか。』やがて、つづいて三人子供が生れた。『どうしておれは子供らを愛したり教えたり、養育したりすることができよう、どうして徳行を説いて聞かせることができよう。おれは人間の血を流したではないか。』子供らが愛らしく成長した時、彼らを撫でてやりたくなる、すると、『おれは彼らの無邪気な、はればれしい顔を見ることができない。おれにはそれだけの値うちがないのだ。』
 ついに自分の犠牲となった血、自分の亡ぼした若い生命が、恐ろしいもの凄い形をおびて、彼の心をおそうようになった。血が復讐を叫び始めたのである。彼は恐ろしい夢にうなされるようになったが、剛健な気性の人であるから、長い間この苦悩をたえ忍んだ。『この秘密の苦悩をもって一切を贖うことができる』と思ったが、この望みもあだであった。時をふるにしたがって、苦痛はいよいよ烈しくなってきた。社会は慈善的な行為のために彼を尊敬しはじめた(もっとも、一同はその厳格で陰欝な性格を恐れていたけれど)。しかし、世間の尊敬が高まるにつれて、彼はなおたえ難くなってきた。余に自白したところによると、ひと思いに自殺しようかと考えたくらいである。けれど、自殺の代りに別な空想が彼の脳裡にひらめいた、――それは初めのうちこそ、気ちがいめいた不可能なことのように思われたが、だんだんと彼の心に食い入って、ついには引き放すことができなくなってしまった。その空想はほかでもない、奮然立って公衆の前へ赴き、自分が人を殺したことを一同に告げようというのである。
 彼はこの空想をいだいたままで三年を過した。その間、この空想はいろいろな形をおびて、絶えず彼の目さきにちらついていた。ついに彼は自己の犯罪を打ち明けた時、はじめて確実に霊魂をいやし、永久に安心を得ることができると、心の底から信じるようになった。が、信じはしたものの、胸の奥に恐怖の念を感じた。どうして実行したらいいだろう? と思い迷っているうちに、余の決闘事件が生じたのである。『あなたを見ているうちに、今やっと決心がついたのです。』
 余は彼の顏を見つめた。『一たいまあ』と余は両手を拍って叫んだ、『あんなつまらない事件が、あなたの心中にそうした決心を生むことができたのでしょうか?』
『わたしの決心はもう三年前から生れていました』と彼は答えた。『あなたの事件はただ衝動となったばかりです。あなたを見ているうちに、わたしは自分を責めてあなたを羨みました。』何となく不興げな色を浮べつつ彼はこう言った。
『しかし、誰もあなたの言うことを本当にする人はないでしょう』と余は注意した。『もう十四年もたったんですからね。』
『確実な証拠を持っていますから、それを提供します。』
 そのとき余は涙を流して彼を接吻した。
『たった一つ、たった一つあなたの決断を仰ぎたいことがあります!』と彼は言った(ちょうど一切のことが余の手で左右されるかのように)。『妻《さい》や子供をどうしましょう! 妻は悲しみのあまりに死んでしまうかもしれません。そして、子供らは士族の籍や、領地を奪われもしないでしょうが、しかし、要するに罪囚の子です、しかも、死ぬまでそうなのです。それに子供らの心にどんな記憶を、本当にどんな記憶を残すことになるでしょう!』
 余は無言でいた。
『え、彼らと別れるべきでしょうか、永久に見捨てるべきでしょうか? え、永久に、永久に!』
 余は無言のままじっと坐って、心の申で祈祷の言葉を囁いていた。ついに余は立ちあがった。何だか恐ろしくなったのである。
『どうです?』彼は余を見上げた。
『いらっしゃい』と余は言った。『行ってみんなに告白なさい。一切は過ぎ去って、真実のみが残るでしょう。お子さんたちも大きくなったら、あなたの決心にどれくらいの大度量があったか、自然と了解されるに相違ありません。』
 彼はそのとき断乎たる決心を採ったようなふうつきで、余のもとを立ち去った。しかし、その後も依然として決心がつかず、二週間ばかりぶっ通しに毎晩やって来ては、いつまでも心の準備にかかっていた。彼は私の心をへとへとに疲らした。どうかすると、決然たる様子でやって来て、感激したようなふうで言いだすこともあった。
『今こそわかりました。わたしのために天国が訪れようとしています。告白と同時に訪れるのです。十四年のあいだ地獄の中で暮しましたが、今こそ本当に苦しみたくなりました。苦痛をわが身に引き受けて、本当の生活を始めます。偽りをもってこの世を過したら、もはや取り返しがつきません。今は自分の同胞ばかりでなく、わが子すらも愛する勇気がなくなりました。ああ、子供らも、私の苦痛がいかなる価を要したかを了解して、私を咎めはしないでしょう! 神は力の中でなく、真理の中にあるのですからねえ。』
『了解しますとも、みんな、あなたの偉大な行為を了解します』と余は言った。『今すぐでなければ、後になって了解します。なぜと言って、あなたは真理に奉仕なすったのですもの、この世のものでない高遠な真理に……』
 で、彼は尉藉を得たかのさまで、余のもとを立ち去るのであった。けれど、翌朝になると、また突然、蒼ざめた毒々しい顔つきでやって来て、嘲るように言いだした。
『わたしがお宅へあがるたびに、あなたは「まだ告白しなかったのか?」といったような、好奇の目を輝かしながら、わたしをごらんになりますな。しかし、もう少しお待ち下さい、そして、あまりわたしを軽蔑しないで下さい。これはあなたのお考えになるほど、なまやさしいことじゃないですからね。もしかしたらもう一生言わないかもしれませんよ。その時あなたわたしを訴人しませんか、え?』
 しかし、余は愚かしい好奇の目を輝かしたことがないばかりか、彼の顔を見るのも恐ろしいくらいであった。余は病気でも起しそうなほど悩みもだえ、心は涙で一ぱいになっていた。夜の眠りさえ失ったのである。
『わたしは今』と彼は語をついだ。『妻《さい》のところからやって来たのです。一たいあなたに妻というものがどんなものだか、おわかりになりますか? わたしが出て来る時、子供らは、「いってらっしゃい、お父さん、早く帰って来てちょうだい、一緒に少年読本を読みましょうね」と喚くじゃありませんか。いや、これはあなたにゃわかりません! 他人の不幸は理解を超越しますからな。』
 彼は目を輝かせ、唇を慄わしていた。と、いきなり拳を固めて、上にのせたものが躍りだすほどテーブルを叩いた。平生は温和な人で、こんなことを見るのは初めてであった。
『一たいそんな必要があるのでしょうか?』と彼は叫んだ。『そんなことをしなくちゃならないのでしょうか? 誰ひとり罪をきせられたわけでもなく、誰ひとりわたしのために懲役にやられたものもないじゃありませんか。あの下男は病気のために死んだのです。ところで、自分の流した血のためには、すでに苦痛をもって罰せられています。それに、わたしの言うことを本当にするものは断じてありません。わたしがどんな証拠を出したって、本当にするものは断じてありません。実際自訴する必要がありましょうか、え? 自分の流した血のためには、一生涯苦しんだっていとやしません。ただ、妻子を悲嘆にくれさせたくないのです。一たい妻子までも自分と一緒に滅ぼすのが正しいことでしょうか? われわれの考えは間違っていないでしょうか? はたして世間は真理を認めて評価してくれるでしょうか、尊敬してくれるでしょうか?』
『ああ!』と余は心の中で考えた。『こんな時に世間の人の尊敬なぞを口にしている!』そのとき余は彼が気の毒でたまらなくなり、その苦しみを減ずるためには、自分で彼と運命をともにしてもいい、とまで思いつめた。見ると、彼は逆上しきったようなふうである。余はこういう決心に対して、いかなる代価を払わなければならないかを、単なる理知のみでなく生ける霊魂で直覚し、慄然としておののいたのである。
『早く運命を決して下さい。』彼はまたこう叫んだ。
『行って自訴なさい』と余は囁いた。息が切れて声が出なかったが、確固たる調子で囁いたのである。やがてテーブルの上から露訳の福音書をとって、ヨハネ伝第十二章二十四節を開けて見せた。
『誠に実になんじらに告げん、一粒の麦地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん。もし死なば、多くの実を結ぶべし。』余は彼の来るちょっと前に、この一節を読んだばかりであった。彼は読んでみて、
『本当です』と言い、苦笑をもらした。『こういう本の中では』やや無言の後、彼はこう言った。『実に何ともいえない恐ろしい文句に出くわすものですよ。しかし、これを人の鼻さきへ突きつけるのはやさしいことです。ところで、これを書いたのは誰です、人間でしょうか?』
『精霊が書いたのです。』
『そんなことを言うのは、あなたにとって何でもないことでしょうよ。』彼はいま一ど薄笑いをもらしたが、今度はさもにくにくしげであった。余はふたたび書物を取って別なところを開き、ヘブル書第十章三十一節を示した。彼は読んでみた。
『生きたる神の手に落つるは恐るべきかな。』
 読み終ると、彼はそのまま本を投げ捨てた。全身わなわなと慄えだしたほどである。
『恐ろしい言葉です』と彼は言った。『一言もありません、よく拾い出しなすった。』彼は椅子から立ちあがった。『じゃ、さよなら、ことによったら、もう来ないかもしれません……天国で会いましょう。「生きたる神の手に落ちて」からもう十四年、――つまりこの十四年は、こういうふうに呼ばるべきなのです。明日はこの手に向って、放して下さいと願いましょうよ。』
 余は彼をかき抱いて接吻したかったが、それをあえてする勇気がなかった。それほど彼の顔は妙に歪んで、重苦しい様子をしていたのである。彼は帰って行った。
『ああ』と余は思った。『あの人は一たいどこへ行ったのだろう?』余はいきなり、どうとばかり聖像の前に跪いて、霊験あらたかな保護者たる聖母マリヤに、彼の身の上を泣いて祈った。余が涙ながら祈っているうちに、三十分ばかりたった。もうだいぶ夜もふけて、かれこれ十二時頃であった。と、急に戸が開いて、またもや彼の姿が現われた。余ははっと思った。
『あなたどこにいたんです?』と訊ねた。
『わたしは、――わたしは何か忘れたような気がするので……ハンカチか何か……いや、忘れはしなかったのですが、ちょっと坐らして下さい……』
 彼は椅子に腰をおろした。余はそのそばに立っていた。『あなたもお坐んなさい』と言うので、余は腰をかけた。こうして二分ばかり坐っていた。彼はじっと穴のあくほど余の顔を見つめていたが、だしぬけににっと笑った。余はこのことを覚えている。それから立ちあがって、しっかりと余を抱きしめながら、接吻するのであった。
『覚えていてくれたまえ、僕が君のとこへ二度目にやって来たということをね。いいかね、覚えていてくれたまえ!』
 彼は初めて余に向って君という言葉を使った。やがて立ち去った。『明日だ』と余は心に思った。
 はたしてそのとおりであった。ちょうど翌日が彼の誕生日に相当していることを、余はその晩すこしも知らなかった。三四日のあいだ一度も外出しなかったから、誰からも聞くわけにゆかなかったのである。この日は毎年、彼のところで大宴会が催され、ほとんど町じゅうこぞって寄り集るのが例になっていた。今年もやはり大勢の客が集った。食事が終ったのち、彼は部屋の真ん中へ進み出た。その手中には一葉の書面があった。これは警察へ宛てた正式の訴状である。ちょうど警察長官がその場に居合せたので、彼は即座にその書状を客一同に向って読み上げた。それには、犯罪の顛末がいとも詳細に記されていたのである!『余はおのれを悪漢として人間社会より弾劾す、余は神の訪れを受けたるをもって、苦しむことを欲するなり』と彼は結んだ。
 それから、彼は即座に、自分の犯罪を証明しようと思って、十四年間保存していた品物を、すっかりテーブルの上へ並べて見せた。それは、嫌疑を他へ転じるために掠め取った金細工の品、被害者の頸からはずした大形のロケットと十字架(ロケットには婚約の夫の写真があった)、手帳、それから最後に二通の手紙であった。一通は婚約の夫が近日中に到着する旨を報じた被害者あての手紙、いま一通は彼女が書きさしにしたまま、あす郵便局へ出そうと思って、テーブルの上へのせておいた返書である。この二通の手紙を、彼は自分の家へ持って帰った、――それは何のためか? その後、証拠品として破棄すべきところを、十四年間も保存したのは何のためであったろう? しかし、ついに次のようなことがもちあがった。一同は恐怖と驚愕に捉われた。誰ひとり信じようとするものがなかった。すべての人はなみなみならぬ好奇心をもって耳をすましたが、それは病人の譫言を聞くような態度であった。二三日たった時にはどの家でも、あの人は可哀そうに気がちがったと決めてしまったのである。
 警察も裁判所も、事件の審理に着手せぬわけにはゆかなかったが、やがて彼らも一時手を引くことにした。提出された物品や書状は一応の考察を強要するけれど、たといこれらの証拠物件が正確なものであろうとも、やはりこれのみを根拠として、有罪を宣告することはできない、とこう議決したのである。のみならず、これらすべての物品も、被害者の知人たる彼が委任によって保管していた、というのもあり得べきことである。もっとも、余の聞いたところによると、証拠物件の出所の正確なことは、その後被害者の知人や縁者の多数によって証明されたので、それについては疑いの余地がなくなったとのことである。しかし、この事件は、ついに裁判所で審理せらるべき運命を持っていなかった。五日ばかりたった時、この不幸な人が発病して、今は命さえ危まれているという噂が、人々の耳に入った。どんな病気にかかったかは、説明することができないが、人の話では脈搏不調とのことである。しかし、間もなく、次の事実がわかってきた。医師たちは夫人の強請によって立会いの上、患者の精神状態を診察したところ、すでに発狂の症状がある、という結論に到達したのである。
 人々が先を争って事情を訊きに来たけれど、余は何一つ打ち明けなかった。しかし、余が彼を見舞いたいと言いだしたとき、人々は(おもに彼の妻であった)長いこと余にそれをさし止めた。『あの人の心を乱したのはあなたです。あの人はとうから沈み勝ちな性質で、ことに去年あたりからは、恐ろしく気持がそわそわして、妙なことばかりするのに誰でも気がついていました。ちょうどそこへあなたがつけ込んで、あの人を台なしにしてしまったのです。これは、あなたが変なことをあの人に吹き込んだのです。まるひと月というもの、あなたのそばにこびりついてたじゃありませんか。』
 それにどうであろう、単に彼の妻ばかりでなく、町じゅうの人がみんな余にくってかかり、余を非難するのであった。『これはみなあなたのせいだ』と言うのである。余は何も言わなかったが、心の中では嬉しくてたまらなかった。なぜなれば、おのれに向って反旗をかかげ、われとわが身を罰した不幸な人に対する疑いなき神の慈愛を看取したからである。とうとう余は彼に面会を許された。彼自身熱心に余と告別を乞うたがためである。入ってみると、すぐ気がついた。彼の命は日数ばかりでなく、時の数まで定められているのであった。彼はもう痩せ衰えて、顔は黄色味をおび、手はぴくぴく顫えて、苦しげに息を切らしていたが、目は感激に充ちて悦ばしそうであった。
『とうとう成就した!』と彼は口をきった。『前から君に会いたくてたまらなかったのに、どうして来てくれなかったね?』
 余は会わしてもらえなかったことを知らせなかった。『神様が僕を憫んでおそばへ呼んで下さるのだ。もう死期の近いことは知っているが、十何年の後に初めて歓喜と、平和を感じることができた。僕は自分のすべきことをはたすやいなや、忽然として心の中に天国が感知せられた。今では平気で自分の子供らを愛することができる。接吻してやることができる。僕の言うことは誰ひとり本当にするものがいない。妻《さい》も、判事も本当にしなかった。だから、子供らも決して本当にしないだろう。これにつけても、子供らに対する神様のお慈悲がわかる。いま死んでも、僕の名は子供らにとって、何の穢れもないものとして残るに相違ない。もう今から神様のおそばに近いことが感じられて、心は天国にあるように浮き浮きしている……本当に務めをはたしたのだ……』
 彼はもうものが言えなかった。はあはあと息を切らしながら、熱く余の手を握りしめ、燃えるような目で余を見つめていた。しかし、余らは長いこと話しているわけにゆかなかった。彼の妻がたえまなしに二人の様子を覗きに来るからである。が、それでも彼はおりを見て余にこう囁いた。
『君、覚えているかね、僕があのとき二度目に君のところへ行ったのを? そればかりか、覚えていたまえと言いつけたじゃないか? あれは何のために行ったのか、君にわかるかね? 実は君を殺しに行ったんだよ!』
 余は思わず慄然とした。
『僕はあのとき君のとこを辞して闇の中へ出た。そして、往来をさまよいながら、自分自身と戦ったのだ。すると、急に君が憎くてたまらなくなって、どうしても我慢ができなかった。「あの男は今おれを縛る唯一の人間だ、おれの裁判官だ。もうあの男が何もかも知っているから、明日はどうしても刑罰をこばむわけにゆかない。」しかし、僕は君の告訴を恐れたのではない(そんなことは考えもしなかった)。ただ、「もしおれが自首しなかったら、どうしておめおめあの男に顔が合されよう?」と考えたのだ。たとえ君がどんな世界の果てにいようとも、生きながらえている間は同じことだ。君が生きていて、すべてを知り、しかも僕を審判するという想念は、僕にとって実にたまらなかった。僕はまるで君が一切の原因であり、一切の罪びとであるかなんぞのように君を憎んだ。で、僕は君の家へとって返した。あの時、君のテーブルの上に、匕首《あいくち》が置いてあったのを覚えていたのだ。僕は腰をかけて、君にもかけるように勧めた。そして、まる一分間考えた。もし僕が君を殺したら、たとえ以前の犯罪を自首しなくても、この殺人罪のために自滅しなければならない。しかし、僕はそのことを少しも考えなかった。またその時は、考えたくもなかったのだ。僕はただ君が憎くてたまらないので、すべてのことに対して君に復讐しようと、一生懸命のぞんでいたのだ。しかし、神様は僕の心中の悪魔を征服された。それにしても、覚えておきたまえ、あの時ほど君が死に近づいていたことは、かつてないのだからね。』
 一週間の後、彼は死んだ。棺は町じゅうの人に墓場まで見送られた。そして、大僧正が感動に充ちた弔辞をのべた。人々は彼の寿命を縮めた恐ろしい病気を嘆き悲しんだ。しかし、野辺送りをすました時、町じゅうの人が余の敵となって、交際場裡へも入れないようになってしまった。もっとも、中には彼の告白の真実を信じる人があった。初めのうちはごく少数であったが、だんだんとその数が多くなってきた。彼らはしきりに余を訪問して、異常な好奇心と歓びをもって、根掘り葉掘り訊ねるのであった。なぜなれば、人間はただしき人の堕落と汚辱を好むものだからである。しかし、余はあくまで口をつぐんでいた。そして、間もなくその町をすっかり引き払って、五カ月の後には神のみ恵みによって、壮麗堅固なる道へ踏みだすことができた、かくまで明らかにこの道を指し示してくれた目に見えぬ指を祝福しながら。ところで、苦しみ多かりし神の下僕《しもべ》ミハイルのことは、今日にいたるまで日ごと祈祷を怠らないでいる。

[#3字下げ]第三 ゾシマ長老の説話と教訓の中より[#「第三 ゾシマ長老の説話と教訓の中より」は中見出し]

[#4字下げ](E) ロシヤの僧侶とその可能なる意義について[#「(E) ロシヤの僧侶とその可能なる意義について」は太字]

 敬愛する諸師よ、僧侶とははたして何者であろう? 現今、文明社会においてこの言葉は、すでに冷笑をもって発しられている。それのみか、中には嘲罵の言葉として取り扱っているものもある。これは時をへるにしたがって次第に烈しくなる。もっとも、悲しいかな、事実、僧侶仲間には多くの徒食者や、肉の奉仕者や、邪淫のやからや、傲慢な無頼漢が交っている。世間の教養ある人々はこの事実を指さして、『お前たちはなまけ者だ、無益な社会の穀つぶしだ、他人の労苦で生きてゆく恥知らずの乞食だ』と言う。しかし、僧侶の中にも、真に謙虚、温順な人たちがたくさんあって、静寂な孤独の中で熱烈な祈りを捧げることを渇望している。世間の人は、あまりこの種の僧侶を指し示さず、ぜんぜん黙殺の態度をとっている。それゆえ、もしこれらの孤独を渇望する謙虚な僧侶の中から、ふたたびロシヤ全土の救いが現われるかもしれぬなどと言ったら、どのように驚くかしれないであろう! いや、まったく彼らは静寂の中にあって、『一|時《とき》より一日、一日より一年』と自己の鍛練をしているのである。今のところ、彼らは孤独の中に閉じ籠って、古い古い昔の祖先、使徒や殉教者たちから伝えられたキリストの輝かしい姿を、いささかも曲げることなくそのままに保存して、時いたらば現世のゆらげる真理の前に、この姿を掲げ示そうとしている。ああ、何という偉大な思想であろう。この星はやがて東の空から輝きだすのである。
 余は僧侶についてこんなふうに考察する。これがはたして偽りであろうか、傲慢であろうか? これを知るには、世間の人の現状を見るがよい。人民の上に君臨している神の世界において、神の姿とその真理が曲げられていないであろうか? 彼らの社会には科学がある。しかし、科学の中には五官に隷属するものよりほか何一つない。人間の貴き一半を形づくっている精神界は、凱歌でも奏するような態度で駆逐されてしまった。いな、むしろ憎悪をもって拒否されたのである。彼らは自由を強調しているが(これは最近にいたってことにはなはだしい)、このいわゆる自由の中に発見し得るものは何であろう。ただ、隷属と自滅にすぎぬではないか! なぜというに、世間の人は、『お前らは欲望を持っているのだから、大いにその満足をはかるがよい。なぜなれば、お前らも貴族や富豪と同等の権利を持っているからだ。欲望は恐るるところなく満足させるばかりでなく、進んで増進すべきだ』と叫んでいる、――これが彼らの教義である。彼らはこの中に自由があると思っている。
 ところで、この欲望増進の権利からいかなる結果が生じたか? ほかでもない、富者にあっては孤独[#「孤独」に傍点]と自滅、貧者においては羨望と殺人である。そのわけは、ただ権利のみを与えて、欲望満足の方法を示さないからである。世間はこんなことを説いている、――世界は時を経るにつれて次第に密接に、四海同胞的まじわりに向って合一されてゆく。つまり人間は距離を短縮したり、空気によって思想を伝達することができるからである、と。おお、決してこのような合一を信じてはならない。人人は自由を目して、欲望の増進と満足というふうに解釈することによって、自分の自然性を不具にしているのだ。それは、自己の中に無数の愚かしい無意味な希望や、習慣や、思いつきを生み出すからである。人々はただ羨望と、肉の奉仕と、倨傲とのためのみに生きている。宴会や訪問や、馬車や官位や、奴隷や下僕《しもべ》を持つということが、彼らにとっては必須なことに思われて、この必要を満足させるためには、自分の生活も品位も愛他心も、ことごとく犠牲にすることを惜しまない。この欲望を満足させることができないために、自殺するものさえ珍しくない。あまり富裕でない人々についても同じように言える。ところが、貧しい人々においては欲望の満足も羨望も、今のところ、飲酒によってまぎらされている。しかし、間もなく、彼らは酒の代りに血をすするようになる。必ずそこへ導かれてゆくにちがいない。試みに訊ねてみるが、これがはたして自由な人であろうか?
 余はある『理想のための戦士』を知っている。この人がみずから余に話したところによると、一ど牢獄で喫煙の自由を奪われた時、極度にこの欲望のために苦しめられ、ただ煙草さえならえるなら、自分の『理想』を売ってもいいとまで考えた、とのことである。こういう連中が、『主義のために戦う』などと言っているのだ。一たいこういう連中がどこへ行って、何をしようというのか? ただ速成的な仕事に向くくらいのもので、長く持ちこたえることはとうていできない。それゆえ、彼らが自由の代りに隷属におちいり、同胞相愛と人類結合に対する奉仕の代りに、乖離と孤独におちいったのは、あえて怪しむにたらぬ(乖離[#「乖離」に傍点]という言葉は余の青年時代に、余の先覚たる謎の客が言ったことである)。かようなわけで、人類に対する奉仕と