『ドストエーフスキイ全集10 悪霊 下』(1970年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)のP145-192

いては、きみはぜんぜん安心して可なりです、――密告などしやしません」 彼はくるりとくびすを転じて、すたすた歩き出した。 「畜生、あいつ途中であの連中に会って、シャートフに告げ口をするに相違ない!」とピョートルは叫んで、いきなりピストルをつかみ…

『ドストエーフスキイ全集10 悪霊 下』(1970年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)のP097-144

の思いに沈めるのであった。リプーチンはとうとう彼が憎くてたまらなくなって、どうしてもその顔から目が放せないほどだった。それは一種の神経的発作ともいうべきものであった。彼は相手の口ヘほうり込むビフテキのきれを、一つ一つ数えながら、その口がぱ…

『ドストエーフスキイ全集10 悪霊 下』(1970年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)のP049-096

へ投げかけた。その露骨な刺すような光は、これらの人々のびくびくした様子にあまりにも不調和な感じを与えるのであった。 「その様子がわたしの胸へぐっと来ましたの。そのとき初めて、わたしもレムブケーのことを感づくようになりました」とユリヤ夫人は後…

『ドストエーフスキイ全集10 悪霊 下』(1970年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)のP005-048

[#1字下げ]第三編[#「第三編」は大見出し] [#3字下げ]第1章 祭――第一部[#「第1章 祭――第一部」は中見出し] [#6字下げ]1[#「1」は小見出し] 祭はシュピグーリン騒ぎの日の、さまざまな奇怪な出来事にも妨げられず、いよいよ開催され…

『ドストエーフスキイ全集9 悪霊 上』(1970年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)のP433-P474

結果の……どうやらわたしはいま広場できみを見受けたようですな。しかし、恐れたまえ。きみ、恐れたまえ。きみの思想の傾向はちゃんとわかっている。よろしいか、わたしはこのことを含んでおくから。わたしはね、きみ、きみの講演なぞさし許すわけにはいかん…

『ドストエーフスキイ全集9 悪霊 上』(1970年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)のP385-P432

て、何がわかるものですか」 「なあに、われわれ自身でさえ、なんのことだかわからないんじゃないか」とだれかの声がつぶやいた。 「いいえね、わたしがいうのは、要心はいつでも大切だということです。万一、密偵なんかのあった場合を思いましてね」と、彼…

『ドストエーフスキイ全集9 悪霊 上』(1970年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)のP337-P384

よ。ところが、それがかえっていけないんです。読者は依然としておめでたいんですから、賢明なる人士は彼らに衝動を与えてやるべきじゃありませんか。それだのに、あなたは……いや、しかし、もうたくさんです、失礼しました。これを根に持って怒らないように…

『ドストエーフスキイ全集9 悪霊 上』(1970年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)のP289-P336

ど、その花々しい政治的活動も、あまねく知れわたっていた。ところが、こんど急にニコライが、K伯爵令嬢の一人と婚約したという噂を、疑う余地もない事実のように世間でいい出した。そのくせ、こういう噂の起こった正確な動機は、だれひとり説明ができなかっ…

『ドストエーフスキイ全集9 悪霊 上』(1970年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)のP241-P288

いのキリーロフの胸に、毒を注ぎ込んでいたのです……きみはあの男の心に虚偽と讒誣とを植えつけて、理知を狂わしてしまったのです……まあ、行って、今のあの男の様子をご覧なさい。あれがきみの創造物です……もっとも、きみはもう見たんでしょうね」 「ぼくは断…

『ドストエーフスキイ全集9 悪霊 上』(1970年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)のP193-P240

リーザの世話を焼きながら、自分でもその傍へ並んで腰をかけた。ちょうどからだの明いたピョートルはすぐさまそのほうへ飛んで行って、早口に面白そうにしゃべり出した。この時ニコライは例のゆったりした足どりで、とうとうダーリヤの傍へ近寄った。ダーシ…

『ドストエーフスキイ全集9 悪霊 上』(1970年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)のP145-P192

た。「シャートフ、おい兄弟![#ここから2字下げ] われは来りぬ汝《な》がもとに 日の昇りしを告げんため もーゆーるがごときかがやきの 木々に……慄うを語るため わが目ざめしを(こん畜生!)小枝の下に わが目ーざーめしを語るため [#ここで字下げ終…

『ドストエーフスキイ全集9 悪霊 上』(1970年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)のP097-P144

「きみの話があんまり意外なもんだから……」とスチェパン氏はへどもどした調子でいった。「わたしはどうも本当にならんよ……」 「まあ、待ってください、待ってください」と、まるで相手の言葉も耳に入らないようなふうで、リプーチンはさえぎった。「まあ、こ…

『ドストエーフスキイ全集9 悪霊 上』(1970年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)のP049-P096

なった。知事は優しい、感じやすい人であったから、非常にばつの悪い思いをした。しかし、ここに面白いことは、ああいう処置を取った以上、彼もニコライが完全な判断力を持っているにもせよ、どんな気ちがいじみたことをやりだすかわからない人間だ、と考え…

『ドストエーフスキイ全集9 悪霊 上』(1970年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)のP005-P048

悪霊 Бесы ドストエーフスキイ 米川正夫訳 - 【テキスト中に現れる記号について】《》:ルビ (例)曠野《あらの》|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)二|節《せつ》[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (数字は、JIS X 0…

『アンナ・カレーニナ』8-11~8-19(『世界文學大系37 トルストイ』1958年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)

[#5字下げ]一一[#「一一」は中見出し] コズヌイシェフがポクローフスコエ村へ到着したときは、レーヴィンにとって最も悩ましい日の一つであった。 それは農村において、最も繁忙をきわめる労働期で、百姓ぜんたいが、他のいかなる生活条件にも示すこ…

『アンナ・カレーニナ』8-01~8-10(『世界文學大系37 トルストイ』1958年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)

[#2字下げ]第八編[#「第八編」は大見出し] [#5字下げ]一[#「一」は中見出し] かれこれ二ヵ月たった。もう暑い夏の半ばであったが、コズヌイシェフはやっと今ごろ、モスクワを去るしたくをととのえたばかりである。 コズヌイシェフの生活には、…

『アンナ・カレーニナ』7-21~7-31(『世界文學大系37 トルストイ』1958年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)

[#5字下げ]二一[#「二一」は中見出し] バルトニャンスキイのところで、すばらしい晩餐をごちそうになり、おびただしいコニャクを飲んだあとで、オブロンスキイは指定された時間より少し遅れて、リジヤ・イヴァーノヴナ伯爵夫人のもとを訪れた。 「伯…

『アンナ・カレーニナ』7-11~7-20(『世界文學大系37 トルストイ』1958年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)

[#5字下げ]一一[#「一一」は中見出し]『なんという驚嘆すべき女だろう、美しくて優しい、しかも気の毒な女だ』オブロンスキイといっしょに、凍った外気の中へ出ながら、彼はこう思った。 「え、どうだ? 僕がそういったろう?」レーヴィンが完全に征…

『アンナ・カレーニナ』7-01~7-10(『世界文學大系37 トルストイ』1958年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)

[#2字下げ]第七編[#「第七編」は大見出し] [#5字下げ]一[#「一」は中見出し] レーヴィンはもう足掛け三ヵ月モスクワで暮していた。この方面のことに詳しい人たちの、正確無比な計算で予定されていたキチイの分娩の時期は、とっくにすぎてしま…

『アンナ・カレーニナ』6-21~6-32(『世界文學大系37 トルストイ』1958年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)

[#5字下げ]二一[#「二一」は中見出し]「いや、公爵夫人はお疲れになったらしいから、馬などには興味がおありになるまいと思うね」スヴィヤージュスキイが新しい牡馬を見たいといいだしたので、養馬場まで行こうと誘ったアンナにむかって、ヴロンスキ…

『アンナ・カレーニナ』6-11~6-20(『世界文學大系37 トルストイ』1958年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)

[#5字下げ]一一[#「一一」は中見出し] レーヴィンとオブロンスキイが、いつもレーヴィンの泊まりつけにしている百姓家へ着いたとき、ヴェスローフスキイはもうちゃんとそこにいた。彼は部屋のまんなかに腰かけて、両手を床几につっぱりながら、主婦《…

『アンナ・カレーニナ』6-01~6-10(『世界文學大系37 トルストイ』1958年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)

[#2字下げ]第六編[#「第六編」は大見出し] [#5字下げ]一[#「一」は中見出し] ドリイは子供たちをつれて、妹のキチイ・レーヴィナの領地、ポクローフスコエでひと夏をすごすことになった。彼女自身の領地では、邸がすっかり崩れてしまったので…

『アンナ・カレーニナ』5-21~5-33(『世界文學大系37 トルストイ』1958年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)

[#5字下げ]二一[#「二一」は中見出し] カレーニンは、ベッチイやオブロンスキイとの話から、人が自分から求めているのは、妻を解放して、自分の存在で彼女を悩ませないようにすることであり、また妻自身もそれを望んでいることを知って以来、すっかり…

『アンナ・カレーニナ』5-11~5-20(『世界文學大系37 トルストイ』1958年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)

[#5字下げ]一一[#「一一」は中見出し] アトリエの中へ入ると、画家のミハイロフはもう一度客を見まわして、さらにヴロンスキイの顔、ことにその頬骨の表情を、自分の想像の中へとり入れた。彼の芸術家的感情はたえまなく働いて、素材を蒐集していたに…

『アンナ・カレーニナ』5-01~5-10(『世界文學大系37 トルストイ』1958年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)

[#2字下げ]第五編[#「第五編」は大見出し] [#5字下げ]一[#「一」は中見出し] シチェルバーツカヤ公爵夫人は、もうあと五週間しかない大斎期《だいさいき》までに、結婚式を挙げるのは不可能と見なした。というのは、したくの半分もそれまでに…

『アンナ・カレーニナ』4-21~4-23(『世界文學大系37 トルストイ』1958年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)

[#5字下げ]二一[#「二一」は中見出し] ベッチイが広間を出るか出ないかに、新しい牡蠣《かき》の入ったエリセエフの店へ行って、そこからやってきたばかりのオブロンスキイに、戸口でぱったり出会った。 「ああ! 公爵夫人! これはいいところでお目…

『アンナ・カレーニナ』4-11~4-20(『世界文學大系37 トルストイ』1958年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)

[#5字下げ]一一[#「一一」は中見出し] 一座のものはだれもみな、この会話に仲間入りしていたが、キチイとレーヴィンだけは別であった。はじめ、一つの国民の他国民に対する影響力という問題が出たとき、レーヴィンはこの問題について、いうべき意見を…

『アンナ・カレーニナ』4-01~4-10(『世界文學大系37 トルストイ』1958年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)

[#2字下げ]第四編[#「第四編」は大見出し] [#5字下げ]一[#「一」は中見出し] カレーニン夫婦は、ひきつづき一つ家に暮して、毎日顔をあわせていたけれど、お互に全くの他人同士であった。カレーニンは、召使に揣摩臆測《しまおくそく》の権利…

『アンナ・カレーニナ』3-21~3-32(『世界文學大系37 トルストイ』1958年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)

[#5字下げ]二一[#「二一」は中見出し]「僕は君を迎えに来たんだよ。今日は洗濯がばかに長かったじゃないか」とペトリーツキイがいった。「どうだい、もうすんだかい?」 「すんだよ」とヴロンスキイは、目だけで笑いながらそう答えて、口髭の先を用心…

『アンナ・カレーニナ』3-11~3-20(『世界文學大系37 トルストイ』1958年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)

[#5字下げ]一一[#「一一」は中見出し] 七月の中旬、ポクローフスコエから二十露里はなれた姉の村の組頭が、農園の状態や草刈りの報告を持って、レーヴィンのところへやってきた。姉の領地のおもな財源は、川添いの草場からあがる収入であった。ずっと…