『ドストエーフスキイ全集 第12巻 カラマーゾフの兄弟』(1959年、米川正夫訳、河出書房新社)P026-P041

の僧院で長老に逢ったのである。
 それは前に述べたように長老《スクーレッツ》ゾシマである。ここでわが国の僧院における長老とは何ぞや、ということについて一言説明を要するけれど、残念ながら筆者《わたし》はこの方面において、あまり確かな資格がないような気がする。とはいえ、ちょっと手短かに表面的な叙述を試みようと思う。まず第一にしっかりした専門家の説によると、長老とか長老制度とかが、わが国の僧院に現われたのはごく最近のことで、まだ百年もたっていない。しかるに、すべての東方の正教国、ことにシナイとアトスには千年以前からあったとのことである。なお彼らの確説によれば、ロシヤにも古代存在していた、もしくは存在していたはずであるが、ロシヤの国難――韃靼の侵入とか、混沌時代とか、コンスタンチノープル陥落以来、東方との交通断絶とか、そういう事件の結果、わが国におけるこの制度も忘れられて、長老というものも跡を断つに至った。これが復活したのは前世紀の終り頃で、有名な苦行者(世間でそう呼ばれている)の一人パイーシイ・ヴェリチコーフスキイと、その弟子たちの力であった。それからほとんど百年もたつ今日に至っても、ごく僅かな僧院にしかおかれていない。それさえどうかすると、ロシヤでは話にも聞かない新制度として、迫害を受けることがあった。ロシヤにおいてこれがことに隆盛をきたしたのは、カゼーリスカヤ・オープチナのある有名な僧院であった。
 この制度が私たちの町の郊外にある僧院で、いつ誰によって創められたかは、確言することができない。しかし、ここの長老はもはや三代もつづいて、ゾシマはその最後のものである。しかるに、この人が老衰と病気のため、ほとんど死になんなんとしているにもかかわらず、誰を後継者としたらいいかわからなかった。これは僧院にとって重大な問題であった。なぜなら、この僧院にはこれまで何ひとつ有名なものがなかった。聖僧の遺骨もなければ、霊験あらたかな聖像もなく、国史に縁のある面白い伝説もなければ、歴史的勲功とか国家に対する忠勤とかいうものもない。それにもかかわらず、この僧院が隆盛をきたして、ロシヤ全国に名を響かしたのは、とりもなおさずこの長老のおかげであった。彼らを見たり聞いたりするために、ロシヤの全土から多くの巡礼者が、千里を遠しとせず、群をなしてこの町へ集って来るのであった。
 ところで、長老とは何かというに、これは人の霊魂と意志を取って、自分の霊魂と意志に同化させるものである。人は一たんある長老を選み出したら、全然おのれの欲望を断ち、絶対の服従をもって、長老に自分の意志を捧げるのである。願がけをした人は長い苦行ののち自己を征服し、かつ制御する日が来るのを楽しんで、こうした試煉、こうした恐ろしい『人生の学校』を、みずから進んで双肩に担うのである。この生涯の服従を通じて、ついには充実した生活と完全な自由、すなわち自分自身に対する自由に到達する。そして一生涯のあいだ自己を発見することのできない人々と、運命をともにするのを避けることができるのである。この長老制は理論的に創設されたものでなく、現代のものについて言えば、すでに千年来の実験によって編み出されたのである。長老に対する義務は、いつの時代にもわが国の僧院にあった普通の『服従』とは、類を異にしている。ここに認められるものは、服従者の永久の懺悔である、命令者と服従者との間の破ることのできない関係である。例えばこんな話がある。キリスト教の創始時代ある一人の服従者が、長老に命ぜられた何かの義務をはたさないで、僧院を去って、他の国へ赴いた。それはシリヤからエジプトへ行ったのである。そこで長い間いろいろ偉大な苦行をしたが、ついに信仰のために拷問を受け、殉教者として死につくことになった。すでに教会は彼を聖徒と崇めて、その体を葬ろうとしたとき、『許されざるものは出でよ!』([#割り注]祈祷式でこの言葉が発せられた時、キリスト教徒でない者は教会を出るべきものと定まっていた[#割り注終わり])という助祭の声が響き渡ると同時に、とつぜん殉教者の体を納めた棺が、むくむくと動き出して寺の外へけし飛ばされた。これが三度まで繰り返されたのである。その後ようやく、この忍辱の聖徒が服従の誓いを破って、自分の長老のもとを立ち去ったため、たとえ偉大な功業があるにしても、長老の許可なくしては、罪を赦してもらえないということがわかった。で、呼び迎えられた長老が彼の誓いを解いた時、初めてようやく葬式を営むことができたとのことである。
 もちろん、これはほんの昔話であるが、ここに一つ、つい近頃起った事実談がある。一人のロシヤ現代の僧がアトスの地に行いすましていたが、とつぜん長老がその僧に向って、彼が聖地としてまた穏かな避難所として、心底から愛しているアトスの地を棄てて、まず聖地巡礼のためエレサレムへ赴き、その後ロシヤヘ引っ返して、北のはてなるシベリヤへ行けと命じた。『お前のいるべき場所はあちらなのだ、ここではない。』思いがけない悲しみに打ちのめされた僧は、コンスタンチノープルなる最高僧正のもとへ出頭して、自分の服従義務を解いてくれるように哀願した。ところが、最高僧正の答えるには、単に最高僧正たる自分にそれができないばかりでなく、一たん長老にせられた服従命令を解き得る権力は、世界じゅうさがしてもない、いな、あり得ない、それができるのは、服従を課した当の長老ばかりだ、とのことであった。
 こういうわけで、長老は一定の場合において、限りのないほとんど不可解な権力を授けられている。わが国における多くの僧院で、初めのうち長老制度が迫害を蒙ったのは、これがためである。けれども、すぐに長老は民間で、非常な尊敬を受けるようになった。私たちの町の長老のところへも、平民貴人の区別なく押しかけて来たが、それはみな長老の前へ体を投げ出した上、懐疑や罪悪や苦悶を懺悔して、忠言と教訓を乞うためであった。これを見た長老の反対者は、さまざまな非難の叫びを上げ始めた。その非難の一つはこうである。
『長老は懺悔の神秘を自分勝手に、かるがるしく卑しめている。』ところが、聴法者なり普通世間の人なりが、自分の霊魂の内部を長老に打ち明ける際、何ら神秘らしいところはないのである。しかし、結局、長老制度は維持されてきて、次第次第に到るところの僧院へ侵入することになった。もっとも、奴隷の状態から精神的完成と自由とに向かって人間を更生させるこの武器、――千年の経験を積んだこの武器も、場合によっては双刃の兇器となることがある、これは実際の話である。なぜと言って、中には完全な自己制御と忍従へおもむかないで、反対に悪魔のような傲岸、すなわち自由でなくして束縛へ導かれる者がないともかぎらないからである。
 長老ゾシマは今年六十五歳、地主の出であったが、ごく若い時分軍務に服してコーカサスで尉官を勤めたこともある。彼が何かしら一種独得な性格でアリョーシャの心を震撼したのは、疑いもない事実である。アリョーシャは長老の特別な愛を獲て、その庵室に住むことを許された。ちょっと断わっておくが、当時アリョーシャは、僧院に住んでいるといっても、まだ何の拘束もなかったので、どこへでも勝手に、幾日でもぶっ通しに出て行ってかまわなかった。彼が法衣《ころも》を纒っていたのは、僧院の中でほかの人と違ったふうをするのがいやさに、自分の勝手でしていることなのであった。しかし、言うまでもなく、この服装は自分でも気に入ったのである。ことによったら、長老をしっかり取り巻いている名声と力とが、彼の若々しい心に烈しく働きかけたのかもしれない。長老ゾシマについては、多くの人がこんなことを言っていた、――彼のところへは大勢の人が、自分の心中を打ち明けて、霊験のある言葉や、忠言を聞こうという希望に渇しながらやって来る。長老はこういう人たちと永年のあいだ無数に接して、その懺悔や、苦悶や、告白を数限りなく自分の心に納めたので、しまいには、自分のところへ来る未知の人を一目見たばかりで、どんな用事で来たのか、何が必要なのか、いかなる種類の苦悶がその人の良心をさいなんでいるか、というようなことを見抜き得るほど、微妙な洞察力を獲得した。そして、当人がまだ口をきかないさきに、その霊魂の秘密を正確に言いあてて、当人を驚かしたり、きまり悪がらせたり、どうかすると気味悪く感じさせたりするのであった。
 しかし、アリョーシャは、はじめて長老のところへさし向かいで話しに来る多くの人が、大抵みな恐怖と不安の表情で入って行くが、出て行く時には、悦ばしそうな明るい顔つきになっているのに気がついた。実際、恐ろしく沈み込んでいた顔が、僅かの間にさも幸福そうになるのであった。いま一つアリョーシャを感動さしたのは、長老が人と応対するとき決して厳格でないばかりか、かえっていつも愉快そうな顔をしていることであった。彼は、少しでもよけい罪の深い者に同情して、最も罪の深い者を誰より一ばんに愛するのだ、と僧たちは話し合っていた。僧たちの中には、長老の生涯が終りに近づいた時でさえ、彼を憎んだりそねんだりするものがあった。しかし、そんな人は次第に少くなって、あまり悪口をつかなくなった。もっとも、そういう人の中には、僧院でもずいぶん名を知られた有力な人も幾たりかあった。わけてもその中の一人は非常に古参の僧で、偉大な沈黙の行者であり、かつ異常な禁慾家であった。
 しかし、それでも大多数は、すでに疑いもなく長老ゾシマの味方であった。のみならずその中には、心底から熱情を籠めて、彼を愛している者も少くなかった。ある者はもうほとんど狂信的に彼に傾倒していた。こういう人たちは公然にこそ言わないが、長老は聖徒である、それにはいささかの疑いもない、と噂していた。そして、ほどなく長老の逝去を予見しているので、ごく近いうちに僧院にとって偉大な名誉となるような奇蹟が、必ず現われるに相違ないと期待していた。長老の奇蹟的な力はアリョーシャも絶対に信じて疑わなかった。それはちょうど、寺の中からけし飛んだ棺の話を絶対に信じたのと同じ理屈であった。彼は病気の子供や大人の親類などを連れて来て、長老様がその上にちょっと手を載せて、お祈りを言って下さるようにと頼む多くの人を見た。彼らは間もなく(中にはすぐその翌日)やって来て、涙とともに、長老の前に打ち倒れ、病人を全治してもらった礼を述べるのであった。それははたして長老が全治さしたのか、病気が自然の経過をへて快方に向ったのか、――そんな問題はアリョーシャにとって存在しなかった。何となれば、アリョーシャはすっかり師の精神力を信じきって、今の名声をその勝利のしるしかなんぞのように思いなしていたからである。
 ことに、彼が満面照り輝いて胸のときめきをとどめ得なかったのは、長老に会って祝福を受けるためにロシヤの全土から流れ寄って、庵室の門口で待っている平民出の巡礼の群へ、しずしずと長老が姿を現わす時であった。彼らはその前へ打ち倒れて、泣きながらその足に接吻し、その足の踏んでいる土を接吻し、声を上げて慟哭した。また女房どもは彼の方へ子供を差し出したり、病める『|憑かれた女《クリクーシカ》』を連れて来たりする。長老は彼らと言葉を交え、簡単な祈祷を捧げ、祝福をして、彼らを退出させるのであった。最近にいたって病気の発作のため、時とすると、庵室を出ることができないほど弱ってしまうことがあった。そんなとき巡礼者は二日でも三日でも僧院の中で、彼が出て来るのを待ち受けていた。何のために彼らはこれほど長老を愛するのか、なぜ彼らは長老の顔を見るやいなやその前に倒れて有難涙にくれるのか、それはアリョーシャにとって、少しも疑問にならなかった。
 おお、彼はよく知っていた! 常に労役と悲哀、――いな、それよりもなお一層、日常坐臥の生活につき纒う不公平や、自己の罪のみならず、全人類の罪にまで苦しめられているロシヤ民衆の謙虚な魂にとっては、聖物でなければ聖者を得てその前に倒れぬかずきたいというより以上の、強い要求と慰藉はないのである。『よしわれわれに、罪悪や、不義や、誘惑などがあってもかまやしない、地球の上のどこそこには、神聖で高尚な方がおいでになる。あの人は、われわれに代って真理を持っていらっしゃる、真理を知っていらっしゃる、つまり真理は地上に亡びていない証拠だ。してみると、その真理はいつかわれわれにも伝わってきて、神様が約束されたように、地球全体を支配するに相違ない』とこんなふうに民衆は感じている、感じているのみか考えてさえいる。アリョーシャにはそれがよくわかった。そして、長老ゾシマが民衆の考えているのと同じ聖人であり、真理の保管者であるということを毫も疑わなかった。その点において、彼自身もこれらの有難涙にくれる百姓や、子供を長老の方へ差し出す病身な女房などと変りはなかった。
 また長老が永眠の後、この僧院になみなみならぬ名誉を与えるという信念は、僧院内の誰よりも一ばん深く、アリョーシャの心に根ざしていた。それに全体として、このごろ何かしら深刻な焔のような心内の歓喜が、いよいよ烈しく彼の胸に燃え盛るのであった。何といっても、自分の目に見える真理の把持者は、この長老ただ一人にすぎないということも、決して彼を当惑させなかった。
『どっちにしても同じことだ。長老は神聖な人だから、あの人の胸の中には万人に対する更新の秘訣がある。真理を地上に押し立てる偉力がある。それですべての人が神聖になり、互いを愛し得るようになるのだ。そして、貧富高下の差別もなくなって、一同が一様に神の子となる。こうして、ついに神の王国が実現されるのだ。』これがアリョーシャの心に浮ぶ空想であった。
 今までまるで見たことのない二人の兄の帰省は、アリョーシャに強い印象を与えたらしい。長兄ドミートリイのほうとは、同腹の兄イヴァンよりもずっと早く、また深く、知り合うことができた。(そのくせ、長兄のほうが遅れて帰って来たのである)。僕は兄イヴァンの性質《ひととなり》を知ることに非常な興味をいだいたが、その帰省以来ふた月の間に、二人はかなりたびたび一ところに落ち合ったにもかかわらず、いまだにどうしても親しみがつかなかった。アリョーシャ自身も口数が少ない上に、何ものか待ち設けているような、何ものか羞じているような工合であるし、兄イヴァンも初めのうちこそ、アリョーシャの気がつくほど長い間、もの珍しそうな視線をじっと弟にそそいでいたが、やがて間もなく、彼のことを考えてみようともしなくなった。アリョーシャもこれに心づいて幾ぶん間が悪かった。彼は兄の冷淡な態度を二人の年齢、ことに教育の相違に帰したが、また別様にとれないでもなかった。ほかでもない、兄のこうした好奇心や同情の欠乏は、ことによったら、何か自分の少しも知らない、別な事情から生じるのではあるまいか? 彼はなぜかこんな気がしてならなかった、――イヴァンは何かほかのことに心を奪われている、何か重大な心内の出来事に気を取られている、何かある困難な目的に向って努力している。それで、兄は自分のことなど考えている暇がないのだ、これが、自分に対する兄の放心したような態度を説明する、唯一の原因に相違ない。
 アリョーシャはまたこんなことをも考えた、――この態度の中には、自分のような愚かな聴法者に対する学識のある無神論者の軽蔑がまじってはいないだろうか? 彼は兄が無神論者であることをよく承知していた。この軽蔑に対して(もしそれがあるとしても)、彼は腹を立てるわけにはいかなかったが、それでも彼は何か自分にもよくわからない、不安に充ちた当惑の念をいだきながら、兄がもう少し自分の傍へ近寄る気持になるのを待っていた。兄ドミートリイは深い深い尊敬を表わしつつイヴァンのことを批評し、何か特別な見方をもって彼の噂をするのであった。アリョーシャは、この頃二人の兄を目立って密接に結び合した、かの重大な事件の詳しいいきさつを、この長兄の口から聞いたのである。ドミートリイのイヴァンに関する感に堪えたような批評が、アリョーシャに一層面白く感じられたわけがまだほかにある。それは兄ドミートリイはイヴァンにくらべると、ほとんど無教育といっていいくらいで、ふたり一緒に並べてみると、性質としても人格としても、これ以上似寄りのないふたりの人は、想像することができないほど、極端なコントラストをなしていたからである。
 ちょうどこの時分、長老の庵室で乱れきった家族一同の会見、というよりむしろ寄り合いが催された。これがアリョーシャに異常な影響を与えたのである。実際この寄り合いの口実は至極あやしいものであった。当時、相続のことなどに関するドミートリイと父フョードルの不和は、うち捨てておかれないほどの程度に達したらしい。何でもフョードルのほうからまず冗談半分に、ひとつ皆でゾシマ長老の庵室へ集ったらどうだ、という案を持ち出したとかいうことである。それは真正面から長老の仲裁を求めるというわけではないけれども、長老の位置や人物が何か和解的な効果を奏さないともかぎらないから、まあ何とか穏かな話がつきそうなものだ、というのであった。今まで一度も長老を訪ねたことも、顔を見たこともないドミートリイは、もちろん、『長老なんか持ち出して、人を脅しつけようという腹なんだな』と思ったが、このごろ父との争いに際して、あまりたびたび穏かならぬ挙動に出たがるのを、自分でも内々心に咎めていたやさきであるから、彼もその相談にのったのである。ついでに言っておくが、彼はイヴァンのように父の家に暮さないで、町はずれに別居していた。
 ところが、たまたま当時この町に逗留していたミウーソフが、無性にフョードルの思いつきを賛成しだした。四五十年代の自由主義者であり、また自由思想家であり、同時に無神論者たる彼は、退屈ざましのためか、それとも気軽な慰みのためか、とにかくこの事件に非常に肩を入れた。彼は急に僧院や『聖者』が見たくなったのである。例の領地の境界や、河の漁猟権や、森林伐木権や、その他いろいろの事柄に関して、僧院相手の訴訟や争論が引きつづき絶えなかったので、彼は親しく僧院長に会って、何とか事件を平和に終局させるわけにいかないものか、よく話しあってみたいという口実の下に、今度の機会を好奇心の満足に利用しようと思ったのである。こうした立派な意志を持っている来訪者は、僧院でも普通の好事者《こうずしゃ》より一そう注意を払って遇するに相違ない。こうした事情を総合してみると、このごろ病気のために普通の訪問さえ拒絶して、もはや少しも庵室を出なくなった長老に対しても、僧院の内部から何とか都合のいいように口をきいてくれるかもしれない、というつもりだったのである。結局、長老は承諾を与えて、日どりまで決められた。
『わしをあの人たちの仲間へ引き入れようと言いだしたのは、一たい誰だろう?』と彼はアリョーシャに向って笑みを含みながら、こう言ったばかりである。
 会合の話を聞いて、アリョーシャはひどく当惑した。もしこれらの相争える平和な人たちの中で、誰かこの会合を真面目に見る人があるとすれば、それはまさしく兄ドミートリイだけである。その余の人はただ軽薄な、長老にとって侮辱的な目的のためにやって来るのだ、――とこんなふうにアリョーシャは考えた。兄イヴァンとミウーソフは、無作法きわまる好奇心からやって来ようし、父はまた何か道化芝居めいた一幕を演ずるのを当てにしているかもしれない。実際、アリョーシャは口数こそきかないけれど、かなり深く父を見抜いていた。繰り返して言うが、この青年は決して皆の考えるほどおめでたい人間ではなかった。彼は重苦しい心持をいだきながら、その日を待っていた。言うまでもなく彼は心の中で、こうした家庭のごたごたが、どうかして納まってくれればいいと、それのみ気づかっていたのである。とはいえ、彼のおもなる不安は長老の身の上であった。彼は長老の名誉が心配でたまらなかった。長老に加えられる侮辱、ことにミウーソフの婉曲で慇懃な冷笑や、博学なイヴァンの人を見下したような口数の少ない皮肉などが恐ろしかった。彼はこんなことを始終こころに描いて見るのであった。一度などは長老に向って、近いうちにやって来るこれらの人たちのことを、何とか警戒しておこうとまで思ったが、しかし考えなおして口をつぐんだ。ただ会合の前日、彼は知人を通して兄ドミートリイに、自分はあなたを愛している、そしてあなたが約束を実行して下さるのを期待している、と伝言した。
 ドミートリイは何も約束した覚えがないので、いろいろ考えたすえ手紙を送って、『陋劣な言行』を見聞きしても、一生懸命に自分を抑制する、そして自分は長老および弟イヴァンを深く尊敬しているけれど、これは何か自分に対して設けられた罠《わな》か、でなければ、ばかばかしい茶番に相違ないと確信している。『しかしとにかく、自分の舌を噛んでも、お前の尊敬してやまぬ長老に対して礼を欠くようなことはしない』という文句でドミートリイは筆を止めていた。しかし、この手紙もさしてアリョーシャの元気を引き立たせはしなかったのである。
[#改段]

[#1字下げ]第二篇 無作法な会合[#「第二篇 無作法な会合」は大見出し]



[#3字下げ]第一 到着[#「第一 到着」は中見出し]

 いいあんばいに美しく晴れ渡った暖い日和にあたった。それは八月の末のことであった。長老との会見は、昼の祈祷式のすぐ後、すなわち十一時半ごろということにきまっていた。しかし、一同は祈祷式に列しないで、ちょうどその終り頃に到着した。彼らは二台の馬車に乗って来た。一対の高価な馬をつけた先頭のハイカラな幌馬車には、ミウーソフが自分の遠い親戚にあたるピョートル・フォミッチ・カルガーノフという非常に若い、はたちばかりの青年と同乗していた。この青年は、大学へ入る心組みでいるが、ミウーソフは(この人の家に彼は何かの事情で当分寝起きすることになっていた)自分と一緒に外国、――チューリッヒかエナヘ行って、そこの大学を卒業するようにと彼を唆かしている。が、カルガーノフはまだどうとも決しかねているのであった。彼は何となくぼんやりした、ともすればすぐ考え込みがちな性質であった。その顔は感じがよく、体格はしっかりしていて、背はかなり高いほうであった。ときどき目が奇妙に動かなくなることがあった。それはすべて放心家の常として、じっと長いあいだ人の顔を見つめることがあるけれど、そのくせちっとも相手を見ていないからである。彼は黙りがちのほうで、動作が少し無器用であった。しかし、ひょっとするとなぜか急に喋りだして、何がおかしいのか突発的に笑いだすことがあった、――もっとも、それは誰かと二人きりさし向いの時にかぎる。けれど、こうした元気は起り初めと同じように、突然ぱったり消えてしまうのだ。彼はいつも立派な、しかも凝った身なりをしていた。もうなにがしかの独立した財産を持っている上に、まだこのさき、ずっと大きな遺産を相続することになっていた。アリョーシャとは親友であった。
 ミウーソフの馬車からだいぶ遅れて、一対の薔薇色がかった灰色の年寄り馬に曳かれた、いたって古いがたがたの大きな辻馬車に乗って、フョードルが息子のイヴァンとともに近づいて来た。ドミートリイは、きのう時刻も日取りも知らせてやったのに遅刻したのである。一行は、馬車を囲い外の宿泊所で乗り捨てて、徒歩で僧院の門をはいった、フョードルを除くあとの三人は、今まで一度も僧院というものを見たことがないらしい。ミウーソフにいたってはもう三十年ばかり、教会へさえ足踏みしないかもしれぬ。彼は取ってつけたような磊落をつきまぜた好奇の色を浮べて、あたりを見廻していた。しかし僧院の中へ入っても、本堂や庫裏の建築のほか(それもごく平凡なものであった)、彼の観察眼に映ずるものは何一つとしてなかった。本堂のほうからは最後に残った人々が、帽子を取って、十字を切りながら出て来た。民衆の中には、よそから来たらしい比較的上流の人――二三の貴婦人と一人の恐ろしく年とった将軍、――もまじっていた。この人たちは宿泊所に泊っているのであった。乞食どもがさっそく一行を取り巻いたが、誰も施しをする者はなかった。ただペトルーシャ・カルガーノフだけが、金入れから十コペイカ玉を取り出したが、どうしたわけか妙にあわててどぎまぎしながら、大急ぎで一人の女房の手に押し込み、『皆で同じに分けるんだよ』と早口に言った。同行のうち誰一人として、これに対して何も言う者はなかったから、少しもきまり悪がることはないはずだのに、彼はそれに気がつくと、なおどぎまぎしてしまった。
 しかし、合点のいかぬことがあった。ほんとうのところを言うと、僧院では一行を待ち受けるばかりでなく、幾分の尊敬さえ払って出迎えるべきはずであった。一人はついこのあいだ千ルーブリ寄進したばかりだし、いま一人は富裕な地主であると同時に最高の教養を有する人で、訴訟の経過のいかんによっては、川の漁猟権に関して僧院内の人をことごとく左右し得る人物である。ところが、いま公式に彼を出迎える者が一人もいない。ミウーソフは堂のまわりにある墓石をぼんやり見廻しながら、こういう『聖地』に葬られる権利のために、この墓はさぞ高いものについたろうと言おうとしたが、ふいと口をつぐんでしまった。それは罪のない自由主義的な皮肉が、もうほとんど憤懣の念に変りかかっていたからである。
「ちょっ、一たいここでは……このわけのわからんところでは、誰にものを訊ねていいかわかりゃしない。これからまず決めてかからなきゃならん。時間はぐんぐんたってしまうばかりだ。」だしぬけに彼はひとりごとかなんぞのように、こう言った。
 このとき突然一行の傍へ、一人のいいかげんな年をした、少少禿げ気味の男が、だぶだぶした夏外套を着て、甘ったるい目つきをしながら寄って来た。彼はちょっと帽子を持ち上げて、甘えた調子でしきりにしゅっしゅっという音を出しながら、誰ということなしに一同に向って、自分はトゥラ県の地主マクシーモフであると名乗りを上げると、さっそく一行の相談に口を入れるのであった。
「長老ゾシマさまは庵室に暮しておいでなされます。僧院から四百歩ばかりの庵室に閉じ籠っておられます。木立を越すのでござります。木立を越すので……」
「それはわたしも知っておりますよ、木立を越すということはな」とフョードルが答えた。「ところで、わしらは道をはっきり覚えておらんのだて。だいぶ長く来たことがないのでな。」
「ああ、それはこの門を入ってまっすぐに木立を通って……木立を通って……さあ、まいりましょう。もし何なら、わたしもご一緒に……わたくしが、その……さあ、こちらへ、こちらへ……」
 一同は門を抜けて木立の道を進んで行った。マクシーモフは六十くらいの年輩であったが、身ぶるいのつくほど極端な好奇心をもって一行を眺め廻しながら、横っちょのほうから、歩くというよりむしろ走って来るのであった。その目の中には何となく厚かましい表情があった。
「実はね、僕たちがあの長老のところへ行くのは、特別な用事のためなんです」とミウーソフは厳しい調子で彼に注意した。「僕たちはいわば『あの方』に謁見を許されたんだからね、道案内をして下さるのは有難いけれど、一緒にお入りを願うわけにゆかないんですよ。」
「わたくしはまいりました、まいりました、わたくしはもうまいりました…… Un chevalier parfaut!([#割り注]立派な騎士でござります[#割り注終わり])」と地主は空へ向けて指をぱちりと鳴らした。
「騎士《シュヴリエ》って誰のことです?」
「長老さまでございます。世にも珍しい長老さまでございます。あの長老さまは……まったくこの僧院の誉れでござります。ゾシマ様……あの方はまことに……」
 しかし、このだらしない言葉は、ちょうど一行に追いついた一人の僧に遮られた。それは頭巾つきの法衣《ころも》を着た、背の低い、恐ろしく痩せて蒼い顔の僧であった。フョードルとミウーソフは立ちどまった。僧は頭が腰まで下るくらい丁寧な会釈をして言った。
「皆さま、庵室のお話がすみましたら、僧院長が、皆さまにお食事《とき》をさし上げたいと申しておられます。時刻は正一時、それより遅くなりませぬよう、あなたもどうぞ」と彼はマクシーモフに向ってこう言った。
「それは必ずお受けしますよ!」と、フョードルはその招待に恐ろしく恐悦して叫んだ。「間違いなくまいります。実はな、私たちはここにおる間、挙動に気をつける約束をしたんですよ……ところで、ミウーソフさん、あなたもおいでになりますかな?」
「むろん、行かないわけがありませんよ。僕がここへ来たのは、つまり、僧院の習慣をすっかり見るためなんですからね。ただ困るのはつれがあなたなんでね、フョードル・パーヴロヴィッチ……」
「それにドミートリイがまだ来ないですな。」
「さよう、あの男がぶしつけな真似でもしたらなお結構でしょうよ。一たいあなたの家のごたごたが僕にとって、愉快だろうとでも思ってるんですか? おまけにあなたと一緒なんですからね。それじゃお食事《とき》に参上しますからって、僧院長によろしく言って下さい。」彼は僧に向ってこう言った。
「いえ、わたくしはあなた方を長老さまのところまで、ご案内しなくてはなりません」と僧は答えた。
「わたくしは僧院長さまのところへ……そういうことなれば、わたくしはその間に僧院長さまのところへまっすぐにまいりますで」とマクシーモフが囀り始めた。
「僧院長さまはただ今お忙しいのですけれど、しかしあなたのご都合で……」と、僧はしぶりがちに答えた。
「なんてうるさい爺《じじい》だろう。」マクシーモフがまたもとの僧院のほうへ駆け出すやいなや、ミウーソフは口に出してこう言った。
「フォン・ゾン([#割り注]当時世を騒がした殺人事件の被害者、女を餌に魔窟へおびき込まれて殺害された[#割り注終わり])に似てらあ。」突然フョードルがこう言った。
「あなたの知ってるのはそんなことだけですよ………どうしてあの男がフォン・ゾンに似てるんです! あなたは自分でフォン・ゾンを見たことがありますか?」
「写真で見ましたよ。べつに顔つきが似ておるわけじゃないが、どこと言えん似たところがあるんですよ。正真正銘のフォン・ゾンの雛形だ。わしはいつも顔つきを見ただけでそういうことがわかるんでね。」
「大きにね、あなたはこの道の通人だから。ただね、フョードル・パーヴロヴィッチ、あなたがたった今自分でおっしゃったとおり、僕たちは挙動に気をつけるって約束したんですよ、覚えてるでしょう。僕は一応注意しておきますが、気をおつけなさい。あなたが道化の役廻りを演じるのは、かまわないけれど、ぼくはここの人に自分をあなたと同列におかれる気はさらさらないですからね。え、何という人でしょう」と彼は僧の方を振り向いた。「僕は、この人と一緒に身分のある人を訪問するのが、恐ろしくてたまりませんよ。」
 血の気のない蒼ざめた僧の唇には、一種ずるそうな陰をおびた、淡い無言の微笑が浮んだ。けれど、彼は何とも答えなかった。その沈黙が自分の品位を重んずる心から出たものであることは、明瞭すぎるくらいであった。ミウーソフは一そう眉を顰めた。
『ええ、こん畜生、何百年もかかって拵え上げたしかつめらしい顔をしているが、本当のところは詐欺だ、無意味だ!』こういう考えが彼の頭をかすめた。
「ああ、あれが庵室だ、いよいよ着きましたぜ!」とフョードルが叫んだ。「ちゃんと囲いがしてあって門がしまっとる。」
 彼は門の上や、その両側に描いてある聖徒の像に向って、ぎょうさんな十字を切り始めた。
「郷に入れば郷に従えということがあるが」と彼は言いだした。「この庵室の中には二十五人からの聖人《しょうにん》さまが浮世を遁れて、お互いに睨みっこしながらキャベツばかり食べていなさる。そのくせ女は一人もこの門を入ることができん、ここが肝心なところなんですよ。これはまったく本当のことなんですよ。しかし、長老が婦人がたにお会いなさるという話を聞きましたが、それはどういうわけでしょうなあ?」ふいに彼は案内の僧に向ってこう訊いた。
「平民の女性《にょしょう》は、今でもそれ、あすこの廊下の傍に待っております。ところで、上流の貴婦人がたのためには小部屋が二つ、この廊下の中に建て添えてありますが、しかし、囲いそとになっておりますので。それ、あそこに見えておる窓がそうです。長老はご気分のよい時に内部《こちら》の廊下を通って、やはり囲いのそとへ出てから、婦人がたにお会いなさるのでございます。今も一人の貴婦人の方が、ハリコフの地主でホフラコーヴァ夫人という方が、病み衰えた娘さんを連れて待っておられます。たぶんお会いなさるように、約束をなさったのでございましょう。もっとも、このごろ大層ご衰弱で、平民の人たちにもめったにお会いになりませんが。」
「じゃ、何ですか、やっぱり庵室から奥さん方のところへ、抜け穴が作ってあるんですな。いや、なに、あなた、わしが何か妙なことを考えてると思わんで下さい。わしはただ、その……ところで、アトスではご承知でもありましょうが、女性《にょしょう》の訪問が禁制になっとるばかりでなく、どんな生きものでも牝はならん、牝鶏でも、牝の七面鳥でも、牝牛の小さいのでも……」
「フョードル・パーヴロヴィッチ、僕はあなたを一人ここへうっちゃっといて、帰ってしまいますよ。僕がいなかったら、あなたなんぞ両手を取って引っ張り出されっちまう、それは僕が予言しておきますよ。」
「わしが一たいどうしてあなたの邪魔になるんですい、ミウーソフさん? おや、ご覧なさい、」庵室の囲いうちヘー歩踏み込んだ時、彼はだしぬけにこう叫んだ。「ご覧なさい、ここの人たちはまるで薔薇の谷の中に暮しておるんですな!」
 見ると、薔薇の花こそ今はなかったが、めずらしく美しい秋の花が、植えられそうなところは少しも余さず、おびただしく咲き誇っていた。世話をする人は、見受けるところ、なかなかの老練家らしい。花壇はいろいろな堂の囲いうちにも、墓と墓の間にもしつらえてあった。長老の庵室になっている小さな木造の平家も、同様に花を植えめぐらしてある。家の入口の前には廊下があった。
「これは前長老のヴァルソノーフィ様の時分からあったんですかな? あの方は優美なことが大嫌いで、貴婦人たちにさえ跳りかかって杖でぶたれたとかいう話ですが」とフョードルは正面の階段を昇りながら言った。
「ヴァルソノーフィ長老はまったく時として、宗教的畸人《ユロージヴァイ》のように見えることがありましたが、人の話にはずいぶん馬鹿げたことも多うございます。ことに杖で人をぶたれたことなぞは一度もありません」と僧は答えた。「ちょっと皆さんお待ち下さいませ、ただいま皆さんのおいでを知らせてまいりますから。」
「フョードル・パーヴロヴィッチ、これが最後の約束ですよ、いいですか。本当に言行に気をつけて下さい、それでないと僕も考えがありますからね。」ミウーソフはその間にまたこう囁いた。
「いかなれば君はかかる偉大なる興奮を感じたもうやらむ、どうもさっぱり合点がいきませんなあ」とフョードルはおひゃらかすように言った。「それとも、身の罪のほどが恐ろしいんですかな? 何でも長老は人の目つきを見ただけで、どんな罪を持っているかということを知るそうですからな。しかし、あなたのようなちゃきちゃきのパリっ子で、第一流の紳士が、どうしてそんなに坊主どもの思わくを恐れるんでしょう。わしはびっくりしてしまいましたぜ、まったく!」
 ミウーソフがこの皮肉に対して答える暇のないうちに、一同は内部へ招じられた。彼は幾分いらいらした気味で入って行った……
『もう前からちゃんとわかってる、おれは癇癪を起して、喧嘩をおっぱじめる……そして、のぼせてしまって、自分も自分の思想も卑下するくらいがおちだ』という考えが彼の頭にひらめいた。

[#3字下げ]第二 老いたる道化[#「第二 老いたる道化」は中見出し]

 彼らが中へはいったのは、長老が自分の寝室から出て来るのと、ほとんど同時であった。庵室では一行に先立って二人の僧が、長老の出て来るのを待っていた。一人は図書がかりで、いま一人は博学の噂の高い、さして年寄りでもないけれど病身な、パイーシイという僧であった。そのほかにもう一人、片隅に立っている若い男があった(この男は、それから後もずっと立ち通しであった。見たところ二十二くらいの年恰好で、普通のフロックコートを着ている。これはどういうわけか、僧院と僧侶団から保護を受けている神学校卒業生で、未来の神学者なのであった。彼はかなり背の高いほうで、色つやのいい顔は頬骨が広く、利口そうな注意ぶかい目は小さくて鳶色をしている。その顔にはきわめてうやうやしい表情が浮んでいるが、それはきわめて礼儀にかなったもので、少しも卑屈らしいところが見えない。入り来る客たちに対しても、彼は会釈しようともしない。それはまるで、自分が人の指揮監督を受ける身分で、対等の人間でないことを自覚しているようなふうであった。
 長老ゾシマはアリョーシャといま一人の聴法者に伴われて来た。僧たちは立ちあがって、指が床に届くほど深い会釈をもって彼を迎えた。それから、長老の祝福を受けると、その手を接吻するのであった。二人の僧を祝福し終ると、長老も同じく指が床に届くくらい一人一人に会釈を返して、こちらからも一々祝福を求めた。これらの礼式はまるで毎日しきたりの型のようでなく、非常に荘重で、ほとんど一種の感激さえ伴っていた。しかし、ミウーソフには一切のことが、わざとらしい思わせぶりのように見えた。彼は一緒に入った仲間のまっ先に立っていたから、よし自分がどんな思想を抱いているにもせよ、ただ礼儀のためとしても(ここではそういう習慣なのだから)、長老の傍へ寄って祝福を乞わねばならぬ、手を接吻しないまでも、せめて祝福を乞うくらいのことはしなくちゃならない、――これは彼が昨夜から考えていたことなのである。ところが、今いたるところで僧たちの妙な会釈や接吻を見ると、彼はたちまち決心をひるがえしてしまった。そして、ものものしく真面目くさって、ふつう世間風の会釈をすると、そのまま、椅子のほうへ退いた。フョードルもそのとおりをした。彼は今度は猿のようにミウーソフの真似をしたのである。イヴァンも非常にものものしい真面目な会釈をしたが、やはり気をつけの姿勢であった。カルガーノフはすっかりまごついてしまって、まるっきり礼をしなかった。長老は祝福のために上げた手をおろし、ふたたび一同に会釈をして着座を乞うた。くれないがアリョーシャの頬に昇った。彼は羞しくてたまらなかった。不吉な予感は事実となって現われ始めたのである。
 長老は革張りの、恐ろしく旧式なマホガニイの長椅子に腰をおろし、二人の僧を除く一同の客を、反対の壁ぎわに据えてある、黒い革のひどくすれた、四脚のマホガニイの椅子に並んですわらした。二人の僧は両側に、――一人は戸の傍に、いま一人は窓の傍に座を占めた。神学生とアリョーシャと、それからいま一人の聴法者は立ったままであった。庵室ぜんたいは非常に狭く、何だか、だらけたような工合であった。椅子テーブルその他の道具は粗末で貧しく、もう本当になくてならないものばかりであった。鉢植えの花が窓の上に二つと、それから部屋の片隅にたくさんな聖像が並んでいる――その中の一つは大きな聖母の像で、どうやら教会分裂([#割り注]十七世紀から十八世紀へかけて生じた[#割り注終わり])よりだいぶ前に描かれたものらしい、その前には燈明が静かに燃えている。傍には金色燦たる袈裟を着けた聖像が二つ、またそのまわりには作り物の小天使やら、瀬戸物の卵やら、『|嘆ける聖母《マーテル・ドロローサ》』に抱かれた象牙製のカトリック式十字架やら、古いイタリアの名匠の石版画などが幾枚かあった。これらの優美で高価な石版画のほかに、聖徒や殉教者や僧正などを描いた、思いきり幼稚なロシヤ出来の石版画、――どこの市場でも二コペイカか三コペイカで売っているようなのが、れいれいしく掲げてある。そのほか現在過去のロシヤ主教の石版肖像画も少々あったが、それはもう別な壁であった。ミウーソフはこういう『紋切り型』にざっと一通り目を通してから、執拗な視線を長老に向けて、食い入るように見つめた。彼は自分の観察眼を尊重する弱点を持っていた。もっとも、これは彼の五十という年を勘定に入れると、大抵ゆるすことのできる欠点である。実際この年輩になると、賢い、世馴れた、暮しに不自由のない人は、誰でもだんだん自分を敬うようになるのである。時とすると無意識に、そうなることもある。
 最初の瞬間からして、彼は長老が気に入らなかった。実際、長老の顔には、ミウーゾフばかりでなく、多くの人の気に入らないだろうと思われるところがたくさんあった。それは腰の曲った非常に足の弱い背の低い人で、やっと六十五にしかならないのに、ずっと、少くとも十くらい老けて見える。顔はすっかり萎びて小皺に埋れている。ことに目の辺が一番ひどい。小さな目は薄色のほうであるが、まるで輝かしい二つの点のようにぎらぎら光りながら、非常にはやく動く。胡麻塩の毛はこめかみのあたりに少々残っているだけで、頤鬚はまばらで楔《くさび》型をしている。よく笑みを含む唇は、二本の紐かなんぞのように細い。鼻は長いというより、鳥の嘴のように尖っている。
『すべての徴候に照らしてみても、意地わるで、浅薄で、高慢な老爺《おやじ》だ』という考えがミウーソフの頭をかすめた。概して、彼はすこぶる不機嫌であった。
 時を打ち出した時計の音が話の糸口となった。錘《おもり》のついた安物の小さな掛時計が、せかせかした調子で、ちょうど十二時を報じた。
「ちょうどきっちり約束の時刻でございます」とフョードルが叫んだ。「ところが、息子のドミートリイはまだまいりません。わたくしがあれに代ってお詫びを申します、神聖なる長老さま!(この『神聖なる長老さま』でアリョ-シャは思わずぎっくりした。)しかし当のわたくしはいつも几帳面で、一分と違えたことがございません、正確は王侯の礼儀なりということをよく覚えておりますので。」
「だが、少くとも、あなたは王侯じゃない。」すぐ我慢ができなくなって、ミウーソフがこう言った。
「さよう、まったくそのとおり、王侯じゃありません。それに、なんと、ミウーソフさん、わしも自分でそれくらいのことは知っておりましたよ。まったくですぜ! ところで、長老さま、いつもわたくしはとってもつかん時に、妙なことを言いだすのでございます!」どうしたのか急に感にたえたような調子で、彼は叫んだ。「ご覧のとおり、わたくしは間違いなしの道化でございます! もうかまわず名乗りを上げてしまいます。情けないことに、昔からの癖でございます! しかし、ときどきとってもつかんことを言うのは、当てあってのことでございます。人を笑わして愉快な人間になろう、という当てがあるのでございます。まったく愉快な人間になる必要がありますからなあ、そうじゃありませんか? 七年ばかり前、ある町へ出向いたことがございます、ちょっとした用事がありましたのでな。そこでわたくしは幾人かの商人どもと仲間を組んで、警察署長《イスプラーヴニック》のところへまいりました。それはちょっと依頼の筋があったので、食事に招待しようという寸法だったのでございます。出て来るのを見ると、その署長というのは、白っぽい頭をした肥った気むずかしそうな仁《じん》で、――つまり、こんな場合一番けんのんな代物なのでございます。なぜと申して、癇癪がひどいのですよ、癇癪が……わたくしはその傍へずかずかと寄って、世馴れた人らしいくだけた調子で、『署長《イスプラーヴニック》さん、どうかその、われわれのナプラーヴニック([#割り注]一八三七年生れ、作曲家であり同時に文学者であった[#割り注終わり])になって下さいまし』とやったものです。『一たい、ナプラーヴニックとは何ですか?』わたくしはもうその瞬間に、こいつはしまった、と思いました。真面目な顔をして突っ立ったまま、じっと人の顔を見つめてるじゃありませんか。『わたくしは一座を浮き立たすために、ちょっと冗談を言ったのでございますよ。つまり、ナプラーヴニック氏は有名なロシヤの音楽指揮長でしょう。ところが、われわれの事業のハーモニイのためにも、音楽指揮長のようなものが必要なんで。』なかなかうまく理屈をひねくって、こじつけたでしょう、そうじゃありませんか?『ご免蒙ります、わしは警察署長《イスプラーヴニック》です、自分の官職を地口にするのは許すわけにいきません』と言ったと思うと、くるりと向きを変えて、出て行こうとします。わたくしはその後から、『そうです、そうです、あなたは警察署長《イスプラーヴニック》で、ナプラーヴニックじゃありません!』と呶鳴りましたが、『いいや、一たん言われた以上、わしはナプラーヴェックです。』どうでしょう、これですっかりわたくしどもの仕事はおじゃんになってしまいました! いつもこうなのです。きまってこうなのです! わたくしはいつもきまって、自分の愛嬌で損ばかりしておるのでございます。ずうっと以前、ある一人の勢力家に向って、『あなたの奥さんは擽ったがりのご婦人ですな』と言ったのです。つまり、名誉のほうにかけて神経過敏なと言うつもりだったのでございます、その、心の性質をさしたものなので。ところが、その人はいきなり、『じゃ、あなたは妻《さい》を擽ったんですか?』と訊きました。わたくしはどうしたものか、つい我慢ができなくなって、まあお愛嬌のつもりで、『はい擽りました』とやったのです。ところが、その人はさっそくわたくしをいいあんばいに擽ってくれましたよ……それはずっと昔のことなので、もう話しても、さほど恥しくないのでございます。こういうふうに、わたくしは一生涯、自分の損になることばっかりしておるのでございます。」
「あなたは今もそれをしてるんですよ。」ミウーソフは穢らわしいという様子でこう言った。
 長老は無言で二人を見くらべていた。
「そうですかね! ところが、どうでしょう、ミウーソフさん、私は口をきると一緒にそのことを感じましたよ。それどころか、あんたが一番にそれを注意なさる、ということまで感じておりましたよ。長老さま、わたくしは自分の洒落がうまくいかないと思ったその途端に、両の頬が下の歯齦に乾きついて、身うちが引っ吊ってくるような気がするのでございます。これはまだわたくしが若い時、貴族の家へ転げ込んで、居候でその日のパンにありついておった頃からの癖でございます。わたくしは根から生れつきの道化で、いわばまあ気ちがいでございますな。わたくしの体の中には悪魔が棲み込んどるに相違ありません。もっとも、あまり大した代物じゃありますまいよ。なぜと申して、少し豪い悪魔なら、もっとほかの宿を選びそうなものですからなあ。しかし、ミウーソフさん、あんたじゃありませんぜ、あんたの宿はあまり大したものじゃないから。けれども、その代りわたくしは信じます、神さまを信じます、ついこの間から疑いを起したのでございますが、その代り今ではじっと坐って、偉大なる言葉を待っております。長老さま、わたくしはちょうど哲学者のディドローみたいでございます。あなたさまは哲学者のディドローが、エカチェリーナ女帝のみ世に、大僧正プラトンのところへまいった話をご存じでございますか。はいるといきなり、『神はない!』と申しました。すると大僧正は指を天へ向けてこう答えられました。『狂えるものはおのが心に神なしと言う!』こちらはいきなり、がばとその足もとへ身を投げて、『信じます、そして洗礼も受けます』と叫んだのでございます。そこで、すぐさま洗礼を受けましたが、ダーシュコヴァ公爵夫人が教母、ポチョームキンが教父……」
「フョードルさん、もう聞いていられない! あなたは自分で、でたらめを言ってることを知ってるんでしょう。そのばかばかしい話は真っ赤な嘘です。一たいあなたは、何のために妙な真似ばかりするんです?」ミウーソフはもうてんで自分を抑えようとしないで、声を顫わしながらこう言った。
「それは一生感じておりましたよ、まったく嘘です!」とフョードルは夢中になって叫んだ。「皆さん、その代りわたくしは正真正銘、間違いのないとこを申します。長老さま! どうぞお赦し下さいませ、一番おしまいに申しましたことは、あのディドローの洗礼のお話は、わたくしがたったいま自分で作ったのでございます。いまお話しているうちに考え出したので、以前は頭へ浮んだこともありません。つまり、ぴりっとした味をつけるために、作り出したのでございます。ミウーソフさん、わしが妙な真似をするのは、ただ愛嬌者になりたいからですよ。もっとも、ときどき自分でも何のためかわからんことがありますがね、ところで、ディドローのことですな、あの『心狂える者は』というやつは、わしがまだ居候をしていた年若な時分に、ここの地主だちから、ものの二十度ばかりも聞かされたんですよ。あんたの伯母ごのマーヴラ・フォミーニチナからも、何かの話の中に聞いたことがありますぜ。あの手合いは、無神論ディドローが神さまの議論をしにプラトン大僧正のところへ行ったことを、いまだに信じておるのですよ……」
 ミウーソフは立ちあがった。それは単に我慢しきれなくなったためばかりでなく、前後を忘れてしまったからである。彼はもの狂おしい怒りに駆られていたが、そのために自分までが滑稽に見えることも自覚していた。実際、庵室の中には、何かしらほとんどあり得べからざるようなことが生じたのである。この庵室へは、前々代の長老の時から、もう四五十年のあいだ、毎日来訪者が集って来たが、それはすべて、深い敬虔の念を抱いて来るものばかりであった。この庵室へ通される人は、誰でも非常な恩恵を与えられたような心持で、ここへ入って来るのであった。多くのものは初めからしまいまで、一たん突いた膝を上げることができなかった。単なる好奇心か、あるいはその他の動機によって訪ねて来る上流の人々や、第一流の学者のみならず、過激な思想をいだいた人たちでさえも、ほかの者と一緒かまたはさし向いの対談を許されて庵室の中へ入って来ると、すべて一人の例外もなく、初めから終りまで深い尊敬を示し礼儀を守るのを、第一の義務と心得ていたものである。その上、ここでは金というものは少しも問題にならないで、一方の側からは愛と慈悲、いま一方の側からは悔悟と渇望、自分の心霊生活の困難な問題、もしくは困難な瞬間を解決しようという渇望、――こういうものが存在するばかりであった。
 それゆえ、今のフョードルの場所柄をわきまえぬ傍若無人なふざけた態度は、同席の人々、少くともその中のある者に、怪訝《かいが》と驚愕の念を惹き起した。二人の僧はそれでも一向顔色を変えないで、長老が何と言うだろうかと、真面目な態度で注視していたが、やはりミウーソフと同じように、もはや座にたえない様子であった。アリョーシャは今にも泣きだしたいような風つきで、こうべを垂れながら立っていた。何より不思議なのは兄イヴァンである。彼は父に対してかなり勢力を持っている唯一の人であるから、今にも父の無作法を制止してくれるかと、そればかりアリョーシャは当てにしているのに、彼は目を伏せたまま、身動きもしないで椅子に腰かけている。そして、この事件に何の関係もない他人のように、一種好奇の色を浮べながら、事件がどんなふうに落着するかと待ち設けているかのようであった。ラキーチン(神学生)のほうをも、アリョーシャは振り向くことができなかった。この男はやはり彼の知り合いで、ほとんど親友と言ってもいいほどの間柄であるから、その腹の中もよくわかっていた(もっとも、それがわかるのは僧院じゅうでアリョーシャ一人きりであった)。
「どうぞお赦し下さい」とミウーソフは長老に向って口をきった。「ことによったら、わたくしもこの悪い洒落の共謀人のように、あなたのお目に映るかもしれませんが、カラマーゾフ氏のような人でさえ、こういう尊敬すべきお方を訪問する時には、自分の尽すべき義務をわきまえることと信じたのが、わたくしの考え違いでございました……わたくしはまさかこの人と一緒に来たことで、お赦しを乞うようなことになろうとは思いませんでした……」
 彼はしまいまで言わないうちにまごついてしまって、もうさっさと出て行きそうにした。
「ご心配なされますな、お願いですじゃ。」とつぜん長老はひ弱い足を伸ばして席を立ち、ふたたび彼を肘椅子に坐らした。「落ちついて下され、お願いですじゃ。ことにあなたには、別してわしの客となってもらいとうござりますでな」と彼は会釈とともに向きを変えて、ふたたび自分の長椅子に腰をおろした。